第59話 三人の選択 ②

「一対一の夫婦として過ごし、婚姻を解消する……か」

 デイミオンは杯を一気に飲み干した。

「おまえと過ごせる春が、より短くなるのに。だが、あいつらしい……というべきか」


 昨晩、文字どおり彼女を腕に抱いたまま、フィルはこう言った。

『あらたな春をあなたと過ごせなくなったとしても……俺は、いまこの腕のなかにいるあなたが、俺ひとりのものだと信じたい』

 それがかれの答えならと、リアナは受けいれる決断をしたのだった。たとえ、その答えが近い将来かれと離れる結末となるにしても。


「それで……おまえは今夜、俺の新しい配偶者として紹介されることはないわけだ」

「残念ながらね」

 まばゆい明かりの下、国王デイミオンの新たな花嫁としてこの階段を降りていくというのは、なかなかあらがいがたい魅力があった。黒竜の王と白竜の王妃がそろうという吉兆きっちょうに、ひとびともおおいに湧きたったにちがいない。

 だが、それは当面、おあずけになりそうだ。

「がっかりした?」リアナが尋ねる。

「ああ」

 デイミオンはそう言ったものの、表情には怒りは見えなかった。「だが、それが三人で選んだ道だ」


 二人はそのまま黙って、眼下の光景をながめていた。今年のデビュタントの数は、去年よりもいくぶん多い。今年にはいって、新しい灰死病の患者は出ていなかった。エンガス卿ののこした研究が、さらに病の解明をすすめてくれるかもしれない。そうすれば、竜の国のライダーたちはもっとえることだろう。……この繁栄を、もっとたしかなものとしたい――それは、二人の共通の願いだった。たとえ今は夫婦でなくても、今後もおなじ目的のために協力していくことはまちがいない。


「タムノール公のことだがな」

 しばらくして、デイミオンは違う話題を切りだした。

「あのあと気になって、エクハリトス家の歴史書を調べなおしてみたんだ。どうやら、タムノールはアロミナを手にかけたわけではないらしい。……もちろん、戯曲で歌われるアルナスル王と、タムノール公が同一人物かどうかはわからない。単に、おなじ名の妃をもつだけかもしれないが……」

 

 東夷とういつという任務に打ちこむあまり、王都をあけることが多くなったタムノールは、妻の心の隙間すきまに気づかなかった。産後の気鬱きうつと夫の不在がかさなり、アロミナは趣味だった狩りに没頭するようになり、そして不幸な落竜事故によって命を落としたと史実は語っている。

「じゃあ、かれが後悔を口にしていたのは……」

「直接手にかけたわけではなくても、つがいを守りきれなかった罪悪感があったんだろう。自分が殺したようなものだと嘆いていたのが、後世にあやまって伝わったんだろうな。不倫のすえの愛憎劇は、後世の創作というわけだ」

「……」

 リアナは図書室にあらわれた公のことを思いだした。彼女を見るタムノールは、目の前の女性に愛おしい妻の面影おもかげを探しているように見えた。それほどに強い愛情で、自分が死んだあとも深く想われるというのは、どういう気持ちなのだろう。

「もし、わたしがアロミナなら……そろそろ自分の幻影から自由になってほしいと言うでしょうね。永遠に自分にとらわれてほしくないと」

「かもな」

 デイミオンはかすかに笑った。「だが、それがエクハリトスの男だ。俺も……おそらくはフィルバートも」

 千年の春を、もう目の前にいない女性のために捧げられるほどの愛。それとおなじものが、かれらのなかにあるとしたら……。

 リアナは手をのばし、デイミオンの耳の下にある、顎の骨ばったところに指をあてた。エクハリトスの男らしく整った男性的な顎が、美しい口もとへつながっている。デイミオンはその指をとって、自分の唇にあてた。

「俺は、アルナスル王のようにはなりたくない。つがいをうしなって、幽鬼ゆうきのように生きるのは嫌なんだ……おまえが必要だ」

 リアナはその言葉と、かれの熱く乾いた唇を指に感じた。

 唇が離れると、デイミオンは長衣ルクヴァのかくしをあさり、ひとつらなりになった宝石を取りだした。

「これは……?」

 リアナは首飾りを手にとって、しげしげと眺めた。朝焼けのようなピンクオレンジに輝く、美しい石がつらなっている。石の数は、十二個あった。それで、これが夫婦の一節目の記念日を祝うための贈り物だったことがわかった。用意のいいデイのことだから、二年前、リアナが出ていく前にこれを用意していたのだろう。

「わたしには、これを受けとる資格がないわ」

 デイミオンはその言葉にはともともいわず、「……この宝石いしは、俺たちが過ごした時間の分だけある。……一節だ」と告げた。


「一節のあいだ待とう。その時間が過ぎたら、この首飾りをつけて、俺のもとに戻ってきてほしい」

 リアナは首飾りから目をあげ、デイミオンを見た。青い目には万感の思いがたたえられている。タムノールの目にも、フィルの目にもあったもの。永遠に彼女にそそがれる愛。

「……わかったわ」

 リアナは首飾りを受けとり、うなずいた。


「一節が過ぎたら、わたしはこの城に戻ってくる。……あなたのもとに。そしてそのあとの春を、つがいとしてあなたと過ごすわ。千年の春を、永遠に」


 ♢♦♢


 リアナが城を去るところを、デイミオンは〈呼ばい〉で感じとった。星々が彼女の竜車に小さな光を投げかけ、夜の毛布そのもののようなアーダルが、それを上空から眺めているのだった。……うす暗い露台席を出ようとしたところで、副官のハダルクが迎えにきていた。もうシーズンに参加する節年齢ではないので、いつもの騎手団服のままだ。


「よかったのですか? あのまま、お帰しになって」

 ハダルクは思案しあんげな顔で言った。「今晩、リアナさまをあの場でご紹介するのかと思っていましたが……ご準備なさっていたんでしょう?」

「いいんだ」

 デイミオンは首をふった。「これでいい」

 

 銀髪の副官は、まだなにか口を出したそうな雰囲気だった。肩に手をおいて、デイミオンはそれをとどめた。

「さて、宴に顔を出すか。祝辞やらもあるだろう?」

「はい」

 ハダルクが返した。毎年のことなので、返答も慣れたものだ。「今年のデビュタントたちにお言葉を。それから全員参加のダンスとなりますが、例年、一番最初の踊り手は陛下がおつとめになっていますが……」

 そこまで説明して、副官は苦笑した。「でも、お踊りにならないのでしょうね。これから、リアナさまが戻るまで」


「ああ」

 デイミオンはすがすがしい笑みを見せた。「俺が次に踊るのは、彼女がこの城に戻るときだ。……なに、千年の春のたった一節……待てるはずだ。俺のつがいは生きているんだからな」


 そして王は周囲を引きつれ、階下の大広間へ降りていった。かれを待つ、竜の眷属けんぞくたちのもとへ。


 ♢♦♢


 かれの言葉どおりにリアナが王城に戻ってくるのは、一節を待たない十年後のことになるが、それはまた別の春の話、別の物語である。のち、黒竜の王と白竜の王配のあいだには二子が生まれ、それぞれイスタリオン、メドロートと名づけられた。



【第七部 終わり】



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