第44話 最期の会話

 ♢♦♢ ――リアナ――


 アマトウからの説明を受けたデイミオンが戻ってきて、その夜は一緒にフィルのもとにつきそってくれた。乳母のアマナ、竜騎手のロールも一緒だ。

 病室の手前の、部屋というより廊下というほうが近いささやかな場所だったが、簡易寝台や椅子をならべて明かりをともすと狭いながら明るい雰囲気になった。ロールが厨房ちゅうぼうにたのんで、南部風の柔らかい塩パンやハム、チーズ、イチジクなどの軽食を運んできた。城の者たちには見せられない光景だろうが、家族同然の人々が狭いなかに集まっていることにリアナはほっとした。一人でいると思いつめてしまいそうだし、デイミオンがいることで心強くもあった。

 「この山を乗りこえれば」と、アマトウは説明したという。それほどに危険な状態で、この夜を迎えるのだ。デイやほかの皆の助けがなければ、とても耐えられなかっただろう。


 夕方――、とリアナは思いかえす。

 彼女のもとにやってきたデイミオンからは、服を替えていても血と灰の匂いがした。リアナの敏感な嗅覚は、その由来をしっかりと感じとった。デイミオンはなにかを――いや、誰かを焼いたのだろう。彼もまた、リアナを必要としていることを知ると、心ゆさぶられてしまう。黒竜の強大な力をふるうデイミオンは、たやすく竜祖の世界に入っていきながら、リアナといういかり切望せつぼうしているのだった。

 デイを、アルナスル王のような片翼かたよくの孤独な王にしたくない。

 そばで支えてあげたい。力になりたいという気持ちは、ずっとある。冷たい態度を崩さなかったあいだも、デイミオンは彼女を気にかけ、庇護ひごしてくれていたのだから。

(でも、今のわたしは……。フィルにもしものことがあったら、デイを選べないわ。これから先も、ぜったいに)

 リアナは、ただフィルが目を覚ましてくれることを祈った。


 その場の誰もがまんじりともしないうちに朝を迎えた。夜勤の医師が日勤に変わるタイミングでアマトウがやってきて、夜間帯の報告を受ける。その様子をリアナはどきどきと見まもった。

「アマトウ卿。フィルは……」

 病室から出てきたアマトウは、安心させるように口もとをやわらげ、「数値が安定してきました」と教えてくれた。

挫滅ざめつ症候群のおそれもないようです。お顔見せ程度くらいでしたら、中にお入りになってもよろしいですよ」


 リアナは安堵のあまり、膝に力が入らないほどだった。いそいでローズを抱きかかえ、案内されて病室に入る。

 寝台に横たわるフィルは、見た目には昨晩と変わらず痛々しかった。が、ぼんやりと目を開いている。

「フィル、わたしよ」

 リアナは声をかけた。「ローズもいるわ。わかる?」

 フィルはまだ身体を動かせず、声を出せないようだった。ただ、目線がリアナとローズを追って、うなずくようにまばたかれた。

「ああ……よかった」


 砂色の短髪を撫でると、髪のあいだから瓦礫のかけらが落ちた。さいわい、頭部に目立った外傷はないということだったので、リアナは触れても痛くなさそうな頭を撫でた。フィルは彼女の手の感触を味わっているようだったが、しばらくすると目を閉じて、また寝入ってしまった。


 ♢♦♢ 


「ところで、リアナ陛下さま

 病室を出ようとしたところで、アマトウに声をかけられた。「こんな時で申し訳ないのですが、陛下がたがお越しになっていると聞いて、エンガス卿が謁見えっけんを希望なされています」

「エンガス卿が?」

 リアナは娘を抱えなおした。「そういえば、ご挨拶がまだだったわね」

「私としては、まだ面会を許可したくはないのですが、閣下のたってのご希望なのです」アマトウは親族というより医師の顔になって、そうしぶった。

 本来なら、かれの領地に入ったらすぐに面会するのがすじだろう。ただ今回は緊急の来訪だったし、エンガス卿はながくせっていたから、顔を合わせることは考えていなかった。

 フィルがとうげしたことで、ようやく落ちついて頭がまわるようになってきたようだ。

「そうね、じゃあおうかがいしましょうか。娘の顔も見せたいし」

 ふと我に返って、自分の服装を見なおした。櫛を入れていない髪はもつれているし、服は数日着たきりなうえに娘のよだれや授乳時の汚れでひどいありさまだった。とても、五公にあいさつできるような格好ではない。

「まあ、格好はしかたないわね」

 上王と領主が顔を合わせるとなれば儀礼的なやりとりもいろいろあるのだが、おたがい非常時ということで、うるさ型の公も目をつぶってくれるだろう。


 デイミオンは、めずらしく竜騎手ロールとなにやら話しこんでいた。それで、ひとまずは一人で出向くことにする。

 アマトウが公の居室まで案内してくれたが、表情には懸念けねんが見えた。「つもる話もおありでしょうが、くれぐれも、長話はご遠慮くださるようお願い申しあげます」



 居室は中央に大きな寝台があり、そのまわりに本と書きつけが散らばっていた。一方で机の上は片付いていて、エンガスが多くの時間を過ごしているのが寝台であることをしめしていた。

 西部公は寝台の上に半身を起こしてリアナを出迎えた。長衣ルクヴァこそ身に着けていなかったものの、ドレープつきのシャツできちんと装っている。

「お加減はどう? エンガス卿」

 老人の顔色は思ったほど悪くなく、彼女はひそかにほっとした。アマトウが釘をさすくらいだから、フィル以上の重症なのではと心配したのだ。

「まったくいかん」

 老大公は、いつもどおり淡々と告げた。「いよいよもう、生きながらえることは難しいようだ」

 そう告げる口調が、あまりにも普段のエンガス卿らしいので、リアナはつい笑ってしまった。

「あなたはいつもそうね、ダブレイン。悲観的なのは変わらないわ」

「あなたも」

 エンガスは涼しげに返す。「私の浅慮せんりょを吹きとばすほど楽観的でおられる。……そちらが娘御むすめごかね?」

「そうよ。アロミナ・ローズ。わたしとフィルの娘。抱いてみる?」

 断られるかと思ったが、意外にもエンガスはうなずき、しっかりした手つきでローズを抱いた。実子のない老人とは思えない、子どもに慣れた様子に、リアナの知らないかれの一面がかいま見えた。

「王国に新しい子が生まれたか。いことだ」

「医師であるあなたのおかげよ」

「老いぼれに抱かれても泣かれもせず、胆力がおありのようだ」

「一時間もこの子と一緒にいてごらんなさいよ。そんなこと絶対言えないから」

「さもありなん」


 二人はさまざまな話をした――もっとも、エンガスが彼女に質問する時間のほうが、ずっと長かった。老大公は彼女のカルテをまだ大切に保管していた。あいかわらず根ほり葉ほりと尋ねては、枯れ木のような手で文字を書きつけていく。字には震えが目だったが、内容は変わらず明晰めいせきで、王国随一の医師の名に恥じなかった。

 かつて、エンガス卿はリアナを王位から追い落とすようデイミオンにはたらきかけたことがある。しかし、デーグルモール化という奇病を身をもって精査し、彼女の妊娠可能性を教えてくれたのもまた、かれだった。そう思うと奇妙なえんを感じずにいられない。

 おたがいに話は尽きなかったが、アマトウの注意もあったし、そろそろ授乳の時間だった。しばらくは領主館に滞在するのだし、長居せずちょくちょく訪ねるほうがよいだろう。……そう考えて、リアナは退席を申し出た。


「あなたを見ていると、世界がいきいきと感じられる。若木のようにあざやかで、希望に満ちている」

 退室のまぎわ、エンガスはそう言って、見慣れない奇妙な顔をした。リアナは思わず目をまばたかせる。

「あなた、まさか今、笑ったの?」

「この老人が笑顔になってはおかしいかな? 私にも人並みの情緒じょうちょがあるのだが」

「まったく信じられないわね」

 リアナもつられて笑った。「でも、悪くはないものだわ。また明日来るわ、ダブレイン」


 ♢♦♢


 その日の残りの時間は、フィルのそばで過ごした。暴徒たちへの対応やイディスの隊との連絡、見舞客のあしらいなどやることは山ほどあったが、ほとんどはデイミオンが彼女の代わりにやってくれた。夜にはローズが熱を出し、また大きな騒ぎになった。……さいわい待機中の癒し手ヒーラーもおり、発熱以上の症状が出ることもなく無事に朝を迎えた。

 フィルのそばで椅子にかけてうとうとしていると、ふと周囲のあわただしい物音で目がめた。アマトウが数人の癒し手ヒーラーを連れて、屋敷のどこかへ向かっていく。なにかあったのかと気にはなったものの、夜どおし起きていたせいで眠気のほうがまさった。


 次に目が覚めたのは、フィルの手に重ねていた手が握られる感触だった。夢うつつに微笑みかけると、フィルもまた笑みを返した。口もとが動き、なにかをささやきかけている。リアナ。ローズ。

 名前を呼ぶかすかな声がうれしくて、思わず涙がこぼれた。



 エンガス卿が息をひきとったとしらせを受けたのは、その日の夕刻ゆうこくだった。


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