Lv.5 クイーンズベリー
ああ、家族が泣いている。白いベッドを囲いすがりつくように。妻の泣き顔などしばらく見てなかった。そうか、私が浮気をした時以来か。泣いて怒る妻に私は謝りもせず、浮気の言い訳ばかりした。家庭を壊し多感な時期の2人の子供を傷つけいやな思いをさせた。囲ったベッドに横たわっているのは焦げて顔がくすんだ私だった。そうか、やはり。泣いている家族を見ながら心で別れを告げる。
――今まですまなかった。私は死んだのだ。
◇
目が覚めると相変わらずの昼でロッカールームの時計では1時間しか経っていない。しかし、スマホを見ると日付が1日進んでいた。日本時間でほぼ丸1日寝入っていたらしい。元の世界に戻れていることを期待して小窓を開けたが見えるのは草原だった。見ているのが辛く、窓を閉めあきらめたように再び寝転ぶ。高橋もまだ寝ていたのでそっとしてスマホをいじる。望みをかけて妻にかけるがやはりつながらない。夢の中で悟ったことを思い出し体が寒くなる。受け入れられず、頭の中に思いが錯綜した。
しばし待っていると高橋が起きた。ああ、よく寝たと言いながら気持ちよさそうな伸びをする。スマホで1日寝ていたことを知ると「マジ?」と驚いていた。
高橋と出かけるかどうか真剣に話し合った。というのも高橋によるとゲーム世界では夜は危険なモンスターが出るらしい。中途半端な時間に出かけ夜を草原で過ごす危険だけは避けたかった。そして今がこの世界で何時か不明だが太陽の位置から判断し、まだ十分猶予はあるとふんでこれから町に行くことにした。多分夜は町で泊まることになりそうなので多めに金を持っていくことにした。モンスターたちから売り上げた分の3分の2。念のために3分の1は残していく。金庫に異世界の金をしまうとそれぞれリュックとボディバッグを持って事務所を後にした。
外は今にも雨が降り出しそうな曇り空だった。念のため傘は持っているが急ぎたい。北西と言っていたのでスマホの方位磁石アプリを起動させ方角を確認する。信頼に足るものか不安だが信じるより他にない。この時間で太陽の位置が南だから恐らく頼りにしても大丈夫だろう。
道行く途中、さっそくスライムが出てきた。包丁とナベのふたを構えるとスライムが笑った。
「こんにちは! 先日はお世話になりました」
話を聞いてみるとリンゴとゴボウを購入していったスライムだった。街に向かっていることを話すと道案内でついて来てくれると言った。
「散歩してたら突然ダンジョンが出来たでしょ。ボクびっくりしちゃって」
「ああ、私たちもびっくりしたんだけれどね」
「どちらからいらしたんですか」
「日本って言うんだけど」
「二ホン。聞いたことないなー」
「遠いんですか」
「我々にもよく分からないんだよ」
「ふうん。ボクはね」
スライムが何かを言いかけたとき、前方からとても大きなイノシシのモンスターが歩いてくるのが見えた。
真っ先に、逃げようと提案したがスライムが「大丈夫ですよ、おーい」とイノシシを呼んだ。心で死んだな、死んだと呟く。近くで見ると思った以上に図体がでかくて気押される。人相が悪く、威圧のある表情。イノシシのモンスターは大きな身の丈ほどある槍を構えてこちらを凝視した。包丁とナベのふたではきっとかなわない。そんなことを考えた時モンスターが笑った。
「なんだ、店屋の坊主じゃねえか」
「あっ、思い出した!」
高橋が声をあげる。
イノシシは昨日店に来てブラックチョコレートを大量購入していった客だった。
「あれ、美味しかったからまた仕入れてくれよな」
そう言うと遠ざかっていった。それから街につくまで、さまざまなモンスターと出会ったが、みな店の客だったりスライムの知り合いだったりしたので、一戦も交えることなく20分ほどで町へと着いてしまった。
着いて驚く。町の背後に見える美しい城。町は活気ある城下町だった。
「ボクは入れませんので」
残念そうに言うスライムに礼を言って町の入り口で別れた。
入ってすぐ人の姿を見つけ、この世界に人がいたことを喜ぶ。モンスターにしか会わなかったので、もしかしたら人のいない世界なのかもと危惧していたが、ちゃんとたくさんいることを知って心底ホッとした。
まるで古いヨーロッパのような街並み。建物はレンガ造りの2階から3階建て。それ以上のものはなくて景観は極めて美しいと思った。バルコニーから濃いピンクや赤の花があふれるように垂れて、道を馬車や人が行きかっている。人々の着ているものはどれも色鮮やか、南米の民族衣装のような見た目で町並みに華やかに彩りを添えていた。見物しながら歩いているが人々の視線が痛かった。自分たちの着ているワイシャツにスラックスが非常に浮いているのだ。あとで洋服を購入しようと2人で話し合った。
中心部に行くと市場があった。ずらりと隙間なく露店が左右に一直線に並び、その道がずっと向こうまで伸びて城へと続いていた。非常に活気のある市場で、あちこちで人々が買い物をしている。リンゴにブドウにオレンジ、見たことのある野菜や果物もたくさんあったが初めて見かける物も多く、好奇心のまま手に取りながら市場を進んだ。そして買い物をしながら情報収集、それぞれの店主から話を聞いた。
ここはクイーンズベリーという古くからある城下町。大きな市場の他、金属加工品が有名でその職人が多く住んでいるらしい。たしかに露店にはアクセサリー屋の他、異世界ならではの武器屋や防具屋が目立つ。そして、町の向こうに高くそびえるのはクイーンズベリー城。女王の統治する国家で町民には女王の浪費グセが有名らしい。毎日行商が訪れて高価な宝飾品を売っているとみんな言う。高橋が女王に会いたがったが女王は平民には会わないらしい。城の外観だけでも見ようと今向かっている。
「女王さまってどんな感じっすかね」
「美人なら見てみたい気もするけど」
「きっとブスっすよ。平民にブスだってウワサが広まったら不名誉じゃないっすか。だから会わないんすよ」
「なるほど」
一理あるとうなずきながら、ほほに触れる。ぽつりぽつりと雨がふり出した。町民は帽子型の傘を被り出す。しかし、頭は守れているものの体が濡れている。あまり機能のいい防雨具のようには思えない。自分たちも、と傘をさすと周囲の目が集まった。物珍しそうに見ている。どうやらこの世界にこのような傘は存在しないらしい。不意にアクセサリー屋の主人に呼び止められ、「オジサンたちいいもの持ってるね」と声をかけられた。
「お兄さんたち変わった格好してるけどどこから来たんだい?」
「ああ、にほ……草原の店からです」
「ああ、あれ店なのか。みんなウワサしてたよ。草原に奇怪な建物が出来てるって。店だとは思わなかったな」
濡れるから入りなよ、と促されアクセサリー屋の軒先に入る。興味深々に傘を見せて欲しいと頼まれ、コレいくらだったと問われる。
「300円だったかな」
安物のビニル傘なのでそんなものだろう。
「エン?」
「ああ、いやえっと……」
頭の中で猛スピードで計算する。こちらではリンゴが1つ10ゴッド。ということは1ゴッドが大体10円なので……。
「30ゴッドでした」
「安いな、よし。倍の60ゴッド出そう」
売ってくれと言われているのかと気づき慌てて手をふる。
「売れないですよ。これがないと濡れてしまいますから」
「そうかい、残念だな。真似して作ってみようと思ったんだけれど」
開いたり閉じたりしながら骨接ぎ部分を確認し、「なんとか作ってみるよ」と言った。そうか、見本に欲しかったのか。断って悪かったなと沢渡は少し後悔する。今度晴れの日に店の在庫を持ってきてあげようとそっと思った。
長い市場を抜け、城の前についたころには雨足が強くなり、外に人の姿がなくなった。立派な石造りの城も雨雲でくすみ、残念な眺めだった。ずっとうろついていると兵士が寄ってきた。
「お前たちどうして城の前をうろついている!」
「ああ、すみません。観光がしたくて」
「怪しい者じゃないのか!」
「違います、違いますから」
そう言って立ち去る。
「何かホントに異世界来たんすね」
歩きながら高橋が呟く。日が隠れて分からないが恐らく夕方。夕方は客足が多くなる時間帯。つい、日頃の癖でスーパー事情を思い出す。今日は水曜日。肉の日で、鶏の胸肉がよく売れる。
「みんなどうしてるんだろうね」
沢渡の声は沈んでいたがそれを元気づけるように高橋が弾んだ声でいう。
「うーんと高そうな宿に泊まりましょう。ごちそうもたらふく食べて元気出しましょうよ」
「そうだね」
異世界でも雨はふる。日本は今、雨だろうか。そんなことをふと思った。
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