第6話 気まずい二人

 リアナと赤ん坊が通されたのは、居住区の近くにある貴族用の控室のひとつだった。豪華な調度ではあるのだが、広すぎて肌寒く感じる。あまり長居しないですめばいいが。

 乳母のトマナに来てもらうよう連絡を頼んだのに、彼女もいっこうに姿を見せない。誰かにつかまっているか、そもそも連絡が届いていないか。このあたりにも、城内での自分の冷遇ぶりがあらわれているようで、リアナはひとり嘆息した。



 折りわるく娘もぐずっていて、なかなか泣き止まない。オムツでもお乳でもないみたいだし……どうしたのかしら。

 こういうときフィルかトマナがいてくれれば気がまぎれるのだが、泣きつづける赤ん坊と部屋に閉じこめられていると気がめいってきた。


「どうしたの、おチビちゃん? お城が好きじゃないの?」

 そう声をかけ、腕に抱きあげたまま部屋を歩きまわる。「すてきな場所がたくさんあるわよ。お台所に行ってみる? それとも、やっぱり竜かしら。……そうだ、星が見えるナーサリーがあった気がするんだけど……」


 そう言いつつも、こんなに大声で泣いていてはどこに連れていっても迷惑だろうと思う。……どのくらいか経って、キイと扉をきしませながらエリサが入ってきた。本当に、どんな場所にも神出鬼没にあらわれる子どもだ。

 くしゃくしゃの茶髪がかかるそばかす顔には、猫のような好奇心が浮かんでいた。

 

「竜たちがびっくりしてたよ。赤ちゃんが泣いてたから」

 エリサがそう言いながら、宙をすべるように近づいてくる。足もとは地面から拳ひとつ分ほど浮いていた。竜の制御がたくみなのと、体重が軽いおかげでそういうことができるらしい。


「そうなの。ご機嫌ななめみたいで」

 リアナはローズの顔を見せてやった。エリサはちらっと赤ん坊を確認すると、「あたし、たかいたかいしてあげる」

 言うが早いか、手のひらを上むけて招くような動きをした。


「待って、エリサ……」

 リアナが制止しかけたが、赤ん坊はすでにエリサの竜術のなかにあった。おくるみごとふわふわと浮いて少女のほうに引き寄せられる。


 一瞬、ローズは自分の置かれた状況に驚いて泣きやんだ。だがすぐに、火がついたようにいっそう激しく泣きだした。

 

「どうして泣くの? すごくうるさい」エリサが顔をしかめる。


「そっと下ろしてあげて。危ないわ……」リアナは赤ん坊が心配で、はらはらしながら頼んだ。竜術は周囲の空気をあやつっているだけで、浮かべられた人物に影響はないと頭ではわかっているのだが……。


「なにが危ないの? あたしは術の制御に失敗したりもしない。あなたみたいに、しょっちゅう竜から落ちたりもしないし。〈呼ばい〉だってすごく強いんだから」

「そうだとしても、力が使えることを見せつけるのに赤ちゃんを使うのはやめて」


「やめないよ。竜たちもうるさがってるもん」

 言いだしたら聞かない子だ。リアナは、自分の竜の力を使うかどうかで悩んだ。レーデルルが心配するだろうか。


 悩んでいるあいだにもローズはますます泣きつづけ、エリサは顔をしかめて赤ん坊を浮かせたり下ろしたりした。やはりルルの力を使ってでも止めようと手を伸ばしかけたとき、「こら」と男性の低音が響いた。

 エリサはびくっとしてローズを取りおとしかけ、リアナがあわてて駆けより――赤ん坊は地面にたたきつけられることなく、ふたたびふわりと浮きあがって、リアナの腕におさまった。


「エリサ。この、悪ガキ仔竜め」

 その声とともに、エリサは地面に尻もちをついた。どうやら、竜の制御を失ったらしい。

 目線をあげると、長衣ルクヴァにつつまれた背の高い姿がそこにあった。目の色はふだんの青のままなので、アーダルの力を使わずにエリサから竜の支配権を奪ったらしい。それがどれほどすごいことなのかは、試したことのないリアナにはわからないのだが……。

「デイミオン」リアナはほっとして、つい元夫の名を呼んだ。


 黒竜の王は意味ありげな目線を送ってよこしたが、ひとまず養子むすめのしつけが先だと考えたらしい。地面にむっつりと座りこんだエリサを叱っている。


「竜術で他人を浮かせるのは、古竜とライダーへの侮辱ぶじょくだと教えただろう」

「赤ちゃんはライダーじゃないもん!」

「弱者を庇護ひごすることがライダーのつとめだぞ」

「『つとめ』ってなに? いつ、だれが決めたの? なんで従わないといけないの?」

「われわれは社会のなかで生きているからな。群れのルールというやつだ」

「馬鹿みたい」

「そうか。じゃあ好きにしろ。狼の仔みたいに野蛮に転げまわるといい」

「竜の力を返してよ!」

「いいや。しばらくそのままだ」

「デイの横暴!」

「力には力で対抗するのが、おまえの世界のルールなんだろう? こっちはそれに合わせてやってるんだ」


 さすがのエリサも反論できないらしかった。しぶしぶ立ちあがり、リアナのそばにやってきた。不機嫌な子熊のように歩きまわっている。ぶすくれた顔をしていると、相応に子どもらしくてかわいい。

 ローズのほうはといえば、どうやら興奮して泣きすぎたらしい。耳障りなほど大きな鳴き声はだんだん収まってきて、とぎれがちにぐずる程度になってきた。


「あたし、赤ちゃんきらい」

 エリサは彼女らしくない小声で言った。それでリアナは、少女の不機嫌の原因がわかったような気がした。ここにいるのは、ずいぶん普通とはちがう家族だが、それでもエリサはかれらの娘だ。要するに、たぶん……新しいきょうだいに嫉妬しているのかも。

 そう思うと、むやみに怖がった自分の余裕のなさも恥ずかしかった。

「赤ちゃんは、あなたのこと好きかもよ」

 リアナが声をかけると、エリサは気乗りしなさそうにローズの顔をのぞいた。「ヘンな顔」

「じきにかわいくなるわ、あなたみたいに」


 エリサはその言葉に眉をしかめた。「かわいくても、紫の目は、あたしだけだもん」

 そう言うと、ぱっと身をひるがえしてまた駆け去っていった。


「……」

 リアナは扉のほうを見た。「焼きもちをやいてるのかしら?」


「そうかもな」

 デイミオンも思案げな表情だった。「あるいは、違うかも。……エリサあいつはおまえと比べられることが多い。容姿が似ていないのをからかわれて、気にしているらしい」

「……? じっさいにわたしが産んだわけじゃないから、似ていなくてもしかたないと思うけど……」

 デイミオンは『やれやれ』と言いたげに首をふった。「二人の男を手玉に取るような美女にはわからないことかもな」

 リアナは眉をしかめた。「嫌味ね」


 ローズ――デイミオンからすれば、アロミナ――は、まだぐずり足りないような雰囲気を出していた。法律上の父親に抱かれると、なにかを訴えるように「えう」「おう」と短い泣き声をたてている。


 甥たちもいるので赤子がまったく初めてというわけでもないが、デイミオンの手つきはおそるおそるという感じだった。しばらく抱いて揺すってやるとしだいに声が小さくなってきた。やはり眠かったのか、それとも単に泣きつかれただけなのか。


「どういうことだ? 騎手団に入るなんて」

 しばらくして、デイミオンはそう尋ねてきた。エリサに対するのとおなじ、叱責する雰囲気だ。「俺へのあてつけか?!」


「そうじゃないけど……。わたしにも、竜騎手ライダーとしての実績が必要じゃないかと思って」リアナはすなおに答えた。


「おまえに騎手団の任務が務まるものか。ナイル公の代理はどうする」

「そっちもちゃんとやるわよ。任務だって、最初は雑用みたいなものだろうし」

「その雑用をやるのに、竜騎手の補助をつけるはめになるんだぞ。立場というものをもう少し自覚しろ」

「そんなことを言ってたら、なにもできないじゃないの」


 二人はそのまま応酬おうしゅうした。……が、やはり腕に赤ん坊を抱いたままでは調子が出ないのか、デイミオンはそれ以上問いつめることはせず会話をやめてしまった。

 デイミオンのほうには元妻をもっと追いつめるような話題があったかもしれない。リアナのほうも、いろいろと言いたいことはあった。冷遇はともかく、しばらく城勤めになるのにこんな寒い部屋をあてがわれては困るとか。

 だが、エリサのいたずらとローズの不機嫌のせいで、言いあう気勢が削がれてしまった。声をあらげて、娘がまた泣きだしたら困る。


 それで二人はむっつりと押し黙ったまま、ローズのむずかる声だけを聞いていた。

 デイミオンは不器用ながらも娘をあやし、なんとか寝かしつけようとしていたが、そう簡単にはいかないようだった。

 かれにもいちおうは法律上の父親として、娘と過ごす権利はある。だが竜族の男としての義務をこえて娘を愛する日は来るのだろうか。ふたりがまだ夫婦だったころならともかく、いまではこうやって、機会をつくって会わせるしかない。一緒に過ごす時間があまりにも少なくて、自然な情愛が生まれるのは難しいかもしれないとリアナは危惧きぐしていた。

 それをフィルに味わわせたくないからこそ、身を切られる思いで離婚したのだ。だが、もちろんデイミオンだって傷つくのに違いなかった。

 


 元夫が娘をあやすのを、リアナはもの思いながら見ていたが、ふとかれの首すじの赤い斑点に気がついた。

「首。キスマークついてる」自分の首すじを指して、そう指摘する。

 デイミオンはちらりと、指さされたあたりをさすって確認したが、いくら太い首でも自分からは見えない位置だ。

 露骨に不機嫌な顔になって、「なにか文句でもあるのか」と言う。


「別に」リアナは答えた。


 元夫婦のあいだの気まずい沈黙は、その後、面会が終わるまでなかなか埋まらなかった。


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