強者の傲り‐ディザスター‐②

「総司令官! なぜこいつをここに!」


 バリスは傷を負った獣のような顔で歯を剥いて俺を威嚇したが……爺さんはそれを聞いてスッと表情を変える。


「儂が呼んだ者に文句があるか? バリスよ」


 ぐっと冷えた空気に俺は思わず舌を巻くが、おくびにも出さない自信はあった。


 だまし合いなら俺の方が得意だろうさ。


 何食わぬ顔で酒を楽しんでいるとバリスは首を竦めて口を開く。


「――も、文句など。しかしこいつは……」


 そのままごにょごにょと口の中で悪態を転がしていたが……バリスはやがて唇をぎゅうと噛む。


 ……白くなった唇の端、薄らと血が滲んだ。


 ハッ、それだけの気概があるなら汚ぇことなんてせずに最初はなから見せておけばいいってのにな!


「…………とにかく報告いたします総司令官。外壁と川の接点部分、工作は完了しています」


 へえ。バリスの奴、俺と話すときとは違ってえらく丁寧な口調じゃないか。この爺さんに頭が上がらないってわけか。


 思わず鼻先で笑うと憤怒に満ちたバリスの目が俺をぎょろりと睨み付ける。


 ――そういやこいつ少し痩せたか? 軟禁状態だと聞いたがかなり堪えたらしいな。


 そこで爺さんが切り揃えた顎髭をゆったり撫でながら優しい――しかし有無を言わさぬ声音で告げた。


「それは上々。バリス、此度の作戦の状況を彼に説明するがよい」


 バリスはぐぅと喉を鳴らして目を伏せ、ぶるぶると恥辱に震えながら低い声で言う。


「本隊が破綻鎚はじょうついにて南門を破壊するあいだ、我ら革命軍の精鋭部隊は斥候部隊の工作箇所から町に侵入。夜闇に紛れリザード族司令部隊を奇襲します」


「……我ら革命軍の精鋭部隊ね」


 俺が反芻するとバリスは顔を真っ赤にして呻く。


 相変わらず頭に血が上りやすいらしい。


 すると黙っていたアルヴィアが深々とため息をこぼした。


「総司令官、アガートラー。バリスをからかうのはそこまでです。いまは一刻も早くリザード族の町を落とさなくては」


「なんだよアルヴィア。爺さんはどうか知らないが俺はいつもどおりってなもんさ」


 思わず左手を振ってそう応えるとアルヴィアは苦虫を噛み潰したような顔で額に手を当てる。


「そうですけど――」


「それにバリス。俺はお前のことなんざ根に持っちゃいないぞ。クソを相手にする理由もないからな」


「アガートラー!」


 非難の声を上げたアルヴィアだったが、それを右手で制したのはバリス本人だ。


 酷く憤慨した顔でずいと俺の前にやってくると、バリスは俺の視線を真っ直ぐ受け止め低い唸り声のような言葉を発した。


「俺だってお前を相手になんかしない。相も変わらずその無精髭――最悪だ!」


「ハッ! 最初はなからそういう態度をしてりゃ俺はあんたを人として扱ってたかもな。いくらかマシな顔付きになったってもんさ!」


「お前に顔を褒められたところで気持ちが悪いだけだ!」


 額が触れそうなほどの距離で牙を剥くバリスの顔は俺への敵意に満ちている。


 けれど真っ向からぶつけられる怒りは純粋なものだ。以前のように嫌悪とさげすみはなく、俺はいまのバリスに感心すらした。


 軟禁状態だったときになにがあったか知らないが、バリスに変化があるってのは確かだ。


 とはいえ気に掛けるのが無精髭ってのはいかがなもんだ? 確かに面倒でしばらく剃ってないが、まだ目立つってほどじゃないだろうさ。


「いい加減にしてください!」


 瞬間、アルヴィアの両手が甲を合わせた状態で俺とバリスの顔の間に差し込まれ、それぞれの顔面を手のひらで掴まれるようにして押し退けられた。


 いや、俺はなにもしちゃいないだろうが。なんだよこの扱いは。


「喧嘩するほど仲がいいとは言いますが、いまはリザード族の町を落とすのが先決だと先ほども申し上げました。頭を冷やしてください」


「アルヴィア、俺とそいつの仲がいいだと? 撤回しろ!」


 バリスがアルヴィアの手を鬱陶しそうに払い退けて言うが、仲がいいかは別として真面目に撤回させる話か?


 こいつら血が繋がっているだけあってどいつもこいつも面倒だな――星ってのは皆こんななのか?


 呆れて眺めていると黙っていた爺さんが楽しそうにふぉふぉと笑った。


 傾けた水筒からはもう酒は出てこないようで名残惜しそうに中身を覗き込んでいるが、口元には笑み。


 そういやこの爺さんも星とやらか。


 しげしげと眺めていると、爺さんは酒を諦めたのか顔を上げて口を開いた。


「……まあそういう作戦わけだからアルヴィア、そしてアガートラー。お前たちには司令部隊の掃討を命じる。バリスとともにリザード族の町に侵入してもらうからあとは頼んだぞ。なあに案ずるな、本隊もすぐに門を突破するからの」


「……はっ?」


 珍しくアルヴィアが怪訝な顔をする。


 バリスが顔中を皺だらけにして顰めるが……俺は胸の前で己の拳を突き合わせた。


「いいぜ、乗ったぞ爺さん。トカゲどもを×○※△してやるってもんさ!」


******


 甲冑は邪魔だと言われ、アルヴィアは『仕方なく』装備を変えた。


 俺と同じ、内側に何枚もの金属板が縫い付けられた革鎧は夜の闇に溶け込む黒。


 さらに黒いローブを被り、極力探知されないようリザード族の司令部隊に近付いて一気に片を付けるのが俺たちの目的だ。


 夜闇のなかでアルヴィアの艶を保つ豊かな銀髪はどうしたって月のように浮かび上がるが、それも頭の後ろで束ねてフードの下に隠していた。


 向かうのは外壁と川の接点。侵入するための工作とやらが済んだ場所だ。


(いいな、必ず俺の指示に従え)


 バリスは小声で何度もそう言うが俺を見ようともしない。


 周りの斥候部隊もまさか俺が来るとは思っていなかったんだろうな。


 ちらちらと横目で窺っているのがわかる。


(……少し意外でした。バリスの腕は確かですが、彼は自ら斥候部隊を率いて戦ったりしませんでしたから)


 するとアルヴィアがこそこそと俺に言う。


 確かに前は自分だけ甲冑を着込んでいたからな。


 俺は応えずに先頭のバリスを眺めた。


 偉そうな態度は相変わらずで、後ろの奴らは不満そうに見える。


 ただ前にいた取り巻きみたいな奴らがそのなかに見当たらないのは、汚いことをしたせいで処分されたか保身のためにバリス自身を見限ったかだろう――至極どうでもいいが。


 するとアルヴィアがとんでもないことを言った。


(斥候部隊もバリスにおとなしく従っていますね。あれだけのことがあってもやはり人望があるのでしょう)


 俺はそこで思わず笑いそうになる。


 人望だって? そんなもんがあるならバリスは最初はなから俺を蔑んだりしなかったろうさ!


(ハッ。お前、本当に目出度いな。これは人望なんかじゃないさ。あいつが『星だから』だろ。逆らえないんだよ、ただそれだけだ)


 俺が言うとアルヴィアは目を瞠った。


(逆らえない……?)


(そうさ。本気で思い当たらなかったんだろうが、そんなんじゃいつかだまされるぞ。気を付けるこったな)


 俺は大袈裟に肩を竦めてさっさと前に進む。


 アルヴィアはすぐに俺のあとを付いてきたが……それ以上なにも言うことはなかった。


******


 ――水の流れる音に紛れ、俺たちは崖に作られた『侵入経路』を進む。


 幅の広い川は崖に挟まれていて、夜の闇を溶かしたような黒い水が轟々と飛沫を上げていた。


 見上げれば視界の先に巨大な石の橋が一本あるが、橋を使わず川を渡るのは困難だろうな。


 外壁は崖に接した場所で終点となっていたため、斥候部隊は崖にくさびを打ち込んで縄を渡す方法で道を用意していた。


 昼間に気付かれることのないよう縄は毎晩回収し、楔を打ち込む位置も慎重に考えられていたようだ。


 そのあいだにどうやら本隊が破綻鎚はじょうついの使用を開始したらしくドォン、ドォンとでかい音が響く。


 俺たちの頭上は静かなもんさ。


 外壁の上には松明を持った影がうろうろしているようだが、こっちを気に掛ける奴はいない。


 まさか裏から来るとは考えもしていないんだろうが――杜撰ずさんな守りだな。


 俺たちは崖沿いにある石造りの建物の裏に上がり、全員いることを確かめる。


 俺とアルヴィア、バリス、そして『革命軍の精鋭部隊』とやらだ。人数にして十人の少数部隊である。


 鼻を掠めるのは濃い水と泥の臭い。それから――魚とも獣とも違うなにかの臭い。


 トカゲども特有のもんだろう。


(行くぞ、こっちだ)


 バリスはあたりを窺いながら身を屈めて暗がりを進む。


 建物の間は狭く、草が伸び放題の場所もあった。


 町の中では武装したリザード族がなにかを話しながら走り回っていて、破綻鎚はじょうついの音が時折腹の底を震わせる。


(……あいつらが行ったら進むぞ)


 バリスは暗がりから路地を覗き込んでそう言ったが――次の瞬間、俺は身を屈めたバリスの頭を後ろから掴んで地面に押し付けた。


(……ッ)


(動くなバリス、息止めろ)


 ガチャ、と頭上から音がする。


 息を殺して身動ぎひとつせず、俺はバリスの頭を押さえ付けたまま視線だけを走らせた。


 建物の窓が開き、革命軍の本隊が攻める南門の方を見遣るリザード族の鼻先が突き出したのだ。


『シュー、シュー……シュルル』


 リザード族は建物の中に向かってなにかを話しているが、俺には布が擦れるような音にしか聞こえなかった。


 一匹じゃないらしいな――武装はしていないようだが。


 やがて建物内に気配が消えると、バリスは俺を突き飛ばす。


(汚い手で俺に触れるな!)


(……あ? そりゃ悪かったな『精鋭』さんよ)


 恭しく頭を下げてやったがバリスの怒りは収まらないらしい――俺を睨んだままギリリと白い歯を鳴らしたところでアルヴィアが手を上げた。


(バリス。早く行きましょう)


(そうそう。さっさと行こうぜバリス。トカゲどもを×※△○するんだろ)


(アガートラー。貴公は話をややこしくしないでください)


 ぴしゃりと言われて俺は笑いながら肩を竦めてみせる。


 バリスは冷めた蒼い瞳に敵意を燃やしていたが――ふんと鼻を鳴らして進み出した。



 ――やがて、門から真っ直ぐ北にあるらしい広場に到着。



 破綻鎚はじょうついによる攻撃で震えている門からは登り坂になっているようで、外壁の上から矢を射る兵士たちと門の内側で待ち構える兵士たちがよく見える場所だ。


 どうやらここが敵の本陣らしいな、筋骨隆々のトカゲどもが棒の先に刃のついた武器を片手にシューシュー言っていやがる。


 どいつもこいつも頑丈そうな金属鎧だが――鱗の生えた腕や脚はそのままだ。


 狙うなら四肢の付け根……柔らかそうな部分だろう。


 ――鎧の隙間を通せば致命傷にもできそうだな。


 俺は茂みに身を潜め、じっくりとあたりを観察する。


 広場を囲む建物の上にも弓を携えた兵士の姿。


 あっちも片付けないと危ないだろうが――どうするか。


(中央の青いリザード族がこの町の長だ)


 そこでバリスが言うので、俺は視線を広場に戻す。


 一際でかい青トカゲが無骨な大剣を肩に掛け、指示を飛ばしていた。


(ハッ、ありゃ仕留め甲斐がありそうだ)


 俺よりはるかにでかい図体ずうたいのくせにさらに尻尾まで足すとなりゃ、体長は俺の倍はあるだろう。


 艶消し銀の鎧が篝火の炎を映して鈍く光っている。


(お前たちは散開して建物の弓兵を仕留めろ)


 バリスは控えていた斥候に指示を飛ばすと、ゆっくりと自身の剣を抜き放った。


(――長を仕留めるのはこの俺だアガートラー。邪魔は許さん)


(へーぇ……言うじゃねぇかバリス。どっちが先に仕留めるか勝負といくか?)


 俺も剣を抜き放ち、バリスの横に並ぶ。


(邪魔するなと言っただろう!)


(ハッ。邪魔もクソもあるか。ここは戦場――やるかやられるかだ!)


 俺がにやりと笑ってみせると、バリスは舌打ちして先に踏み出した。


 ……そう、ここはもう戦場だ。


 俺はすぐにバリスを追って踏み出しながら肩越しに言葉を発した。


(アルヴィア、行くぞ!)


(――はい)


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