第33話 リアナ、地下の民を説得する

 地下の民は西端の路地から避難していたが、すべての誘導が終わったという確証はなかった。リアナは先ほど念話していた竜騎手を呼びつけ、中央広場の南側にある橋の下に降りた。ルルの力で抑えているとはいえ、濁流が身体のすぐ脇を通る危険な場所だ。

「無理です、降りられません!」

 自分と同世代の、赤毛の竜騎手が橋の上から悲鳴をあげた。キアランという名の若者にむかってリアナは叫ぶ。

「時間がないの、ここが一番近いのよ! 飛びおりて!」

 意を決したように、竜騎手が橋から身をおどらせる。

 保護膜を消失させるのと、若者を風で受けとめるのを同時にやった。だが、身体の半分が濁流に飲まれかけて「わあっ」と悲鳴があがる。

 一瞬のことで、ルルの力を使うひまもなかった。リアナは焦りながらも懸命に竜騎手の腕を引っぱり、子どもの背ほどしかない入口へとなんとか引きずりこんだ。



「こ、ここは……?」

 竜騎手の不審げな問いが聞こえたが、無視して先を急ぐ。

 なかは暗いものの、外の豪雨と比べれば安全なように思えた。だが、ここにもじきに地下水脈からの浸水がはじまる。そうすればここにいる住民たちはなすすべもなく流されてしまうに違いない。

 暗渠あんきょに光球をはなち、リアナは竜騎手をきたてて奥へ進んでいった。

「顔役のギーという男がいるはずなの。ここから入れば、彼の住まいに一番近いし、そこに人を残している可能性は高いわ」

 リアナは竜騎手にそう説明した。

「よく……ご存知ですね」感心したような答が返ってくる。


 通路はじょじょに広くなっていき、しだいに洞窟か岩棚のような景色となった。ところどころに生活を感じる品物が落ちている――薪、鍋、燻製肉のかたまり、衣服や毛布のようなもの……。

「もう避難がすんでいるならいいのだけれど」

 リアナはそうつぶやいたが、さらに広い場所に足を踏みいれると、願望が達成されていないことがわかった。


 限られた場所ではあるが、広さも高さも十分な広場。そこに粗末な小屋らしきものが並んでいる。せわしなく行きかう、薄汚れた身なりの人びと。老若男女というにふさわしい、老人も子どもも入り混じった一団がそこにあらわれた。煮たき用の火が、たった今消されたばかりのように煙をくゆらせている。


惣領ボス

 男の一人が、一団の奥を振りかえってそう呼んだ。

「おう」

 声に応じて、一人の大柄な男が姿をあらわした。がっしりした体格の、年配の男である。

「女王陛下」

 男は揶揄やゆまじりのお辞儀をしてみせた。「まさか、あんたが来るとはな」


「貴様。陛下への言葉づかいを――」

「非常事態よ」リアナは竜騎手をさえぎった。「ギー、手短に聞くわ。まだここに残っているのはどのくらい?」

「二十の班から報告があったから、二百人……二百十人くらいか。ガキどもがいるからな」

 惣領と呼ばれた男は、意外にも素直にそう数えた。「あんたが来たということは、ここを出ていけというつもりだな?」

 二人のあいだに挟まれた竜騎手キアランが、けげんそうな顔をしている。かりにも王配だった女性、大貴族の姫君が、こんな最下層の民と顔見知りだとは思いたくないのだろう。

 だが、リアナはこの男をよく知っていた。避難が遅れているのは悪い知らせだが、集団の責任者をいち早く捕まえられたのは僥倖ぎょうこうと言えるだろう。


「そうよ」リアナも手早く説明する。「わたしが白竜の竜騎手ライダーということは知っているでしょ。ここもじき浸水するの。そうなっては、財産どころか命がなくなるのよ」

「だが、ここは俺たちの生活基盤だ。ここが流されてしまったら、どのみち生きていくことはできねぇ」

「どうせ、身ひとつで生きている者たちばかりじゃないの。売春婦に物乞ものごいにゴミあさり」

「そして売人に中毒者」

 ギーはにやりと笑った。「たとえあんたからはゴミみたいに見えようが、そいつらにとっちゃ財産なのさ」

「手っとりばやく言うわ。そのゴミみたいな財産分の金を、わたしが保証する。だからあなたが命令して、はやくここの住人を避難させて」


 遠くから、オオ……とどよめくような音が聞こえた。人々の不安の声なのか、それとも地下に迫りくる濁流だろうか。そう感じる間があるほど、男は考えこんでいた。

「あんたはこういうときのために、飯炊きをしたり医者を寄こしたりしていたんだな? 俺たちに貸しを作って、言うことを聞かせるために」

「そう思ってくれていいわ」リアナはうなずいた。


 にらみ合いからふっと目をそらされたとき、プシュッとかすかな水音が響いた。同じような音と、あわせて岩壁が崩れるような湿った音も。

〔地下南5区のA。浸水がはじまりました〕

 レーデルルの〈呼ばい〉が響く。

「急いで!」

 男はチッと舌打ちし、組んでいた腕をほどいた。あたりを見まわし、不安げに二人を見まもっていた一団に指示する。

「選択の余地はねぇな。……おい野郎ども、撤収するぜ! 各班に指示しろ」

 腕をふって急ぐような身振りをすると、慌ただしいうなずきと、後をついていく動きが続いた。


「で? どこの出入り口から逃げればいいんだ?」

 二人がいたのは最初の出入り口からそれほど離れていなかったが、リアナは奥へと走りながら、ついてくるようにうながした。

「橋の下はもうダメよ。広場北の出入り口までわたしと一緒に来て」

「わかったよ」

 リアナと惣領ギーが先頭を走り、ほかの人びとが後に続き、竜騎手がしんがりをつとめる形になった。

「あなたたちは百か所近い出入り口を使っている」リアナは説明しながら、同時にルルの幻像イメージも受け取っていた。

「そのうちで、危険の少ない場所を今……五つ選んだわ。それぞれに今、竜騎手を呼びつける。そこから通信を送るから、あとは彼らの指示に従って」

「だそうだ! 〈呼ばい〉送れ!」

 ギーは口頭で指示したが、実際には〈呼ばい〉でもおなじ伝達がおこなわれたらしかった。竜騎手たちとはかなり様式が異なるので、内容まではわからない。

 最初の出入り口は、すでに浸水しはじめている。水に追いつかれるのが先か、なんとか逃げきれるのか。リアナは焦りとともに、背後を気にしながら走り続けた。



 ♢♦♢ ――ロール――


 リアナが地下に降り、惣領を説得していた同時刻。竜騎手ロールとサンディは、白竜と黒竜のいさかいを止めようと上空に駆けあがっていた。

 目も開けられないほどの暴風雨のなか、かろうじて乳白色に見える雄竜ネクターを目印に近づいていく。

「いたぞ! あそこだ」

 サンディが〈呼ばい〉で増幅された声で伝えてきた。たしかにそこには二柱の黒竜がいて、邪悪な影のように白竜の周囲を旋回せんかいし、かぎ爪をむいて襲いかかる隙をねらっていた。


 白竜の近くには、ナイル公とその妻が滞空していた。自分たちと違って、きちんと保護壁に包まれている。しかし、黒竜たちをあしらうのに苦戦しているらしく、公の〈呼ばい〉は乱れていた。

「ノストラとアルファンだな」ロールが竜の個体を目視する。主人はどちらもベテランの竜騎手で、群れのなかの序列も高い。だからこそ縄張りに敏感で、ナイル公の竜を挑戦者だと思ってしまったのだろう。

「〈呼ばい〉を割りこませるか?」

 ロールがつぶやくと、サンディが否定を返す。「それで止まるなら、もう主人のシメオンとニールヴがやってるだろ。黒竜ごとぶつかったほうが確実だ」

「たしかに」

 サンディはいつも直接的だが、今回は彼のほうが正しいかもしれない。

「じゃ、行くぞ! おまえも来い!」

 黒竜ニーベルングは背から尾をするりとしならせると、流れるような動きで飛びかかった。勢いよく体当たりし、相手の竜の怒りにみちた咆哮ほうこうが響く。好戦的だが小柄なニーベルングのほうがはじき返されるが、かまわずにまた向かっていく。

 ロールとその竜ブロークもあわてて続いた。

 ブロークはもう一柱の黒竜に近づき、威嚇いかくして追い払おうとする。黒竜――激しい雨で見えづらいが、おそらくアルファン――はもくろみ通り、ブロークに気を取られて白竜への攻撃を中断した。

〔ロレントゥス! 恩に着る!〕

 アルファンの主人、ニールヴが言った。

〔早く制御を!〕

〔ああ!〕

 ロールの指示にしたがい、ニールヴは竜をコントロールしようと〈呼ばい〉を放った。戦闘で高揚した竜を〈呼ばい〉で制御するのは、熟練のライダーであっても難しい。


(いざとなれば――もしニールヴが竜を制御できなかったら……)

 ロールはそう考え、とっさに覚悟を決めた。自分が負けることへの覚悟ではない。ことへの覚悟だ。

(そうならないでくれればいいが)

 固唾かたずをのんで見まもっていると、しだいに黒竜は激しい威嚇をやめ、低いうなり声とともに羽ばたきを弱めた。主人ライダーの制御が効きはじめているのだ。


 ほっと安堵しかけたロールが、ナイル公の竜ネクターに目を向けようと首をめぐらしたとき――

「ニーベルング!? どうした?!」

 激しい雨に打たれて、のたうちながら吠える黒竜の姿に驚く。ノストラではない。上空から見下ろす白竜ネクターが、シューッと威嚇音をたて、湖水のような目を輝かせている――竜術で攻撃をおこなったに違いない。

 

 サンディの長身が、竜の背から勢いよく弾きとばされるのが見えた。

 


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