第50話 レヘリーンの失望と、過去から来た少女
「なんて人たちなの!」
美しく
「みんなして、最初から
レヘリーンは、かれらの
デイミオン、あの子はイスそっくりなのに、なぜわたくしの言うことにいつも反対するのかしら。そして、グウィナ……。あの子は、ずっとめだたない地味な子だった。わたくしが引きあげて、五公の一員にしてやったのに。恩をあだで返すとはこのことだ。
思いだしたら、また腹が立ってきたらしい。肩をいからせながらぶつぶつと独言するので、とおりがかった使用人たちがぎょっとしている。
「わたくしのまわりは、ずるがしこい人たちばかり。いつもそうだわ。わたくしのやることを笑って、馬鹿にしているんだわ」
レヘリーンの、一種の被害妄想ともいえる思考は、彼女がこれまで歩んできた人生から身につけたものである。その認識のずれを理解するには、彼女の生い立ちをふり返る必要があるだろう。
レヘリーン・トレバリクは生まれながらの女王で、不幸とも
エクハリトス家の
姉ほどの注目や愛情を受けずに育ったせいか、グウィナは成長すると思いやりのある愛情ぶかい女性となり、甥のデイミオンはじめ周囲の者たちからの尊敬と敬愛をうけるようになったが、それはレヘリーンの認めたくない点だろう。
さて、成人になるとすぐに一度目の結婚をした。最初のシーズンで大量の求婚者がおとずれ、とくに深く考えることもなく、そのなかの一人をえらんだのである。それを知ったエクハリトス家の嫡男が王都まで追いかけてきて、当時は大きな噂になったものだ。
レヘリーンは野心とは
周囲のものたちは驚いたが、レヘリーンは自分が特別であることに慣れていたので、驚きはそれほどでもなかった。
悪い気はしなかった。イスとの結婚とおなじように。
違ったのは、玉座には王としての責任がともなうということだった。彼女はよくも悪くも受け身的で、野心家でもなく、根はすなおで善良だった。
つまり、王にも政治家にも、まったく向いていなかった。
しかし、あの頃はまだイスがいたのだ。
政治のことは、夫にまかせておけばよい――そして、かれが早くに亡くなってからは、息子がその代わりとなってくれた。『摂政大公』などと呼ばれ、暗に王としての自分を
悪いことなどひとつも起こらない、望むまま意のままの人生に、たった二つだけ汚点がある。
ひとつは、産んだ子どもの一人が〈ハートレス〉だったこと。しかし、三人も産んだうちの一人だし、彼女はすぐに不遇な子のことは忘れた。
そして、もうひとつは……。
レヘリーンが、あえて普段は考えないようにしている、かつて王位にあったころのことだ。
「リアナさまだってそう。わたくしが失敗すればいいと思っているのね。ほんとうに、あの人そっくり。ああ、おそろしい人たち」
レヘリーンが最後に思いだしたのは、エリサのことだった。彼女の王太子にして、彼女から古竜と王位とを
小柄でみすぼらしい容姿の、田舎ことばを丸だしにしたあの少女。むっつりと不機嫌で、他人に
デイから紹介されたばかりのころは気づかなかったが、今日のことではっきりした。リアナ・ゼンデンはあの母親にそっくりだ。レヘリーンに媚びず、
エリサもそうだった。ひとに好かれそうにはまったく見えないのに、いつのまにか五公も貴族たちも味方につけてしまった。そして、黒竜さえ……レヘリーンが味わった、数少ない
竜にも王位にも執着はない。だが、自分の思うとおりにならないという点が、この高貴な女性をイライラさせるのだった。
デイミオンが力になってくれないのにも失望していた。自分の息子ながら、すっかりリアナの言いなりになっているようで腹が立つ。イスにかわって、自分を守ってくれなければいけないのに。
だが、彼女はもうひとり息子がいることをふと思いだした。しかも、この屋敷内に。
場所だけは聞いていた息子の病室に、だれに許可を得るでもなく入っていく。後ろで看護婦があわてていたが、かまうものか。
わたくしは母親なのだ。自分の好きなときに、息子に会う権利がある。
「フィルバート! 聞いてちょうだい、デイったらひどいのよ」
もう一人の息子は寝台に上半身を起こしていた。
彼女に似た髪色の頭が、こちらに向けられた。ライダーではない息子に似ていてもうれしくはないが、それでも自分の形質を感じる色だ。そのことにほっとしたのもつかの間、青年の手前にいるなにかがふり向いた。小さくて、もじゃもじゃの茶髪で、子どもの服を着たなにかが。
ひっ、と思わず喉から声がもれて、レヘリーンは口もとを手でおおった。
子どもの姿をしたなにかは、寝台のわきで本を読んでいたようだった。急の入室にふり返って、うさんくさそうなスミレ色の目で彼女をじろじろとながめまわした。
「だれ? あのおばさん」
「きみはどうしてそう、口が悪いかな」
信じがたいことに、フィルバート・スターバウはその子どもに驚いても嫌悪してもいなかった。ただ苦笑して、こう答えてやった。「あの人はレヘリーン卿で、デイミオンの母親だよ。……レヘリーン卿、こちらは」
「エリサ!」
紹介しようとする息子の声をさえぎって、レヘリーンは叫んだ。「どうして、なぜ、あなたがここにいるの?!」
「なんでみんな、あたしがそこにいる理由をきくの?」
エリサはいかにも彼女らしい、人を馬鹿にしたような顔つきになった。「どうしてって……デイが来るときに、ついてきただけだけど。理由って必要?」
「そんなことを聞いてるんじゃないわ! あなたは、死んだはずじゃないの」
「また、そのあたしの話? もう飽きたよ」
エリサは、大人のマネをする子どものようなため息をついた。「みんな、死んだあたしの話ばっかり」
もちろん、少女エリサは、あの『魔王』エリサ・ゼンデンではない。『死んだあたし』という発言は、単に大人たちの勘ちがいを訂正するのがめんどうくさいという意味だった。
だが、もちろんレヘリーンは、そうは受けとらなかった。
「いやっ! もういや、こんなところにはいられない!」
入ってきたばかりの扉から、脱兎のごとく逃げだす。あの少女がついてこないか、おそろしくてたまらなかった。
どこかに逃げようにも、屋敷内のどこに行けばいいのかわからない。それで、広間のほうに戻っていきかけているところで、ハズリーをつかまえた。
「ハズリー! 助けてちょうだい」
愛人の胸に追いすがって、レヘリーンはうったえた。「あの女の幽霊がここにいるのよ。子どもの姿で、立って、しゃべっていたわ。ほんとうにおそろしい」
金髪の美男子は、息子の肩を抱いてなにごとか話しかけてやっていたが、レヘリーンに向きなおった。息子には「またあとで部屋に行くよ。アマトウ卿のご子息や、竜舎のみなさんにごあいさつしておきなさい」と声をかける。金髪のもの静かな少年は、すなおにうなずいて子どもらしく走っていった。
「かわいい人。怖い思いをなさったのですね」
レヘリーンに向けるハズリーの顔は甘く優しく、先ほど見せた父親の顔とはまったく違っていた。よく観察さえしていれば、どちらがこの男の本心からの顔かすぐにわかるはずだった。……だが、レヘリーンは男の内心になど注意を払ったことはなかった。どんな男も、みな彼女のとりこになるのだから、内心など知る必要はなかったのだ。
「領主の座は得られなかったが、キィンはすばらしい古竜を相続した。……今回は、これで良しとしましょう」
ハズリーは胸に彼女を抱き、にっこりと微笑んだ。「多くを望みすぎると、足もとをすくわれる」
「だけどこれじゃ、西部にやってきたのが無駄になるわ」
「アーシャ姫の政治的権力は
レヘリーンは知らないことだったが、ハズリーはもともと、主君筋のアーシャに取りいるつもりだった。領主の夫の座こそ、最初に狙っていた地位だったのだ。だが、アスラン卿は例の暗殺さわぎで失脚したと思いこんでいたし、なにより彼女のまわりにはあの母熊のように過保護なオーデバロンがいたから、近づけなかったのだ。
その点、レヘリーンは無防備だった。心配するものたちを煙たがって近づけないのだから、無防備になるのもしかたがない。
「そんなことより、あなたが楽しめる場所に行きましょう。イーゼンテルレにもどるのはどうかな? あちらの流行が気になられるのでは?」
「そうだわ」
レヘリーンの顔に、ようやく、ほっとしたような表情がもどった。
「もう、こちらの食べものにはうんざり。流行は変わりばえしないし、ちっともおもしろいことがないし。早く出発しましょう、ハズリー」
この高貴な女性がハズリーにそそのかされて、ふたたび王都に戻ってくるのは、この数年後のこと。その際も、彼女はおおきな
♢♦♢
嵐が通りすぎたあとの病室で、男と少女はまだ扉のほうを見たままあっけにとられていた。
「なんなの、あのうるさい人? あたし、うるさい女の人きらい」
「きみがここにいると、あの人は寄りつけないみたいだね」
フィルはくっくっと笑った。「まさに怪我の
「あの人と仲がわるいの?」エリサがたずねた。「あの人がきらいなの?」
「うーん、別にきらいじゃないよ。わかりやすいし、あつかいがむずかしい人でもないし。そういうことを言うと、リアナが怒るんだけどね」
フィルはまだふくみ笑いをしたまま答えた。「そしてまたひとつ、弱点を発見したね。……あの人はやっぱり、エリサ王がトラウマになってるらしい」
「フィルって
「エリサはかしこいね」
「あたしのことは? 好き、きらい?」
「うーん」
「きらいなんだ」
「いや、考えたことがなかった」
フィルはきれいに剃ったあごに手をやった。「もとのエリサ王は怖い人だったし、きみはあつかいやすい子とは言いがたいし、どちらかと言えば俺の家庭生活に邪魔なんだけど……でも、かわいいよ。子どもだからかな」
「あたしはあなたのこときらい」
エリサは腰に手をあて、小さな鼻にしみじみとしわを寄せて言いきった。「あたしの家庭生活に邪魔だもん。あなたと赤ちゃんがいるから、リアナは城にもどってこないんだ」
「そうだよ」
フィルの笑みが深まった。「よくそのことに気づいたね」
エリサは立ったまま、読みさしの本を頭にのせてうろうろと歩きまわった。本を落とさずに、バランスをとって器用に歩く。
「デイと二人じゃ、つまんない。ロールはリアナの騎手だから、リアナがいないと、こないもん」
「ロール、ね。……エリサは、リアナのことは好きなの?」
「まあまあね」
エリサはまんざらでもない顔になった。「さっきの女の人みたいに、いきなり叫んだりもしないし。あたし、馬鹿な女の人はきらい。リアナのほうがいい」
「気が合うね、俺たちは」
フィルは笑って、寝台のそばの椅子を指さした。「休戦しよう。……もうしばらくここにおいで。リアナとデイも、そろそろもどってくるころだよ」
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