1 新しい生活

第3話 寵姫と前妻


 ――『この城に、おまえの居場所があると思うな』。一年前、かれのもとから去るリアナに、デイミオンが投げつけた言葉だ。


 かれは有言実行の男であり、その発言と実行は、前妻に対しても容赦なく発揮されることになった。


 登城したリアナはそのことを噛みしめている。

 居住区に立ち入れないのはもちろんのこと、執務室どころか、ちょっとした休憩所すら与えられていない。席があるのは、ナイルの代理として参加する五公会と竜騎手議会のみ。

『閣下が使える場所を用意するように調整中ですが、なにぶん手狭な城でして……』

 秘書官の誰かにそう告げられてから一週間ほど経つだろうか? 最初に登城した日に申請したので、それくらいだろう。この分だと、冬になってものらりくらりと言い逃れされそうだ。


 しかたがないので、リアナは城の名物でもあるティーカップ型の小庭園に足を踏みいれた。五公のひとりエピファニーも一緒だ。植物が丸みを帯びた壁を形づくっていて、完全な密室ではないが外からは見えづらい。それぞれの護衛騎手が入ると手狭に感じるほどの空間だ。二人はおもちゃのような小さなティーテーブルを出して、書類を広げた。


「まあ、ピクニックだと思えばいいわよ」リアナは強がって言った。

「お茶もお菓子もないけどね」

 エピファニーがもぞもぞと周囲を探った。「ほら君、ひざ掛けのせなよ」


 〈黄金賢者〉という通り名のほうがよく知られているが、エピファニーは西部領カーチを治める領主であり、公私ともに、リアナの盟友と言えた。いにしえの竜の技術を探求することを生きがいとする変わり者でもある。政治信条は革新的でややリアナと意見を異にする部分もありつつも、彼女の味方であるという根本は揺らいでいない。二人のあいだには、打ちあわせておくべきことがらが山ほどあった。


「……それで、カーチからすこし竜騎手ライダーをまわしてほしいっていうお願いなんだけど」

「いいよ。こういうときのために、奉仕名目で小さな隊を確保してある。マリウス卿の時代からのライダーもいるから、君には同情的だよ」

「ありがたいわ。名簿はある?」

「えーとたしか」

 

 ファニーが書類をあさっていると、「あら」と女性の声がした。

 二人はそろって顔をあげた。

 入口には簡易的な扉がついているが、そこが開いて、白い顔とたっぷりしたレースの袖がのぞいている。

 リアナはさりげなく重要な書類を隠した。


「先客がいらしたわ」

 女性は扉の向こうに向かって声をかけた。半開きになっているので、ほかにも数名の女性貴族の姿が見える。

 その一人が声を発した。「リアナ卿と……どなたかしら、学生さん?」


「……」

「……」

 ふたりは目を見かわした。リアナは親友の地位を笠に着たくはないし、エピファニーは身軽に動くのが好きで大公としての顔を知られたがっていない。つまり、よほどのことがないかぎり黙っていようということだ。ふたりの護衛もそのあたりはふだんから分かっているので、やはり静観していた。


 女性たちは四、五名ほどいて、口ぐちにリアナに話しかけた。

「ごきげんよう、リアナ卿。こんな場所で、奇遇ですわね」

「あら。こんな場所なんて……素敵な場所じゃありませんこと? どのみち、閣下にはしかないのですし……」

「そうそう。ここは逢引には最適な場所ですものね。まあ、お若い方」

「でも、どうしても前のご夫君とは見劣りしてしまいますわね」

「それとも、そちらの素敵な竜騎手がお相手かしら」

 くすくす、ひそひそと言い交わす会話は、不愉快だが聞きなれたものだった。


「誰なの、彼女たち?」エピファニーがこっそりと尋ねてきた。リアナとちがい、かれは貴族たちの人間関係にうといのだ。

「いまにわかるわ」リアナも小声で返す。緊張で身体が固くなったのは、あとに続く人物を予想しているせいだった。


「エピファニー卿」

 やっぱり。想定していた男があらわれて、口をひらいた。「こんなところで逢引か? それとも密談か?」

 ベージュの長衣ルクヴァが、男性らしく濃い色の肌によく似合う。髪は、もうすっかり定着した短髪に簡易冠。狭い室内にわざわざ入ってきた。

「国王陛下」リアナはいちおう頭を下げたが、デイミオンはついと目をそらして元妻のあいさつを無視した。


「やぁごきげん麗しく、陛……わっ」

 エピファニーはあいさつを途切れさせ、急に大きな声を出した。「ロールが女装してる!?」

 友人の驚きも無理はない。デイミオンに腕をからめ、のぞきこむように立っている女性は、竜騎手ロールとおなじ顔をしていたからだ。

 もちろん女装ではなく、当人は長衣ルクヴァ姿でリアナの隣におり、自分とおなじ顔をした女性を苦々しく見やった。


「ニービュラ」

「ロール」

 おたがいに名を呼びあった二人は、双子のきょうだいなのだった。


 驚いて目をまわしている親友に、リアナはしかたなく紹介してやった。「エピファニー。こちらは竜騎手のニービュラ卿」

 それから、周囲のほかの女性たちも、あわせて紹介してやった。「彼女たちみなさん、国王陛下の……ええと、よ」

 王の寵姫たちをなんと表現するかわからず、当たりさわりない表現ですませた。寵姫たちは色あざやかなドレス姿で、扇子を取りだしたりくすくす笑いをかわしたり、思い思いに過ごしている。どの女性も着飾って華々しく、ここ数年の繁殖期シーズンで話題にあがる美姫たちばかりだった。リアナはといえば、城には仕事に来ているものとわりきった簡素な服なので、ずいぶん見劣りがする。


 そんな元妻をどう思ったのかわからないが、デイミオンは肩をすくめて彼女を見下ろした。

「そういうわけだ。よそへ移ってくれ」

「そういうって……だいたい、居住区にもおなじ庭があるじゃないの。もっと大きい庭が」

「そうだな。だが今日はこっちの庭の気分なんだ」


「繊細な感性をお持ちですこと」リアナはせいぜい嫌味に聞こえるように言った。嫌味を言うくらいしか、対抗する手段がなかったせいもある――この城のあるじはデイミオンで、今の自分にはなんの権限もない。


 デイミオンは涼しい顔で、美姫たちに話しかけている。

「それで、なにをするんだ? カードか?」

「お茶会ですわ、陛下」

「ボードゲームも持ってきましたわよ、とても素敵なハイがついていますの。象牙ぞうげ珊瑚さんごでできていて」

 きゃっきゃっと歓談する女性たちに、元夫はにこやかにうなずき返した。「よし。勝者にはなにか景品をやろうな」


(ふん、やにさがっちゃって)リアナは内心で舌を出した。〈呼ばい〉のない今は伝わるはずもないが、なぜかデイミオンはぎろりと彼女をにらむ。


「さて?」

 暗に退出をうながされ、しかたなく立ちあがった。

 ロールとニービュラのあいだにも見えない火花が散ったが、それを感知している余裕はリアナにはなかった。


「茶でもお湯でも、好きなだけ飲めばいいじゃないの」

 悔しまぎれの捨て台詞を残し、憤然ふんぜんとその場を立ち去った。夜中に何度も小用に立つようデイミオンに呪いをかけることも忘れない。


 ♢♦♢


 その後も打ちあわせの場所を探すのにずいぶん苦労して、ようやく解散となったときには、リアナの機嫌も地に落ちていた。


 ようやく仕事も済んで、夫と愛娘の待つ家に帰れるというのに、まだ怒りがおさまらない。帰りの竜車でも、ぶつぶつとロールに愚痴をこぼした。

「まさかニービュラが、デイミオンの寵姫におさまるだなんて。計算外だったわ」


「申し訳ありません」

 ロールはわがことのように縮こまった。「私も最初は驚きました」


 ロールの姉ニービュラは、養子に出たかれの代わりに西部で家をあずかる長である。リアナがデイの目を逃れて逃亡する際には世話になったし、なによりロールの家族だ。悪感情は持ちようがないが、「まさか」という思いだった。

 信頼する竜騎手と有能な乳母ばかりではなく、前夫の愛人までもがおなじ顔になってしまうとは。

「デイに誘われて、ほいほい王都までやってきたんでしょ? どうなってるのかしら。領地も領民もあるでしょうに」

 リアナはぷりぷりと怒った。 

「陛下にお声をかけられて、舞いあがっているだけだと思うのですが。もともとニービュラは、家を盛り立てたいという意欲が強いタイプではあって……」ロールは言いわけめいた説明をした。もともと、不仲で家を出たわけではないし、姉たちとの関係も良好だ。ついかばいたくなるのは自然だろう。


「野心まんまんってわけね。わかってるわ。デイは利用されているのよ」

「ニービュラは経験も乏しく、男性を手玉に取れるようなタイプではないのですが……まして相手はデイミオン陛下ですし、一筋縄では」

「なによ、じゃあわたしはデイを手玉に取ってたっていうわけ??」

「そ、そんなつもりは」

 ロールはますます恐縮して、両手を降参のポーズにかかげた。「ご寛恕を」


「そりゃ、あなたに似て美形だとは思うけど」

「はぁ」ロールはあいまいにうなずいた。

「お褒めいただくのは光栄ですが、昔から家の中でおなじ顔ばかり見てきているもので……実感が」


「胸だってわたしのほうがずっと大きいのに」

 なにを張りあっているのか、リアナは両手で自分の乳房を寄せてあげ、そこにじっと目をそそいだ。

「それは……授乳期の女性と比較するのは不公平な気がしますが……」

 ロールはいちおう該当の箇所を目視したが、平然としている。同性愛者のかれは、女性の胸部のサイズに関心はないのである。単なる脂肪の固まりだ。


「その……」

 まだしみじみと乳房を確認している主人に、ロールは言いづらそうに尋ねた。「気になるのですか? 陛下のお相手が……」


「もちろん、気になるわよ」リアナは即答した。

「ご自分から離縁なさったのに?」

「それは言わないでちょうだい。いろいろ、悩んだうえでの決断だったんだから」

 もの憂げにため息をつく。身勝手なことを言っている自覚は、いちおうあるのだ。フィルと娘との生活に不満があるわけでもない。だがデイミオンのことは、幸せな生活のなかの一点の暗い影ではあった。


「いずれは平気になることを祈るけど、今はまだ、デイがほかの女性といちゃついてるのは見たくないわね」

 それが偽らざる本音だった。



 

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