信頼の証明-プロバティオディアボリカ-

信頼の証明-プロバティオディアボリカ-①

******


「爺さん、入るぞ」


 マイルに案内されておさの館の奥まで進み、俺は扉を叩きながら問答無用で開け放った。


 白を基調にした部屋は広く、磨かれた暗い色の木製テーブルを囲んでいた五人は各々が頭を上げて俺を見る。


「――アガートラーか! ようやくお目覚めかの!」


 ふぉふぉ、と笑うのは勿論革命軍総司令官――ジュダールの爺さんだ。


 その左隣から順に、今日も兜を被ったままの第一歩兵部隊を率いるヴィルマンテ。


 頭の右半分を殆ど包帯で覆っているのは第二歩兵部隊を率いるアントルテ。


 ちらと目を向けただけでそれ以上は俺を見ない斥候部隊を率いるバリス。


 ……最後は狼々族ろうろうぞくおさだ。


「――アントルテ、お前その顔はどうした?」


 部屋に入って早々に俺が聞くと、アントルテは残った左目を伏せて首を振った。


「炎にやられた。我が第二歩兵部隊は大きな被害を出してしまったんだ……」


「…………そうか」


 慰めなんざなんの役にも立たない。


 俺が頷くとヴィルマンテががちゃりと音を立てて腕を組む。


「俺のところもそう変わらない状況でな。ほぼ無事なのはアルヴィア率いる突撃部隊とバリス率いる斥候部隊、マールフィ率いる医療部隊だ。本隊の歩兵は勿論、エルフ族たちにも被害が出ている」


「外の様子で察しは付つくさ。それで? 次はどうするつもりだ?」


 そういやアルヴィアの部隊の名称は聞いてなかったが……突撃部隊とは恐れ入った。


 確かに先陣を切るとかそんな話をしたような気もするが、物騒な名前だな。


 ちらと見るとアルヴィアは色の戻りつつある唇を固く引き結んで沈痛な面持ちをしていた。


 ジュダールの爺さんは俺の質問に口髭を撫でると、ひと息挟んで口を開く。


「――それなんだがの。丁度斥候が戻ったのでな、策を練っていたところだ」


「内容は?」


 俺がテーブルを覗き込むと、そこにはこのあたり一帯と思われる地図が広げられていた。


「そう急かすでない。……逃げた魔族たちは北――魔王ヘルドールの城へと向かっているようだ。合流されるのはあまり得策ではなかろうな。そこで動ける部隊に逃げた魔族の追撃を命じようと考えておる」


「ハッ。いまからか? 追い付くにはかなりの距離があるだろうさ」


 ジュダールの爺さんに向かって俺が言うと、バリスが鼻を鳴らした。


「あっちもかなりの痛手を負っている。魔王ヘルドールの城との中間地点で大規模な野営を造り始めたところだ」


「……なるほど、移動が困難だったんですね。あのとき魔族の大半は武器も持っていませんでしたし……一度腰を落ち着ける必要があったのでしょう」


 アルヴィアが応えるとジュダールの爺さんは深々と頷いて口髭をもそもそさせながら続けた。


「そういうわけだ。――ただし魔王ヘルドールに助けを乞うために先行した者もいるだろう。時間がないのは確かだの」


「……」


 俺はそれを聞いて少し考え、小さく息を吸った。


「……なら出発はすぐだな? アルヴィア、鎧を用意してくれ」


 言いながら俺は爺さんに目を合わせる。


 爺さんはぴくりと眉を上げると――俺の意図を汲んで片目を瞑ってみせた。


「アガートラー、せっかく目が覚めたのだ。夜に顔を出すがよい。儀式の話もせねばならんからの、うまい酒をご馳走しよう」


「そりゃいいな。楽しみにしておくさ。……行くぞアルヴィア」


「え、貴公、お酒はまだ体に障るのでは……えっ、お、押さないでください! ……わかりました、わかりましたから!」


 俺はアルヴィアを部屋の外に押し出し、黙って控えていたマイルと擦れ違い様にほかには聞こえないように囁いた。


「――マイル、夜にお前も来い。話がある」


******


 無駄に心配して「やはり一緒に」とのたまうアルヴィアを置いて、俺は白い月夜をひとりおさの館へと向かう。


 鎧はすっかり新調されていたが、腹に隙間がないように胴回りの防具を足すことにした。


 さらにはエルフ族の魔法が施されて以前より軽くなったため、足取りは随分と軽い。


 俺が歩いているのは町の入口付近――革命軍のテントが並ぶ場所だ。


 あちこちに寝ずの番をする革命軍の姿があり、松明や篝火が夜闇に火の粉を散らす。


 ――傷を負い生死を彷徨う者たちの呻き声が微かに聞こえるたび、俺は暗い牢獄を思い出してかぶりを振った。


 死ぬつもりも隷属に戻るつもりもない。俺は生きるために戦うんだからな。


 そうしてテントのあいだを縫うように進むと、おさの館の前ではすでにマイルが待っていた。


「アガートラー。一体どうしたんだ? ……アルヴィア殿はいないのか?」


「お前に話す必要があるってだけさ。行くぞ」


 俺はさっさとおさの館に踏み入り、爺さんの待つ大きな部屋へと向かう。


 天井から吊されたたくさんのランプには火が灯されていて、俺とマイルの影が白い壁に躍っていた。


 ――扉を開ければ窓際に悠々と立つ革命軍総司令官の姿。


「爺さん、手間取らせて悪かったな」


「ふぉふぉ、お主から悪かったなどと言われるとは。アルヴィアが聞いたら目玉を落とすだろうの」


 振り向いたジュダールの爺さんは言葉どおりいつもの酒をテーブルに用意していた。


 俺は盛大に鼻を鳴らしてマイルを促し、さっさと椅子に座る。


「――こ、これは?」


 困惑するマイルを余所に俺は手元の水筒を取り、栓をポンと抜いた。


「たしか……こうやって吞み始めるんだったか? 革命軍総司令官殿に乾杯」


「ふぉふぉ。いいのう」


「どういうことだ? …………か、乾杯……!」


 マイルは顔に疑問符を貼り付けながら、爺さんが水筒を掲げたのを見て慌てて倣う。


 俺は果物の濃厚な甘さと香りが溶け込んだ酒をゆっくりとひとくち呑み下し……ふうと息を吐く。


「……それで爺さん。あの儀式ってのがなんだかわかったのか?」


「うむ。少しざっくりとした説明にはなるが……」


 爺さんは美味そうにぷはりと息を吐いて口元を拭った。


◇◇◇


 エルフ族は自分たちの領地を守るため、魔法で『結界』というものを築く。


 これは悪意あるものを領地……つまり森に入れないようにするためのものでな。


 その『結界』を無理矢理通れる者もいるが、その瞬間、エルフ族たちにはそれがわかるようになっているのだ。


 ……さて、これと似たようなものがあの魔族の町では造られていた。


 誰もが入れるが特殊な――そうだの、魔法領域……とでもいうか。


 その魔法領域が築かれていたのだ。


 紅い月があったろう? あれは魔法領域でのみ見える邪悪な月だった、といえばその規模の大きさが伝わるだろう。


 魔法領域で行われていたのは、にえを犠牲に魔族たちの力を強化する儀式と考えて間違いなさそうだ。


 あの釜は魔法の源のようなもので満たされていて、そこににえを落とし最終的には喰らう――そういった類だろうの。


 それとアルヴィアから聞いたが、魔族の女が儀式は『百年に一度』と言っていたそうだのう。


 つまり前回は勇者が敗れた頃に行われたことになる。


 それからあの領域を再び築くまでに百年を要すると考えればかなり重要な儀式のはず。


 妨害できたとなれば革命軍にとってかなり有利に働くだろうの。


◇◇◇


 俺はそこで酒を煽った爺さんを見ながら、すっかり髭のなくなった顎を擦った。


「ふん。確かに釜から浮き上がった球を喰った魔族は角が大きくなった――成長していたんだろうさ。魔族が何歳まで生きるかは知らないが、強くなるのを阻止できたってんなら御の字だろ」


「ふむ」


 爺さんは酒をじっくり堪能してから再び話し出した。


「……それなんだがの。お主、どうして魔族は『人族と同じ言葉を話す』と思う?」


「……は?」


 唐突な質問だった。


 思わず聞き返す俺に爺さんは水筒を指先で擦って意味深に間を開ける。


 酷く嫌な予感が胃を這い上がってくるのに耐えながら俺は眉を寄せた。


「……ここのおさにも確認した。魔族は百年前、勇者の時代からすでに人族の言葉を話していたそうでの。……あの儀式、儂は人族が魔族に変わるためのものではないか? ……と疑っておる」


 そこめマイルがごくりと喉を鳴らす。


「なんだって? では、あの者たちは……人族だったと? いや……いや、しかし俺たち狼々族ろうろうぞくやエルフ族だって人族の言葉を話すだろう――」


 爺さんはそれに二度頷くと付け加えた。 


「エルフ族にはエルフ語があり、お主たち狼々族ろうろうぞくにも狼の言葉があったそうだ。人族の言葉はそもそも三種族にとって交流のための共通語だった。……これもおさに確認済みでの」


 そこで冷めた蒼色の目を俺に真っ直ぐ向け、爺さんは一言一句をゆっくりと紡ぎ出す。


「人族が魔族となり豊かな土地に住んでいた者を襲った――かもしれんという話だ。真実は……そうだのう、魔王ヘルドールにでも聞くべきかもしれぬ。――さて、それを行うのに誰が適任かの?」


 ……俺はその視線を真っ正面から受け止め、息を吸った。


 まったく、食えない爺さんだって話さ。


 俺がなにを話しにきたのか……最初からわかっていたとでも言うつもりかもな。


「ふん。ほかに誰がいるってんだ? ――魔王ヘルドール俺と・・話をする気になれば聞いてやるさ」


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