灼熱の業火-エクスプロージョン-③

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「剣ッ、俺の剣! 寄越せ――ッ!」


 跳ね上がる右腕をぎゅっと握り締め、ただただ押さえ付ける。


 化膿した腹の傷が悪化しないよう調合された薬が酷い幻覚でも見せているのだろうか。


 それとも人には高すぎる熱が『彼』を狂わせてしまったのだろうか。


 アルヴィアは歯を食い縛って……必死で『彼』を押さえ続けた。


「死ぬんだ――こんなクソみたいな場所で……戦わなけりゃ死ぬんだ! 早くッ! 寄越せ、剣を寄越せぇ――ッ」


 うなされる『彼』は、ときに絶叫し、ときに暴れ、突然糸が切れたように眠るのを繰り返す。


 うわごとの殆どは命を賭けた駒たちを戦わせる娯楽――アガートの内容だ。


 それだけ……苦しみが『彼』のなかに刻まれているのだろう。 


 アルヴィアがいくら慰めようとも――きっと『彼』の心は少しも軽くはならない。


 だからせめて、その体が少しでも早く回復するようにと……アルヴィアは寝る間を惜しんで『彼』に付き添っていた。


 ――そもそもがアルヴィアの失態だ。


 アルヴィアによって傷を受けた『彼』は……それでもアルヴィアを庇った。


 思い返せば髪を掴まれて引き寄せられるのは不本意だったが、それでも確かにアルヴィアを庇ったのだ。


 龍の口から放たれた灼熱の業火はめちゃくちゃにあたりを焼き焦がしたが、エルフ族の魔法が炸裂していたことで軌道が逸れ、アルヴィアは助かった。


 けれど己の下で意識を失った『彼』は……それから一度たりとも『アガートラー』としての自分を取り戻さない。


 ――いや、正確には『彼』こそがかつての戦場で生き抜こうと足掻いてきたアガートラーそのものかもしれない。


 そのとき、少しだけ落ち着いていた『彼』が再び腕を持ち上げようとして叫んだ。


「死にたくない。死にたくない。死にたくない。……だから、だから、俺の代わりに――お前が死んでくれれば――ッ!」


 その台詞にアルヴィアははっと目を瞠る。


「……クソ。どうして…………どうしてこんなことしなきゃならないんだよ……」


 つ――、と。


『彼』のまなじりからこぼれた雫がこめかみへと流れて線を描く。


 振り上げられた拳がぱたりと落ちて……アルヴィアはぎゅっと瞼を閉じる。


「……大丈夫ですアガートラー……誰も貴公をとがめたりしません……誰も……」


 安心させたい、そう思った。


 けれど――。


「……そりゃそうだ……。こんな肥溜めで……真っ暗で、ひとりで、誰もいない……誰が俺を咎めるってんだ?」


「――! アガートラー? 気が付いたのですか?」


「それならいっそ咎めてくれよ。誰か……誰でもいい。こんな場所で……ひとりで朽ちるなんて……嫌だ」


 ……意識が戻ったわけではないらしい。


 慰めにとかけた言葉は間違っていたのだと気付いて――アルヴィアは胸が潰れそうな思いでその手を握る。


 いまも……ともに戦っていたあいだも、もしかしたら……『彼』はずっとひとりだったのだろうか。


「……そんなの、つらいです。アガートラー……もう、貴公はひとりではありません……仲間がいる。貴公は自由になったのです」


 知らず涙がこぼれ、『彼』の指先で跳ねる。


 アルヴィアはその手に額を当て、声を押し殺して泣いた。


 ――やがて『彼』が再び言葉を紡いだ。


「…………勇者なんていなけりゃよかった」


「え?」


「勇者なんてのがいたから――あんな肥溜めで生きなきゃならなかった」


 ああ、と。


 ため息のような、吐息のような、そんなものがアルヴィアからこぼれる。


「貴公は勇者様が憎かったんですね……」


「……あぁそうさ。だから魔族のクソどもは俺が×○△※してやるんだよ。二度と勇者なんてのが出てきてたまるか」


「――やはり貴公は優しいですね、勇者様のように苦しむ者が二度と現れないようにという気概――賞賛に値します」


「言ってろ。魅惑なんかされる大馬鹿者だって二度と御免だ」


「えっ⁉」


 顔を上げたアルヴィアは目を閉じている『彼』をまじまじと見詰めた。


 長い睫毛が頬に影を落としている。それでも『彼』の顔立ちは誰が見ても美しい芸術品のようだ。


 その瞼が微かに震え……ゆっくりと持ち上がる。


 飴色の瞳がアルヴィアに向けられ……乾いた唇からため息がこぼれた。


「起きたのですか、アガートラー……」


「……起きたもクソもあるか。隣で延々話し掛けてきやがって……うるさいったらない……」


「えぇっ! さ、さっきの会話も全部覚えているんですか? で、ではあの涙は……?」


「……涙? なんの、話……だ……」


『アガートラー』はそこまで言うとぷつりと意識を失ってしまう。


 アルヴィアは呆然と『アガートラー』を見詰めていたが……やがて顔を歪め、その指先に再び額を寄せる。


「貴公がそれで起きるのなら、話し掛けるのはやめないでおきます。だから……早く戻ってください」


 うわごとで本音をこぼしてくれるのなら、いまでないと聞けないこともあるだろう。


 ……それでも、早く。


 アルヴィアはそう思う。



 ――革命軍は……それほど大きな被害を受けていた。


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