第2話 ふたつの名前をもつ子
会が終わるとすぐに席を立ったが、部屋を出るまで、あの青い目が自分の背中を追っているような気がして落ち着かなかった。
「ひどく
隣を歩く紺の
美貌の竜騎手ロールは、あいかわらず騎手団の制服を着ていた。団をやめたがっていたものの、許可が降りず――あるいは、そういう名目で――いちおうは団に在籍したまま、リアナの護衛を続けている。
「今では信じられませんね。仲むつまじいお二人しか知らないもので……」
「初対面の印象は、おたがい悪かったのよ。なにしろデイにとっては、わたしは王座に就くための障害物だったでしょうし」
リアナは肩をすくめた。「そしてまた、目の上のたんこぶに復帰しつつあるってわけ」
ロールは苦笑して、「会はいかがでしたか」と尋ねた。
「この時期は各領地の報告が主だから、まだ
リアナは指をおって
「王の権威をかさに着たエクハリトス家の口出しに、各地の領主たちが反発している。ですね」ロールがあとを続けた。「あなたには、反対派たちの音頭を取ってほしいという期待が向けられている」
「それは、ぜひご遠慮したいところね」
リアナはため息をついた。「それでなくても元夫には嫌われているのに」
「そうでしょうか?」ロールは片方の眉をあげ、面白そうな顔になった。「エクハリトスの雄竜が、つがいへの執着をそう簡単に手放すとも思いませんが」
♢♦♢
城への滞在予定は短いが、その時間にもやることはたくさんある。リアナは秘書官のロギオンに連絡をとり、
生物学的にはリアナの母、法律的には娘というややこしい関係の女児だ。エリサは練兵場にいて、少年たちにまじって『
同年代の男児たちとくらべると小柄だがすばしっこく、空中に投げられた穀物袋をキャッチする動作などは運動能力の高さをしめしている。
「陛下のすすめでお始めになったのですが、たいへんな上達ぶりです」ロギオンがそう教えてくれる。
好奇心の強い子なのであちこち外出したがり、おかげでリアナも彼女の顔を見る機会は多いのだが、やはり子どもの成長は早いと思わされる。
ほかにも家庭教師からの勉学の報告を受け、そうしているうちに練習試合がおわったらしく、エリサがこちらに気づいてやってきた。大好きなロールがいるので、ご機嫌だった。
「今日、城に来る日?」
自分と同じスミレ色の目が見上げてくる。
「そうよ。これから、仕事に来ることになるわ」
少女の問いに、リアナは答えた。「毎日じゃないけどね」
エリサはロールの足に自分の足を乗せた。ロールが腕をつかんで歩いてやると、かれの動きにつれて自分も動くのが面白いらしい。きゃっきゃっとはしゃいでから、「赤ちゃんは? なにしてるの?」と聞いた。
「トマナとフィルが見てくれてるわ」
「ふーん」
エリサはロールの腕にぶら下がったまま、自分のかかとで、もう片方の足を行儀悪く掻いた。「じゃ、今からレーデルルと遊びに行こうよ。西の森の数珠湖がいいな」
リアナは「うーん」と首をひねった。
「デイ……ええと、国王がいいと言うかしら。……ルルも妊娠中だし。タビサ
「すぐ決められないの? つまんない」
エリサは鼻に皺を寄せてそう言いはなった。
「あ、殿下……」ロールが声をかけたときには、女児はかれの上からぴょんと飛び降りて、また練兵場のほうへ駆けていった。
「リアナさまと遊びたかったのかもしれませんね」と、ロール。
「どうかしら……」と、リアナ。
エリサは〈双竜王〉と呼ばれた女性の強い力をそのまま受け継いでいる。賢い子だが、気分にむらがあったり、衝動的な行動をとることもあって、そこが心配だった。養父のデイミオンとももっと子育ての情報をやりとりするべきなのだろうが……そこは、まだ今後の課題というところだろうか。
♢♦♢
その後はカールゼンデン家のタウンハウスに寄った。ナイルに五公会の報告をするつもりだったのだが、今日は臥せっていると言われ、遠慮することにした。
白の
もちろん領主代理としての責任もあるが、病弱な
そして、家を出てから二刻ほどだろうか。まだ日が高いうちに、リアナは仕事を終えて帰宅した。竜車からもひと目でわかる、みごとなバラ園のある小さな屋敷が、リアナ・ゼンデンのいまの住まいだった。春のはなやかさはないが、そのぶんたくさんの品種をすこしずつ見られるいい時期だ。通いで来ている庭師がちょうどいたので、仕事の合間に立ち話をする。もう来年の球根を買う時期だといわれ、見積もりを回すと言う。つねに先々の計画があり、整然と進んでいくあたり、庭仕事は内政にも似ているかもしれないと思ったりする。
「ただいま」
居間に足を踏みいれると、ミルクの匂いがぷんと漂った。今ではすっかりこれが、我が家の匂いになっている。ひさしぶりの外出に気を張っていたのか、家に戻るとほっとした。
「おかえり、リア」
フィルが腕に赤子を抱いて近づいてきた。「今ご機嫌だよ」
腕を傾けてくれたので、服に埋もれていたかわいらしい顔がよく見えた。青みがかっていた目の色がようやく落ち着いて、どうやらフィルのハシバミ色になりそうだ。
「ただいま、アロミナ」
「ローズだよ」フィルが訂正した。
「たまにはこっちの名前も呼んであげないと、忘れちゃうわ」
「大丈夫でしゅよー」
フィルはすっかり板についた赤ちゃん言葉で、腕のなかの赤子にしゃべりかける。「ローズは賢い子だもんねぇ? ママに似て」
ローズは「あぅぷ」というような声を出した。その高い声があまりに愛らしいので、リアナは思わず娘の頬をつついた。
リアナとフィルのあいだに生まれた娘の名前は、アロミナ・ローズ・エクハリトス。法的にはデイミオンとリアナのあいだの第一子となる。
「アロミナ」の名はデイミオンがつけたもので、エクハリトス家にかつて嫁いだ白竜の姫君の由緒ある名。そして「ローズ」という名は二人の思い出の花に由来して、ヴェスランが名付け親となった。
こんなふうにややこしいことになったのも、もとはといえばデイミオンが、リアナとフィルとの一時的婚姻を認めたためだった。そのせいで最愛の男と別れることになったが、こうしてかわいい娘と献身的な夫とに恵まれもした。竜祖の導きは深遠で不可解なものだ。
「お昼はまだだよね? 食事を温めなおすから、ローズを見ててくれる?」
フィルがそう言って、娘を抱かせた。「もう、ベッドに下ろして大丈夫だから」
「ええ」
娘を抱きゆすりながら、リアナは新しい夫の背を見つめた。首まわりのあいたゆったりした薄手のニットから、肩や腕のしなやかな筋肉の動きが見てとれる。
フィルが育児に向いているタイプなのは、なんとなく想像していたが、これほど父親に適応するとは思わなかった。もちろん、乳母や女官の援助あってのものではあるが……つい一年前の悲惨な姿から想像できないほど、おだやかで愛情ぶかい男になった。「変わってみせる」という、本人の口約束どおりに。
「ひさしぶりの出勤はどうだった?」
夫に問われ、朝からの出来事を説明する。そのあいだにも食事の支度ができて、二人はゆったりとテーブルを囲んだ。アエディクラ風のぱりっとしたバゲットは、近所の店から届けてもらい、朝には焼きたてが食べられる。リアナは固いパンも気にならないが、フィルはあれこれ工夫するのが楽しいらしい。卵を吸わせて焼いたり、新鮮な葉野菜と合わせて出てきたりした。すくなくとも料理だけは、城にいたとき以上のものを食べさせてもらっている。
適度に相づちを打ちながら彼女の報告を聞き、フィルは「まだ、あまり無理しないようにしないとね」と言った。
「産後なんだから」
「そろそろ、大丈夫よ」リアナも返す。
出産は、周囲から非常に心配されていた。北方領主家の女性が病弱だということや、彼女自身がデーグルモール化しかねない経緯があってのことだ。そこで出産に際してはかなり厳重な警戒が敷かれたうえで、有事には血液を提供しうる人物が用意されたりもした(なぜかはわからないが、ハートレスの兵士シジュンが喜んで志願した)。
蓋を開けてみれば、出産はもちろん大変だったが、世間の母親と大きく違うところはなかった。フィルのほうが、むしろ彼女を心配するあまりノイローゼになりかかっていたくらいだった。無事出産したときにはデイミオンさえ涙を浮かべて喜んでいたものだ。今では、信じがたいような緊張関係にあるが……。
ただ産後の体調が思わしくなく、二か月を過ぎても床上げできなかったため、これには父親となる男二人もやきもきしたようだ。そういうわけで本来予定になかった乳母をやとうことになった。ちょうど、ロールの姉トマナが先に出産したばかりだったので、通いの乳母として来てくれている。
ほかにも、かれの家からは予想もしていなかった人物が来て……いや、それはあとにしよう。
「あとで、アマナがまた交代で来てくれるよ」
フィルは、トマナの双子の姉の名をあげた。
「そうなの? 夜はわたしもいるし、大丈夫なのに……」
「だけど、明日も仕事に行くんだろう? 夜は休まなくちゃ。ね?」
背後からすっぽりと彼女を抱いて、フィルは耳もとにささやきかけた。「二人目もはやく作ろう」
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