白竜の王妃リアナ④ 千年の春 (リアナシリーズ7)
西フロイデ
第一幕
序章 ふたつの名前をもつ子
第1話 一年ぶりの登城
風の強い、秋の昼近くだった。
王都タマリス上空はよく晴れて雲もすくなく、絶好の飛行
竜の手綱を握って空を駆ける、ひさしぶりの
「一年……いえ、もっと経つかしら。一人で竜に乗るのは」
ビョオッといううなりとともに風が通り過ぎ、リアナの亜麻色の髪を巻きあげた。邪魔にならないよう首のうしろで編んでいるが、癖っ毛のせいでうまくまとまらないのは昔からだ。服は
家から城まではわずかな距離だが、ひさしぶりに空を
「ピーウィ。名残惜しいけど、そろそろ降りるわよ」
移動の相棒である飛竜に声をかける。エメラルドグリーンに派手な
めざす場所は、城の最上部にある天空竜舎――ではなく、城の外縁部に位置する飛竜用の発着場である。岩壁から口を開いたムール貝のようにも見える竜の発着場は、竜族の城を人間のものとわける大きな要素のひとつだ。
ばさばさっと羽を折りたたみながら器用に着地し、ピーウィはそのまま、鶏のようにとっとっと奥まで直進した。リアナはまだまたがったまま、厩舎の下働きらしい少年が誘導してくれるのにまかせる。
〔おはよう、わたしのパイロット。昨晩はよく眠れましたか?〕
おっとりと優しい女性の声が、頭のなかに直接響いた。〔こんにちは、ちいさなトカゲ。よく眠れましたか?〕
「おはよう、レーデルル。ええ、よく眠れたわ。ピーウィも元気よ」
奇妙なあいさつにも、主人であるリアナは慣れている。昔からなぜか、古竜レーデルルはリアナの体調管理を重要な仕事と思っているような発言をする。
〔今日の外気温は摂氏九度。温かい服装で外出しましょう〕
「? ……着こんできたから、大丈夫よ」
愛竜の発言によく理解できない部分があるのはいつものことなので、リアナは体調を気づかう雰囲気だけを察して返した。
古竜の声、あるいは
〔あなた、巣を見る? 子どもたちも?〕
「そうね、あとで行くわね。ドーンの顔も見たいし。それまで待っていてくれる?」
〔ええ〕
ルルとこうして会話するのも、考えてみればひさしぶりだった。産前産後もときどき顔を見せてくれていたが、あの家の庭は古竜が腰を下ろすのには狭すぎるし、ルルにも帰りを待つ夫と子どもがいるのだ。
「わたしが天空竜舎のほうに行くのは……デイがどう思うかしらね」
そもそも、自分の立ち入りが許されているかどうかも不明だった。ルルの
「今度は黒い仔かしら、白かしら?」
リアナは独言した。「できれば白竜だといいわね」
そうはいっても、出産ばかりは竜もヒトも思うとおりにならないのだが……。
発着場から城には長い回廊をわたっていく。あまりにひさしぶりすぎて、途中で道に迷いかけたほどだった。小姓があわてて駆け寄ってきて、城の奥へと案内された。
♢♦♢
竜の国を治める各地の領主たち、そのトップが「五公」と呼ばれる竜騎手だ。建前上、王の
リアナは今日、その五公会にはじめて、五公の側で出席することになっていた。
紋章のある大きな扉。この前に立つのも、ずいぶん久しぶりのことになる。両脇に立つ衛兵が儀礼的に動き、大仰な動作で扉を開けた。
「北部領主ジェンナイル公、代理、リアナ卿がお着きになりました」
「入れ」
深みのある、低い男性の声がした。リアナは思わず耳を疑った。彼がここに? まさか。王は五公会の一員にはなれない。原則として、臨席ものぞまれないはずである。
中に入って、一瞬だけ――リアナは疑念を忘れ、はじめて五公会に参加したときのことを思いだした。今は亡き大叔父メドロートの巨体に、小柄だが眼光鋭いエンガス卿。あの半円型の眼鏡に光が反射していたのを今でも覚えている。だが、亡くなった大叔父はもちろん、高齢のエンガス卿の姿もひさしく見ていなかった。
窓に近い明るい場所に、豊かな赤毛の美女グウィナ卿。その反対側にどっしりと構えている南部領主エサル卿。この二人は当時のままで、一節(竜族の十二年)以上の時の流れもまったく影響を感じさせず、竜族らしく若々しく存在していた。
「リアナさ――ええと、リアナ卿。お久しぶりね」
リアナ
「グウィナ卿もお元気そうで何よりです」リアナも当たりさわりなく返した。
対して、長年の政敵でもあるエサルはリアナをじろじろと見まわし、小ばかにしたような笑みで迎えた。
「北部の人材不足は、じつに
「ご心配ありがとうエサル卿。お見舞いの品は遠慮していただける? 毒でも入っていたら、ことだものね」
エサルの嫌味に、リアナも負けじと返す。このあたりは、もはや手慣れたものだった。
「きみの元気な顔を見られて、嬉しいよ」
「ファニー。わたしもよ」
〈黄金賢者〉の称号をもつ西部領主のひとり、エピファニーがこっそりと手をふってくれた。かれは、リアナが王太子時代からの長い友人だ。彼女の養父の領地と竜騎手をそのまま譲ったので、政治的にも強いつながりがある。こちらも、ぼさぼさした茶髪がすこし長くなったくらいで、出会ったころとほとんど変わりはない。あいかわらず
それから、新しい顔といえば、エンガス卿の代理としてあらたに竜騎手ドリュー(ドレイモア)の姿があった。
「リアナさま。今週はまだお
「ありがとう、ドリュー卿。今日はわたしがそちらに伺うわね」
正式な大公代理はアマトウなのだが、西部の情勢が不安定なため、こうして姉のドリューが王都に派遣されている。ソテツのようなツンツンした白髪の、頼もしい侍医でもある。これほどの地位となれば気軽に診察をたのめる立場でもないのだが、医師というのは現役を好むものらしく、今でも多忙の間をぬってリアナを診てくれている。
そして、最奥に腰かけて射ぬくような青い目を向けてきている――美貌の王、
「ひさしぶりだな、リアナ卿」
金糸の縫い取りも
「デイミオン」
思わず名前を呼んでから、リアナはあわてて尊称をつけくわえた。「――陛下。ご機嫌うるわしく」
「機嫌か。薄情な元妻の顔を見るまではな」王はそっけなく言った。王配でなくなったリアナから、上王の立場も取りあげた本人だ。現在の彼女に許されているのは、領主貴族であることをしめす「リアナ卿」という呼称だけだった。
「……」
リアナは無言で、引かれた椅子にかけ、またぐるりと部屋を見まわした。顔ぶれの変わった五公たち。そして、本来ならいないはずの王の臨席。いったい、なにが起こっているのだろうか?
「では、五公会をはじめよう」
冷淡にも物憂げにも見える端正な顔。王は長い脚を組んで手を肘置きにのせ、頬づえをついたまま告げた。「私のことは気にせず、議題を進めてくれ」
「そのまえに、なぜ国王陛下がここに? 五公会の独立の原則は?」
リアナは、元夫にというよりもグウィナに向かって尋ねた。国王の叔母で、五公会の重鎮でもあるグウィナが、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「白竜公の代理として、おまえが来ると聞いたのでな」
うっすらと口端を笑ませて、デイミオンは説明した。「公たちを味方につけて、私に不利な政策を提言されては困る」
「そんなことしないわ」
「どうだろうな。愛する妻に背後から刺された男が、ここにいるようだが」
「……」
もちろんデイミオンの言葉は単なる比喩で嫌味にすぎなかったが、身に覚えのあるリアナは反論を封じられてしまった。
(今日は、デイには会わないと思ったから来たのに……)
王の監視つきという、気まずい空気のなかで会は進行していった。
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