革命の『アガートラー』③

「そうだね――貴公とは戦わなければならない運命だったのかもしれない。僕がこの先の平和を望むための最後の障害だ」


 両手を上げて構えたアガートは右の手のひらを上に向けて伸ばし、人さし指を曲げてみせた。


 ちっ、余裕綽々な顔しやがって。


 俺は右足で石の床を蹴り抜き、思いっ切り右腕を振り抜く。


 まずは小手調べだってもんさ!


 アガートは上半身を小さく振ってそれを躱し、反撃とばかりに右の一発をぶち込んでくる。


 俺はそれを左の手のひらで受け止め、後ろに引いていなしながらアガートの右足に自分の右足を寄せるようにして踏み込み、突き出していた右腕をアガートの首に回そうとした。


 そのままぶん投げてやるつもりだったが……瞬間、目の前に突き出された紅い角に舌打ちをして反対にアガートを突き飛ばす。


「クソ、邪魔くさい角だな!」


「使えるものは使うべきだろう?」


 にやりと笑みを浮かべたアガートは今度は自分から踏み込んでくる。


 右腕が振り抜かれ、俺が躱したところに繰り出されたのは左足だ。


「――シッ!」


 鋭く息を吐くアガートの一撃は上半身を引いた俺の髪を掠めていく。


 俺は焦りを隠して笑ってみせた。


「へえ、あんた剣だけじゃないんだなッ!」


「戦場では体術も重要だからね――ッ!」


 アガートはそのままくるりと体を回し、次は右足が襲ってくる。


 俺は腰を落とし躱したあとで攻撃に転じ、右腕を振り抜いた。


「おぉ――ッ!」


 けれどアガートも負けちゃいない。


 振り抜いた右足を突くと俺と同じように右腕を突き込んでくる。


 ガッ……!


 互いが互いの頬を捉える一撃。


 揺さぶられた脳味噌に踏鞴を踏んで、次は左腕を突き込む。


 今度は互いの腹を捉えた拳が息を詰まらせ、俺は間近で合わせたアガートの目にギラギラとした光を見た。


 ――体中が戦えと叫ぶ。


 負けたら死ぬんだと心が奮い立つ。


 するとアガートは銀髪を弾ませて笑った。


「っ、は! 戦ってばかりで疲れたろうアガートラー! 諦めたらどうだい、僕には勝てない!」


「うるせぇよッ!」


 ――確かに戦ってばっかりのクソみたいな生き方だった。


 それでも生きるために足掻いてきた。諦めたことはない。


 ――いまもだ。


 だから俺はありったけの思いを込めて口にした。


「あんたは一度諦めたッ! 俺のように隷属になった奴らを切り捨てたッ! そんな奴に負けられるかってんだ――ッ」


 死にたくない、死にたくない、死にたくない。


 いまこの瞬間、逃げ場なんざないのはわかっている。


 ……けどな! もし逃げ場があっても誰が退くかって話さッ!


 ここは……ここだけは譲れない場所だッ!


「おおぉッ」


 気合を吐き出して再び右腕を振り抜く。


 アガートの左腕が交錯し、互いの顎を打つ。


「ぐっ……」


「は……っ」


 俺とアガートは呻いたが――それでも互いに目を逸らすことなく次の一撃を繰り出した。


「クソ勇者のせいで俺は肥溜めに産まれたッ……四肢を分かたれたってんだから大馬鹿者だと思ってたッ……けどな、真実はもっとクソだ!」


「黙ることだね! 貴公になにがわかる? 勇者として戦い裏切られたこの僕が感じた絶望はそんなもんじゃないッ!」


 ガッ……!


 拳と拳がぶつかり、肘から肩へとビリビリした衝撃が奔っていく。


「ハッ! なにが絶望だ! 産まれてからずっと幸せに生きてきたんだろうがッ! アルヴィアの言葉を聞いてなかったのか? てめぇの理由は薄っぺらいんだよッ!」


「裏切られたこともない人族がなにを言うッ! 勇者として立った僕の背負う責任は貴公にはわからないんだよッ!」


 俺たちは両腕を掴み合い、真っ正面から睨み合う。


 相容れない存在。


 どう足掻いてもともに生きる道はない。


「なら最期までその責任を取れよアガートッ……お前は俺たち隷属を解放する側に立てたはずだろうがッ! 俺たちはお前を裏切った王族じゃないってのにとち狂ってんじゃねぇよッ!」


「……ッ」


 アガートの冷めた蒼色の瞳が不快そうに眇められる。


 こいつはすべてを諦めただけ。


 こいつはただ傍観すると決めただけ。


 だってのに……どこかアルヴィアを思い起こさせる後悔の念がその表情に浮かぶのは酷く不愉快だ。


 やり場のない怒りは、憎しみは、俺の内側でこれでもかと燃え上がり――すべてを焼いていく。


 クソがッ、いまさらそんな顔したって遅いんだよッ!


「――二度とそんなつら見せんな×○△※がッ!」


 俺はありったけの声で吐き出しながら額を思い切りアガートに叩きつけた。


「ぐはッ……」


 仰け反るアガートの額が割れ、鮮血が散る。


 鬩ぎ合っていた腕を振り払い踏み込んで……俺は体を大きく回して右足を振り抜いた。


「ぶっ倒れろ――ッ!」


 無防備になったアガートの左側頭部の角――俺の足は確実にアガートを捉え、勢いそのままに石の床に叩きつけた。


「ハッ! 俺の勝ちだこの×○※△がッ!」


 跳ねたアガートは上半身を起こそうと両腕を突いたが……そのまま崩れるように突っ伏す。


「…………」


 何度も瞬かれる瞼。


 なんとか右肘を突いて俺を視界に捉えようとするが、アガートの視点が合っていない。


「……は、はは」


 やがてその口から乾いた笑いがこぼれた。


「はは……ははは……」


 アガートは笑いながらごろりと仰向けになると――虚無の空を見上げたままで唇を震わせる。


「僕だって普通に生きたかったさ……妻と子供と……幸せに生きたかった――勇者になんてなりたくなかった……それでも王を守るために戦うしかなかった……」


「……」


 軋む体に鞭打って近付き黙って見下ろす俺には目もくれず、アガートは冷めた蒼色の瞳に涙を浮かべた。


「はは……その結果がこれだ……子孫からも拒絶されて……ただひとり……この虚無に溶ける……ははは」


 その涙が目尻からこぼれてこめかみに吸い込まれる頃には……その体は掠れてぼやけていた。


「はは……はははっ……」


「――おい、アガート。ひとつ教えろ。……お前、どうして魔族と共存する道を選んだ?」


 俺が聞くと……アガートは眉を寄せた。


 揺れていた視界に俺が映ると……勇者は馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「そんなの――裏切られたことのない奴にはわからない。……アガートラー、僕の名を冠する駒……貴公は混沌を行くのだろうね……」


 姿が歪み、掠れ、消えるそのとき……アガートは小さく付け足した。


「――魔族とて人。魔王さえも。ただそれだけだよ」



 その声を最期に――勇者は溶けた。


 遺されたのは虚無。


 高揚感なんてのが湧くはずもなく、ただ虚しいだけの世界。


「……ハッ。なにが僕の名を冠する駒だ――俺は混沌なんか望まないって話さ……」


 呟いた声は誰にも届くことなく……真っ暗な闇に消えていった。

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