革命の『アガートラー』④

 とはいえ……相当やられちまったか……。


 俺はその場に倒れ込んで仰向けにひっくり返った。


 ぶん殴られた頬が腫れて熱を持っている。


 腹も痛いが……フィードなら言い当てただろうな。


 考えて自嘲する。


 虚無の闇が広がるなかでただひとり――勝ったはいいがどうしろってんだ?


 この体が『精神を象ったもの』だとしたら俺の本体は腹をぶち抜かれて死んでる可能性もあるけどな。


 いや、そもそもがあの液体に喰われたあとか――。


 すると……右のほうからゴポリと音がした。


 顔だけ向けると……石の板の端からくだんの赤黒い液体が上ってくるのが見える。


「……なんだよ、ここでも俺を喰うつもりか?」


 口にすると赤黒い液体はゴポポと跳ねた。


 ハッ、笑ってやがるのか?


 円形の石の台が端からゆっくりと液体に呑まれていくなか、俺は転がったままでため息をついた。


 クソ。さすがにもう動けやしない。


 じわじわと俺に迫ってくるこの液体がなんなのか結局のところわからずじまいだ。


 それでもひとつ言えるとすればどうやらこいつは『生きている』らしいってことか。


 ――神の世界ににえを送る神聖なもの。


 一回は喰われてやったんだ、二度目はないってなもんさ。


「ち。俺をもとの場所に戻しにきたんだろうな?」


 言うと――液体がぐわりとせり上がり、酷い臭いが鼻を突き抜ける。


 汗と皮脂と血と。汚泥と糞尿と。


 俺の大嫌いなあの――肥溜めの臭い。


 顔を顰めた俺の上で液体からゆっくりと伸びてきた腕のようなものが何本も連なっていく。


 その先が指のように枝分かれし、手のひらと手のひらが幾重にも向かい合う。


 やがてそこには――赤黒い球ができあがっていた。


「……ああ」


 そういや勇者は魔王ヘルドールを喰ったって話だったな。


「そいつがアガートか……」


 呟くとその球が顔の前にぐいと寄せられる。


「――喰ったら戻れるのか?」


 聞くと赤黒い液体がゴポリと気泡を弾けさせた。


「……」


 喰うか、喰わないか。


 生きるか、死ぬか。


 俺は瞼をゆるりと瞬き……唇を噛む。


 ――生きるために足掻いてきた。諦めたことはない。


 そうだな、俺はもう……とっくに他人の命を犠牲にしたその上に生きている。



******



 応える声は――なかった。


 ただ……赤黒い液体だけはアルヴィアの言葉を聞いていたのだろう。


 ゴポリ。


 大きく波打つ水面にアルヴィアは顔を上げる。


 長いようで短い、ほんの僅かな時間。


 アルヴィアは揺らめく水面をぼうと見詰めていた。


 ――そして。


「あ…………」


 ズオォ、と。


 せり上がってきたのは巨大な球。


 表面では赤黒い液体が渦を巻き、気泡が弾けて蒸気のような白い空気を生み出す。


 それは揺らめきながら浮き上がり、震えるアルヴィアのすぐ横まできたところで――。



 ばしゃあっ――



 突然、血を撒き散らすかの如く弾け散った。


「がっ……は、オエッ……」


 そこから産み落とされた男は固い岩の床を跳ね、両腕を突いて上半身を起こす。


 アルヴィアはまるで血濡れの胎児のような一糸纏わぬ格好をした男に――目を瞠った。


 張り付いた髪は鳶色とびいろ


 顔を拭いながら眇められた目は飴色あめいろ


 ただひとつ違うのは……その濡れた髪を割って生える蜷局を巻いた二本の『黒い角』――。


「げほっ……ごほっ、あぁクソッ、なんだこりゃ――」


「――あ……アガートラーッ!」


「……ぐっ、おあっ⁉」


 それでも迷うことはなく――アルヴィアは思わず飛び付いていた。


 目の奥が熱い。


 鼻の奥が痛い。


 ――そんなアルヴィアの思いなどつゆ知らず。


 勢いそのままに再び地面に打ち付けられた男は……盛大に文句を吐き出した。


「クソッ、退けアルヴィア! 重いんだよッ、甲冑で飛び掛かる馬鹿がどこにいる!」



******



 ――勇者は四肢を分かたれて敗北した。


 ――魔王はその百年後、勇者の子孫である星たちが率いる革命軍によって討伐された。


 ――魔族は新たな王を立て、人族とともに生きる術を模索することになった。


 ――まだ同意しない魔族たちも多いなか、革命軍を率いる星は新たな魔王とともに交渉を続けているという。


 ――我らの平和は新たな魔王と星たちとともに。



 ポロン、と奏でられた楽器に耳を傾け、俺はグラスに注がれた黄金色の酒を口に含んでふんと鼻を鳴らす。


 隣に座る甲冑の騎士は兜を置き、艶めく銀の髪を左手で払った。


「ふふ。新たな魔王ですって。すごい肩書きですね」


 その冷めた蒼色の目が細められ、長い睫毛が柔らかな頬に影を落とす。


「なにが魔王だ、クソが。うれしいと思うか?」


「じゃあ兄さん、俺が話を変えてもらってきます」


 俺が吐き捨てると、騎士の向こうにいた少年がにやりと笑って駄賃片手に語り部のもとへと向かう。


 ――小さな酒場には俺たちと数人の人族、魔族がともに座していた。


 ランプの灯火が静かに揺れる薄暗い空間は嫌いじゃないが……どうも慣れないってもんさ。


 ……龍に焼かれた爪痕がまだ残っている町。


 それでも復興されつつあるこの場所には人族と魔族……さらには狼々族ろうろうぞくまでいるときたもんだ。


 しかもどいつもこいつも勝手なことばかり言いやがる。


 このおかしな詩だってそのひとつだった。


「……貴公は勇者様が――アガートが魔王だったことは指摘しないんですね。それどころか誰にもその話をしていないでしょう?」


 フィードを見送ってアルヴィアが小さく言うのに、俺は横目でそっちを見てから口元を拭った。


「お前だってそうしてるだろうが。――べつにいいだろ。これ以上あいつになにかを背負わせなくたって」


「……はい。間違った形でも……平和を願っていたのは確かですものね」


「そうじゃない。あいつだけが・・・これ以上咎められるってのはおかしな話だってことさ。俺がここにいるのだって――あいつを喰ったからだしな。咎められるなら俺も同じだろ」


 ――俺はあのとき赤黒い液体が差し出す球を受け入れた。


 誰かを喰らうなんざ胸クソ悪い話だろう。


 俺はそれでも生きることを選んだってわけだ。


 ――するとアルヴィアは一瞬だけ目を瞠り……微笑んで胸元に右手を当てる。


「……それなら安心してください。私が貴公を咎め続けます――ほかの誰がしなくても。……ほら私の顔、勇者様に似ていると思いませんか? だから忘れないはずです! ……アガートラー。貴公はひとりではありません。自由です――忘れないでください」


「……あ?」


 正直なところ面食らった。


 まさかアルヴィアから『咎めてやる』と言われるとは思わなかったからな。


 ……ま、それも悪くない。むしろ俺にはそっちが合うってもんさ。


「――ハッ。相変わらず目出度い頭してやがるな……」


「ふふ。貴公ほどではありません」



 ポロロン……


 そこで再び楽器が奏でられ、語り部の女はゆっくりと謳いだした。



 ――革命軍が開放したアガートラー。


 ――命を賭けた戦場、アガートの戦士。


 ――いくつもの戦場を駆け抜け、その姿は勇者にも劣らぬものだった。



「……はぁ。おいフィード、お前ふざけんな。なんでこんな話にするんだよ馬鹿か」


 戻ってきたところにそう言ってやると、フィードは両手を頭の後ろで組んで歯を見せる。


「へへ、俺は好きですよこの話! 最近すごく人気なんだって語り部も言ってました!」


「私も好きですよ、この話」


「ちっ、お前も勝手なこと言うんじゃねぇよアルヴィア」


 俺は残っていた酒を飲み干して次の酒を頼む。



 ――彼の者なくして革命は果たせず。


 ――ひとは彼の者をこう呼び讃える。


 ――革命のアガートラー、勝利をもたらす勇者の生まれ変わりと。



「ふん。勇者なんてクソくらえってんだ、誰が生まれ変わりだよ。――ちっ。こんな邪魔な角いますぐ捨ててやりたいってもんさ!」


 文句を吐くとアルヴィアはくすくすと笑った。


「その方法も探してあげますよ。――落ち着いたら新しい名前も贈りたいところですが……最近は少し……革命のアガートラーというのも捨てがたい気がしてきました」


 俺はその言葉に盛大にため息をこぼし、アルヴィアに言った。


「……なにが革命のアガートラーだ! ふざけんな!」



 ~Fin~


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革命の『アガートラー』 @kanade1122

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