異形の儀式-カノナス-④
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「見てくださいよ兄さん、ほら、あれ、鳥ですよ! 大きいなぁ」
頭上を指して笑うクソガキに、俺は辟易してため息をついた。
こいつ、少しは静かにしろってもんさ。
手に入れた防衛拠点を出て川沿いを山脈へと向かうのは俺とアルヴィア、そしてどういうわけかこの子供のアガートラーだった。
アルヴィアいわく、『少年の目はとても有用です。今回はどうしても補給兵の力を借りたいと思ったのですが、戦闘の可能性を考えると多少でも剣術の心得があることが望ましい。なによりアガートラーと行動をともにすることができる人材でないとなりません』……という采配らしいが、俺と行動できるとかいう話は余計なお世話とやらだ。
ちなみに補給兵たちは設営や備品管理、食料管理もこなす。
たしかに俺とアルヴィアだけで一カ月近く旅するってのは難しかっただろう。
「少年はあの鳥を見たことがなかったんですね」
「はいアルヴィア様。見たことがある鳥はほとんどが食べるための鶏やガチョウでしたから!」
「ん……そうですか……。ここにはもっとたくさんの生き物がいます。あの鳥は確か『フィード』という名前で、大きな翼で空を悠々と飛び、凄まじい視力で獲物を見つけて狩ることができるんですよ」
アルヴィアの言葉どおり晴れ渡る青い空を悠々と飛んでいる鳥は、草原のような緑色をしている。
あんな目立つ色じゃ獲物だってすぐ気付いて逃げちまうんじゃないか?
俺は右手を目の上に翳して影を作り空を見上げながらそう思った。
「フィード……格好いいですね」
クソガキは風に乗る鳥を見詰めたまま呟き、ひとりで頷く。
それを聞いたアルヴィアが目を輝かせて俺を振り返った。
どうでもいい話だが、満足な整備もなかなかできないだろうからとアルヴィアは泣く泣く甲冑を諦めたらしい。
胴鎧は裏地に金属板を縫い付けた革製にしているが、肩と腕、足はいつもの白銀の鎧なところを見るに……そこまでがギリギリの抵抗だったようだ。
俺からすれば馬鹿だろとしか言いようがないけどな。
「そうですアガートラー! 名前! 名前を付けませんか?」
「はぁ?」
「便宜的にアガートラーと少年と呼ばせていただいていますが……やはり呼び方は大切です。それにアガートラーだってそもそも名前ではないでしょう?」
「…………」
俺は何度目かわからないため息をついて頭を掻き、歩き通しで汗ばんだ顔を撫でる風を感じながら口を開く。
「俺には必要ない。そのクソガキにでも付けてやれよ」
「またそんな。どうしてです?」
どうしてと言われても別にどうでもいいからだ。
名前なんかなくたって生きるのに支障はない。強いて言うなら特定の奴を呼ぶのが面倒臭いってだけか。
それも革命軍に入ってから知ったことで、正直なところ誰かと一緒に過ごしてきた記憶はもうかなり昔のものしかなかった。
アガートラーになる前、狭い部屋にぎゅうぎゅうに押し込まれた隷属たちとの記憶。
あのときはどうしていたんだったか……。
考えているとクソガキが視線を戻して肩を竦めた。
「アルヴィア様、俺たちずっと役職でお互いを呼んでいたんです。だから個々に名前があるって知ったいまもピンときません。……あの鳥もそうですよ。フィードっていうのはたくさんいるあの鳥全体の名前で、いま俺が見ているあの個体の名前じゃないってことでしょ? だからなんだかそう言われるとむず痒いんです――兄さんもそうだと思います」
役職――か。
俺はアガートラーになる前は家畜の世話をしていた。
確かに家畜係とか呼ばれていたかもな、と苦い笑いをこぼすと、アルヴィアが胸の前で両手を握り絞めて首を振った。
「でしたら尚のこと貴公たちには名前が必要です。名前は特別な誰かであることの証。私は勇者の末裔……星であるという以前に『ただのアルヴィア』なのだと最近理解しました」
「……え、最近ですか?」
クソガキがぱちぱちと瞬きすると、アルヴィアはうっと喉を詰まらせて目を泳がせる。
「え、えぇ、まぁ……。だから名前は大事で、私は貴公たちを『役職』ではなく『個』として呼びたいといいますか……」
日の光を浴びる銀の髪は豊かな艶を纏い、風に揺らいでいる。
この騎士様ときたら頼りないことこの上ないってもんさ。
俺は鼻を鳴らして空を指した。
「ならクソガキは『フィード』だ。俺は『ただのアガートラー』のままでいい」
「……えっ?」
クソガキが驚いたように飴色の目を瞠るが……アルヴィアはその斜め上をいった。
「どっ、どうしてですか? ただのアガートラーだなんて! 貴公は――はっ、まさか、いままでアガートラーだった方々の思いを背負っていることを選ぶという誇り高い決断なのですか……⁉」
おい。ちょっと待て!
俺は思い切り顔を顰めた。
「ふざけんなアルヴィア! なんでそんな捉え方をしやがるんだって話さ! お前いい加減その目出度い頭をなんとかしろ!」
「照れなくてもいいではないですか! その気概――賞賛に値します。わかりました、ではこうしましょう!
「なにが『そうですよね』だ! くそっ、真面目に返してやったのが馬鹿だった。面倒臭いな本当に――」
「あはは――痛ッ」
「あははじゃねぇよクソガキ! お前のせいだろうが!」
俺は『フィード』に思いっきりデコピンを喰らわせてやってからさっさと前に出た。
クソが。なんだってこんな奴らと三人で歩かなきゃならないんだって話さ!
「ふふ、フィード、そうと決まれば
「はい、アルヴィア様!」
勝手に言ってろ。
俺は盛大に鼻を鳴らして土を蹴り上げるのだった。
******
山脈に辿り着いたのは防衛拠点を出て十日後の昼頃。
俺たちは携帯食料を温存するために道中では可能な限り採取で食べ物を得たが、これはもっぱらアルヴィアの仕事になっている。
俺とフィードからすればその辺の草で食えるものの見分けはつかないからな。
狩りもしたが、これはあくまで獲物がいたときの話だ。
アルヴィアいわく弓があればもう少し狩りやすいそうだが、勿論そんなもんはない。
唯一水だけは併走する川の恩恵を存分に得たと言ってもいいだろう。
川は平原のど真ん中にあり、高低差はあれど崖に挟まれた状態で流れているために水を汲める場所は限られていたが。
そうして木々が増え、いよいよ迷わないよう気を付けなければならない状況で俺はあるものを発見する。
「……? おいアルヴィア。あれ見ろ」
「はい? ――あ! あれは橋……でしょうか?」
「たぶんな」
崖の上に生える木々の隙間から縄のようなものが覗いているのだ。
川は山脈に近づくうちにかなり狭くなっていたが、そこに橋があるってことは『誰かいる』ってことだろうさ。
俺はアルヴィアに頷いて橋に向かった。
――橋は蔦を編んで作られたもので、その端は崖沿いに生えた太い木に絡んでいるが……驚いたことにちゃんと地面から生えている。
長年かけて育てたんだとしたら気の長い奴らもいたもんだ。
変な感心をしているとアルヴィアがその橋に足を掛けてしゃがみ込み、表面を撫でる。
「泥が付着しています。……まだ乾ききっていない……やはり誰かが使っているようです」
言いながら指先を擦り合わせ、アルヴィアはすぐに立ち上がった。
「誰かが通るということは道があるということでしょう。山脈方面に向かってみましょうか」
「アルヴィア様、兄さん、こっち! 足跡です!」
そこでフィードが手を振って俺たちを呼ぶ。
「なにがいるのかわからない。声は落とせ馬鹿」
俺が言うとフィードは口元を押さえてから大きな荷物を背負い直して頷いた。
……そこから上り坂を歩き続け半日。
細い道は人族がふたり並ぶとギリギリの幅で、うっそうと生い茂る下草によってうまい具合に隠されていた。
空が暮れてきた頃合いで道から少し逸れた先に大きな岩を見つけ、アルヴィアが「今日はあそこで休みましょう」と声をかけてくる。
……なにがいるのかわからないからな。火を使うのは控え、俺たちは張り出した岩の下に草を敷いて寝床を作った。
フィードは拾ってきた枝を組んで地面に刺すと草を被せ、俺たちの寝床が見えにくいよう工作をする。
そのあいだに俺とアルヴィアは爺さんから預かった地図でおおよその場所を確認した。
――夜は交代で番をすることにしていて、最初は俺だ。
アルヴィアとフィードが寝床に潜ったのを確認して、俺は岩の上で胡座を掻く。
エルフ族が作った手のひらに収まる大きさの魔法の円盤――そこに設置された針がぐるりと一周したところで交代だ。
冷たい岩は表面がゴツゴツしていて、下のほうは苔で覆われている。
自分が座っている部分はほかよりは平らになっているようだが――これもここに住む「誰か」が使ってきた結果かもしれない。
……それにしても平原とは違ってどうにも落ち着かない場所だな。
どこかから常になにかが見ている――そんな感覚が拭えないときたもんだ。
森で感じたのとも違う奇妙な気配が、虫の鳴き声に潜んで蠢いているような――。
ふとそう考えた、そのとき。
話をしているような音が迫ってくるのに気づき、俺は咄嗟に岩に身を伏せた。
(――アルヴィア)
(……どうしましたアガートラー)
(なにか来る。フィード起こしておけ)
(わかりました)
小声で短くやり取りを交わし、息を殺す。
虫の声がまるで呼応するように静かになっていくなかで、ざくざくと足音が聞こえてくる。
山脈の上のほう……風上からだ。
「まずいよ。帰ろう――俺たちだけじゃ無理だって」
「ここまで来たんだ、もう少し先まで確認する」
「いや、もう無理だよ! 妹が心配なんだろうけど――夜は危険だ。魔物も活発になるし」
「じゃあお前は帰れよガロン」
「ちょっ……マイルはどうするんだよ、まさかひとりで行くつもり?」
「――当然だ。あいつは夜にいなくなった……まだこっちは捜していない」
「待てよマイル!」
じっと目を凝らすと……言い争うふたつの影が下草を揺らして姿を現した。
姿こそ俺たち人族に似ていたが――見えたのは頭の上に突き出す三角耳。
当たりだな。あれが
……実のところ俺は狼とやらを見たことがない。
語り部の爺さんが枝で砂の上に描いた画でしか知らない存在だ。
ただ、あの耳……豚や牛とも違う三角耳は画に似ている。
俺はじっと息を殺し、岩に這いつくばったままでふたりを観察する。
「そもそもナノの匂いが残ってたのは山頂方面じゃないか! それも途中で忽然と消えていたし……ナノを連れ去った奴がいたとしたらたぶん空を飛ぶんだよ」
「だからってこちらを捜さない理由にはならない」
「そうだけど……って、待てってばマイル!」
小さいほうがガロン、でかいほうがマイル――で、マイルの妹のナノが行方不明ってところか。
しかも空を飛ぶ奴が連れ去ったのか?
……そんなでかい魔物がいるのか、それとも……。
俺の脳裏に鮮やかに過ぎるのは紅蓮の龍。
知らずふるり、と身震いして……俺は唇を湿らせた。
「……おい
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