第4話 リアナ、復帰を画策(かくさく)する

 夕食後。

 リアナは書類をあらためていた。家には専用の執務室はなく、食堂から続き間になった居間に書きもの用の机が置いてあるだけだ。書類は秘書官が管理して、つど必要なものを持ってきてくれるので、それでこと足りている。

 昼には日当たりがよい窓辺にソファがあり、いまは替えのオムツやらおもちゃやらが雑然と積まれていた。壁側のベビーベッドに娘が寝ている。自分がだす音が面白いのか、「ぶぶぶぶ」と絶え間なくしゃべっている。フィルはベッド柵に手をついて、音の出るおもちゃを振ってやっていた。柵のあいだから、ときおり小さな手足が動いているのが見えて愛らしい。


「そろそろ一度、スターバウの領地に戻る計画をたてないと」

 夫にむかい、そう告げた。「できればニシュクの屋敷に寄って、南西部の情勢も聴いておきたいわ」


「そうだね」

 フィルは柵に手をついたまま、かれ特有のあいまいなうなずきで返した。「だけど、移動はバラの時期が終わってからでどう? せっかく手入れしてもらってるし。あっちにも、子ども用のものをそろえるようことづてないといけないし」


「レフがちゃんと準備してくれてるわ」

 リアナは椅子を夫のほうに向けて座りなおした。「春夏は王都で、秋冬は各領地で過ごす。それが領主貴族の慣例かんれいよ。あちらにも、あなたの承諾しょうだくが必要な書類があるし、収穫祭のイベントだってあるわ」


「せっかく、家族水いらずなのになぁ」

 フィルは残念そうに言った。「でも、奥さんの言うとおりにするよ」

「よろしい」

 リアナももちろん、この小さな家での暮らしが好きだ。でも彼女なりに国に貢献したいと考えたとき、竜騎手として、領主の配偶者としての責任を考えずにはいられない。


「それから、明日はローズを城に連れていくわ。デイミオンにも会わせないと」

 てっきり嫌がりそうな気がしていたが、フィルは「そうだね」とにこやかに言った。

「トマナにも一緒に行ってもらうよう、頼んでおくよ。デイだけだと、子どものあつかいに慣れていないだろうし」

「ありがとう。それがいいかも」

 フィルが反対したら、説得しなければと思っていたので、リアナはほっとすると同時に拍子抜けもした。二人の対立の原因は自分だと思うと、こういう話にはつい身構えてしまう。とはいえ、弟への敵意を隠そうとしないデイに対し、フィルのほうは表だった悪感情は見せていなかった。感情を隠すのがうまい男なので、油断はできないのだが……


「いい旦那さまには、ご褒美ほうびが必要じゃないかな」

 フィルがベッドから離れ、笑みを浮かべて近づいてきた。

「それが目当てなのね? 知ってたわ」

 リアナも笑って、かれの首に腕をまわした。首すじに顔がうずめられ、砂色の短髪が顔をくすぐる。ソファの上の荷物を、フィルが脚で払いのけたのが見えた。まったく、抜かりがないんだから。


♢♦♢


 翌日の朝。

 フィルと娘と登城する途中だったリアナは、竜車の窓にぽつりと流れる雨におどろいた。

「雨だわ」

「ほんとだ」

 フィルも隣から外をのぞき、尋ねた。「予想してなかった?」

「ええ……」

 リアナは娘を抱いたまま考えこむ。白竜のライダーである彼女は、天候の変化に対して万能のはずだ。長期にわたっての予報などは専門のライダーのようにいかないが、近づいてくる雨の気配くらいもわからなかったとしたら、白竜の一族としては情けない。

竜騎手ライダーとしての力が弱くなってるのかしら」

「ハートレスの俺にはなんとも言いづらいけど……」

 フィルは答えを避けた。「でも、今年の秋は不安定だね。そのせいかもしれないよ」

「そうね……」

 だとすれば、それはまた別の不安要素でもある。やはり王都にとどまるべきだろうか? リアナとしては、不安定な南西部のおさえとなり、王としてのデイミオンの治世に協力したいと思っているのだが……。


 考えているうちに城へ到着し、ひとまず娘をフィルにあずけて、竜騎手議会のほうへと出向いた。議会は五公会の下部組織のようなもので、王権への影響力はもたないが、貴族たちの合意が反映されやすい。こちらも領地を持つライダーたちは帰路にあるようだったが、王都に地盤がある中堅貴族たちが残っていた。


 王配でなくなったリアナが南西部になんらかの影響をもたらしたい場合、本人の手腕以外にもが必要となる。それで、鉱山利権に関係のありそうな議員を中心に竜騎手の派遣など便宜をはかってもらえないか、意向を確認しつつ頼んでまわっているのだった。


 が、結果は思わしくない。

 もともと、リアナはあまり竜騎手たちに人気がない。これには複合的な理由があり、まず白竜のライダーは数が少なく、派閥を形成できるほどの勢力がない。それからハートレスたちへのリアナの厚遇をよく思わない年配議員がすくなからずいる。さらに、後ろ盾となるデイミオンと離婚してしまい、黒竜のライダーたちからも反感を買っている。かれらから気に入られる要素が、なにひとつないのだった。


 白竜公の代理でもあるから無下にはされないものの、張りついたような事務的な笑みは隠せない。

 年若い議員は慇懃いんぎんに、年配の議員はもってまわったような言い回しで、それぞれリアナに相対した。

「閣下のお考えはよくわかりました」「お若いのに大局を見ておられる、息子にも見習わせたい」「持ち帰ってよく検討させていただきます」などと体よくあしらわれ、怒り心頭で会議場をあとにすることになった。



「よーくわかったわよ、結局わたしは、デイの付属物としか思われてなかったってことよね!」

 肩をいからせて移動していると、同行していた竜騎手ロールが「まさか、そんな」となだめた。

「議員たちは頭の固い人々ですから……リアナさまのせいというわけでは」


「西部には人手が必要なのに……。問題は、あっちの理屈が正しいってことだわ」

 リアナはロールのなぐさめなど聞いていなかった。「わたしに竜騎手ライダーとしての実績がないってことなのよ、要するに。められてるんだわ」

「実績なら、今後またお作りになれるでしょう……あっ」

「そうよね」

 リアナは、彼女特有の『いいことを思いついた』満面の笑みを浮かべた。「実績があればいいのよね」

「あっ」ロールは失言を感じて口をおさえ、『イヤな予感がするが、当たらないでほしい』という顔つきになった。


 残念ながら、かれの予感は的中することになる。これまでもそうであったように。


 ♢♦♢


 同時刻。

 フィルは娘を抱き、ハートレスたちの使う練兵場へ向かった。別にかつての部下が恋しくてたまらないわけではないのだが、リアナ同様、フィルも城内にほかに居場所がないのだった。もっとも、ライダーたちから冷遇されているという点ではリアナよりはるかに長い経験があるし、気に病んだりはしていなかったが。

 着いたとたん、ちょうど娘がぐずりだして、泣き声に気づいた兵士たちがわらわらと集まってきた。

「わーっ隊長だ」

「元隊長だろ」

「赤ちゃん抱いてる」などなど、兵士たち。


「こら、コイみたいに集まってくるな。ローズが驚くだろ」と、フィル。


「……ちっちゃいですね……」

 本人も仔犬じみた小柄なミヤミが、ローズを抱かせてもらっておっかなびっくり呟いた。

「汗かいてるな」フィルは片方の肩にかけていた背嚢はいのうをごそごそとあさって、やわらかい布で額をいてやった。「暑いのかも」


「あ、フィルさまと赤ちゃん見ーっけ」

「ルーイ」フィルは目をまばたいた。「あれ? 王都にいたの?」

「いましたよぉ~。もう、フィルさまったら冷たい」

 ルーイはなにか思わせぶりな顔をつくった。「ナイルさまがこっちで療養してるから、私もこっちで羽を伸ばさせてもらおうと思って」

 領主夫人という点ではリアナとおなじ立場のルーイだったが、かつてのようなけばけばしいドレスは着ておらず、むしろ侍女のような服装だった。城内で目立ちたくないのだろう。

「ふーん」

「赤ちゃんかーわいい。私もベビーシッターに立候補しようかなぁ。練習になりそう」

「そうだなぁ」

 フィルは適当に相づちを打ったものの、ろくに聞いておらず、なおもローズを抱いてゆすって気をまぎらそうとした。

 ケヴァンが剣をかついでやってきた。

「しばらく王都にいるなら、隊のほう手伝ってもらえませんか?」と尋ねる。「テオ隊長もスタンも忙しくて」

「うーん」

 フィルは娘の不機嫌の理由を推測するのに忙しかった。赤ん坊の尻に鼻を近づけて「オムツかな」と呟いた。


 見こみ薄な雰囲気を察したケブとルーイは、そろって目を見あわせた。そこにスタンもようやくあらわれて、「おやおや」とおどけてみせた。

「忘れてましたよ。あなたは昔から、妙に家庭的なところがありますな」

「べつに、男が家庭的でも妙じゃないだろ?」

 フィルはなおもうわの空で答えた。臭いはしないが、一度オムツをあけて確認すべきか考えていた。


「『竜殺し』への幻想をうち砕くには、ちょうどよさそうですけどね」と、ケブが揶揄やゆする。

「ケブ、いまはそういう時代じゃないのよ」と、ルーイ。「竜族は少子化が深刻なんだから。男だって、ちゃんと子育てできなきゃ、お嫁さんのなり手がないわ」

「フン」ケブはおもしろくなさそうに去っていく。

「赤ちゃん……髪の毛ほわほわ……」ミヤミはあいかわらずマイペースをつらぬいている。

 ともあれ興味しんしんな隊員たちが赤ん坊を抱きたがってくれたので、フィルは今のうちにと軽食を口につめこんだ。プルドポークのサンドイッチは戦場を思いだして苦手な食べ物だったが、必要に迫られてやむなく作るようになったものだ。食べる暇もないほど忙しいという意味では育児は戦場にも似ている。でも、今の食事はことのほかおいしく感じられた。気の持ちようというものかもしれない。いつ終わるともしれない育児を、いつまでも終わってほしくないとも思うのだ。



「遅くなったわ。ちょっと騎手団のほうに寄ってて。ごめんね」

 リアナがやってきて、そこで子守りはバトンタッチとなった。妙に上機嫌な妻の様子に、フィルは気づかなかった。

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