異形の儀式-カノナス-③
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そのあとは飯を食って武器と防具を外し、アルヴィアがやれ体を拭け髭を剃れとうるさいので渋々従って横になった。
あてがわれたテントは広場から少し離れた場所に設置され、その周りを補給兵たちが忙しなく動き回っている。
アルヴィアは準備をすると言っていたが作戦の詳細は俺には関係ないしな。
正直なところ儀式とやらまで一カ月しかないのに稽古なんかしてる暇あんのか? とも思うが、出発の準備があるから問題ないと爺さんに言われた。
俺としては魔族を○△※×したいのに、そもそも城に入れませんでした……なんてオチは御免だが、爺さんが言うなら大丈夫なんだろうさ。
ふん、ヴィルマンテか――対人戦に特化しているとかいう動き、どんなもんだかな……!
俺は瞼を下ろし深く呼吸する。
動き回る人々の喧騒がゆっくり遠ざかっていく。
休むときは休む。戦うためには必要なことだった。
……
…………
昼過ぎには起きることにした。
夜に活動していた体を戻す必要があるからな――今日は日付が変わる前には寝たいところだ。
するとアルヴィアが見計らったようにテントに現れる。
「アガートラー……あ、起きましたか。貴公、脇腹の手当てを受けませんでしたよね?」
…………はぁ。
「今回のは折れちゃいないんだ、そこまで気にするもんでもないだろ」
「駄目です。そうですね……貴公には万全を期していただかないと。魔族と戦うのに痛みで鈍った一撃なんて愚行ですよ?」
「……ふん。思いつきで言うなってんだ。こんな痛み程度で大袈裟だな」
「痛むなら大問題です!」
まったくこのお節介ときたら面倒臭いことこのうえない。
俺は包帯を手にじりじりと近寄ってくるアルヴィアに右手をひらりと振った。
「――ち。寄越せ、それくらい自分でなんとかする。ただ巻けばいいんだろ?」
「ただ巻けばいいわけではありません! 私が巻きますから、しっかり覚えてくださいね?」
結局、問答無用でアルヴィアに身包みを引っ剥がされてしっかりと包帯を巻かれた。
誰だよ着替え見るのに抵抗があるとか言っていた奴は。
……隷属のときは手当てなんてものなかったからな。包帯を巻かれたことなんざなかったし、当然巻くことも皆無だった。
この前肋骨をやったときは布を畳んで押し当てた上に包帯を巻かれたが、巻き方を見ていたわけじゃないからな。
とりあえず覚えておくに越したことはないだろう。
俺がそう思ってアルヴィアの動作をじっと観察していると、アルヴィアは戸惑ったような顔で唇を尖らせた。
「綺麗な男性にじっと見られるというのは――緊張しますね」
「あ? なに言ってんだお前。馬鹿か?」
「あとはやはり言葉遣いですアガートラー! 貴公は知識もありますし……そういえばどこで学ばれたのですか?」
「ハッ、余計なお世話だ。…………それに学んだわけじゃない。隷属だったのにそんな機会があると思うか?」
「……う。すみません……それはそうですが。それでも貴公や貴公の弟の少年にはしっかりとした学びがあったと感じます」
「弟じゃない、勝手なこと言うな。――いいかアルヴィア。百年前に勇者が負けたことで隷属になった奴らには十代や二十代だっていたんだ。当たり前の話だろうさ。ほかの隷属がどうかは知らないが、俺たちはそいつらが語り継いだことを聞いて外がどうなってるのか想像してきた。……俺がまだアガートラーになる前まで語り部だった爺さんは二代目だが、そりゃあ頭がよかったぞ」
――数多くの物語。数の勘定や金の話、人族の営み。
満足に外に出る機会のない俺たち隷属にとって、語り部たちの話こそが『学び』とやらだった。
結局、語り部の爺さんもあの肥溜めから出ないまま死んじまったけどな……。
あれこれ考えているとアルヴィアが突然包帯をぎゅっと引いた。
「……っ、おい」
「あ、すみませんでした。痛かったですか?」
「急になんだよ」
「いえ、少し……アガートラーの気持ちを思うと胸が痛かったので力が入ってしまいました」
「はぁ?」
「
「……ふん、なんだそりゃ」
俺は鼻を鳴らして胸元でゆっくりと右手を握り締めた。
「まずは魔族のクソどもを○×△※してやる――話はそれからだ」
アルヴィアはなにを思ったのか、それを聞いて思い切り破顔した。
******
ヴィルマンテが俺との稽古に選んだのは町の北側に掛かる巨大な石造りの橋だ。
はるか眼下の急流が岩に当たって弾け轟々と渦巻くさまは、夜中に見たものよりもいくぶん穏やかに見えた。
日が暮れる前のまだ明るい時間帯で視界はいい。
「……さぁて、やるかヴィルマンテ」
練習用の剣を取る俺の正面、ヴィルマンテはゆっくり頷く。
日の光を散らす甲冑は角度によって目眩ましにもなりそうだ。位置取りには注意が必要だな。
バリスとアントルテもヴィルマンテに付いてきたが、黙って見守るつもりらしい。
俺は右足を前、左足を後ろに構える。
「いつでもいいぞ」
「ああ。……いくぞアガートラー」
静かで低い落ち着いた声。
ヴィルマンテは切っ先を俺に向けて両手剣を高く構えると腰を落とす。
……こういう奴は大抵最初に様子見をするもんだ。
俺は迷わず右足を踏み出して一気に距離を詰めた。
――なら先に仕留める! 先手必勝ってもんさ!
「ふっ……!」
息を吐き出して左の短剣を突き出す。
右足を引いて半身を逸らすことで避けたヴィルマンテは小手調べとばかりに俺の顔目掛けた突きを繰り出すが――ハッ、一撃で決めるつもりはないんだろうさ!
俺は頭を右に捻って左頬すれすれで剣を躱し、そのまま口角を吊り上げた。
試すような行動は戦場じゃ無意味。ヴィルマンテは流れるように剣の柄を押し出すことで俺の首に刃を当てようとするが――見え見えなんだよ!
俺は右の長剣をくるりと返し切っ先を下に向け、ヴィルマンテと自分の首のあいだに差し込み柄の部分を絡ませて押さえる。
もらった――ッ!
腹の底に力を入れ、がら空きになったヴィルマンテの上半身に引き寄せていた左の短剣を突き込もうとしたが……その瞬間。
前にある左足を軸に、ヴィルマンテが俺の腹目掛けて右膝を繰り出してきやがった。
「……ちっ」
俺は危険を感じて跳び退き、切っ先を前に剣を構え直す。
その瞬間、鮮やかな動きで
「防御が崩れれば攻めるつもりだったが――なるほど。アルヴィアが目を留めただけある」
余裕だとでも言いたげな口調でこぼすと、ヴィルマンテは再び高い位置で剣を構えた。
「バリスと違ってあんたは蹴りも使うんだな。ぶん殴るのもありか?」
「――無論だ。使えるものは使う、それが戦場」
「ハッ、言うじゃないか」
次はヴィルマンテも動くだろう。
俺は目を逸らさず、じっと窺った。
――そして。
ダンッ
ヴィルマンテが足下を鳴らして大きく踏み込む。
切っ先は俺の顔を捉えたままで、ぶれることがない。
対して俺は左の剣でその刃を受け、右の剣でヴィルマンテの顔を狙い返す。
次の瞬間にはヴィルマンテの剣が弧を描いて俺の短剣を巻き込み、切っ先が再び俺の顔に迫った。
「――ッ!」
速い。
俺は攻撃を諦め、咄嗟に膝を折って重心をこれでもかというほど深く落とし、退くのではなく踏み込むことを選んだ。
右手の長剣の間合いよりもさらに深い位置、懐に入り込もうとする俺に迫るのはヴィルマンテの右膝。
「二度目はないぞヴィルマンテ!」
「同じ攻撃をすると誰が言ったアガートラー!」
右の剣の柄でヴィルマンテの膝を打とうとした俺に、ヴィルマンテは迷わず剣を捨てて俺の頭を両側から掴み、蹴るのではなく右足をドンと降ろした。
「――ぐっ⁉」
さすがに想定外だって話さ!
そのまま頭を引かれ……俺が倒れまいと重心を後ろに寄せたところで、ヴィルマンテは俺の左側に左足で一歩踏み出して足を掛けてくる。
「ちっ――!」
左手はヴィルマンテの上半身に押さえられていて決定打を打てそうにない。……俺は思わず舌打ちをした。
そのあいだに頭を押されるようにして突き離され、上半身が追随して傾ぐのを感じた俺は、倒れながら体を捻って右の剣を投げつけた。
「ぬ!」
石の橋を転がった俺はヴィルマンテの練習用の両手剣を掴んで後方に投げ捨て、左の短剣を右手に持ち替えて構える。
「あんたどういう反射神経してんだ? あの体勢で普通掴めるか?」
「――ふふ。ここまでとは……」
俺の放った剣を咄嗟に掴んでいたヴィルマンテが兜越しに笑う。
「バリスがやられたのも納得できような。ジュダール様が入れ込むのもわかる」
「ハッ、総司令官の爺さんか? あれはもっと強いんだろ? ――あんたはどうだ」
「……少なくとも貴公と五分。まだ若いだろうに、そのような戦い方ができるとは」
「ふん。よく言う。まだ実力隠してるだろあんた? ――若いかどうかは関係ない。俺がこうなったのはあの肥溜めで生きるために必要だった、それだけだ」
「……アルヴィア」
俺に向けて笑ったような空気を撒いたヴィルマンテは控えていたアルヴィアに声をかけた。
アルヴィアはガチャリと肩を跳ねさせて姿勢を正し、銀の髪を風に流したまま胸に手を当てる。
「はい、ヴィルマンテおじ様」
「いい男だ。しかも美しいときた。たしかこうだったか……『俺をあんたの傍に置け』」
「――あぁ?」
俺が思わず返すと、アルヴィアがむうっと唇を尖らせ、眉を寄せた。
「ヴィルマンテおじ様。からかうのはよしてください……彼は本当に美しいのですが言葉が強烈すぎるのですっ! 世の女性が混乱しないよう、私がなんとかしなくては」
「お前のそのときの顔、ぜひとも見たかったものだな。――それとアガートラー、バリスの言うとおり髭は剃っておけ。そのほうが綺麗だぞ」
「…………はぁ?」
どいつもこいつも――。
「おい、星ってのはこんな奴らばっかりか? 綺麗だとか美しいだとか……無縁だった俺からすりゃなにがいいのかわからないってもんさ!」
俺が盛大に文句を言うとヴィルマンテは俺に向けて掴んでいた剣を差し出しながら頷いた。
「貴公はもう隷属ではない。それなら尚のこと身嗜みを整えられる環境を楽しむといい。時間だ、稽古は終了しよう。また時間が取れたときには一戦よろしく頼む。――アントルテ、バリス。お前たちにももっと教え込まねばならないと痛感した。覚悟しておくといい」
「――は、はい。かしこまりました、父様」
「……」
慌てたように返事をして唇を一直線にして引き結んだアントルテと対照的にバリスは不機嫌そうなまま俺に歩み寄ってきた。
「――なんだよ?」
「俺はお前が大嫌いだ。だからお前がどうなろうと構わん。だがアルヴィアは星だ。その名を傷付けるような真似はするな」
「ハッ。威勢がよくなったもんだなバリス! 星ね――俺からすりゃお前もアルヴィアもただの人族、ただの大馬鹿者ってだけだ」
「……このッ」
胸倉を掴む勢いで額を突き合わせ、バリスが顔を皺だらけにして唸る。
俺は目を逸らすことなく口を開いた。
「自分が偉いと思ってんなら大間違いだ。お前の斥候部隊、ひとりひとりの顔をちゃんと見てみろって話さ。お前の顔色窺って――まるで隷属だぞ」
「――!」
瞬間、バリスが冷めた蒼い目を見開き息を呑んだ。
「星が聞いて呆れる」
俺はそれだけ言ってバリスに背を向け、アルヴィアに言った。
「アルヴィア、出発はいつだ?」
「えっ、ああ。明日の早朝に発ちましょう。人選と準備はそれまでに済ませておまきますから、貴公は今日は休んでいてください」
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