愚者の楽園-ディストピア-③

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 ゴブリンの巣へと出立したのはバリスと一戦交えた翌日で、アルヴィア率いる甲冑たちと歩を進め数日が過ぎた。


 脇腹には折った布を当てて包帯を巻き、しっかり固定してから革鎧を纏うよう言われている。


 左手と腹の打撲は気にするほどじゃないが――念のためだからと毎日軟膏を塗らされた。


 これより酷い怪我なんざ何十回と経験してきた俺からすれば大袈裟にも思える処置だけどな。


 傷口が赤黒く腫れ上がりうずく痛みに眠ることすらままならない――そんな夜を過ごした日は数え切れないってもんさ。


 薬も包帯もない暗い牢獄でただひとりうずくまって耐えていたことを思えば革命軍は過保護だが……その分怪我が早く治ってすぐ戦えるってんなら歓迎だ。


 そんななか、アルヴィアは俺の鎧をすぐに補強するとか言って夜営のたびに持っていった。


 最初に言われたとおり脇腹の強度が甘すぎるのは同感だが、心臓を守る防具しか身に付けていなかった俺が偉そうなことを言うつもりもない。


 鎧を縫える奴でもいるのかもしれないが、そっちは任せておけばいいだろ。


 正直、俺の知ったことじゃないってのが本音だな。


 ……ちなみにアルヴィアが言うには、ゴブリンの巣を奇襲する作戦に大きな変更はなかったようだ。


 変わったことといえば俺が潜入するのは『ゴブリン王を暗殺するため』じゃなく『アルヴィアたちに道を開くため』になったってことか。


 潜入後にうまく抜け出してアルヴィアたちが侵入するための扉を開く――それだけだ。


 魔族の相手を優先したいところだが頭数あたまかずが必要だってのは馬鹿でもわかるってもんだろう。


 あとはオークの書簡とやらの書き換えも必要になる。


 酷い文だったからな――ありゃ『偽物です』って書いてあるのと変わらない。


 書いたのはバリスの部隊にいる『解読師かいどくし』とかいう魔物の書状を読む専門家らしいが、でたらめもいいところだ。


 てっきりわざとだと思っていたが……どうも違うってのはあとで理解した。


 俺みたいなのと違ってあのクソどもの会話を聞いて育ったわけじゃないとなりゃ、それらしい文が書けるってだけでマシなんだろうさ。


 ま、出来が悪いことに変わりはないんだけどな。


 そんなわけで。


 二週間もあればゴブリンの巣だってんで、俺は今日もアルヴィアに革鎧を預けてテントの外に繰り出した。


 野営の陣地から少し離れると静かなもんで、星と月が照らす開けた場所はいい鍛錬場になる。


 夜は体を鍛えてがっつり眠る――これに限るってもんさ。


 七回夜が巡って一週間。


 それが四回繰り返されりゃ一カ月。


 さらに十三の月が過ぎれば一年だ。


 自由とやらになってからは毎日が飛ぶように過ぎている。無駄にする時間はない。


「さぁて……と」


 俺は両腕を上げて伸びをしてから、首を左右に倒して肩を回した。


 肋骨のヒビは痛むが……まぁこんなもんだろ。悪化させない程度にがっつりやっておきたい。


 いざ魔物を屠るときに体が鈍っているってのは最悪だからな。


 俺はふーっと息を吐き出し、剣の柄に手を掛けた。


 ……すらりと抜き放った刃が月の光を写し、冷えた空気が肌を撫でる。


 目の前に思い描くのはあの豚面の魔物――オークだ。


 振りかぶられた戦斧を右足を引いて躱し、切り替えされて振るわれた一撃を両手の剣を重ねて受ける。


 その瞬間、肋骨にビリッと痛みが奔ったのに舌打ちして俺は構えを解いた。


「ち。まだ剣を振るのは痛むな」


 思わずこぼすと、暗がりから「ふぉ」と変な鳴き声がする。


「……なんだ?」


 ――獣か?


 低木が茂るこの場所は身を潜めるにはもってこいだが、それはすなわち敵も味方も……ってな話だ。


 再び身構えた俺の視線の先、茂みからゆっくりと現れたのは――爺さんだった。


「――ふぉ、こんな場所に来るのは儂くらいかと思っていたが」


 その手には植物の実を渇かして作ったような細長い水筒。


 軽装備で腰に細身の剣をぶら下げているが……革命軍のひとりか?


 月夜のもとで光る白髪は前髪ごと後ろに撫で付けられている。


 皺の刻まれた目尻は優しそうな印象を醸し出しているが――その蒼い瞳は油断ならない。


 俺の動きをつぶさに観察している……そんな目だった。


「あんた誰だ爺さん。こんな場所でなにしてる?」


「ふぉ。酒を呑むなら月とふたりで。そう決めておるのでな」


「……ハッ、そいつは酒か? 隠れて呑んでるとはいい趣味だな」


「まぁそう言うな。儂から酒を取ってしまうとな、牙のない獣と同義になってしまうからの」


「言うじゃないか爺さん。――まあいい、邪魔したな」


 相手にするのも面倒だ。


 構えを解き、別の場所を探すことに決めてさっさと踵を返そうとした俺に……爺さんが笑った。


「お主、怪我をしているのに無理をするのは感心せんな。どれ、儂の酒に付き合え。魔族を屠るのに有効な鍛錬を知りたくはないか?」


「――なに?」


 思わず足を止めて爺さんへ視線を這わせる。


 こいつも見ただけで怪我がわかるってのか? それとも……。


 整えられた白い口髭を空いている左手でゆっくり撫でた爺さんは双眸を細めた。


「美しいものをさかなに酒が呑めるのはいいのう。月も喜ぶというものよ。そら、座れ」


「――はぁ? なに言ってんだあんた……」


 俺が呆れて返すと、爺さんは「ふぉ」と笑ってからふらりと膝を曲げて……。


「…………ッ!」


 ものすごい速さで俺の間合いに入り、水筒をびたりと俺の頬に当てた。


「な……んだと」


 ――まったく動けなかった。


 いくら構えを解いていたからといって、有り得ないってもんさ。


 冷たい汗が背筋を伝い、俺は息を詰めたまま爺さんを見下ろす。


 やばい。


 こいつは絶対にやばい。


 頭のなかには危険を報せる警鐘が鳴り響いているが、俺は務めて冷静に……ゆっくりと声にした。


「あんた、何者だ爺さん――」


「ふぉ。知りたいだろう? さあ座れ。バリスのことも話しておかねばならん」


 爺さんは俺の反応に満足したのか微笑んで離れると……水筒の中身を口に含んだ。


 バリスと聞いて思わず顔を顰めた俺に彼は楽しそうに続ける。


「うむ。いい酒が呑めそうだの」


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 ――爺さんが俺に課したのは目を閉じること。


 そして爺さんの話に集中すること。


 それだけだ。


 いつもならそんな話に乗ったりしないが、あんな動きを見せられちゃ様子を見るしかないってもんさ。


 俺は盛大に鼻を鳴らして地面にどかりと胡坐を掻き、瞼を下ろした。


 微かに聞こえるのは革命軍の立てる喧騒。


 風が木立の枝葉を撫でる音が耳に触れ、あらゆる生き物たちが息づく気配が感じられる。


 夜の冴えた空気は露出した肌から熱をさらい――土と草の匂いが肺を満たす。


 ――そして。


「……ッ!」


 その瞬間、俺は咄嗟に身を捩り飛び離れた。


 本能……体に染み付いた『生きなくては』という信念がそうさせたんだろうさ。


 脇腹がミシミシと軋み鈍い痛みに強く唇を噛む。


 爺さんは俺がいた場所の向かいに同じように胡坐を掻いていたが……唇には笑みを浮かべていた。


「ふぉっ、すまんな。ちょっと刺激が強かったか……いやいや、想像以上の逸材だの!」


「……」


 俺はなんとか息を整えようと試みながら剣の柄に手を掛け、警戒を解かずに爺さんを見据える。


 いまのは殺気だ。お前を狩るぞ、という明確な――。


「ハッ……爺さん、それが『魔族を屠るのに有効な鍛練』とやらか?」


 じわり、と額に汗が滲む。


 爺さんは手にした水筒から酒を煽ると口元を左腕で拭って頷いた。


「んーん、美味いの! ……そのとおりだ『アガートラー』。殺気や気配を感じ備えること……これは戦いにおいて必ず活きてくる。本来であれば剣を振りながら覚えるものだが怪我を治すまでは焦ってはならん。バリスのこともあって気になってはいたが――ふぉ、いいさかなを見つけて儂はご満悦だの!」


「……最初から俺と話しに来たんならそう言えよ。お陰で怪我が悪化したかもしれないぞ」


 応えると爺さんはそのへんに落ちていた枝を拾い上げ、笑いながらその先でとんとんと地面を叩いた。


「それは悪かったのう! まあ座れ。お主が既に殺気をある程度読めることはわかった。……怪我のあいだは儂が殺気を放った瞬間にこの『棒』を掴んで投げてこい」


 爺さんは『棒』とやらを置くと、俺が動くのを黙って待つ。


 仕方なく戻って胡坐を掻くと、彼は満足そうに頷いて話し出した。


「さあ目を閉じろ『アガートラー』」


 クソ。とんでもない爺さんがいたもんだな。


 こんな奴がいるなら最初はなから潜入なんてせずゴブリンの巣に攻め入れば勝てるんじゃないか?


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 さて『アガートラー』よ。


 集中してよく聞くのだ。


 バリスは自身の容姿に絶対の自信があり、かつアルヴィアに対しては『隣に置いてもいい』と思っていた。


 自分には劣るが美しい……そんなふうに考えていたようでの。


 それが透き通る宝石のような綺麗な恋心であればよかったが、そうではなかった……まったく情けない男よ。


 そんななかでアルヴィアが『美しい隷属』とやらを傍に置くと聞き付け、これがまた想像以上の美しさを誇っていたことで憤慨したというわけだの。


 ふぉ、儂も驚いたぞ! ――なに、正直気に入らんだと? 贅沢な奴よ!


 まあとにかくな。腕はそこそこ、頭もそれなりに回るが如何せん星として担ぎ上げられたせいで調子に乗っていたバリスは……知ってのとおりまったくもって『美しくない』策を講じて『アガートラー』を貶めようとしたのだ。


 結果はお主の知るとおり。


 バリスは現在後方の部隊において軟禁状態となっておる。


 ――ふぉ、どうでもいい? まあそう言うな。


 実はの。丁度あの鼻をへし折る必要性を感じていたのでな――お主を利用させてもらったのだ。


 儂はお主があの場で敗北を選んだそのとき、子供のアガートラーを人質にする非人道的行為を白日の下にさらして糾弾するために待機しておった。


 ところがどうだ?


 お主ときたら降参どころか素手でバリスを殴り付け、果ては泣かせてしまう始末!


 いや、実に爽快であった。


 バリスも馬鹿ではないのでな、これでまた真っ直ぐに伸びる。儂はそう思って――む、だから関係ない? いやいや、そんなことを言うでない……。


 まったく捻くれておるなお主は!


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 瞬間、俺は置いてあった枝を掴んで投げ付けた。


「ふぉっ」


 目を開けると爺さんは左の人さし指と中指で枝を挟み、にやにやと笑っている。


「いい反応だの」


 まだ首筋はちりちりしているが……ハッ、確かにこりゃなかなかの鍛練だ。


「……で? あんたが何者かって話はいつ始まる?」


 俺がさっさと瞼を下ろすと、爺さんが鼻先で笑う気配がさわりと揺れ……そのまま酒を煽ったのが感じられた。


「――そう急かすでない」



 ――そして三度みたび沈黙があたりを包み…………やがてさくり、と足音がした。



「……アガートラー。こんなところでなにを?」


「……あ?」


 俺は顔を上げ、肩越しに振り返った。


 そこにいたのはアルヴィアだ。


 はっとして前を向いたが……爺さんは消えている。


「ち。やってくれるな……」


「はい?」


「こっちの話だ。……それで? なんか用か?」


 どうやらアルヴィアに姿を見られるのは爺さんの本意じゃないらしい。


 まあ酒なんて呑んでるくらいだからな……。


 立ち上がって土を払うと、アルヴィアは抱えていた鎧をずいと差し出した。


「できましたよ! これで少しは防御力も上がるでしょう! 早速着てみてください、微調整が必要かもしれませんから」


「…………」


 こんなところまで革鎧を抱えて捜しにくるなんざ、こいつは馬鹿か?


 俺はため息をついた。


「はあ。そんなことより作戦の詳細はまだなのか? 大雑把な内容しか聞いてないぞ」


 アルヴィアは冷めた蒼色の瞳を二度瞬いてから大きく身を乗り出した。


「そんなこととはなんですか! 防御力は大事です。――作戦のことも話しにきたのですがそのような言い方をされては少し考えなくてはなりませんね」


「いや待て。なんでそうなる!」


「考えたのです。アガートラー? 貴公は口が悪すぎますから、どうにかして……」


「わかった。わかったから……その革鎧寄越せ。いま試す!」


 面倒臭い奴だな!


 俺が手を出すと、アルヴィアはぱっと笑顔を浮かべて革鎧を差し出した。


「わかってくれたようで嬉しいです」


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 革鎧は……まぁなんだ。思ったよりいい出来だった。


 俺の体に合わせたのか前よりも動きが楽で、金属板の数と位置が調整されている。


 重さも甲冑に比べりゃはるかに軽く、それなりに速さも出せるってもんさ。


「……完璧です」


 ほう……とため息をこぼしうっとりしているアルヴィアを眺め、気味が悪いという言葉を飲み込んだ俺は肩を竦めた。


 こいつ、甲冑だけじゃなく防具全般に熱を注いでいるってのか? 物好きなもんだ。


「……まぁ正直、俺の体には合ってるな」


 とりあえず口にすると、アルヴィアは目をこぼれんばかりに見開いて俺を見た。


「! アガートラー、貴公、素直な言葉も話せるのですね」


「あぁ?」


「ふふ。こちらの話です。では作戦の内容を」


 なにがこちらの話だよ。丸聞こえだぞ。


 眉根を思い切り寄せると、アルヴィアは笑いながら踵を返した。


「夜は冷えます。傷に響くので戻りながら話しましょう」


 そんなわけで聞けば、どうやらアルヴィアたちはゴブリンの巣の地下にある下水道とやらから侵入するらしい。


 アガートの行われる会場の地下に下水と繋がる扉があるらしく、地図も手に入れてあるそうだ。


 その扉を開くのが俺ってことになるが、下水の地図まであるとは恐れ入った。


 斥候部隊の功績なのかは知らないが……いっそ爆破でもしちまえばいいのにな。


 まあそれで地下が崩れちまったら本末転倒なんだろうが。


 そんな話をしつつアルヴィアのテントに移動すると、彼女は木箱の上に懐から出した地図と書状を載せた。


「アガートラー、貴公に持たせる書状の転写がこちらです。――革命軍に参加したばかりの貴公にこのような重圧の掛かる役目をお任せするのは私としても忍びないのですが」


「ハッ、なにをいまさら。これは俺が望んだ役目だ。誰にも譲るつもりはないってもんさ」


 俺は木箱の上から書状をふんだくると広げて目を通す。


「……ふん。多少はマシになったな。『この者はオーク族のアガートラー。ゴブリン族のアガートに参加させろ。大々的に宣伝して客を呼び込め』……か。なるほどな、ゴブリンどもを集めて一気に叩くんだな? ……おいアルヴィア、ちょっと筆貸せ」


「筆ですか? ええと、こちらでいいでしょうか」


 アルヴィアは木箱の中から羽根を取り出すとこっちに差し出す。


 俺はそれを見て思わず顔を顰めた。


「なんだこりゃ?」


「――羽根の先をインクに付けて文を書くものです。こちらがインクですね」


「はぁ? こんなので文字を書いてるってのか?」


 アルヴィアたち革命軍では筆よりも主流なのかもしれないが、どうもいけ好かないな――。


 俺は「使えない星よりは実用的で無駄に洒落てるな」という皮肉を呑み込んで羽根を受け取り、アルヴィアが続けて出した小瓶に先を突っ込む。


 それから書状に文を書き足した。


 ――勿論オークのクソどもの文字でな。


「……? それはなんと書いているのですか?」


「開けてからのお楽しみってやつさ。さあ、本物にも書き足しといてくれよ?」


「……わかりました」


 アルヴィアは頷くと書状を丸める。


 少しは疑えよ、馬鹿か? と思うが……まあいい。


「作戦決行までにそっちの地図を覚えときゃいいんだろ? あぁそうだ、もうひとつ」


「なんでしょう?」


「補給品には酒なんてのもあるのか?」


 あの爺さんが何者か調べてみるのも悪くない。


 俺が聞くと、アルヴィアは不思議そうに首を傾げた。


「――酒? 貴公はお酒を嗜むのですか?」


「……はあ? 俺みたいな隷属に酒を嗜む時間があったと思うか? オークのクソどもはよく呑んでいたけどな」


 アルヴィアは俺の放った言葉に肩を跳ねさせると慌てたように首を振った。


「すみませんアガートラー……私はまた失礼なことを」


「お前の言う『また』ってのがなにを指すのか知らないが、俺が気にするように見えるってんならどうかと思うぞ」


「……」


 アルヴィアは俺の顔をまじまじ見たあとで、視線を右下へと滑らせる。


「確かに、貴公はそのような小さなことを気にするようには見えません……ね」


「なんだよ?」


「いえ、綺麗なものというのはこうも直視し難いのかと……眩しすぎます」


「――おい」


「あ、これは気にするのですね?」


 こいつわざとか?


 俺が仏頂面で黙ると、アルヴィアはふふと華のある微笑を浮かべてから言った。


「お酒は確かにあります。兵の士気を高める役に立つこともありますからね。補給兵たちが管理していますが……あ」


 口元に手を当てて俺と視線を合わせたアルヴィアはなにか納得したような顔をする。


 その顔、嫌な予感しかしないぞ。


「補給兵に言えば見せてくれますよアガートラー! そんなに気に掛けていたなら理由なんて作らなくとも会いに行けばいいのです! 明日は移動中に前線から離れてもかまいません。行ってあげてください」


 俺はガシガシと頭を掻いてから踵を返した。


 クソ。本当にアルヴィアの頭はどうなっていやがるんだって話さ。


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 会いに行けというのは勿論あのクゾガキ――子供のアガートラーのことだろう。


 アルヴィアの隊の補給兵になったってことは俺たちの後方で補給品なんかを管理、運搬しているはずだが、まったくもってどうでもいい。


 とはいえ酒を取りに爺さんが来るかどうかってのは聞かないとわからないだろうしな。


 使えるもんは使っておくべきってもんさ。


 翌日、俺はアルヴィアに見つかる前にさっさと補給兵たちの列に移動した。


 今日も空は晴れていて薄く雲がかかっている。


 まだ昇ったばかりの陽の光はどこか頼りなく、忙しなく出発の準備をする補給兵たちも目覚めきっていないように見えた。


 そんな補給兵たちは俺を見るとヒソヒソとなにか話していて、俺と目を合わせない。


 ……ふん、言いたいことがあるなら堂々と言いやがれってんだ。


 俺は硬い地面をがしがしと踏み締めながらあたりを見回した。


「あ……兄さん!」


 そこに跳ぶようにやってきたのはクソガキだ。


 その呼び名にはぞわぞわと鳥肌が立つが……こいつはやめろと言っても聞くような奴じゃない。


 そんな素直な奴ならそもそもおとなしくエルフ族と築いた町とやらに出立していたはずだからな。


「おい、その呼び方やめろ」


 とはいえ気に入らない俺は吐き捨ててから腕を組んだ。


「どうしました? なにかの補充ですか? 俺でよければ手伝います!」


 さっぱりと無視したクソガキは満面の笑みで運んでいた荷物を足下に置いた。


 なにかの部品と……厚手の布。……テントだろう。


「――酒を探してる。酒を補充に来る爺さんに用がある」


 さっさと済ませたいんで口にすると、クソガキは大きく頷いた。


「それならこっちです」


 そしてすぐに踵を返すが――この荷物はどうするつもりなんだ?


「……おい」


 仕事としてやっていることを放棄するってのは自分の居場所……最悪は命を取られることだと口にしかけて、俺は首を振った。


 そうだ、ここはオークのクソどもの肥溜めじゃない。


 多少は目を瞑ってもらえるのかもしれないな。


「それはアタシがやっとくよ!」


 そこに恰幅のいい女性がやってきて……あん?


「あんたは……配膳の?」


 思わず言うと、彼女はにやーっと笑顔を浮かべた。


「わあお! 綺麗なお兄さんに覚えていてもらえるとは嬉しいね!」


「…………」


 顔を顰めると彼女は腰に手を当てて豪快に笑った。


「ははっ、お兄さん顔に出しすぎなんだ。皆、話しかけたくてしょうがないってのに仏頂面でさ! 綺麗な顔が台無しだよ!」


「話しかけたいだと?」


「そうさ! 聞いたよ、あのバリス相手に不正を暴きこの子を助けたそうじゃないか!」


 恰幅のいい女性はクソガキの背中をドンと叩いて勝手にうんうんと頷いた。


 クソガキは鼻の下を指で擦るとはにかんでみせる。


「……いや待て。俺は……」


「いいのさ謙遜なんてしなくて! アルヴィア様が口下手なあんたを気遣って話して回っていたんだ。甘えておきなよ」


 俺はその言葉に眉間に寄った皺をぎゅっと揉んだ。


 話して回っただって? あいつ、あの目出度い頭でそんなことしやがったってのか?


 クソ、面倒臭い奴だな本当に! アルヴィアの奴、あとで文句のひとつでも言わせろって話さ!


 俺ははぁーっとため息をついてからクソガキを見た。


「とにかく……俺は用がある。酒の場所だけ教えろクソガキ。……それと仕事は仕事だ。荷物はお前が運べ」


 恰幅のいい女性と話すのもこの上なく面倒なことになる気がするんで、俺はそう言って顎で荷物を指す。


 女性は大きな目を皿のように丸くしてから豪快に笑った。


「手伝いを素直に受けてもいいんだけど……仕事は仕事ってのはいい考えだね。わかった。じゃあおちびさん、あんたには彼を案内する『仕事』を任せるよ。終わったらまた荷物をお願いするから」


「はい!」


 ――おい。なんでそうなるんだよ。


 どうなってんだ? この革命軍ってのは。


 それじゃあと歩き出したクソガキは憤慨する俺にちらと視線を向け、にっと笑った。


「兄さん、諦めてください。悪いけどここじゃもう兄さんは『英雄』みたいな扱いですし」


「……ち。お前、自分のせいだってわかってやがるな? しかも『英雄』だ? どこの御伽噺だって話さ」


「へへ。でも俺、兄さんは絶対に英雄向きだと思いますよ。綺麗ですし」


「おいクソガキ、その口縫い付けるぞ」


「そういえば打撲はもうよさそうですね。あとは肋骨のヒビか。でも……順調によくなっている気がします」


「……」


 さっぱり無視して続けるクソガキを見下ろし、俺はふんと鼻を鳴らした。


 やっぱりこいつ、見ただけで怪我がわかるのか。


 とすると俺の動作に怪我の影響が少なからず出ているってことだろう――それは必ず自身の弱点を晒す結果になる。


「どこの動きがおかしい。わかるんだろ」


 聞くとクソガキはぱちぱちと目を瞬いて……笑った。


「さすが兄さん! そうですね。呼吸がちょっと……吸うときに痛みがあるんだなって感じが。あとは体を捻る動作に一瞬の突っかかりみたいなのがあります」


「……なるほどな」


「――俺、オークたちの餌を用意する係だったんです。あいつらの餌になる家畜の解体を毎日、毎日、毎日――それから目を逸らしたくて人やオークの仕草や動き、呼吸、そんなのをじっと観察していました」


「…………」


「それで気が付いたんです。この人は腰が痛い、あのオークは足に傷がある……みたいに」


 突然話し出したクソガキに俺はなにも言わずにいた。


 ――それはきっと、こいつが生きる術だった。自分を壊さず保ち、生きようとした結果の産物ってわけか。


 クソガキはそこで言葉を止めると、空を見上げる。


「俺は強くはありません。ただ悔しかった。足蹴にされる環境も、命を狩られる皆を見ているだけでなにもできない自分にも。俺たち自身が家畜同然だったんです。そこで見た兄さんの強さは――目指すべき場所だって思いました」


 ふん。目指すべき場所ね。


 血に塗れた娯楽――アガートで俺は死線を越えてきた。


 生きるためになんでもした。死にたくないから相手を狩った。嘘を吐き、相手を傷つけ、オークどもの習性を利用した。


 肥溜めに浸かって、クソどものなかで地獄を歩いてきたんだ。


 ――そんなのを目指してなにになる?


「ハッ、馬鹿言うなってんだクソガキ。死にたいならほかでやれ。俺なんかを目指したっていいことないぞ。俺はただあいつら魔族をこの手で×○△※してやりたい……それだけだ。強くなりたいなら自分でなんとかしろ。お前の目は――お前の武器になるだろうさ」


 吐き捨てると……クソガキは小さく笑う。


 ふん、なにが面白いってんだ。


 するとクソガキは立ち止まって前を指差した。


「――そこの馬車にお酒があります」


「ああ。もういいぞ、戻れ」


「はい。――あの、兄さん」


「……その呼び方やめろ」


「俺、きっと強くなって兄さんの隣に立ちます」


「――ハッ、知るかよ」


 クソガキは俺と同じ色の髪を揺らして頭を下げると、踵を返して駆け出した。


 正直クソガキのことはどうでもいいが……死ぬならどこかほかの場所にしてくれ。


 誰かの命が指の隙間からこぼれていくあの感覚は気持ちのいいもんじゃない。


 ――魔族のものなら別だけどな。


******


 酒の馬車は黒く体格のいい馬が引いていた。


 筋肉のついた脚は硬い土ですらガシガシと削るだけの強さがあるらしい。


 オークどもが乗っていたのは猪みたいな魔物で馬の面倒なんてのはほとんどみなかったが……蹴られたら最悪は死ぬだろうな。


 御者らしき男に聞いたが、ここの酒は星の許可無しに蓋を開けることができないそうだ。


 一応確認したが星が酒を取りにきたなんて話もなかった。


 あの爺さん、何者なんだいったい。


 そのあいだにも出発に向けた準備は着々と進み、朝飯の配膳が始まったようだ。


 香辛料の臭いに腹が鳴るのに重ねて鼻を鳴らし……俺はなんの収穫も得られずに前線へと戻った。


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 その日の夜――俺が喧騒から離れると爺さんは当然のように暗がりから現れた。


 どこかで来るんじゃないかってな気がしてはいたからな。


 驚きはしなかった。


「待っておったぞ」


「今日はあんたが何者か聞かせてくれるんだろうな?」


 間髪入れずに切り返すと、爺さんは口髭をもそもそさせながら笑う。


「ふぉ……まあ座れ」


 俺は言われるがままに土の上に胡坐を掻き、言われてもいないのに瞼を下ろす。


 今日は手頃な枝がないが、代わりに小石を置いてやる。


「そら、始めろ」


「素直なのか捻くれておるのか……まあよかろ。儂の自己紹介をするには物語をひとつ聞いてもらわねばならん」


「……あぁ?」


 右目を開けて唸ると、爺さんは俺の正面に腰を下ろして酒を煽る。


「今宵の月もなかなか美人。では失礼して」


 爺さんは俺の声など聞こえなかったかのように……物語とやらを紡ぎ始めた。


 ――オーク族の隷属、その記憶を刺激されるのは『語り部』だった爺さんを思い出すからか。


 俺は黙って聞くことにして、腕を組んだ。


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 勇者は希望の星だった。


 だがしかし、ほんの少しの才に恵まれたごく普通の青年だった。


 人族の国――その王都の城で王族に騎士として仕える彼は優秀で、年々激化する魔族との戦いにおいて活躍していたのだ。


 あるとき王はこう告げた。


『かくも勇敢な我が騎士よ。我ら人族に希望をもたらす星よ。魔王ヘルドールを討ち滅ぼせるのはお主だけ。お主こそ勇者である』


 青年と志をともにする仲間たちは絶望の戦場を幾度となく駆け回り、国のため、王のためにと邁進した。


 人々は彼を勇者と讃え、その詩は国中を駆け巡った。


 しかし。


 魔族の進行は止まることなく、魔王の見えざる手は確実に人族を追い詰める。


 人族とともに戦うエルフ族や狼々族ろうろうぞくもまた窮地に立たされていった。


 勇者は戦い、戦い、戦って怪我を負い、早く前線に復帰すべく治療のため城に戻って――知るのだ。


 王族が城を捨て、はるか後方へと逃げていたことを。


 多くの民や……勇者とその仲間を置き去りにして。


 勇者はそれでも戦った。民のために戦った。


 けれどすでに満身創痍。


 魔王ヘルドールに敗れ、失意のなかで四肢を分かたれた――。


******


「これが勇者の物語だ。人族は彼を贄としエルフ族の協力を得て深い森の奥に新たな町を築いた。狼々族ろうろうぞくはこの件で人族を見限り、山のなかに独自の都を持ったと言われておる。そして捕まった民の多くは命を絶たれ……残りは」


 ――俺たち隷属に成り果てたってわけか。


 瞬間、俺はさっと小石を握り手首だけを振って前方に投げ付ける。


「ふぉっ……少しは動じるかと思ったが」


 瞼を上げれば、爺さんは左手の人さし指と中指で小石を挟んでいた。


 ぴりりとした殺気は一瞬で霧のようにかき消えたが、どこか気持ちの悪いものが腹の中に居座っている。


 勇者の物語ってのはまったくもって華々しくないんだよ。


 苛立たしくて馬鹿らしくて――気に入らないってもんさ。


「俺からすれば、勇者なんてクソ食らえだ。囃し立てられて調子に乗った大馬鹿者の与太話さ。死にたくなけりゃ逃げればよかったんだ」


 腹の中にある気持ちの悪いものをそのまま口にすると、爺さんは眉をぐあっと持ち上げてまじまじと俺を眺めた。


「ほう、憧れや尊敬の念はないと?」


「あるわけないだろ。ああ、爺さんはそのエルフ族と築いた町の出身か? ハッ、そりゃ頭も緩くなるって話さ!」


「……ふむ」


「人の命ってのは軽い――爺さんや革命軍が思うよりずっとな。簡単にもぎ取られて潰される。俺は『アガートラー』としてなにをしてでも死にたくなかった――自分の手で握り潰すことすらあったってことさ。そうやって生き抜いてきたんだ」


「……ではお主、なぜここにいる?」


「なぜ? ハッ! 決まってるだろ、魔族どもを○×※△してやるためさ! あの肥溜めでハイオークを屠ったときの高揚感――また味わえるなら革命軍は特等席だ」


「しかしそれはある意味、死に近くなることではないか?」


「死にそうになったらなにをしてでも生き抜く。死に物狂いで生きてやるさ。あんたらがどうするかは知らないがな」


「……」


 爺さんは目を閉じてもそもそと口髭を撫でると、水筒の酒を煽った。


 そして美味そうにぷはりとため息を吐き出すと――じっくりと二度頷いてみせる。


 開かれた双眸は蒼く蒼く……俺を見据えて探るような光を放つ。


「お主の気持ちはわかった。ひとつ助言をやろう」


「助言?」


「近しい者をも切り捨てる覚悟はいつか必要になるぞ『アガートラー』」


「――ふん。その言葉はアルヴィアにでも言ってやれ、俺には関係ない」


「ふぉっ、そうかそうか」


 爺さんはからからと笑うと流れるような動きで石を放った。


 目の前にぽとりと落ちたそれを見て、俺は瞼を下ろす。


「物語とやらは終わりか?」


「いや。もう少し付き合ってもらおうかの」


******


 そもそも魔族たちは人族が住む場所よりもはるか北に住んでおった。


 奴らは凍てつく大地に細々と根付く動植物を糧に生きていたが、南の肥沃な土地を奪うために進行を始めたと聞く。


 そして人族が暮らす中央部からさらに南の樹海にはエルフ族やほかの種族が暮らしており、人族たちの暮らす中央部は森に住まう彼らにとって魔族との緩衝帯だったそうだ。


 エルフ族や狼々族ろうろうぞくが対魔族との戦いにおいて人族に力を貸した理由のひとつであろうの。


 勇者亡きあと、魔王ヘルドールは人族の王都――その城を己がものとした。


 儂らがいるのはその居城のはるか南――広がる樹海のほんの少し北側にあたる。


 革命軍が目指すのは魔王ヘルドールの城というわけだな。


 あれこそ、人族が取り戻すべき平和の象徴とされているからの。


 勇者や民を置いて逃げ果せた人族の王はエルフ族の協力を得て森の中に新たな町を築いたが、彼らは自らが見捨てた勇者の物語を美談として語った。


 百年経ったいま頃になって『勇者のために人族の国を取り戻せ』と言いだしたのも彼らだ。


 ――そして革命軍の星たちはかつての勇者の子孫から選ばれている。


 お主の言葉を借りるのであれば、囃し立てられて調子に乗った大馬鹿者たち、といったところかの。


******


 奇妙な間があって、俺はさわりと揺れた気配を感じて咄嗟に後ろ手で小石を投げた。


 カツンと音がして視線を這わせれば――後ろには籠手で小石を弾いたのであろう甲冑の女性騎士の姿。


 今日も今日とて月に映える銀の髪が揺れた。


「……突然石を投げるとは何事です?」


「――はあ。またお前かアルヴィア」


 邪魔するなよ、と言いかけたが――あの爺さんのことを悟られるのも面倒そうだ。


 俺はがしがしと頭を掻いて前を向いた。


 ち。なんだってこんなところに来るんだって話さ。


「なにをしていたのですかアガートラー」


「別になにも。静かなところでゆっくりしたかっただけだ」


「なにもしていない? ……! もしや瞑想⁉ 邪魔をしてしまったようですね。失礼しました」


「はぁ?」


 こいつ本当に頭おかしいんじゃないか?


 考えながら俺はふと思う。


 星とやらが勇者なんてのの子孫だとしたら、こいつも『そう』で、バリスとは血が繋がってるってことか。


 アルヴィアはなぜか俺の横に腰を下ろすと真剣な顔で言った。


「怪我の具合を聞こうかと思ったのですが、瞑想で己を磨くその気概――賞賛に値します。昨日も瞑想していたのですね?」


「……はぁ。勝手に言ってろ。――腹は問題ない」


「それならいいのですが。ではこちらはあまり必要なかったかもしれませんね」


 アルヴィアはそう言うと小さな水筒を差し出した。


 果物の実を乾燥させて作ったような――んん? 爺さんの持っているやつと似てやがる。


「なんだそりゃ、酒か?」


「はい。よくわかりましたね……? 痛み止めを飲んでも傷が痛むのかもしれないと――」


「ハッ、酒ってのは痛み止めにもなるのか? 星しか取り出せないって話だったが、そんな貴重なもんを俺に持ってくるってのはどうなんだ?」


「――う。やはり違いましたか……いえ、それならいいのです。急にお酒の話をするので気になって……もしかしたら『弟』に会いたいだけではないのかもしれないと考えました」


「おい、弟ってのはやめろ。――むしろお前、自分の兄だか弟だかを心配したらどうなんだ?」


 思わず言ってしまって、内心しまったと思った。


 アルヴィアは訝しげな顔をすると、ややあって「ああ」と頷く。


「バリスのことですね? 彼ははとこにあたります」


「あ……?」


「はとこ。私の祖父とバリスの祖母が姉弟なのです」


「……」


 至極どうでもいいことを聞いちまった。


 俺は無言でかぶりを振って手を出す。


「……寄越せ。せっかくだから」


 酒とやらは呑んだことがないが、爺さんを見ているとたぶん美味いものなんだろう。


 アルヴィアは冷めた蒼色の瞳をぱちぱちと瞬くと、ふふと笑って水筒を俺の手に載せた。


 籠手の下の白い指は細く、とても剣を振るうようには見えない。


 よくもまあ魔族を倒そうだなんて思ったもんさ。


 革命軍に参加しているのは己の意志だと話していたが――自由とやらへの言動や星として担ぎ上げられた現状を考えると、アルヴィアの本心は別のところにあるのかもな。


 まぁ、俺の知ったことじゃない。


 俺は俺のために利用できる場所があればそれでいい。


「貴公はやはり優しい。気を遣わせてすみません。でも、今日だけ特別ですよ」


「……はぁ?」


 ――優しい、だと?


 背筋を嫌な寒気が奔る。


 俺は何度目かわからないため息を吐き出して水筒をふんだくると空を見た。


 月は今日もさめざめと光を発し、遠く聞こえる喧騒がどこか心地よい。


 そんななか、アルヴィアは微笑んだままとんでもないことを言った。


「ちなみにそれは補給物資から持ってきたものではありません。『革命軍総司令官』……つまり私の祖父の弟にあたる人物から拝借したものです。お酒に果物と砂糖、薬草を漬けた特製果実酒です。美味しいですよ」


「…………」


 ――あのクソ爺め。お前も星ってわけか……ハッ、どんな気分で俺の話を聞いていたんだかな!


 口に含んだ酒はとろりとした舌触りで、喉から鼻へと抜ける甘酸っぱい香りとかーっと熱い喉越しに俺は舌を巻く。


 心底癪だが美味い。



 ――結局。


 その夜からゴブリンの巣に到着するまで、爺さんは現れなかった。

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