異形の儀式-カノナス-⑬

******


 赤黒く濁った液体が意志を持つかのようにゴボリと跳ねる。


 液体が入っているのは釜というのが相応しいのか疑問に思うほどの大きさがある器。


 それを座して囲んだ異形たちは、なにやら長ったらしい祈りを繰り返し唱えていた。


 魔族どもの姿はそれぞれで……共通しているのは頭部に角があることだ。


 オォ、オォと低い唸り声のようになった唱和は耳障りで、俺は小さく舌打ちをする。


 クソ。気持ちわりぃったらないな……!


 ゴボリ、ゴボリとうねる液体が弾けるたびに煙が立ち上り……紅い月へと向かって空を昇っていく。


 一本の太い階段が釜へと向けて延びているその隣――巨大な鉄の檻に入れられた隷属たちは身を寄せ合い、ある者は咽び泣き、ある者は感情をなくし、ある者は壊れて笑っていた。


 やがて牛のようにでかい魔族の男が檻から隷属のひとりを引き出し、頭上に掲げて釜への階段を上り出す。


(――ッ!)


 俺は腰を浮かせかけたアルヴィアの手を掴む。


 運ばれていく隷属は抵抗を見せず……すでにどうにかなっていた・・・・・・・・・


 何度も見てきたからわかる。あれは自分を失っちまった抜け殻だ。


 もう戻ることはないだろう。


 ……俺たちがいるのは祭壇から少し離れた茂みで、熱に浮かされたように釜を見詰める魔族どもはちらりとも視線を送らない。


 どうやら町中の魔族が祭壇に集まっているらしく、ここまで来るのに気付かれることはなかった。


 ――この儀式は奴らにとって重要なんだろうが……反吐が出るってもんさ。


 そう思った俺の視線の先。階段を上りきった牛のような男が大きく腕を振るう。


(……っあぁ)


 絞り出されたアルヴィアの声が耳に触れる瞬間、赤黒く濁った液体がまるで巨大なあぎとを開くようにしてせり上がり……投げ出された隷属をばくん、と呑み込んだ。


『オオオォォォォ――』


 歓声にも雄叫びにも聞こえる音が魔族どもから溢れ出し、一斉に両手が持ち上げられる。


 地面から異形の手が生えて風に揺られているような光景は吐き気がするほど異様だった。


 ――そのとき。


(…………ッ!)


 どぷん……と。


 球体になった液体が釜から浮かび上がり……プカリと移動し始める。


 俺の頭ほどだろうか――それはまるで血の塊だ。


『オオオォォォォ!』


 魔族どもの興奮は最高潮に達し、その球体に向けて何百の手が揺らされた。


 やがて球体が一匹の魔族の手に飛び込んだかと思うと……そいつが迷わず赤黒い球に喰らい付く。


(あれはなんだ――?)


 呆然とした表情でマイルがこぼし、アルヴィアがごくりと喉を鳴らす。


 球体を喰った魔族が肩を跳ねさせたかと思うと……メリメリと音を立てたそいつの角が、血と肉片を撒き散らしながら伸び始めた・・・・・


 成長している、とでも言うんだろうさ。


『ウオオォォォ――ッ!』


 吼えた魔族が腕を紅い月へと突き出し、呼応するようにほかの魔族もオオオと叫ぶ。


 それが落ち着くのを待って、牛のような魔族の男が次の隷属の腕を掴んだ。


「は、放して! 嫌だ――嫌だッ!」


 泣き叫ぶのはまだ幼い少女に見える。


 アルヴィアは首を振り、腕を掴む俺を振り返った。


(放ってなどおけません! アガートラー、私は……私は行きます!)


(……アルヴィア殿ッ、俺もともに!)


 マイルが大きく頷いて同意したところで……バリスが冷ややかな声で告げる。


(そのまま行ったところで隷属のもとに辿り着く前に狩られる。俺はそんな無駄死にはしたくない)


(バリス……! では放っておけと言うのですか? このままでは……!)


 冷めた蒼い目を見開くアルヴィアに……俺は鼻を鳴らした。


(ふん。少しは頭を使えってんだ。斥候部隊、お前らローブ持ってるか? それと……)


******


 魔族どものあいだを駆ける俺とアルヴィア。


 はためくローブが夜闇に踊っても釜の周りに座す異形どもは気にも留めなかった。


 目深に被ったローブの下に角があると疑わないんだろう――ハッ、目出度い頭をしてやがる!


 ……唱えられる言葉はいまも耳障りだ。


 できることなら耳を塞ぎたいと思うほどだが……気にしていられないってのはわかっている。


「嫌だ! 誰か、誰か――ッ!」


 頭を掴まれた隷属が生きようと足掻くさまは見ていて楽しいもんじゃない。


 俺は走りながら上半身を屈め、腰に挿した二本の剣を両手でしっかりと握った。


「ハッ! いくぞクソども! ○×△※してやる!」


 階段を駆け上がる自分の体は興奮に燃えたぎり、俺は牛のような魔族の男の腕を抜き放った剣で突き通してやる。


 ――これだよ、たぎるってもんさ!


 俺は欲望のままに剣を薙ぎ、魔族の腕を一気に斬り飛ばした。


「うぁっ!」


 落下して階段に叩きつけられた隷属の悲鳴が聞こえるが知ったことじゃない。


「さっさと下がれクソガキ!」


 怒鳴った次の瞬間には左の短剣を魔族の腹に深々と突き立て、俺は思い切り蹴飛ばすことを選ぶ。


 蹌踉めいて血を撒き散らしながら傾いだ巨体は……釜の縁からどぷん、と音を立てて赤黒く濁った液体へと沈んでいった。


「アガートラー!」


 そのとき、階段の下で魔族を押さえていたアルヴィアが俺を呼ぶ。


 俺はそれを合図に首から下げた笛を掴んで息を吹き込んだ。


〈ティリリリリ――!〉

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