灼熱の業火-エクスプロージョン-

灼熱の業火-エクスプロージョン-①

 ふたり掛かりで握られた右腕。


 防具で見えはしないが筋が浮かぶほど力を込めても振りほどくことはできない。


 ――俺は舌打ちして左手を前に構えた。


「ちっ……足だの腕だの……どっちも選んでたまるかってんだ!」


「そうですの。仕方ないですわね――」


 応えた俺に微笑んだクソ女は体を沈め、白い左足で大きく踏み込むと同時に右足でぐるりと弧を描く。


「……ッ」


 ――左腕しか使えない俺は膝を曲げて衝撃に備え、短剣で迎え撃つしかなかった。


 しかし蹴りの威力は凄まじく、突き立ててやろうと思った剣が呆気なく弾かれて紅い月の色を散らす。


 俺は直撃を喰らいつつもなんとか踏み留まったが――左腕と左脇腹の骨が酷い音を立てて軋んだのは無視できない。


「がっ……は!」


 蹴られただけだってのに肺が絞られたような感覚が込み上げ、鋭い痛みが足の先から頭の上まで駆け抜ける。


 ――クソッ、やばい!


 そう思った瞬間には、右足を下ろしたクソ女の左の拳が腹に叩き込まれていた。


「……ぐっ……おぇッ……」


 革鎧とはいえ金属の板が仕込まれてるってのに……たったの一撃で呼吸ができなくなるほどの威力。


 鳩尾を抉るような一撃に胃液が逆流し、湧き上がる死の気配が俺の体を震わせる。


 体をくの字に折る俺の視界に舞った赤い髪は血のようで、酷く忌々しい。


 俺はガチッと音を立てて歯を食い縛り、拳を引いて構え直した女へと痛む左腕を突き出した。


 ――こんなところでやられてたまるかってんだよ!


 俺は何度も死線を越えてきた――生きろ! 生き抜けッ!


「あら、まだ抵抗するおつもりですの――? えッ⁉」


 その余裕綽々の顔には反吐が出るってもんさ!


 クソ女は俺の左腕を右手で押さえようとしたが、俺はその手首を掴んで引き寄せ、身を乗り出して白い首筋に『喰らい付こうとした』。


「……なっ、なにを⁉」


 腕を振りほどいて咄嗟に飛び退く女の耳元で歯が噛み合わさり、掠った耳が裂ける。


 クソッ。左腕に力が入れば仕留められたってのに!


 俺は体勢を立て直し、胃液が混じる唾と一緒にクソ女の血を吐き捨てて左腕で口元を拭った。


「ペッ……臭い血だな、まるでオークどもの糞尿だ」


「な、な……」


 震える魔族の女は自分の左耳にゆっくり指を滑らせ、紅く染まる指先を見て言葉を失った。


 同時に隷属に掴まれていた俺の右腕が解放され、魅惑が解けたことを物語る。


 動揺して集中が途切れたってところだろうさ。ざまぁみろ!

 

「――はあぁっ!」


 そこで俺の後ろから銀の風が吹き抜けた。


「ハッ、来るなって言ったろうさ!」


 アルヴィアが両手剣を突き込んだ勢いに便乗して俺が右の剣を構えると、クソ女は大きく後ろに下がってほかの魔族にぶつかり――形のいい眉尻を跳ね上げる。


「邪魔ですわッ!」


 ゴッ……!


 苛立った声とともに裏拳を顎に叩き込まれ、吹っ飛んだ魔族の男は地面に転がってビクビクと痙攣する。


「わ、わたくしに噛み付くなんて……わたくしに、わたくしに……あはっ、うふふ……」


 クソ女は倒れた魔族には目もくれず何度も首を振り……やがて恍惚の笑みを浮かべた。


「――最高ですわ。早く手に入れたいですわ! こんな経験、そうはなくてよ? ふふ……ふふふ。ねぇ、首に食らい付くなんてどうして思い付くのでしょう? あぁ、たまりませんわ!」


「……相当気に入られているようですよアガートラー。やはり私の助けが必要なのでは?」


 額に汗を滲ませながらも冗談めいた言葉を吐き出すアルヴィア。


 俺は思わず鼻を鳴らしてその右隣に立った。


「ハッ。気に入られて嬉しいと思うか? ――ま、とはいえ……だ」


 ここは一対一だとか馬鹿なことを言っている場合じゃない。


 気を抜けば死ぬのはわかった。


 俺は弾かれた短剣を拾いながら続ける。


「――左腕と左脇腹、相当やられちまった。そっち側は任せた」


「! ……わかりました。貴公の左側は私が守ってみせましょうアガートラー!」


「ちっ。その言い方は気に入らないってもんさ」


 言い返すとアルヴィアは剣を体の左側に構え、細く息を吸う。


「任せると言ったからには任せてもらいますよ。……隷属の皆さんは魔族と目を合わせないようにしてください。彼女は魅惑の魔法を使います」


 ……まったく頼もしいことで。


 俺はハッと息を吐き出し、痛む左腕をわずかに持ち上げる。


 駄目だな。振るのに力は入らない。


 左脇腹も絶えず鈍い痛みを訴えていて、動きに支障をきたすだろう。


 そこでクソ女は自分の指先についた血を舐めとると……金の双眸をカッと見開いた。


「お前たち、後ろの『ネズ』を早く仕留めてしまいなさい! これはわたくしの愛玩隷属。邪魔する者はわたくしの手で潰しますわッ!」


「おーおー、物騒なこった。……マイル! お前『ネズ』とかいう魔物呼ばわりされてるぞ?」


「俺は誇り高き狼々族ろうろうぞくの戦士! 『ネズ』などではないッ!」


 思いのほか近くで聞こえるその声に魔族どもが一斉に向きを変えた。


 俺は笑みを浮かべ、くるりと右の剣を回す。


 ――焦りは禁物だ。油断なく、隙を突き、耐えきれ!


「いくぞクソ女!」


「ふふ……」


 ゆらり、と。


 女の上半身が柔らかくしなだれる。


 瞬間、まるで放たれた矢の如く踏み切ったクソ女は赤い唇に笑みを浮かべていた。


「……うぐッ!」


 右足を突っ張って後ろに跳ぶことでその一撃をいなした俺の体が軽々と飛ばされる。


 右の拳を突き出していたクソ女は横から振り下ろされるアルヴィアの剣を避け、すぐに翻されて閃く刃に左足を叩きつけて弾いた。


「――お前は邪魔です」


「その台詞、お返ししますッ!」


 アルヴィアは弾かれた剣の反動を刃を回すことで己の力に転じ、次の一撃を下から上へと奔らせる。


 クソ女はその剣を上半身を逸らすことで躱し、体を捻りながら膝、腰、肩へと力を移動して強力な拳を突き込む。


「はあぁッ!」


 アルヴィアはそれを右肘で受けにいき、金属の防具とクソ女の拳とが鈍い音を響かせた。


 ――いまだ!


 俺はクソ女の重心がアルヴィアへと向いているのを好機と見て、一気に詰め寄り右の剣を繰り出す。


 ところが――その瞬間。


 どういうわけかアルヴィアがくるりと身を翻してクソ女と入れ替わる。


「――ッ、クソ! なにしてやがるアルヴィア!」


「――…………」


 踏み留まった俺を振り返るアルヴィアのその表情に……俺は双眸を見開いた。


 おい……なんだよ、その顔は。


 笑うでもなく、困るでもなく、感情のひとつも浮かんでいない。


「……アルヴィア……」


 わかっていても、何故か口からこぼれたのは馬鹿で目出度い頭をした女騎士の名前。


「…………」


 しかし応えることもなく、そいつはチャキリと音を立てて両手剣を構えた。


「ちっ――魅惑されてんじゃねぇよ大馬鹿野郎がッ! あぁクソッ!」

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