Lv.35 ティンガの森

 昔、魔王を倒した勇者は旅の後、共に闘った旅の仲間のモンスターをティンガの森に放した。そのせいか50年立った今でも森に住まうモンスターはみんな気性が穏やかで優しい。小さな森でひっそりと暮らし、自分たちの生活圏を守っている。住処を内緒にしているのは人間に荒らされることを恐れているため。道中、仙人はそんなことを話してくれた。


 森はマヌールの村からは30分ほどの場所にあった。正確な位置は忘れるように仙人に言われたので3人もそのように努める。何の変哲もない森に見えたが、入ろうとすると入り口で結界のようなものにボヨンと跳ね返された。仙人は尻もちをついた沢渡の前に進み出て2本指を突き出すと何かを念じながら結界を掻きまわした。するとシャボン玉の膜が消えるように結界がプツと消えた。


 露わになったのはたくさんのツリーハウス。大小様々なツリーハウスがあって、それはこの森に大小さまざまなモンスターが住んでいることを表している。ただ、どのツリーハウスの中にもモンスターの姿はなかった。閑散としていて、留守なのだろうか。いや、もしかしたらみんなしてどこかに行ってしまったのかもしれない。そんな風に心配もした。


「みんな一体どこへ……」

「森の広場へ行ってみましょう。そこなら事情が分かるかもしれません」




 紅葉が始まりかけた森の色に心を奪われながら地面を踏みしめる。こすれ合う落ち葉が立てるクシャクシャという音だけがあたりに響き、それ以外に音は無い。ツリーハウスも相変わらずの空で進むたびにどんどん不安になる。


「いなくなってしまったんでしょうか」


 不安げな沢渡の声を仙人はフフッと笑う。


「サワタリさん、耳を澄ましてごらんなさい」

「?」


 立ち止り耳を澄ますと微かに聞こえてくる声。何を話しているか分からないほど小さいが確かに声が聞こえる。少しホッとして顔が緩む。


「もしかしたら、ちょうど広場で集会をしているのかもしれません」

「集会?」


「この森には統治者がいて下々のモンスターを支配していると聞いています。もしかしたら何らかの事情で人間と関わるなと命令が出ているのかもしれません」

「そんな……」

「とにかくみんなに会って真意を確認しましょう」

 



 森の広場に行きつくと数え切れぬほどの大勢のモンスターが集っていた。すり鉢状に並び、沢渡などよりはるかに上背のあるモンスターに隠されて中心にいるモンスターの姿は見えないかったが、そのモンスターが迫力のある声でみんなを焚きつけるように話していた。


「我々は魔王軍である! この森の中には一度は勇者と共に戦ったものもいるかもしれない。だが、魔王さまが復活された今、もう一度勇者と手を取り合う義理はない! 魔物の心を取り戻し、勇者討伐に全力を尽くすのだ!」

「何か物騒なこと言ってるっすね」

「そうだなあ、オレたちも困ってるんだよ」


 呟く高橋の声に野太い声で返信がある。


「人間は大地が枯れるまで資源を取りつくし、我々魔物を虐げて傍若無人に振る舞う凶悪な生き物だ。略取には確固たる決意を持って戦う! 人間を許すな! 人間を殺せ!」

「ちょっと店長ここにいるの危険かもしれないっすよ」

「そうだな、あんたたちは早めに帰った方が……」


 応える声に違和感を感じた高橋は横を見た。隣にいたのは沢渡ではなく、がっしりとしたサーベルタイガーで、当の沢渡たちは後ろにいた。


「ひいいいいい!」


 高橋の悲鳴にみんな振り向き、演説が中断されて場は騒然とする。


「人間だー!」


 周囲のモンスターがみんな逃げて、沢渡たちに対峙するように集会場の端に寄り集まった。


「どうして人間がこの森にいる!」


 怒声を上げたのは先ほどまでの声の主。ようやく拝めた姿に沢渡たちは舌を巻く。6本の腕を持った大きな大きなライオンのモンスターが立っていた。


「どうしてこの森にいるのかと聞いている!」

「ああ、いや。あれっす、そのあれで……」


 身振り手振りをしながらうろたえる高橋の前に仙人が立った。あたりから囁くような声がしてみんな口々に「勇者だ、勇者だ」と呟いている。沢渡はそれを聞いて驚いて仙人を見る。


「勇者だと? 貴様それでは50年前に魔王さまを倒した伝説の勇者とは貴様のことか!」

「そんなこともありましたな。ですが、今はマヌールの村にすむただの老人。友人たちが突然来なくなったのを心配してこうして足を運んだ次第です」


「マヌールの村か。あそこは厄介な村だが、そうか。勇者がいたからみんな出入りしていたのだな!」

「みんな、村を愛し懸命に働いてくれました。種族の違いはあれど人とモンスターは手を取り合い共に暮らせる。そのことの証明になりましょうぞ」

「黙れ、黙れ!」


 そう言ってバッと手を払う。出てきたのは5匹のがいこつだった。中に見覚えのある姿を見つける。


「ガイさん!」


 沢渡の声に右から2番目のがいこつ剣士が身を震わす。


「サワタリ店長……」

「ガイさん、戻って来てください! みんながいなくてお店は困ってるんです!」

「タカハシさん」


「がいこつ。まさか情にほだされた訳ではあるまいな?」

「う、ううう」


「さあ、人間を殺すのだ!」

「うわああああ」


 がいこつは腕を振り上げると仙人向けて突進した。その時、モンスターの群れの中から飛び出す小さな姿。がいこつを通り越して沢渡へとタックルをした。


「人間め、この森から出て行け!」


 跳ね飛ばされた沢渡は尻もちをついてそう叫んだ主を見る。そこにいたのはスライムだった。目をウルウルと潤ませながら必死に言葉を絞り出している。


「ここは我々の森だ! 人間にはえーっとえーっと……」

「スライムくん……」


 スライムに帰れと言われ、込み上げる寂しさ、それと同時に感じるスライムの精一杯の強がり。沢渡は目に涙がにじみそうになるのを堪えた。


「我々は人間に屈しないぞ。さあ、この森を出て行くんだ!」


 一生懸命口上を述べるスライムの頭にがいこつは「ヨシヨシ」と言いながら触れる。シーザーの方を向くと申し訳なさそうに話した。


「シーザーさま、すみません。話し合う時間をくださいませんか」


 がいこつの縋る言葉をシーザーが笑う。


「そのようなもの必要ない」

「大切なことなんです。店のみんなで話し合いたいんです。ダメであれば追い出します」

「追い出す? 私は殺せと命じたはずだが」


「分かりました。殺します。ちゃんと殺します。その代わり少しだけ時間をください」

「……良いだろう。そこまで言うのであれば少し時間をやる。その代わり1時間だ。ちょうど1時間だけだ。いいな?」

「ありがとうございます!」





 沢渡たちはモンスター従業員たちに連れられて森で一番の大きさを誇る公民館のような集会所へと足を運んだ。


「みんな、元気だったんだね。ホッとしたよ」


 高橋の声にみんな涙ぐんでいる。


「しかし、スライムくんに出て行けと言われたのは悲しかったよ」

「すみません、沢渡店長。でないと殺されるかもしれないと思って、ボク必死で」

「ああ、分かってるよ。ありがとう」


 沢渡はスライムの思いやりの気持ちが嬉しかった。


「突然こんなことになりすみません。本当は事情くらい話したかったんですけど時間の余裕がなくて」


 がいこつはそう言ってうなだれた。


「つい先日、『シーザーさま』がこの地域を統治するために魔王城から派遣されてきたんです。魔王さまのためにこの地域を魔王軍の支配下に置くと豪語されて。一生懸命やってらっしゃるんですけど我々も困ってしまって」


 そう言ってコボルトは口を噤む。


「突然、店にも村にも行ってはいけないと命令されて。歯向かうことも出来ず。面目ありません」


 灰ネズミは肩を落とすと申し訳なさそうに頭を下げた。


「私たちは女神さまに心を入れ替えて貰っていますからね。魔王さまへのあこがれなんかはありますが、人間を襲うなどとても……」


 そう言って魔導士もお手上げのポーズをする。


「タカハシさん、何か良いアイデアは浮かびませんか?」


 従業員たちに一斉に見つめられて高橋もたじろぐ。


「ああ、アイデアか。うーん、アイデア……」

「天使の涙を飲ませるのは?」


 リズが通る声で言った。


「失敗して、薬を盛った何て知れたら殺されてしまいますよ」


 がいこつは意気消沈した様子でそう言う。


「モンスターモンスターモンスター……」


 考え込んだ高橋がブツブツと呟く。


「シーザーさんはあまり話の分かるモンスターではないようだね」


 沢渡の言葉にみんなも頷く。


「ここで戦果を上げれば魔王軍の中での地位が良くなりますから成果が欲しいのは当然の所でしょうが、我々にそんな気はないのです」

「うーむ、どうすれば……」

「あっ!」


 何かを閃いた高橋がポンッと手を打ち声を上げた。


「どうしたんだい、高橋くん」

「シーザーが無理なら……」

「無理なら?」


「魔王さまを説得しましょう!」


「はああああああ?」

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