異形の儀式-カノナス-⑩

 ガロンは狼々族ろうろうぞくおさに任せ、俺たちは翌日出発した。


 マイルは項垂れるガロンをどこか厳しい顔付きで見ていたが――声を掛けることはなかった。


 道中では、七人のにえについてアルヴィアが何度も説明してきたが知ったことじゃない。


 それはお前の仕事だろって話さ。


「とにかく。少し早めに目的を達成できましたから、まだ時間があります。早く本隊と合流して一気に魔族を叩きましょう」


 アルヴィアはそう言って俺を振り返る。


 いま俺たちの視界に広がっているのは俺の腰まである背の高い草が生えた草原だ。


 濃い草の匂いが肺を満たすその場所を、先頭のマイルが槍でざくざくと切り拓いていく。


 昼は過ぎた頃合いだが、狼々族ろうろうぞくの町で調達した乾肉を噛みながら歩き続け、水はできるだけ温存するよう心掛けている。


 今日はこの鬱陶しい場所を抜ける予定だからな……ゆっくりもしていられないってわけだ。


「あはは。まさか道がないとは思いませんでした」


「俺たちはほかの種族と交流がなかったからな」


 俺の前、アルヴィアの後ろにいるフィードが笑うと、先頭のマイルは耳だけを器用に動かして言った。


「川に橋があっただろ。あれはお前らじゃないのか?」


「確かにあれは俺たち狼々族ろうろうぞくの橋だ。川には水を汲みにいくからな。……こっちは水もないうえに獲物もあまりいないんだ。山のほうがいい肉が獲れる」


 聞いた俺にさらに返したマイルが上下に尾を振る。


 癖なのか意味があるのかは知らないが、マイルは時折そうやって尾を振ることがあった。


 その度にアルヴィアの頭が一緒に動くのに見飽きた俺はため息をついて口を開く。


「……おいアルヴィア」


「はい?」


「握ってみりゃいいじゃねぇか。鬱陶しいな……」


「――えっ、な、なんの話ですかアガートラー」


「アルヴィア様、ずっとマイルさんの尻尾を眺めてますもんね」


「……俺の尻尾?」


 フィードが笑いを堪えたような声で告げ、マイルがとうとう手を止めて体ごと振り返る。


「お前もその尻尾、急所なら隠しておけよ。甲冑どもはそうしてたろ」


「む。尾が急所だと話してあったか?」


「急所⁉ そんなの掴めるわけないじゃないですか!」


「――お前馬鹿か?」


 俺が呆れると、アルヴィアは口を押さえて前を向く。


 マイルは…………なにを思ったのか笑った。


「ふふ、触るくらいなら構わないぞアルヴィア殿。尾は我ら狼々族ろうろうぞくの自慢だからな。確かに急所だが、出しているほうが動きやすいんだ」


「いいんですかマイルさん⁉ で、では……!」


「俺も触りたいです」


 説明そっちのけでアルヴィアが手を伸ばすのに、フィードが嬉々として追随する。


 俺はため息を吐き出して首を振った。


「はぁ……クソが。こんなお遊びがしたいわけじゃないって話さ」


「――心の休息は必要です。いざというときに判断を誤らないために」


「毛に頬ずりしながら真面目に言う台詞じゃないだろうが」


 言い切るアルヴィアに返したが……マイルは己の尾に群がる馬鹿どもを見て満足げな顔をしている。


 どいつもこいつも。


 俺は少し雲行きの怪しい空を見上げ、もう一度ため息をついた。


******


「向こうから人族の匂いがする」


 一週間後、目的の町を見下ろす高台でマイルが空気の匂いを確かめて言った。


「革命軍の本隊かもしれませんね。町を確認してから移動してみましょう」


 アルヴィアが応えたのを聞きながら、俺は視線をめぐらせる。


 眼下に広がるのは巨大な水溜まり――それが湖ってやつらしい。その岸辺には大きな町がひとつ横たわっていた。


 すでに夕方だ。革命軍と合流できるなら夜には攻められるかもしれない。


 それこそ俺の望むところだ……待ってろよクソども。


 俺は生い茂る草と低木のあいだに腹這いになって唇を湿らせ、じっと町を観察する。


 ――湖に沿うように横長に広がった町の中央付近には大きな塔があった。


 しかし気になったのはそれが目立つからってだけじゃない。


「アルヴィア、あの塔――やけにでかい窓があるだろ? 見えるか?」


「はい。――あれは……まさか」


「そのまさかだ。龍はあそこで飼われてるんじゃないか? あのでかい窓から出てる橋みたいな突起は龍が出入りするためだろうさ」


 隣で同じように腹這いになるアルヴィアが俺の言葉に小さく頷く。


「あの建物を遠くから破壊できれば龍を一網打尽にできるかもしれませんね」


「しかしあれほどの建物を壊すには相応の爆薬が必要では――?」


 マイルが訝しげな声を上げるが……エルフの魔法ってのがありゃいけるかもしれない。


「……それは本隊と合流して考えましょう。あとは儀式の場所がわかればいいのですが」


 アルヴィアもそう思っていたんだろう。それだけ言って目を凝らす。


「兄さん、なにか来ます!」


 そこで後ろを見張っていたフィードが鋭い声を上げた。


 ……!


 俺はアルヴィアの目立つ銀髪を隠すために咄嗟に腕を回して頭に覆い被さる。


 頭上を巨大な影が行き過ぎ、ブオン、と空気を裂く音がするのに少し遅れて、俺たちの後方から町のほうへと風が走り抜けていく。


 ザアアァ――ッ!


 茂みが一斉に音を立て、めちゃくちゃに掻き乱されたところで俺は思い切り舌打ちをした。


「……ちっ。龍だ。見られてはいないだろうが念のため移動するぞ」


 ――俺たちの頭上を行き過ぎたのは巨大な体躯を誇る紅蓮の龍。


 視線を外さずに体を退かすと、アルヴィアは伏せたまま唸った。


「……なんだよ」


「き、貴公に庇われるとは思わず……動揺しています」


「はぁ?」


 別に庇っちゃいないが――と言いかけたところで、マイルが低い声で呟いたのが聞こえた。


「あれが龍――か」


 その喉がごくりと上下に動き、灰色の目は町の塔へと舞い降りる龍に釘付けになっている。


 俺は上半身を起こして茶色がかった灰色の頭を見下ろした。


「ハッ、怖じ気づいたか?」


「――そうかもしれない……震えが止まらん。革命軍はあれを相手にするのか」


「真っ向からは無理だろうさ。俺だってそんなの御免だからな――あれはエルフ族の奴らに任せる。で? お前はどうする? 尻尾巻いて帰るか?」


「まさか。俺はナノを――連れ去られた七人を助けなければならない」


 返ってきた応えに俺は唇の端を吊り上げて笑う。


「言うじゃないか。……アルヴィア、フィード、行くぞ」


「俺が誇り高き狼々族ろうろうぞくの戦士であることをお前にもわからせる必要があるな」


 そう言いながら牙を見せて笑うマイルの鼻を頼りに、俺たちは高台から移動を開始した。


 儀式が行われる場所は特定できなかったが――町をまるごと征圧しちまえって話だろうさ。


******


 ……鼻が利くってのは間違いないらしいな。


 マイルが言うとおり、やがて木立のなかに身を潜める一部隊を見つけた。


 町からはまだ距離があるが、これ以上近づくのは危険と判断したんだろう。


「ほかの臭いはしない。大丈夫だ」


 マイルがふんふんと鼻を鳴らしたところで俺は腕を組む。


「……で、アルヴィア。あれはどこの部隊様だ?」


「あれは――斥候部隊では?」


「ちっ、バリスの部隊か……無視しちまうか」


「駄目ですよ。本隊の場所を確認したほうが早いですから」


 アルヴィアが眉を寄せるので俺は肩を竦めてみせる。


 ……そこで俺たちは警戒しながら部隊の後方に回り込んだ。


 何人潜んでいるかはわからないが、マイルの鼻がある程度正確な場所を示してくれるってのはありがたい。


 俺は木の幹に身を寄せている小柄な奴にそっと近付くと後ろから口を塞いだ。


「……ッ! ……、……!」


「後ろも見張っておけよ斥候。俺が敵なら狩られてるぞ。いいか、手は放してやるから静かにしろよ?」


「……は、あ、アガートラー様っ! ……失礼しました、後ろにも気を付けます」


 手を放すと頭に黒い布を巻いた斥候はそう言って胸を撫で下ろす。


 俺はその顔と声でそいつが女だと気付いた。


「アガートラー様? なんだそりゃ……様付けの駒なんざ馬鹿げてるだろうさ」


「その、よ、呼び捨てもどうかと思いまして……」


 斥候の女は言いながらも俺の顔を凝視している。


 ほうっとこぼれた吐息のあとで――女は流れるように呟いた。


「……アガートラー様……やはりお綺麗ですね」


「ぶん殴られたいのか?」 


「……ひっ、申し訳ありません!」


「アガートラー。仲間を脅すとは何事です? すみません、大丈夫ですか? ……バリスはいますか?」


「あっ、アルヴィア様! は、はい、いまお呼びします!」


 アルヴィアがそっと姿を現すと、斥候は姿勢を正しながら首に提げていた丸い石のようなものを引っ張りだし、突起の部分を咥えて息を吹き込んだ。


 ――音はしないみたいだが……なんだ?


「それはなんです? 初めて見ましたが」


 アルヴィアも同じように思ったのか、首を傾げる。


 斥候の女は小さく笑うと、手のひらに収まるくらいのその石を顔の前に掲げてみせた。


「エルフの魔法が掛けられた笛です。先日配られたんですよ! 私たち斥候の耳にかけたこっちの石に音が伝わるようになっていて……いま集合の合図を送りました」

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