5 西の烽火、王都の嵐 ①

第29話 自分で思っていたよりもずっと

 ♢♦♢ ――フィルバート――


【西部・キーザイン鉱山】


 夜の鉱山。暗闇にぽつりと不寝番の小さな明かりが見えるが、それ以外は闇と山の濃い影とに覆われている。竪坑櫓たてこうやぐらの無骨なシルエットが、月を背にしてくっきりと浮かんでいた。


 フィルバートはそのやや手前、管理棟が見える建物の屋上に身をひそめていた。夜のなかには自分以外の気配があると、兵士の勘がつたえてくる。いつものチュニックの上に毛織ウールのジャケットを着ていた。ずいぶん肌寒くなったと感じる。手もとには、弾が込められたマスケット銃が三挺。

 昔は、『夜の目』と呼ばれたものだ。〈呼ばい〉をもたないハートレスたちは、そのぶん視力や聴力にすぐれている者が多い。フィルもそうで、夜に目をならせば驚くほど遠くまで見とおすことができた。動くものなら、なおさらよく見える。


 管理棟から数名が出てきた。ニシュク家の淡青の長衣ルクヴァを着た竜騎手ライダーたちと、護衛の兵士。かれらに挟まれるようにして、栗色の髪をした痩せた男が出てきた。……病床のエンガス公にかわって西部をおさめる、竜騎手アマトウだ。かれらの固い動きから、ぴりぴりとした緊張感がつたわってくるようだった。まるで、だれかに狙われているかのように。


 その感覚は正しい、とフィルは思った。かれらを狙っている敵が、すぐ近くにいる。入念に準備をし、適切な配置と、竜の網に気づかれない兵士と、ふさわしい装備をそなえて。


 『剣聖』などという大げさな称号をそのままにしているのは、そのほうが都合がいいからだ。剣聖という響きには、剣の道にストイックでほかの武器は扱わないようなイメージがある。だが実際には、フィルは暗器も銃も使う。しかも、かなりたくみに。……ライダーの一人がアマトウに話しかけ、一瞬だけ、その場に立ちどまった。それが発砲のタイミングになった。

 

 ガウンッ、という轟音とともに、管理棟の屋根から男が転げ落ちた。銃とともにからまるように落下し、どさりと重い音を立てて転がる。


「襲撃だ!」

 兵士たちがそう叫び、闇のなかにやみくもに銃身を向ける。が、そのときにはすでにフィルは二挺目の銃で二人目の狙撃手に向け撃ったところだった。相手もほぼ同時に撃ったとみえ、着弾を確認するよりも早くチュインと顔をかすめる。自分の髪が、針のようにぱらりと落ちたのが視界の端に見え、冷や汗が出た。あと5インチもずれていたら、顔の真ん中に風穴があいていただろう。……外してしまった。

 二挺目を脇においてすぐに三射目を構え、撃った。逃げる背中は照準をさだめにくく、できるかぎり冷静に狙ったが肩をかすめただけだった。王国の銃の製造技術はあがってきているものの、やはり訓練された弓兵のような精密さは望むべくもない。狙撃手はよろめきながら姿を消した。……また銃声がした。三人目がいるらしいが、射撃中だったので方角を確認できなかった。

「やばいな」

 フィルはそうつぶやき、マスケット銃を放りだしたまま地面に向かって身をおどらせた。着地とともに手を大きく振り、「建物のなかに入れ!」と命じた。すでにライダーの一人が腕を負傷している。アマトウの襟首をつかむようにして、建物の入口まで走った。ドアを開けるフィルの背後でさらに銃声が聞こえ、間に合わないかと思われたところで、なにかが銃弾をふせいだ。赤竜のライダーが、入口にある階段の金属製の手すりから即席の盾を生成したらしい。それで、なんとか全員が無事に屋内に入った。

「狙撃手は広場通り方面に向かって逃げた。スタニーがそっちで捕捉するかも。黒竜の火で援護してやってくれ」

 

「フィルバート卿。あなたに警護を頼んで、正解だった」

 荒く息をつき、まだけわしい顔のまま、アマトウが謝意しゃいを述べた。

「さっきまで、労働者側の代表と話しあいをしていたのですが……あまり良い結果ではなかった。かれらが狙撃手を差し向けたのかも」

「ご領主の代理である、アマトウ様を暗殺しようなどとは……!」護衛役らしい竜騎手が怒りで顔を真っ赤にしている。

「暗殺なら、俺に反撃せずにアマトウ卿だけを狙ったはずだ。……警告のつもりなのかも。……労働者側の代表はロイ?」と、フィルが尋ねる。

「そうです。あとはフィッツ、ダグ、テッサという男がいる」

「知らない名前もあるな。……話し合いは、例の補償金の件?」

「ええ。二年前の崩落事故で、労働者側には多数の死者が出ました。その慰労金についての協議です」

 崩落事故の件なら、フィルがまだ王都にいて、リアナと結婚したばかりの頃に聞いたおぼえがある。「折り合いがついて、もう支払いに入っているのかと思ってた」

「そのはずだったんですが……」

 アマトウは首をふった。「順調に協議が進んでいたはずなのに、急に難色を示すようになったのです。税の軽減と、自治権の要求までくわわって収拾しゅうしゅうがつかない」

「税の軽減に、自治権か。それはまた……デイミオンが認めるとは思えないな」

「税のほうはこちらで多少補填ほてんしてもいいと譲歩しているんですが、どうにもかたくなで……。誰か、入れ知恵をしている者がいるのだと思う」

「もっと悪い。たぶん、の工作員がいる」

 フィルの言葉に、アマトウは驚きを示した。「南部の?」

「いや。アエディクラだ」


 フィルは説明をしかけたが、ふと眠気に襲われ、ふあ、とあくびをした。娘が生まれてからというもの、すっかり生活が変わってしまった。ローズが眠る時間帯には、自分も眠くなってしまう。いまごろ夢のなかだろうか、それとも夜泣きしてリアナを困らせているだろうか。

 子どもが生まれればリアナを引きとめられる、と思っていた一年前が嘘のように、いまは娘のいない生活は考えられなかった。リアナのことを思うのとおなじくらいひんぱんに、娘のことを考えている。

 早く腕に抱いて、しっとりと温かな重みを感じたい。綿毛のような髪を撫でたり匂いを嗅いだりもしたい。……赤ん坊はミルクの匂いがするのかと思っていたけれどそうではなく、最近は茹でたジャガイモの匂いでローズを思いだしてしまう。日ごとの成長を、離れていて見逃したくない。そんなふうに思う。

 緑狂笛グリーンフルートはもちろん、戦いにスリルをおぼえることも減った。リアナがそばにいるときでさえ完全には埋まらなかった心の穴を、思いがけない小さな生き物が埋めてくれているのかもしれない。


「あなたに頼みがある、フィルバート卿」

 と、アマトウは言った。「われわれと一緒に、労働者側との交渉の席についてほしいのです」


 フィルは長時間の待機でこわばっていた首をまわし、アマトウの言葉を咀嚼そしゃくした。

「今回は単独じゃない。リアナの夫として、彼女の私兵をひきいてきているんだ。その俺を、交渉の場にいれると?」

 キーザイン鉱山をめぐっては、管理者であるニシュク家と所有者である国王、そして技術者を派遣する南部との三つどもえの利権争いがある。リアナは元王配なので、その点を確認する必要があった。


「リアナさま……の背後には、デイミオン王の思惑があるのかもしれませんが、かまいません」

 アマトウは疲れの見える顔のまま、はっきりと言った。「彼女は私の力を必要としておられる。裏をかくメリットはないでしょう」

「医師として、リアナの命を人質にしているのか?」

 フィルは腕をくみ、眉をひそめた。「アマトウ卿、あなたは甘い。そういうときのために俺がいる。彼女の喉もとにつきつけられたナイフをはじくために」

 そう伝えると、男の顔に緊張が走った。かれがエンガス公のような老獪ろうかいさを身につけるのには、まだ時間がかかりそうだ。

 そう思ってフィルは笑い、敵意がないことを示すために両手を開いてみせた。「……でも、協力しよう。最近は、なにごとも正攻法で行くことにしているんだ」

「よかった。あなたのお力が、ぜひ必要なのです」

 ほっとしたように、アマトウもかすかな笑顔をみせた。了解のしるしに、たがいの肩を軽くたたく。


「たしかに、最近のあなたは以前と違うようです。ご息女が生まれて、考えが変わりましたか?」


 問われて、フィルはわずかに考えこんだ。

 昔は、夜はその闇にひそむためのものだった。結婚してからは、夜は愛しあう時間に変わった。そして今は、娘のすこやかな眠りのためのもの。最近のフィルは、王国の平和が長く続くことを考えるようになっていた。かつては無関心だった西部の安定が、彼にとっても意味あるものになりつつあった。


「ああ」かれはうなずいた。「自分で思っていたよりもずっと」


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