強者の傲り-ディザスター-④
『グルルルフ……』
息巻く龍は続けてクカカ、と喉を鳴らす。
「……あれが龍か。ハッ……」
こぼれた声があまりに渇いていたんで、俺は自嘲した。
あれを相手にしろだって? 馬鹿言うなって話さ!
しかし次の瞬間、俺は目を
「――龍は誇り高き生き物ですわ。リザード族に同胞などと侮辱されては怒りもするでしょう」
落ち着き払った声とともに、ゆるりと頭を垂れた紅蓮の龍の背に立つ影があったからだ。
「……」
アルヴィアが無言で剣を構え、どうにか逃げていたバリスも及び腰ではあるがそれに倣う。
闇に映える真っ赤な髪は大きく波打ち、そいつの背中を被っていた。
光る金眼は長い睫毛に縁取られ、妖艶な微笑みは血のような赤い唇で作られている。
そして……耳の上あたりには赤い髪を割ってぐるりと円を描く黒い角。
俺とさほど背丈は変わらないだろうが――そいつは圧倒的な存在感を放っていた。
「助けを求められて来てみれば――興醒めです。あとは好きになさい『人族』たち。……けれどまだ進軍するつもりなら、わたくしたちは容赦しませんことよ」
しなやかな体の線をなぞるように仕立てられた、裏地が紅い漆黒のドレス。
足首まである裾には深い切れ込みがあって、その隙間から白い足をするりと伸ばし――そいつは軽やかに地面に降り立つ。
――あれが魔族……
確かに容姿こそ俺たち『人族』と似通っているが――纏う空気は全くの異質。
「……あら」
つぅ、と視線を走らせた魔族の女は……そこでぴたりと俺に目を合わせた。
途端にぞくぞくと得体の知れない感覚が足の先から頭の先までを一気に駆け抜ける。
まるで体の制御を奪われるような――気持ちの悪いものだった。
「そこの人族、名はなんと?」
ゆるりと踏み出す魔族。
どういうわけか頭のなかが痺れてクラクラする。
俺は眉を寄せ、頬がぴくぴくと痙攣するのを感じて舌打ちをした。
蛇みたいな女だな、生理的に受け付けないってのはこういう感覚なんだろうさ!
「――名前だ? ハッ……教えるような名はないね。あんたこそ名乗れよ」
魔族はぴくりと形のいい眉を跳ね上げ、足を止める。
剣を伸ばしてもギリギリ届かない位置取りだ。
俺は爪先で地面を探り、慎重に足場を確保した。
「困ったわね。綺麗な子を傷付けるのは、わたくし好きではないのです」
「……あ?」
「わたくしの魅惑が効かないなんて――人族。お前はどのような生き方をしてきたのでしょう」
「――あんた馬鹿か? 敵に魅惑されるクソがどこにいやがるってんだ」
「まあ! その容姿でその悪態……最高ですわ、気に入りましたわ! やはりお前はわたくしが可愛がってあげます」
「…………あぁ?」
ぞくぞくして思わず一歩下がるが、頬に両手を当てて狡猾の表情を浮かべた魔族の女は一歩踏み出す。
「
愛玩……隷属だと?
俺は頬を引き攣らせて首を振り――はーっと息を吐いた。
こいつからは龍ほどの危険は感じられない。
油断するわけにいかないが……舐められっぱなしも気に入らないって話さ!
「馬鹿言うなよこの○×△※がッ……その角に栄養回しすぎて頭が悪くなってんじゃないのか。綺麗な奴が好みならそこにもっといいのがいるぞ? 従うとは思えないがな」
俺がバリスを顎で指すと魔族の女は視線だけを滑らせて右手を振った。
当のバリスはふざけるなと言わんばかりに俺を睨むが知ったこっちゃない。
「あれは駄目です。その銀髪と蒼の瞳……わたくしが怒られてしまいますわ」
「はーん。勇者とやらの色が絡んでんのか? 百年も治めているくせに
「……ふふ。お前、そのような口を利くと
「――戯れ言を! はぁっ!」
その瞬間、我慢ならなかったのかアルヴィアが飛び出し、魔族の女の後方では光が弾けた。
魔法とやらが龍に炸裂したらしい。
『グルァア――ッ!』
不意打ちを受け、びりびりと鼓膜を震わせる龍の咆吼。俺は腹の底に力を入れてそれをやり過ごす。
アルヴィアの剣を躱した女はそこで金の双眸を眇めた。
「魔法――エルフ族もいますのね。……まぁいいでしょう。お前、今度迎えを寄越しますわ。抵抗しないことよ」
「……ハッ、返り討ちにしてやるさ」
魔族の女は尚も攻撃しようとするアルヴィアから軽やかな足取りで距離を取ると、そのまま龍の上へと戻っていく。
「……今日はここまでにしますわ。では、ごきげんよう」
リザード族とは比べものにならない……絶対的な強者。
――翼を広げた龍が舞い上がり夜闇の向こうに消えていくまで……俺は剣を握り締めたままじっと見詰めていた。
******
日が昇る前に町の制圧が完了した。
一部の奴らは抵抗したが……最終的には装備を剥いで縛られ、捕虜として集められている。
どこにいたのか革命軍総司令官の爺さんが指示を出すあいだ、俺はアルヴィアに引き摺られるようにして補給兵たちのところへやってきていた。
まだ門の外に陣を敷いている補給兵たちは薬や包帯、町を整備するための物資を運ぶので忙しく動き回っている。
俺がリザード族の
「兄さん! アルヴィア様! お疲れ様でした!」
そこに飛ぶように駆けてくるのは俺と同じオーク族の町の『アガートラー』だったクソガキだ。
その呼び方は未だに納得がいかないが……あの魔族の女ほどの嫌悪感はないなと冷静に考えてしまう。
「うるせぇよクソガキ。あとその呼び方やめろ」
「忙しいのにすみません。……アガートラーを見てもらえますか」
「……」
アルヴィアが俺の言葉をぶった切る。
思わず不満に眉を寄せるが……クソガキは心得たとばかりに俺をじっと見ると右の脇腹を指さした。
――ちっ、こうも当てられると嫌になるな。
「骨は大丈夫ですが打撲は確実ですね。兄さん……また無茶をしたんですか? ……痛っ」
呆れたようにくすりと笑うクソガキに俺はデコピンを喰らわせてやる。
「……ええ。それはもう盛大に喧嘩を売っていましたよ。龍を従えた魔族相手に――肝が冷えました」
「あ? おいアルヴィア。最初に魔族に殴りかかったのはお前だろ。俺のせいにするんじゃねぇよ」
「あっ、あれは……喧嘩を売られたので買ったまでです」
「ハッ、俺は買っちゃいないぞ」
「そもそも喧嘩を売られるような言動をしたのは貴公ですからねっ……敵ながらあのような美しい女性に魅惑されなかったのは賞賛に値しますけど……」
「はあ? お前、馬鹿にしてるだろ」
「あはは! ……痛っ」
「あははじゃねぇよクソガキ」
二度目のデコピンを喰らわせた俺にクソガキは額を押さえて尚も笑うが……こいつ本当に懲りないな。
まだ幼さを残す溌溂とした丸い飴色の瞳は楽しそうにくるくるとよく動く。
俺と似ているという鳶色の髪は散髪してもらったのか短く整えられていて……腕には少し筋肉がついてきたように見える。
するとクソガキは渋い顔をしているアルヴィアに向き直った。
「アルヴィア様。怪我人はどこにいますか? 俺、怪我の場所がわかるから手当ての手伝いができるかも」
「……え、あ、そうですね! それでしたら門を抜けた先の広場に……その、でも無理はしないで……」
「無理なんてしませんよ! じゃあ俺、いってきます!」
意気揚々と駆け出す小さな背中を見送り……アルヴィアは両手をだらんと下げたままポツリと呟いた。
「命令ではなく、あのように……自らの意志で動いている者はどのくらいいるのでしょうね……」
…………あぁ?
俺はぼーっとしているアルヴィアに向けて盛大なため息を付く。
こいつ、俺がしたバリスの話をねじ曲げて解釈しやがったな?
理解能力が欠けすぎだろ。
「おいアルヴィア。お前、最初に言ったろうさ。ここにいる者たちは皆、誰かに仕えているわけではないってな。ありゃ嘘か?」
「――えっ?」
俺が吐き捨てるとアルヴィアは振り返った。
困ったように泳ぐ冷めた蒼い瞳にイラッとして俺はちっと舌打ちをかます。
「俺はお前に仕えてないだろうが。俺のやりたいことは俺が決める。自ら望んでここにいる。斥候どもがバリスに逆らえないってのはまた別の話だ。お前は腐ってねぇでただ動けばいいんだよ」
俺が魔族を相手にするにはそれが絶対条件だって話さ。
こんなところで立ち止まられたら、あのクソどもを○△※×できないだろうが。
「……アガートラー……」
驚いているのか……アルヴィアの蒼い双眸が見開かれている。
そういやこいつ、自分は自由じゃなかったような言い方もしてたな。
思い出したらそこはかとなく腹が立って……俺はふんと鼻を鳴らした。
「なあ。お前は星ってやつに不満があるのか? それならやめちまえよ。誰が止めたって気にする必要はないってもんさ! お前には俺と違って
「……!」
「それともなんだ、お前は狭くて暗い肥溜めで生きるか死ぬかの生活を強いられていたってのか? 命を賭けた娯楽の駒としてほかの誰かを屠ったことがあるってのか?」
ぶちまける俺の前で、アルヴィアはただ呆然と立ち尽くす。
それでも俺はふつふつと沸き上がる怒りに、言葉の刃を振り下ろした。
「勇者なんてのもそうさ! ただの馬鹿野郎だ。死にたくなけりゃ逃げればよかった!」
「…………ッ! 貴公、それは言い過ぎでしょう」
俺はアルヴィアが俯き、唇を噛み締めるのを見た。
言葉を詰まらせて思わず口を噤んだが……アルヴィアの握り締めた拳が震えているのに気付いて眉を寄せる。
言い過ぎってのは……あるのかもしれない。
そう思った瞬間、アルヴィアは弾かれたように顔を上げ、目にいっぱいの涙を浮かべて吼えやがった。
「貴公のような苦しみを私は知りませんでした! ただの馬鹿だと笑うのは構いません! それでも、それでも私は星として剣とともに育ち、このときのために生きるしかなかったのです! 民を見捨てることもできません! ……勇者様だってきっとそうだった……それを――」
ぼろっと落ちた雫は頬を転げて地面に呑まれ、次から次へとあふれていく。
「……自由なんてもの、
「お兄さん、アルヴィア様! こっちこっち!」
その瞬間、目の前に現れたのは恰幅のいい女性だった。
配膳係の女性で、アルヴィアの部隊の補給兵のひとりのはずだ。
そいつは問答無用でアルヴィアの腕を掴み、俺に向かって付いてこいと顎で示すとさっさと近くのテントに潜り込む。
「ああほら、アルヴィア様。汚い布だけどこれでお顔をお拭きになって。……ほらお兄さん、あんたも入って! ……まったく容赦ないんだから」
「……す、すみませ……わ、私……このような醜態、を……」
「いいのよアルヴィア様。お兄さん、あんまりアルヴィア様を虐めないでよ。補給兵全員を敵にしたいのかい?」
「別に虐めたわけじゃないさ」
テントに入って思わず鼻を鳴らすと、恰幅のいい女性は俺の台詞に被せて鼻を鳴らした。
「本当に素直じゃないね……でもちょっとだけお節介を焼かせてもらうよ。アルヴィア様、話は聞いていました。アタシら補給兵は望んでここにいます。それから、アルヴィア様が無理しているのも皆知ってるんですよ」
「……え?」
アルヴィアがまだ止まらない涙を汚れた布で何度も拭いながら顔を上げる。
恰幅のいい女性はアルヴィアを座らせると俺を引っ張ってその近くに座らせ、自分は立ったままで両手を広げた。
「いいですかアルヴィア様。貴女は星である以前にお綺麗で可愛らしいただの女の子です。それが剣を持って革命軍を率いて……さぞやおつらいことでしょう。そこの綺麗なお兄さんはね、そんな貴女がいたたまれなくて怒ってるんです」
「……は? おい、ちょっと待て」
「お兄さんは黙っててくださいな。ややこしくなるんでね! ――アタシらも皆そう。貴女が動いてくれるのに自分たちだけのうのうと待っているなんてできなかったんですよ。だから無理しないでほしい、ずーっと、そう思ってきたんです」
ぴしゃりと撥ね除けられて俺は盛大に顔を顰め、胡坐を掻いたまま腕を組んだ。
どいつもこいつも勝手なこと言いやがって……。
……とはいえ、だ。
無理して死ぬようなことをされるのは気に入らない……それは確かだった。
生きたくても許されない――そんな隷属を何人も何人も見てきた俺には当然の感情ってもんだろう。
それが『いたたまれない』ってな意味なら同意してやってもいい。
「だから一度力を抜いてくださいな。少し考えて、それで決めればいいんです。誰も止めませんし、止めるような輩はアタシらが許しませんよ。……あとお兄さん、優しい言い方ってのがあるんだ。言い過ぎってのはわかってるだろ? 謝っておきなよ!」
そう言うと恰幅のいい女性は俺に向かってばちんと片目を瞑り「それじゃ炊き出しがあるからアタシはこのへんで!」と言ってさっさといなくなった。
アルヴィアはグスッと鼻を啜り、黙ったまま汚い布で目元を覆うだけ。
俺はこの奇妙な沈黙に伸びていた無精髭を擦って唸った。
……おい。なんだよこの状況は……。
優しい言い方なんてのは皆目見当が付かない。
それ以前に謝れと言われる理由もわからないってもんさ。
「……はぁ。おいアルヴィア」
「……貴公が謝る必要はありません……アガートラー」
「あ?」
「私は……同じ部隊の者のことさえ……わかっていない大馬鹿者です……それに気付かされました」
アルヴィアはそこで大きく肩を震わせて息を吸い、がばりと顔を上げた。
濡れた蒼い瞳が暗いテントの中で光る様は……どこか息を呑むような綺麗なものだ。
汚れた世界しか見てこなかった俺には眩しいくらいにな。
「直接ぶつけられるには、貴公の言葉は、少しばかり……痛い言葉、でしたが……私には必要だったのですね……すみません。頭を冷やします」
たどたどしくそう言って立ち上がるアルヴィアの銀の髪が揺れる。
まだ涙を堪えているその表情に、俺は咄嗟にその腕を掴み口を開いた。
「優しい言い方なんてもんは知らねぇが――アルヴィア。俺は自分が言ったことを悪いなんて思っちゃいないぞ。死にたくなけりゃ逃げればいい――お前はこの先
「…………!」
見開かれた蒼い瞳が揺らぎ、やがて大粒の涙を落として――アルヴィアは笑った。
「……なんだよ」
「――いえ。守るべき民にあのような心配をされて、貴公にはこっぴどく怒られて……ひとりで星だからと悩んでいた自分が馬鹿らしくなって」
「ハッ。馬鹿も馬鹿、大馬鹿者だろうさ」
「……はい。大馬鹿者でした」
「……ふん」
俺は掴んでいたアルヴィアの腕を放して立ち上がる。
アルヴィアは汚い布でごしごしと顔を拭い、よしと気合を入れた。
「なんだかすっきりしました! 行きましょうアガートラー。次は魔族相手に戦うことになるはずですが、必ず勝ちましょう」
「……威勢のいいこった」
俺は大きく肩を竦めて……テントの入口の垂れ幕を跳ね上げる。
瞬間、周りで聞き耳を立てていた補給兵たちがサーッと散っていくのを目にして……俺は大声で怒鳴った。
「――ふざけんなお前ら! 仕事しろって話さ!」
クソッ、気付かなかった自分にも腹が立つ!
俺は足下の石を思いっ切り蹴飛ばし、鼻を鳴らすしかできなかった。
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