愚者の楽園‐ディストピア‐⑥

「アガートラー……⁉ 貴公、無事なのですね?」


 アルヴィアは兜を脱ぎ去ると脇に抱え、足下のゴブリンが動かないのを確認してから駆け寄ってきた。


 後ろには数人の甲冑がいるが――まさかさっき戦場が震えたのは地下で爆弾を使ったからか?


「なに言ってんだお前? 作戦はどうした……いや待て、お前らがここにいるってことは……!」


 俺はその瞬間、アルヴィアを無視してバルコニーの手摺りから騒がしくなった戦場を見下ろした。


 逃げ惑うゴブリンたちを次々と斬り伏せていくのは思ったとおり甲冑たちだ。


 そのなかに趣味の悪い紅マント――ゴブリン王を見つけた俺は大声で怒鳴った。


「クソッ、そいつは俺の獲物だ! ふざけんなって話さ!」


 せっかくいいところだったってのに、ゴブリン王を後ろから追い立てる甲冑が両手剣を振り上げる。


 呆気なく倒れ伏すゴブリン王を見下ろしたまま、俺は舌打ちするしかない。


「……貴公、やはりゴブリン王を自分で仕留めるつもりでしたね?」


 そこで苦笑するアルヴィアが隣に立ったんで俺は鼻を鳴らして剣を振り払い鞘に収めた。


「ハッ、仕方ないだろ。言われたとおり地下に行ったが扉は塞がれて壁しかないときたもんだ――アガートも今日になっちまったからな」


 アルヴィアはこんなときでも優雅に見える所作で髪を払うと頷いてみせる。


「扉ではなく壁になっていたからこそ、こうして作戦時間を早めた次第です。そこで綺麗な口の悪い男に助けられたという男性がアガートのことを教えてくれました……だから心配していたのですよ」


 綺麗な口の悪い男だ? ……クソ、勝手なこと言いやがって。覚えとけよあいつ……。


「……ふん。真っ先にゴブリン王の部屋に来たくせに心配したとはよく言うってもんさ」


 とにかく大袈裟に肩を竦めてみせるとアルヴィアはばつが悪そうな顔で唇を尖らせた。


「それは……貴公を助けるつもりで先に頭を叩こうと……」


「どうだかな――邪魔がなけりゃここで仕留めてたってのに。……まあいい、見ろよアルヴィア。愚者どもの楽園は今日で終わりだ。革命軍としては上々なんだろ? 次はどこだ?」


 別にそれがアルヴィアの本心だろうがそうじゃなかろうがなんだって構わない。


 どっちにしろ俺の獲物は別の奴に仕留められちまったからな。さっさと次の町に行くしかないって話さ。


「――ふたつめの町を奪還しましたから、次は……」


 アルヴィアは少し間を開けてから意を決したように告げた。


「リザード族の町です。『すでに攻略は始まっている』かと」


「始まっている? どういうことだ?」


 間髪入れずに聞き返すと、アルヴィアは眉尻を下げて困ったように頷く。


「はい。実は……革命軍総司令官率いる部隊が先行してそちらに向かいました。今回の作戦の全容は『ふたつの町を同時進行で奪還』することなのです」


 あのクソじじい――どうりで顔を見せやがらないわけだ!


 俺が顰めっ面をすると、アルヴィアはどう思ったのか兜を被り直して剣を引き抜いた。


「不満はあとで存分に聞いてあげますから。とにかくここを制圧してすぐに発ちますよアガートラー!」


「ハッ、望むところだ」


******


 めちゃくちゃに混乱したゴブリンどもはろくな反撃もせずに散り散りに逃げていった。


 アルヴィアの部隊より後方に待機していた部隊も合流したが、逃げてきたゴブリンを何匹か仕留めたらしい。


 町に残されたのは捕虜になったゴブリンどもと――憐れな隷属たちだ。


 アルヴィアが解放だなんだと動くなか、俺は捕虜になったゴブリンどもが縛られて集められているところに足を運んで見下ろした。


「『よお、似合いの格好だな』」


『ギャッ! お前っ……あ、アガートラー!』


 酷く怯えた表情で身を寄せ合う姿は滑稽で――この上なく腹が立つ。


 あれはまるでついこの前までの俺たち――隷属だった者の姿だ。


 こうして恐怖し、震え、息を殺して過ごしていたことがまざまざと思い起こされる。


 心のなかでだけ悪態をつき、何度も何度も狩ってやりたいと思ってきた――。


「『――お前らクソどもは人族をそうやって使ってきた。いまはどんな気分だ?』」


『ご、ゴブリンは悪くない。負けたお前らが悪い! ……ギャッ』


「『――へえ、それで?』」


 俺はぴくりと頬が引き攣るのを堪え、右手を伸ばして口を開いたゴブリンの頭を正面からがっちりと掴む。


 毛のない牛の腹を撫でたときのような感触が手のひらから伝わって……ゴブリンが顔を歪めた。


『や、やめろ! オレ死にたくない! やめてくれ!』


「『お前らは言っていたはずだ。馬鹿にしたから償えってな。地下の魔物は――ジャグロだったか? さぞ腹を空かせているだろうさ!』」


『ギャッ……』


 ゴブリンは言葉を失い助けを求めて視線を巡らせるが、周りにいたゴブリンたちはそいつから少しでも離れようと身を捩る。


 反吐が出るってもんさ――こんな奴らに命を潰されてきた隷属がどれだけいたのかを思うと胸糞悪い。


 けれど――。


「『ふん。お前なんか餌にしても腹の足しにもならないだろうな』」


 俺はゴブリンから手を放してドカリと胡坐を掻いた。


 こんな奴を狩っても足りないんだよ。そうだ。俺の気持ちは満たされない。


「『質問に答えろ。魔王ヘルドールってのはどんな奴だ?』」


『――ま、魔王様は偉大。アガートラーより、つ、強い……』


 解放されたゴブリンは囁くように呟いて、浅い呼吸を繰り返しながら後退ろうと足掻いている。


 大きな眼はいまにも落ちそうなほどだが、そこからボロボロとこぼれるのは大粒の涙だった。


 泣いても潰された。


 謝っても狩られた。


 そんな隷属を何人も何人も見てきたってのに――こいつらは自分が危うくなると同じことをするのか。


 俺はギッと歯を食い縛ってから……できうる限り冷静に問いかける。


「『魔王の見た目は』」


『ゴブリン、魔王様会えない。会えるのはゴブリン王だけ。だから知らない……ッ』


「『ハッ、使えない――』」


 俺は地面に拳を叩きつけてから縮こまって震えるゴブリンたちに一瞥をくれてやる。


「『……しばらくすればここにも隷属――いや、隷属だった奴らが来る。それからどうなるかはお前らクソどもの日頃の行い次第ってもんさ。想像してみろ、お前らはどんなことをどうやってきた?』」


『うぅっ……』


 ゴブリンは唸るとやがて静かに項垂れた。


 諦めたのか自我を失ったのか――正直なところどうでもよかった。


 あとは解放された奴や革命軍がどうにかするだろうからな。


 黙ったまま立ち上がり、俺はさっさと踵を返す。


 言いようのない気持ちの悪さが腹の底でぐつぐつと煮えているようで吐き出したかった。


 頭のなかで繰り返されるのはゴブリンの言葉だ。


 ――負けた奴が悪い?


 ――ああ、そうだろうさ。


 勇者なんて大馬鹿者が魔王に挑んだのがそもそもの間違い――そう思ってきた。


 だが実際はどうだ? 負けたのは勇者とやらで俺じゃないだろ。


 それなのに最初はなから負けていた俺みたいな隷属はどうしたらいいんだって話さ。


 一生勝てないまま死ねってのか? そんなこと誰が認めてやるもんか。



 なら狩って・・・やる――勝って・・・やるさ。それが自由とやらになった俺の望みだ。



 すると正面からきょろきょろしながらアルヴィアがやってくるのが見えた。


 足を止めると甲冑の騎士はすぐに俺に気付き、兜を左脇に抱えて右手を振る。


「アガートラー! ここにいましたか」


「なんだよ」


「……? どうかしましたか? 酷く機嫌が悪そうですね」


「うるせぇぞ。用がないなら放っておいてくれ」


「用はありますし、放っておくわけにもいきません」


「ちっ……」


 盛大に舌打ちしてやるとアルヴィアは眉をひそめて冷めた蒼い双眸を細めた。


「そのような態度はあまりに幼稚ですよアガートラー。八つ当たりならどうぞ好きなだけしてください。反応はしませんがそれでよければ。……出発です、私の部隊は急ぎリザード族の町へと赴きます」


「……」


 俺はぐっと喉を詰まらせて視線を逸らした。


 クソッ、わかってんだよ八つ当たりだってことは!


 ゴブリンともの馬鹿げた態度が神経を逆撫でした――それだけだ。


 すると踵を返したアルヴィアが肩越しに言った。


「――アガートラー。まだ魔王やその配下の魔族たちと戦う意志がありますか?」


「あ? ……ハッ、当たり前だろうが。いまさらなんだ? エルフ族と築いた国にでも行けってか?」


 思わず突っかかると……アルヴィアは歩きながら困ったような顔で振り返った。


「まさか。――むしろ教えてください。どうしたらそのような強い刃を持てるのか……」


「……なに?」


「アガートの行われる闘技場には巨大な魔物が横たわっていました。あれは貴公が狩ったものですね? ……あんな大きな魔物をたったひとりで……私なら足が竦んでいたかもしれません」


 一瞬、アルヴィアがなにを言っているのか本気で理解できなかった。


 率先して甲冑たちを率いる革命軍の星とやらが『足が竦む』だって?


 アガートの戦場に堂々と乗り込んできたくせに……だ。


「――お前ならあんな魔物、簡単に仕留められるはずだ」


 口にするとアルヴィアは再び前を向いて歩を進めた。


「そんなことはありませんよ。私は『対人戦』……つまり人型の知性ある種族と戦うことに特化しています。魔族を――最終的には魔王ヘルドールを討つために叩き込まれてきた動きですからね……。だから大きな獣型の魔物と戦う術を持っていないのです」


「ハッ、そいつは驚いた」


「勿論、進軍中に魔物と戦闘になることもありますが……あのような場所で一対一は肝が冷えるでしょうね。けれど学ばねばなりません……この先そんな場面に出会でくわすこともあるでしょうから」


「――そんな経験しないほうがいいもんだと思うが。それが星とやらであるあんたの望みなのか?」


「…………実は、わかりません」


 アルヴィアが苦笑した気配があった。


 俺は黙って聞いていたが……アルヴィアは振り向かずに続ける。


「私も貴公と同じですね。これはただの八つ当たりです! さあ、リザード族の町を奪還しましょう」


 なにをもって八つ当たりと言うのかは知らないが、どうやら気遣われたらしいことはわかる。


 気持ちの悪い感情はどこかに消え、残ったのはお人好しで迷いのある星への呆れだけだった。


 俺は伸びてきた顎髭を擦ってからふんと鼻を鳴らす。


「おいアルヴィア。その対人戦の術とやらを俺にも教えろ。使うかもしれないからな」


「……ふふ。そんな経験しないほうがいいもんだ、と思いますけどね? では私には貴公の魔物と戦う術を教えてください」


 俺の言葉を真似てみせるアルヴィアはそこでくるりと振り返った。


 白銀の鎧は暮れてゆく日の光を受けて茜色に煌めいている。


 どこか獣臭い町の臭いにはいつのまにか慣れていて――鼻を掠めたのは始まった炊き出しの匂いだ。


 するとアルヴィアはぱっと花が綻んだような笑みを浮かべて言ってのけた。


「貴公がなにを思っているのかまだ私にはわかりませんが――少しは慰めになったようでなによりです! 綺麗な顔が勿体ないですからね!」


「――あ? お前、喧嘩売ってるだろ。その目出度い頭をなんとかしろって話さ!」


 不満を口にするとアルヴィアは兜を被り直して応えた。


「まさか。私は大真面目ですよアガートラー?」

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