Lv.18 火事のあと

「急いで急いで急いで」

「早く早く」


 店の前まで行くとワーワーと慌てふためく声が聞こえてきた。

 馬車を飛び降り、店の裏側に回り込むと舞い上がる大量の煙。店の搬入口がゴウゴウと燃えていた。火はバックヤードのコンクリートの天井にまで達し、あふれた火が外壁にまで伝っている。それを鎮火させようと従業員と客が一緒になり必死でペットボトル飲料を火にくべている。


「高橋くん!」


 呼ぶと高橋はくすぶった顔を向けて「てんちょー」と泣きそうな声で言った。


「消火器だよ、消火器!」


 沢渡は消火器の設置場所に走る。


「ボク、水の呪文を使えるモンスターを探してきます!」


 スライムも慌てて原っぱに飛び出していった。



 30分後、スライムの呼んで来てくれた数匹のリザードの吐いた氷の息で無事鎮火した。バックヤードと外壁を真っ黒に焼いたけれど不幸中の幸い、店舗と大量の在庫はほとんど焼けなかった。自動ドアを大きく開き、ドアというドアを開け放す。店内は煙で充満して営業できる状態ではなかった。


「どうしてこんなことになったんだい」


 仕入れをして良い気分だったのに一気に冷や水を浴びせられた気分だった。声で沢渡が明らかに落胆しているのが分かるのだろう。従業員たちもシュンとしている。


 問い詰めようと思った所で燃えカスを見て沢渡はハッとする。燃え残っていたのは店頭から撤去した冷凍食品や肉や魚だった。

 目の前の高橋は1人正座して反省している様子だ。


「バックヤードの生ごみの臭いがひどかったじゃないっすか。だから処分しようと思ってドラゴンに焼いてもらってたんです」


 そばには所在なさそうにドラゴンが立っていた。


「でもパッケージが意外と燃えにくくて。だから燃えるようにと……」

「と?」


「サラダ油をみんなでぶちかけたんです」

「アホかーー!!!」


 高橋は身をすくませた。がいこつやウェアウルフたちもすくみ上がっている。


「もう少しで店が燃えるところだったんだよ! 店ごと無くなるところだった。もしかしたら元の世界に……」


 帰れなくなる、と言いかけた口を噤む。みんなが聞いているのでそれ以上は言うわけにはいかなかった。沢渡は、はあーっとため息をつくと出来るだけ怒りを抑えながら冷静に言葉を選んだ。


「とにかく、そういうことは勝手にやらず店長に一度相談すること」

「はい」

「あと、商品のサラダ油も勝手に使わない」

「はい」

「二度とやることの無いようにね」

「はい」


 シュンとしょげた高橋の後ろからドラゴンが顔をのぞかせる。


「あのよ」

「ん?」


「その坊主の言いぶりだとここで雇って貰える見たいな感じだったんだけどよ。それはどうなるんだ」


 沢渡はそれを聞いて眉をひそめる。相手は恐らくいつものクレーマーのドラゴン。従業員として雇い入れるにはいささか問題がある。生ごみの処理に困っているのは確かだ。けれどまた今回のようなことが起こっても困る。すまないけれど……と言いかけたのを高橋が遮った。


「実はドラゴンさんにお願いしたかったことが別にあるんです。生ごみはその、ついでというか……」


 沢渡もドラゴンも従業員たちも首をかしげる。高橋の意図が汲み取れない。


「沢渡店長」


 高橋はキリッと表情に変わり真剣なまなざしを向けた。


「なんだい?」


 沢渡も怒っていたのを忘れ、問い返す。


「ベーカリーをやりましょう!」





「ベーカリー?」


 沢渡は目を丸くした。高橋は時々、突拍子もないことを言いだす。この世界にきて救われることも多々あったけれど今回は別だ。何せこの店にはベーカリーのノウハウがない。何を言っているんだい、とふと思う。高橋は臆せず続ける。


「ベーカリー専門のスタッフを雇って店でイチからパンを作りませんか? 自分あったかいふかふかのパンが食べたいんすよ。店で売っていたら最高だと思いません?」


 あったかいふかふかのパンというフレーズには心が揺らいだが、自分が店長として判断すべきは店のためになるか、ならないか。


「モンスターにパンを作れと言うのかい。我々に出来ないことをモンスターにやれと言うのかい」

「ああ、いや。そうじゃないっす」


 高橋は手を振って否定する。


「クイーンズベリーからパン職人を雇ってきましょう」


 沢渡は言葉をなくして頭を抱え込む。目の前のこいつは何を言っているのだという心境になる。


「パン職人に来てもらってドラゴンにこんがり焼いてもらって毎日ちょっとずつ焼き立てパンを売って行きませんか」


「あー、高橋くん、高橋くん」


 ちょいちょいと手で制する。


「我々は以前クイーンズベリーでフルボッコ・・・・・にされたんだよ? 2度と行かないって誓ったよね? 私だけかもしれないけど」


「たぶん町のみんなは自分たちのこと覚えて無いっすよ」

「いやでも私たちは覚えてるからね。しっかり覚えてるから」

「たぶん嫌な人間ばかりじゃないっすよ。良い人間に来てもらってパンを焼いてもらいましょうよ」


 高橋がすがるような視線を送ってくる。視線を移すとモンスターたちの視線が泳ぐ。高橋と同意見らしい。


「サワタリ店長」


 がいこつが声を発した。骨がすすけて真っ黒だ。


「ワタクシどもの心配には及びません。お2人と働いて、人間と働くということにも慣れてきました。仲良くやっていく自信ならあります」


 いやいや、そういう問題ではないのだけれどもね、と思ったがそれは言わない。ふとマヌールの村から募集するのは……と考えたが名案とは思えなかった。距離的にはクイーンズベリーの方が断然近いし、金銭を得るのに無頓着な村民にここまで来て働けというのは無理がある気がした。


「サワタリ店長、ボク、焼き立てパンが食べたいです」

「ワタシも」

「オレも」


「みんな食べたい食べたいって言ってるけど、自分たちで食べるんじゃなくて売るんだよ、分かってる?」

「えっ、売ってくれるんですか!」


 従業員たちがみんな目を輝かせる。あまりに嬉しそうな表情にそれ以上否定することも出来なくなり、はああっとため息をつく。


「検討するだけだよ。上手くいかないようならやらないから。それでいい?」


 わあああっと歓声が上がり、みんなすすけたバックヤードの中で汚れた顔のまま抱きあった。


「検討するだけだよ? 検討するだけだから」


 沢渡の声は歓声にかき消された。

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