革命の『アガートラー』②

******


「……嫌……嫌ですッ! アガートラーッ! どうしてですか――どうしてッ!」


 閉じられたあぎとがどぷんと音を立てて釜へと堕ちる。


 アルヴィアは巨大な黒い釜の縁へと駆け寄り膝を突いてボコボコと気泡を弾けさせる液体の表面を食い入るように見守った。


「上がってきて……上がってきてください……アガートラー、アガートラーッ!」


 口は悪いけれど本当は優しいことをアルヴィアは知っている。


 褒めても文句しか言わないが……それは照れ隠しだとアルヴィアはわかっている。


 それでもまだ……この先もっと彼を知ることになるのだと――アルヴィアは信じて疑っていなかった。


 魔王ヘルドールを討ち、広い世界をともに生きるのだと思っていた。


 ――それなのに。


 女性ですら息を呑む美しい横顔も、アルヴィアとはまったく違う鳶色の髪も、飴色の瞳も、なにもかもが呑まれてしまった。


 酷い臭いが鼻を突くことにいつのまにか慣れてしまっていたアルヴィアは、震える指先を釜の縁に掛け首を振る。


 頬からこぼれた血が弾けて散るのも拭わず、アルヴィアは目の奥が熱くなって視界が滲むのを必死に堪えた。


「なにが『悪かったな』ですか……。死ぬつもりはないと言っていたじゃないですか……。あ……また欺そうとしているんですね? ……欺されてなんかあげませんよ。だから早く――早く上がってきてください………ねぇ、アガートラー……」


 白銀の鎧を纏う騎士の呼び声は紅い月の見下ろす世界を虚しく漂い……消えていく。


 応える声は――なかった。


******


 ――人族の王に裏切られた勇者は残された民を守ろうとして城に残った。


 残された民とは即ち――動くことのままならない年配者、身寄りのない子供たち、そしてそれを残すことをよしとしなかった正義感を持つ者たちだ。


 魔王ヘルドールは城に攻め入る際に投降を勧め、魔族の始祖たちが遣いとして勇者のところへとやってきた。


 魔族の始祖たちは己がもとは人族だったこと、酷い迫害により住む場所を追われたこと、恐ろしい儀式によって魔族となったことを語り――勇者の秘薬がその儀式の研究における副産物であることを語る。


 どう足掻いても勝てないのだから投降しろと言う魔族を、しかし勇者は撥ね除けた。


『それでも僕は戦う――諦めるわけにはいかない』


 静かに告げた勇者に……仲間は哀しそうに笑うばかり。


 この絶望的な状況下で生き残ることを諦めていたのだ。


 あとはただ、名誉のために。


 あとはただ、華々しく散るために。


『勇者の君が戦うなら最期までともに』


 勇者とその仲間は戦うことを選んだ。


 ――けれど。いや、当然というべきか。


 結局そう誓ってくれた仲間も呆気なく命を散らし――勇者は枷を嵌められて繋がれた。


 彼の目の前で行われたのは紅い月が見下ろす儀式。


 にえとして連れてこられた人族が、ひとり……またひとりと釜に落とされていく。


『やめろ魔王ヘルドールッ、やめろ! やめてくれ……やめてくれえぇ――ッ!』


 釜から産まれる赤黒い球を美味そうに喰らう魔王ヘルドールに勇者は泣き叫んで声が枯れるほど懇願したが、魔王ヘルドールは容赦しなかった。


 酷い絶望が怒りと憎しみに変わり、どす黒い感情になって勇者の身を焦がす。


 ……だから勇者は。


 最後の最後、自分がにえとして釜に落とされるその瞬間――どす黒い感情すべてを吐き出して地面を蹴った。


『消えろ……消えろッ! この世界から消えろおぉ――ッ!』


 最後の最後で魔王ヘルドールは傲った。


 己を過信して勇者を侮った。


 ふたりは縺れあいながら――釜へと堕ちていった。


******


 ――どういうわけか見えた光景は間違いなく勇者の……アガートの記憶だろう。


「ハッ……夢にしちゃ生々しいもんだな」


 こぼして瞼を持ち上げた俺の正面、アガートは両腕をだらりと垂らし静かに立っていた。


 冷え切った感情そのままの無表情でどこを見ているのかわからないが、俺を攻撃するつもりもないようだ。


 俺は自分が立っている場所をゆっくりと見回した。 


 灰色の石の板を敷き詰めた円形の広場。


 それ以外は虚無の世界。


 奇しくも俺が生き抜いてきた戦場によく似た場所ってもんさ。


「百年前――あんたも魔王ヘルドールと一緒に堕ちたんだな」


 言うとアガートは瞬きをひとつ挟んで顔を上げ、こっちを見た。


「……最悪の気分だよ。またこんな場所に堕とされるなんてね」


 俺の体を穿っていたはずの剣はなく、それどころか傷も残っちゃいない。


 アガートも同じ。銀の髪を割って生える紅い角に刻んだはずの傷が消えている。


 纏っているのは服だけ、武器も防具もどこにも見当たらない。


 質素な白い長袖のシャツに細身の黒いパンツ。茶色い革のブーツを履いたアガートは俺に向き直ると肩を竦めてみせた。


「二度と見たくない場所だよ、本当に」


「……で? ここが最終決戦の戦場ってか?」


 俺の言葉にアガートはふんと鼻を鳴らす。


「そうなる。これは予想だけど――ここは精神だけがかたどられる場所なんだと思う。……勝つか負けるか……貴公の大好きな『アガート』の世界と同じだよ。アガートラー」


「ハッ。勝手なこと言うなってんだ。誰があんなクソみたいな肥溜めの娯楽を好きになるかって話さ」


「……その割に貴公は戦いに飢えているじゃないか。クソオークを屠ったときの高揚感――忘れられないのだろう?」


「……あ?」


 アガートの言葉に俺はぴくりと眉を寄せる。


 俺はそんな話をした覚えはない――こいつにも俺の記憶の断片が見えたのか?


「僕を倒そうとしたのも戦いを欲していたからで、僕に対する恨みも戦いに明け暮れるための理由だ」


「…………」


 アガートは最初に俺を見たときのようにつまらなそうな顔で小さくため息を挟むと、無言の俺に続ける。


「貴公は誰かの命を貪りたいだけ――僕を屠ることで得られる高揚感は格別かもしれないね。――ふ、僕より酷い……歪んだ目的だね」


「……うるせぇよ。黙れ」


 俺は肩を回し、ふうと息を吐いた。


「――アガート。俺はあんたみたいなクソ野郎を○※△×してやりたくて堪らないんだよ。歪んでようがいまさら知ったことじゃない」


 アガートはそれを聞くと手を握ったり開いたりしながら薄い唇に笑みを浮かべる。


「僕を倒したとして、貴公になにが残る? 望むのは混沌――そうなんだろうアガートラー? さすが……僕の名を冠する駒だよ」


 俺は足を前後に開き、腰を落とした。


「ハッ。そうかもな……だからこそ俺みたいな奴はこの先必要ない。あとはあのお人好しの星――あんたと違って生きることを諦めはしない、あんたの本当の子孫が継ぐってもんさ」


 アガートはそれを聞くと一瞬だけ双眸を瞠り……ゆっくりと伏せた。


「まったく……貴公が子孫だったほうが僕には似合っていたかな」


「ふん。一緒にするんじゃねぇよ――さあ、アガート。決着といこうじゃないか」


 いまさらなにを言われたってやることは変わらない。


 俺は俺のために――肥溜めのような酷い臭いの塊――この世界を終わらせる。


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