第37話 フィル絶体絶命
「キャンピオン、あの小うるさい甲虫めが」
初老の男はそう吐き捨てた。「あいつのおかげで、どれほど計画を変更させられたことか。おまえが始末してくれてせいせいしたよ、〈竜殺し〉」
十数年の月日。竜族にとってはまたたく間の年月が、屈強な将軍を卑小な男に変えてしまったとしたら、残酷なことだった。
「ガエネイス王の命令か?」フィルが尋ねる。
「それならば、どれほど良かったか」
クルアーンは悲しげに首を振った。「あの白竜の女に、王は骨抜きにされてしまわれた。無理もない話だ。竜たちの国に
「……」
フィルはもちろん、リアナが何をしてきたかをよく知っていた。だからなかば答えを予期していたようなものだった。彼女の育った隠れ里を襲撃し、里人を皆殺しにして子どもたちだけを連れさったのも、大叔父メドロートを無残に殺したキャンピオンの実験も、ガエネイス王の命令だ。「いずれ復讐してやる」と、彼女はいつも言っていた。そしてその復讐は、十年の年月をかけて
「そして、おまえは王からも諸侯からも煙たがられ、官位も失った」
フィルは推理してみせた。「再起をかけ、汚れ仕事を思いたったというわけだな?」
「そうだ」
クルアーンは吐き捨てるように言った。「『卑小な人間に竜の力は使えない』? ……
その言葉を言い終わる前に、フィルは彼が何者だったか思い出していた。人間でありながら〈竜の心臓〉をもつ者。かつて、アエディクラでは彼らを『トカゲ獲り』と呼び、竜族を検知する役割を負わせていた。だが、〈竜の心臓〉があるのなら、もちろんそれ以上のことだってできるにちがいなかった。あの狂った科学者キャンピオンのように。
フィルが投げた三本のナイフが老将軍の胸に刺さるのと、クルアーンがなにかの術を発動させたのとは同時だった。ぱりっという乾いた音とともに、手のひらの術具が割れて床に染みをつくる。染みと思われたものは光りながら急速に地面に、そして壁面にと伸びていく。目で追うことしかできずにいると、頭上で「ずうん」と重苦しい音が響いた。
「いったいなにを……」
「ははは!」クルアーンは刃に貫かれたまま
ひと息にしゃべると、ごぼっと血を吐いて膝をついた。
「おまえは、最初からそのつもりで……」
雷のような音とともに、天井が割れた。慌てて扉のほうへ足を向けるが、すでにそこは落石によってふさがれていた。
「わあっ」落石を受け、ロイがよろめきながら叫ぶ。
「伏せろ!」
言いながら、ロイの背を押して作業台の下に押しこむ。その後に続いて自分の身体を滑りこませたのと同時に、すさまじい音とともに天井が崩落してきた。作業台の上に、そして老将軍の上に。
「おまえと
――そんな、くだらないことが目的だったのか!
毒づいているひまはなかった。落下物は、どう見ても天井だけではない。裏にあった選別後の巨石か。つんざくような音とともに、すぐに視界が石のかたまりで覆われ、作業台もその重みで容赦なく打ち砕かれたのがわかった。まだ折れていない作業台の脚と、天板とのあいだにある隙間に、かろうじて身を
おそらくクルアーンは赤竜の能力者だったのだろう。この選鉱場は屋根がなく、屋上部分にも石が積まれていた。簡単に爆破できるよう、石か建物に術を細工しておいて、フィルを待ちかまえていたのだ。最初から、相討ち覚悟で。
「畜生!」声はロイのものか、それとも自分のものだったか。
正攻法で行くつもりが、罠にかかってこのザマか。フィルは皮肉に笑った。どうやら、娘が生まれてずいぶん軟弱になってしまったらしい。
(リアナ。ローズ)
♢♦♢
一方、領主館の前では――
リアナが集めた私兵たちが、なかなかの活躍を見せていた。
アマトウを無事邸内に送り届けると、警備は竜騎手にまかせ、かねてからの打ち合わせどおり抗議者たちへの説得にまわる。
堅牢な屋敷は門と竜騎手にはばまれて無事だったが、他の建物はそうはいかなかった。怒号の群れは徒党を組んで南下していき、役所や交易所などを襲った。竜騎手や投資家などが集まる場所だけに、かれらの恨みをかったのだろう。店の戸や棚が壊され、なかには略奪にあった場所もあると報告を受けた。
「なんたる
隊長イディスの手には、二つ名の由来ともなった武器、
「やばいですって。暴力に暴力っていうのは」
「あのような野蛮な者たちを相手に、口で言ってわかるものか」
「だとしても、
イディスがふり向くと、しめ縄のような三つ編みがジェムの頬をうった。「どうせよというのだ? アマトウ卿に協力し、町の治安維持につとめるのが、リアナ陛下からのご命令だぞ」
「まずは説得してみましょう。俺がやってみますから」
ジェムは言いつのった。「ダメならダメで、そのときです」
「フムン」
イディスは納得しかねる鼻息を鳴らした。が、「『
「煮えたぎる
時間をかせいだおかげで、暴動の構図が多少見えてきた。
先頭に立つ抗議者たちと別に、ルートをはずれて破壊をおこなうならず者たちがいる。それを止めようとする参加者たちもいる。すべてが
ジェムは破壊者を止めようとする数人についてまわり、かれらがうまく暴動を止められるように手助けすることにした。他の隊員にも同様の指示を伝える。相手が武器を持っていて手に負えない場合は――そのときこそ、
正義を訴えるより、破壊のデメリットを呼びかけたほうがいい。
「市場の設備を壊しちまって、おまえ、明日のメシはどうするんだ?」
ジェムは取り押さえたならず者に向かって叫んだ。同時に首をめぐらし、ほかの参加者たちにも聞こえるように呼び掛ける。
「おまえらもだぞ! 今は気晴らしになるだろうが、夜はどうする? 男どもが町を壊しまわってるような場所に、女は来てくれるのか? 独り寝の寒いベッドはごめんだぜ」
「これは亡くなった男たちへの正義なんだ! 俺たちを弾圧するライダーたちへの見せしめなんだ!」
「無関係な場所を壊してまわったところで、あいつらは痛くもかゆくもないだろうよ。ストライキでじゅうぶんじゃねえか。それであいつらの
「そうだ」
参加者の一人が、賛同の声をあげてくれた。「もともと、ストの予定だったじゃねぇか。こんな行進じゃなくてよ」
「崩落事故の補償金だって
「それは、アマトウ卿が責任をもって支払うとおおせだ。安心するがいい」
突然出てきた巨体の兵士に、男たちはぎょっとする。が、イディスは口調をやわらげようと苦戦しながら語りかけた。
「だれが行進を呼びかけたのだ? ストライキも交渉の場もあったのに、それを無駄にするような提案をしたのはだれだ? 昔からの同僚か? 町に来たばかりの者ではないか?」
指揮官であるイディスの声はよく通る。しかも、よく聞けば女性の声だ。威圧的でも、男性より受け入れられやすい。
抗議者たちがいぶかしげに顔を見合わせるのが確認できた。(あの女隊長、石頭のくせに、なかなかうまいじゃないか)とジェムはほくそ笑む。扇動者は、かれらに考える間を与えないようにここまで連れてきたのだろう。だがいま声をあげれば、彼ら自身が町に来たばかりの新参者であることがバレてしまう。
「領主側には話し合いの余地がある。なんならわれらがここにお連れしてもよい。ただし破壊を
ざわめきが大きくなる。賛成と反対、それぞれの意見がうるさいほどに飛びかった。だが、ともかく破壊行動からは目がそれたようで、かれらの作戦は第一段階の成功といってもよさそうだった。
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