異形の儀式-カノナス-⑫

「……どうしたかの」


 黙って俺たちのやり取りを聞いていた爺さんが静かに聞き返す。


 許可を得てテントに入ってきた黒い革鎧は――肩で息をしながら額に張り付いた髪を払った。


「さ、祭壇の、釜に――隷属たちが……な、投げ込まれています――ッ!」


 ……ッ!


 俺は肺が掴まれたような感覚に目を見開く。


「ナノ――!」


「ま、マイルさん! 待ってください!」


 伝令を突き飛ばすようにしてマイルが駆け出すのをアルヴィアが止めようとするが、聞く耳なんざ持っちゃいないだろうさ。


 飛び出していった狼に、俺は切れそうなほど唇を噛み締めてから爺さんを見た。


「ちっ……クソじじい――団子寄越せ」


「……ふむ」


「あ、アガートラー……⁉」


 驚愕に振り返るアルヴィアは無視して俺は続ける。


「早くしろッ! いいか、無理なら俺は退くぞ。魔族を×○△※するのに死んでたまるかってんだ! ……お前らもさっさと準備するんだな!」


「……このテントの正面、エルフ族のテントから持っていけ。儂もすぐに向かうとするかの。そうだの……これも受け取れ。使い方は――」


「……ふん。斥候部隊が持っていたのを見たさ。なにかあったら吹けってことだろ」


 俺は爺さんが投げて寄越した『首から下げる笛』と『耳に装着する石』を掴んでさっさとテントを出た。


「あ……わ、私もっ……私も行きますアガートラーッ!」


 アルヴィアが言うが――応えてやるつもりも後ろを振り返るつもりもない。


 俺はエルフ族のテントで団子が詰まった革袋をごっそりとふんだくってすぐに移動を開始した。


 マイルの奴はとうに見当たらないが行く場所は同じだ。


 走る俺の頭上――夕焼け色に染まる空は東側から紺色の帳を引いてくる。


 隠れながらなんて悠長なことは言っていられない。


 駆け抜けた平原はむせ返りそうなほどの草の匂いに満ちていた。


 ――魔族のクソどもは釜に隷属を放り込んでなにしようってんだ? どう考えたって嫌な予感しかないってもんさ。


 正直なところ俺がなんとかしてやろうなんて気はさらさらない。


 自分から死ににいくなんてのは御免だからな。


 それでも俺が走るのはただひとつの目的のため――そこに群がっているはずの魔族のクソどもを×△※○してやりたい、それだけだった。


 バリスたち斥候部隊がいたはずの木立にはすでに人の気配はなく、静まり返っている。


 後ろ足で土を蹴り上げながら先を目指し――俺は木立の先、湖の向こうに細く立ち上る煙に気付いた。


「はっ、は……はぁッ……あれは……火を……⁉」


 喘ぎながら口にするアルヴィアは俺の少し後ろに食らい付いていた。


「……」


 俺はいったん足を止め、額の汗を拭って目を凝らす。


 すでに空は暗く――町の灯りがはっきりと見て取れる。


 塔にも松明の炎が揺らめいているが、足場らしき場所にも空にも龍の姿はない。


 ただ大きな――見たこともないほど巨大な紅い月が町の上で不気味に光っていて、湖にその姿を映していた。


 そして湖の岸辺を走る影は――。


「あれは……バリスたちとマイルさん……⁉」


 俺はアルヴィアが言い終わる前に再び踏み出した。


 マイルには魔王ヘルドールの城まで案内させないとならないからな――勝手に死なれちゃ困るんだって話さ!


「あ……アガートラー、待ってください!」


 ――魔族が気付いたら終わりだ。


 龍があいつらを襲う前に合流する必要がある。


 俺は咄嗟に首に下げた笛を掴んで思い切り息を吹き込んだ。


〈ティリリ――!〉


 聞いたことのない音だった。


 鳥や虫――聞いたことのあるどの鳴き声とも違う音。


 それが耳元の石を震わせ、岸辺を走る斥候部隊が足を止める。


「……止まった……!」


 アルヴィアが吐き出したが……クソ、マイルも止まっているのかが確認できない。


 俺は一気に距離を詰め――バリスがマイルを押さえているのを見て思わず笑った。


「ハッ! 役に立つじゃねぇかバリス!」


「マイルさん! ひとりでなんて無謀です!」


 露骨に顔を顰めたバリスはアルヴィアの言葉にプイと視線を逸らし、押さえていたマイルを突き放す。


「無謀でも俺は行かなくてはならない!」


「ふざけんなよクソ狼が!」


 俺は再び走り出そうとするマイルの急所――尻尾をこれでもかってくらいに握ってやった。


「ギッ……は、放せッ! ぐはッ!」


 そのまま思い切り引き寄せて振り向かせ、俺は毛量の多い髪を束ねたマイルの額に自分の額を叩きつける。


 衝撃は凄まじく目の前に火花が散ったが――俺は尻尾から手を放して真っ向からマイルの灰色の目を見据えた。


「武器はその槍だけか? そんなんで龍を相手にできるつもりでいるのか? あぁ? ちったぁその頭使って考えろ!」


「ぐう……」


「いいか、なにがあっても命を惜しめ! 助けられるかどうかは二の次だ!」


「ふ、ふざけているのはどっちだ! 助けられるかどうかは二の次だと? そんな愚行が誇り高き狼々族ろうろうぞくの戦士に許されるはずがない!」


 吼えたマイルの口から尖った牙が覗く。


 するとアルヴィアが俺たちの顔のあいだに手のひらを差し込んで押し広げた。


「アガートラーは助けるために退くことを厭うなと言っているんですマイルさん! 死んでしまっては助けられるものも助けられなくなります! 大丈夫、革命軍の本隊もすぐにやって来ます――私たちがこのまま一緒に進みますから落ち着いてください!」


「おい。勝手な解釈するなアルヴィア! 俺が行くのは魔族のクソどもを○×△※してやるためでクソ狼のためじゃない」


 あまりに腹立たしくて反論すると……なぜかアルヴィアは小さく微笑んだ。


「やっと返事をしてくれましたね。……謙遜は必要ありません。貴公は誰よりも仲間思いです」


「…………はぁ?」


 思わず呆れた声がこぼれると……アルヴィアは一度だけ俺に向けて頷いた。


「すみませんでした。私は『逃げてもいい』と言われたばかりなのに――。けれど貴公は助けるために退くことを厭わない姿勢を示してくれた。……その気概、賞賛に値します」


 ………………はぁ。こいつ、どれだけ馬鹿なんだ?


 俺は呆れを通り越し奇妙な畏敬の念すら感じた自分に寒気がして首を振る。


「……ちっ。おいマイル、これ持っておけ」


 アルヴィアになにを返しても結局おかしな返事しかないだろうさ。


 なら諦めてさっさと進むしかない。


 俺は眠り草とやらの団子が詰まった革袋をひとつ、頭を冷やしたらしいマイルの鼻先に突き出した。


「……これは」

 

「眠り草とやらの団子だ。話は聞いてたろ。無理して龍に喰わせる必要はないが役には立つかもしれないってもんさ。――おいバリス」


「気安く呼ぶな……ッ⁉」


 俺は自分の革袋を残してバリスにも数袋を放り投げ、さっさと歩き出す。


 ――目指すのは町の北にある祭壇とやらだ。


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