異形の儀式-カノナス-⑭

 エルフ族の魔法が込められた笛にふたつの音が応える。


 瞬間、魔族どもの後方でざわめきが起こった。


「ナノ! ナノいるか! 待っていろ必ず助ける!」


 斥候部隊の一部とともに待機していたマイルが攻撃を始めたのだ。


 そしてもうひとつの笛の音――バリスと斥候部隊の残りは町の中心部へと走っているはず。


 狙うのは龍――やられる前に一匹でも多く眠らせることが勝利への条件となる。


 アルヴィアと違ってバリスは自分が喰われるかもしれないのに無理をすることはないだろうからな。


 団子を口に放り込むことができなけりゃ退くはずだ。


 ま、応えたってことは順調なんだろうさ。


 ……俺は『ローブで隷属に辿り着く』『後方で待機』『龍を眠らせる』――この三点を提案した。


 別に無理ならそれでいい。死ぬ前に逃げろってな話だ。


 釜に放り込まれようとしている隷属のところに辿り着いても戦闘になるのは必至だったが……俺には勝算があった。


 ――魔族どもは儀式のせいか『武装していない』奴が大多数だったからな。


 そもそも戦える奴が少ない可能性もあるが、それならそれで都合がいい。


 茂みから確認したが、集まっている数百に対して武装しているのは三分の一……いや、もっと少ないように見えた。


 俺としては魔族のクソどもを○×△※するだけだからな……やることは変わらない。


 向かっているはずの本隊が合流するまで戦い続けること――それが俺とアルヴィア、そして待機していたマイルたちのやることってわけだ。


「お前ら! 檻の中でなんとか生き抜けッ! こんなところで死ぬのは御免だろうさ!」


 俺は階段に転げていた隷属を掴み上げて檻に放り込み、檻を背に魔族の一匹の喉元を斬り裂いた。


 肉を断つ感触は生々しく、眼を剥いて膝を突く魔族への言いようのない黒い感情が渦巻くが――俺を滾らせる高揚感がそれを掻き消していく。


「はぁ――ッ!」


 アルヴィアも俺とは反対側で檻を背に剣を振るい、異形を再起不能に陥らせる。


「ひ弱な人族め! 我らの儀式を邪魔した罪は重いッ!」


 吼えながら大型の戦斧せんぷを振り抜いたのは、武装する魔族のひとり。


 耳の上に生えた角は頭部に沿って弧を描いていた。


 俺は左側から右側へと唸る一撃を重心を落とすことで躱し、地面を右足で蹴り抜いて一気に詰め寄る。


「お前らクソどもの儀式とやらに使われてやる気はないんだよッ!」


 胸元に引き寄せていた右の長剣で喉元を狙うが、魔族も黙ってやられたりはしなかった。


「ぬう!」


 そいつは唸りながら斧を握る右の腕を翳し、攻撃を防いでみせる。


 ――けどな、それだと頭ががら空きなんだよ!


「そこだッ!」


 俺は腹の底の空気を吐き出しながら左腕を振り上げ、短剣を魔族の右側頭部に叩き込んだ。


「あぐぅうっ⁉」


 蹌踉めいた魔族は武器を取り落とし、眼の横から頬にかけて穿たれた深い傷を両手で被う。


 そのまま一気にトドメを刺そうとした俺は――剣を掲げたままぴたりと手を止めた。



「――迎えを送ると伝えたのに自ら来たのね人族? わたくしのものになると決めたのかしら」



 そう言いながらゆっくりと魔族どものあいだを歩いてくる、圧倒的な存在感の異形が視界に入ったからだ。


 ――リザード族の町で会った魅惑を使うクソ女。


 血のような赤い唇には妖艶な笑み。


 一歩ごとに揺れる背中を被う赤い髪は夜闇のなかでもよく映える。


 裏地が紅い漆黒のドレス――その裾を翻し、そいつは頭の左右から円を描いて伸びた角を指先でなぞった。


「これは神聖な儀式ですのよ。わたくしたち魔族は百年に一度、こうして命をむさぼりますの。それが生きるために必要な誓約であり、力を得るために待ち侘びていた時間なのですわ。……邪魔は許されませんことよ」


 金色の眼が俺を捉えた瞬間、頬がぴくぴくと痙攣する。


 頭のなかがじんと痺れ――俺は眉を寄せて鼻を鳴らした。


「ふん。誓約だ? そんなもん知らねぇよ。相変わらず気持ちが悪いったらねぇな」


「うふふ。やっぱりわたくしの魅惑が効かないのね。ぞくぞくしますわ! わたくしのものにしたくてたまらない!」


「ハッ、誰が!」


 戯れ言のあいだに視線を走らせる。


 周りの魔族どもが一歩引いているのを見るに……このクソ女は魔族のなかでもそれなりの地位なのかもしれない。


 それならこいつを使って時間を稼げば――そう思った瞬間。


 悪寒が背中を駆け上がり、俺は咄嗟に右足で地面を蹴って左側へと身を躱した。


 ――ガコオォンッ!


 鉄の檻を打ち据えたのは――踏み込んできた女の拳。


 ……だってのに、なんだってそんな鈍い音がしやがる⁉


「アガートラー!」


 アルヴィアが身を翻してこっちに来ようとするのが視界の端を掠めるが――俺はゆっくりと拳を引き戻す女を見据えたまま怒鳴った。


「来るな! 邪魔だッ!」


 クソッ、素手であの威力か? 完全に計算外だろ!


「わたくし美しいものを傷付けるのが嫌いなの。ですから一撃で身動きが取れないようにするつもりでしたのに。まさか避けられるとは思わなかったですわ」


 細められた金色の眼に長い睫の影が落ちる。


 女は肩に掛かる赤い髪を背中側へと払い退け、ドレスの切れ込みから白い足を覗かせた。


「ハッ……武器も持たずに肉弾戦ってか? 見かけによらず馬鹿力だな! なるほど頭ん中も筋肉か?」


 右足を前、左足を後ろにして構えた俺に、魔族の女がふふと笑って視線を巡らせる。


「いいですわ、その罵倒。最高ですわ! ……喉は潰しません、声が出なくなりますもの。そうね。足を砕くか、腕を折るか……選ばせてあげてもいいわ人族」


「――!」


 その瞬間、俺の横――檻の中にいた隷属が俺の腕を取った。


「おい! ……ッ、クソ放せッ!」


 ひとりじゃなくふたり。


 表情はないが、腕にこもる力は異常なほどだ。


 ちっ、魅惑されてやがるのか⁉


 腕を被う鎧にがっちりと爪を立てる隷属を振り払おうとする俺に向かって……クソ女はゆっくりと右足を踏み出した。


「さあ……選びなさい人族」


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