勇者の子孫-ゲノス-③

 ――そのとき。


 白銀の甲冑が飛び込んできて――俺と一緒に弾き飛ばされた。


 地面を跳ねた体が三度みたび液体にまみれたが、俺は構わず直撃を食らったはずの騎士に手を伸ばす。


「アルヴィア……ッ」


 馬鹿が! なんでそういうことをしやがるんだって話さ!


 庇う必要なんざなかったってのに――こんなところでお人好しを発揮するんじゃねぇよ!


「私は――大丈夫、です……貴公こそ……」


 隣に転がったアルヴィアが両腕を液体のなかに突いて体を起こす。


 同時に兜が割れ、ゴトリと音を立てて落ちた。


「……っ」


 豊かな艶を持つ銀色の髪がばさりと垂れる。


 毛先が赤黒い液体に浸ったところで……アルヴィアはゆるゆると顔を上げた。


「――お前!」


 その額からは鮮血。


 それが目に入るのか何度も瞼を瞬くアルヴィアは首を振って自身の剣を探す素振りを見せる。


「貴公ほどではありません、あとは……私が」


「馬鹿言うなってんだ」


 俺は血の滴る震える腕で体を起こす。


 クソ……体がうまく動かない。


 それでも――たぶん秘薬のせいだろう。本来なら悶え苦しむはずの酷い傷にも関わらず痛みは遠く、どこか他人事のようにすら感じた。


 これならまだやれるってもんさ。


 ……そこに笑い声が降ってきた。


「残念ながら貴公はここまでだよアガートラー。……そうだアルヴィア、君が彼にとどめを刺すのなら先祖である僕に剣を向けたことを許そう。僕は魔族となったいま魔法だって自由自在なんだ。勝てるわけがないだろう?」


 見上げた先、階段の上で悠々と口元を歪める醜悪な生き物。


 ヒビの入った赤い角が黒い空にくっきりと浮き上がって見える。


 改めてまじまじと眺めたあとで……俺は鼻で笑った。


 あれが勇者だったって? 酷ぇつらしてやがるな。倒すべき相手だった魔族――しかも魔王になるなんざ皮肉なもんだ。


 魔族の女の言葉が鮮やかに脳裏に過ぎる。


『それでも滅したいのならともに堕ちる・・・がいいわ』


 そう、堕ちたんだ。こいつは。


 ――だから。


 このクソ野郎を○△×※するのに必要ってんなら、ともに堕ちてやるさ。


 俺はベルトの革袋を握り締めた。


 そのとき、自身の剣を見つけたアルヴィアがそれを支えに立ち上がる。


 艶めく銀の毛先からは赤黒い液体が滴り落ち、白銀の鎧はドロドロに汚れて酷い見た目だ。


 だってのに――この騎士様ときたらどこか清純で凛とした空気を纏っていた。


 どっちが勇者かって聞かれたら……俺は間違いなくアルヴィアを指すだろうな。


「魔族の女性が言っていました。勇者様は絶望したから魔族となったと。――私は……勇者の子孫……『星』であることがずっと恐かった。勇者様と同じで自由など私にはないと思っていた――」


 アルヴィアの鎧が擦れて鳴り、その剣が持ち上がる。


 俺は外に置いてきた魔族の女とアルヴィアが会話したことにそこで気がついた。


 クソ勇者が魔王になったってのはあいつから聞いたのか。


 ……まったく呆れたもんだ。それでも臆せず乗り込んでくる――それがこの『星』の在り方なんだろう。


「けれど違ったのです――私には……私たち・・・にはずっと自由がありました。ここにいるアガートラーがそれを教えてくれた。苦しんできたのに折れず、ここまできた彼の行いは称賛に値します。……絶望にすら負けないその気概こそ……私たちには必要だったのです勇者様。だから私は彼を守ります――勇者の子孫として、私が――最期まで」


 俺はその言葉に胸が詰まった。


 馬鹿言うなって話さ。俺はただ魔族のクソどもを○△×※したかっただけ。


 そのためにお前の――革命軍の星とやらの隣が特等席だと利用したまでだってのに。


 だからかもな……心は決まった。


「ったく……なにが最期だ、言っただろうが」


 俺は革袋の中身――残りの秘薬を全部握り締め、立ち上がる。


 イチかバチかってやつだがやれる気がしてきたってもんさ。


 こぼれる命を貪ろうと足下で震える赤黒い液体に一瞥をくれてやり、それを凝縮したような酷い臭いの塊を口の中に放り込む。


 体を折るほどの不快感が全身を駆け抜けるが歯を食い縛って堪え、俺は続けた。


「――死にたくなけりゃ逃げればいい。だけどな! 俺はこんなクソみたいな場所で死ぬつもりはないぞアルヴィア」


「……ふふ、そうでしたね。では訂正しましょう、ここを切り抜けるまでは私が守ります」


「ハッ。言ってくれる――誰が守られてやるかって話さ」


 俺はアルヴィアの隣に立ち、熱く燃えそうな体に空気を満たした。


 思ったとおり痛みは遠のいたが血は止まったわけじゃない。


 長くは戦えないが――そのあいだに仕留めるだけだ。


「――残念だよアルヴィア。僕の子孫となら平和を掴めると思っていたのに」


 クソ勇者……アガートはゆっくりとそう告げて剣を構える。


 その目はこうなることを悟っていたかのような静かな光を湛えていた。


「僕だって王と民を守ってきたんだ。君の気持ちは痛いほどわかる――けれどどうだ? 結果としてただの捨て駒――裏切られて絶望を味わった。守る価値などなかった……そう思うのに十分だよ」


「……そうですね。だから勇者様はここにいることに決めたのでしょう。けれど――アガートラーを真似るならこうです。『ハッ、薄っぺらい理由だな!』」


「……あ?」


 思わず顔を顰めた俺にアルヴィアはくすりと笑うと、血に濡れた前髪を左手で払い、そのまま大きく振り抜いた。


「裏切られたからなんだというのです! 絶望なんてしている暇があれば平和に向けて進むべきだった! 私は少なくともいまの勇者様……いえ『アガート』、貴公に下るなど勇者の子孫・・・・・として考えられませんッ!」


 …………!


 ぞくぞくしたって例えが正しいのかわからないが――ハッ、言うじゃないか!


 思わず口角が吊り上がるのを感じた俺はアルヴィアと一瞬だけ視線を交わし、目を瞠るアガートを盛大に笑い飛ばした。


「ざまぁねぇなアガート! 下手くそな真似されるのは気に入らないが……ま、その考えは気に入った。乗ってやるってもんさアルヴィア!」


「……絶対に似ていたと思いますけどねッ」


 不敵な笑みを浮かべた革命軍の星がそう返すのと同時。


 足下で面白がるように震える赤黒い液体を蹴散らして――俺たちは踏み切った。


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