第28話 もっと激しくしてほしい

※性描写があります


 タマリスの秋とは思えない、生暖かい風のふく夜だった。

 屋敷に戻ったリアナは娘の顔を見てから、トマナにことわり寝室に閉じこもった。眠るためではなく、竜術に集中するためだ。ベッドの上であぐらをかき、手もとにはメドロートののこした分厚い手記ノートがある。呼吸を落ちつけて通路をひらくと、レーデルルのおだやかな気配が間近に感じられた。アーダルの力の奔流は黄金色だが、ルルの力は真珠色のオーラがあり、包みこまれるときめ細かくわきあがるシャンパンの泡のように心地よい。


 暖かく、不穏な空気の流れ。それはまだはるか南西にあったが、たしかに嵐の予兆といえるものだった。王国におけるハリケーンの北限は、せいぜいケイエまでといったところで、冷たく乾燥した空気にはばまれてそれ以上北上することはない。だがメドロートの手記によれば、かれの在職中一度だけ、タマリスを直撃したことがあり、その際は王都に甚大な被害をもたらしたという。

 リアナとルルの意識はいま、いくつかの台風の行方ゆくえを追っていた。アガヤを襲った巨大な台風は、もはや北上することはなく穏やかに寿命をむかえようとしている。そのあとに続くように王国の南端メディアに小さな嵐が生まれていた。だが、二人の意識が注目したのは、そのあいだにある弱い嵐だった。ふたつに比べれば勢力は弱く、明日にも消えていてもおかしくない。しかしそのいくつかの特徴が、メドロートの警告する台風に似ているのだった。

 そこでリアナは、めったに使わない北部領主の〈血の呼ばい〉をひらき、従兄いとこのナイルに呼びかけた。


〔やはり、あなたも感じたか〕

 報告を聞いたナイルは、予想していたような態度だった。〔今年は、熟練の風読みたちでさえ予知をはずすと言っている。なにかあるだろうとは思っていたが……〕

 二人は今わかっている段階での〈呼ばい〉の情報を共有し、王都の警戒を強めることで意見を一致させた。王の許可を取りしだい、タマリスの上空をナイルの竜が管轄することになる。リアナはその補佐を申し出た。

 細かい点まで打ち合わせを終えると、ナイルは最後に、別件の相談があると切りだした。

〔じつは、カイをこちらに呼びよせたんだ。この秋は、エリサとカイに白竜の術を教えたいと思っている。どうかな?〕

 カイはエリサ同様、種子貯蔵庫で見つかった子どもの一人だ。

「もちろん、ありがたいけど……エリサたちはまだ成人前よ」

 リアナは迷いながら答えた。竜術を本格的に習得するのは、十六歳からという建前がある。もちろん領主貴族の嫡子たちは、それ以前から教師に習うことが多いようだが……

「習わせるにしても、もっとあなたの体調が回復してからでもいいんじゃない?」

〔いつ、どの程度回復するかもわからないのに?〕

 ナイルは他人事のように辛辣しんらつに言った。〔いいや、従妹殿いとこどの、私は機会を逃したくないんだ〕

「そんなこと言わないで。暖かい王都にいれば、あなたもずっと体調も良くなるはずよ」

 生き急ぐような従兄の言葉が気にはなったが、結局、リアナも納得して訓練に同意した。エリサにとっては、たしかにがたい機会になるはずだ。

 二人は打ちあわせばかりの慌ただしい会話を終えた。


 ♢♦♢


 伝令竜用の手紙の下書きをしていたリアナは、ふと小さな物音に顔をあげた。

 こつ、こつ。小石がぶつかるようなかすかな音が二度。わずかな間をあけて、また一度。

 こんないたずらめいた符丁ふちょうには覚えがある。リアナは窓をあけ、バルコニーから下を眺めた。まさかとは思ったが、ほのかな月明かりの下に立っていたのは、西部にいるはずのフィルバートだった。手にもった豆のようなものを、軽く宙に放って口で受けとめて遊んでいる。まるでいま、散歩から帰ったばかりのように軽装だ。


「フィル」

 驚きよりも嬉しさのほうが先にわいて、リアナは思わず身を乗りだす。と、『下がって』とジェスチャーが見えた。その通りにすると、フィルはカギつきの縄を投げてバルコニーに引っかけ、あっという間に二階にのぼってくる。逢引あいびきをもくろむ若いならず者のように。


「この屋敷の旦那さまは、泥棒みたいに帰ってくるの?」

 リアナがからかうと、フィルは笑って彼女を抱きしめた。力強い腕、シダーウッドとナツメグを感じる彼自身の匂い。ひさしぶりのキスは、ペカンナッツの甘い香りがした。

「ローズとあなたの顔を見たくて。ちょっと寄っただけで、すぐ西部に戻るよ」

「玄関から入ればいいのに。ロールたちがびっくりするわ」

飛竜エクウスをつないだら、ここが一番近道なんだよ」

 階下では、護衛の一人が安全確認をしたようで苦笑しながら手を振っている。フィルの神出鬼没には慣れているのだろう。

 丈夫な飛竜がいれば半日の旅程とはいえ、気軽に帰ってこられる距離ではない。しばらくは会えないと覚悟していたから、不意の帰宅は驚きで、嬉しかった。



 手をつないで室内に入ると、フィルは「浮気しなかった俺をほめてくれる?」と聞いた。

 例の噂の一件だろう。デイミオンのことを思い、リアナは一瞬たじろいだ。が、「もちろん、大きな進歩だわ」と冗談めかして答えた。

 この男のことだ。間諜を派遣したのがデイミオンであることくらい、すでに気づいているだろう。


「念のために聞くけど、噂を広めたのはあなたじゃないわよね?」

「もちろん」リアナの頭の上で、フィルはくぐもった笑い声をたてた。「今回は違うよ」


 剣だこのある手のひらに頬をすり寄せる。昼、デイミオンに触れられた熱が、まだ苦しかった。

『王である以上、臣下の妻を奪うことはできない。こんな醜態も、これきりだ』

 間男と呼ばれるような屈辱は、デイには受け入れがたいはずだ。かれは自分の言葉どおり、もう二度とリアナに触れないつもりなのだろう。デイミオンは昔からずっと有言実行の男だった。

 自分で縄を切っておきながら、ボートが出ていくのを嘆くなんて。だが、いくら身勝手でも気持ちが揺れ動くのはどうしようもなかった。


「ローズは居間?」

「ええ」

 フィルは寝室を出ようとしたが、リアナは夫の腰に手をまわして引きとめた。胸もとに頬を押しあててささやく。「でも、もう少しここにいて」


 デイミオンを心に残しながらフィルを求めるのは、水が飲みたいのにワインをあおるようなものだった。酔いがまわれば、いっときはうれいを忘れられる。でも翌日にはより激しい乾きに襲われるかもしれない。

「俺が恋しかった?」

 いたずらっぽくうなじに触れながら、そう尋ねてくる。

「ええ」

「本当かな。確かめてみようか」

 一歩、二歩。背後に追いつめられて、膝裏がマットレスにあたったところで寝台に押し倒される。

 ガタン、と寝台が揺れる音が、やけに大きく響いた。


「リアナさま。いま、物音が――」

 扉の前にいた護衛のロールが、扉を開けてなかに入ってきた。よくよくタイミングの悪い男らしかった。リアナに覆いかぶさっているのが屋敷の主人であることに気づくと、顔を赤らめる。「し、失礼しました」

 フィルはちらりと竜騎手を見たものの、首筋をたどる唇の動きは止めなかった。

 ロールがあわてて扉をしめて出ていくのと同時に、首に手をまわして引き寄せ、キスをねだる。

 常にない積極さにフィルは驚いたようだったが、リアナが望む情熱的なキスを返してくれた。口を開いて舌をからめ、歯列の裏までなぞるような。


「デイミオンにかれてるんだね」

 首筋を検分するように撫で、そこから答えを導くようにフィルは言った。「好きな気持ちを持てあまして、俺にも申し訳なくて、その反動でこんなに欲しがっている」

 リアナは否定しなかった。「あなたには隠せないのね」

「そうだよ」

 フィルは彼女の顔を包み、しっかりと目を合わせて肯定した。たとえ内心では嫉妬に駆られていたとしても、デイミオンと違い、それを顔や態度に出すことはなかった。

「俺はあなたの全部を分かっている。あなたの欲望も、ずるさやもろさも愛している。だから安心して、俺におぼれていいんだよ」

 フィルの言葉に罪悪感をおぼえつつも、そこにあるやすらぎには抵抗できなかった。

「まだ、デイが忘れられないの」リアナは荒い息のまま告白した。「もっと激しくしてほしい」

 闇のなかでフィルは笑い、懇願こんがんしたとおりにしてくれた。

 脱がしかけたブラウスで腕を拘束こうそくし、抵抗できなくしてから背後にまわる。固い指が乳房をつかみ、もう片方は秘めた場所を的確にさぐった。後ろから重なってきたフィルは、まだ十分に潤っていない秘所を穿うがつように彼のものを突きいれた。嬌声をあげようとすれば口のなかに指をいれられ、声さえ自由に出せない。……そのあいだにも、糖蜜より甘い声が彼女の耳にそそぎこまれた。どんなふうに愛らしく乱れているか、それがどんなに男の欲望をあおるのかを優しく容赦なくささやき続ける。

 もし快楽が拷問になるなら、フィルバートはこの上なく有能な拷問官になれるだろう。


 二人でともに果てた直後、もうろうとするリアナを、フィルは抱きすくめた。

「誰に心揺さぶられてもいい。ただ、俺から離れないで」

 甘さのない小さな声は、もしかして彼の本音だったのかもしれない。


 返答もできずにいるうちに、リアナは夜のなかに意識を手放してしまった。目覚めたとき、フィルの姿はすでになかった。

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