Lv.2 嵐の夜に

 全てのPOPをつけ終わり、レジ前に集まる。


「みなさん今日は遅くまでお疲れさまでした。いよいよ明日から最後のセールが始まります。泣いても笑ってもこれで最後です。後悔の無いよう全てを売りつくす心意気で頑張りましょう。そのために今日はゆっくり休んで。それではタイムカードを忘れず切って帰ってください」


 沢渡の言葉を聞いて数人が少し涙ぐんだような気配を見せた。沢渡も潤んできて無力さを痛感する。店を自分の力で救うことは出来なかった。17年勤めた愛着のある店。それが今潰れようとしている。


 閉店の原因は近くに出来た大手のスーパー『エドヤ』。全国展開する大型店で、品数やかけることの出来るスタッフ数でかなうはずもなく1年ちょっとの激戦を終え、今回の撤退となった。本部の決定には逆らえないが、最後まで勤め上げたかった。涙をこらえながら笑顔を振りまいた。





「お疲れさまでした、お疲れさまでした」


 パートスタッフが帰っていくのをロッカールームの入り口で、高橋とともに見送る。本当は1人1人にハグをして見送りたい気分だったがそれは控えた。せめて握手でも、とも思ったがみんな後腐れなく帰っていくので、微笑を浮かべて手をそよそよと振って見送る。高橋は横でペコペコと律義にあいさつをしている。全員が帰ったのを見送ると高橋とともにロッカールームに入り、身支度を整える。


 前職のドラッグストアを辞めにこにこマートに就職したのはちょうど35歳の時のことだった。大学卒業後、就職したドラッグストアでは薬の販売資格が取れず難儀していた。薬よりも日配品ばかり売る社員と上司に揶揄され、次第に他のスタッフからも小馬鹿にされるようになり、居場所を無くし転職を決意した。


 スーパーは自分の性分に合っていた。ありがたいことに当時の店長にも可愛がってもらい、その店長の退職に伴い42歳で店長になって、それからは真似るように後輩社員を可愛がった。幾人もの後輩社員を育て上げ他のグループ店に排出した。売り上げを上げられず、立派な店長ではなかったかもしれないが従業員を引っ張ってここまで来た。自分は新田店の店長であるという自負がある。最後まで店長らしくいようと店の鍵を握りしめる。


「明日お客さん来ますかね」


 高橋がジャケットを着ながら世間話をはじめる。


「ああ、たくさん来るだろうさ。何せ特売品ばかりだからね」

「残ってたらドレッシングとか買って帰りたいんすけど」


「かご売りだからね。どうかな、残るかな」

「自分、チョレギドレッシング好きなんすよ」


「ああ、美味しいよね。私も好きだな。チョレギはかご陳じゃないから残るかもしれないね。でも大して値引きしてなかったはずだけど」

「安くなんないですかね」

「ははは」


 自分も高橋も閉店後は他店に行くことが決まっている。高橋はやっと初心者マークが取れる3カ月目で未熟、まだまだ伝いたいことはたくさんある。これ以上手をかけてあげることは出来ないが、せめて他店でも元気で勤め上げてくれたらと願う。


 ロッカールームを出ると高橋がカードをスキャンさせて警備をかける。警備開始まで3分。それまでに店を出なくてはいけない。電気を消して暗がりの中、店内を進む。


「あっ」


 高橋が声を上げた。


「どうした」

「傘、ロッカーに忘れてきちゃいました」

「何やってるんだ」


 沢渡が戻ろうとするとそれを高橋がいいです、いいですと引きとめる。


「よくないだろう。雨がものすごく降ってるじゃないか」

「ぬれて帰ります」


「自転車だろう? 明日がセールだよ。風邪引いたらどうするつもりだい」

「バカだから風邪ひかないっす」

「何を馬鹿なことを」


 そう言って沢渡は自分の傘を持たせた。


「私は車だから、駐車場まで走れば済む。明日にでも返してくれればいいから」


 暗闇の中で高橋が微笑んだ気がした。


「すみません。申し訳ないっす」

「さあ、早く出よう。出ないと警備会社から電話がかかってきてしまう」


 足早に店内を歩いていると雷がまた1つ落ちた。


「今日は荒れるな。明日に響かないといいけれど」


 セール初日の天候が悪くて客足が遠のいたという経験も多々ある。明日だけは出鼻をくじかれたくなかった。思いとは裏腹に雷の音は増していく。シャッターを下ろしているので、稲光こそ見えないが、雷の落ちる地響きと屋根を叩く雨足はどんどんと強くなっていっている。


「超怖えぇ」


 高橋がおののいている。彼はこれから自転車でこの中を帰る。


「カサは差さないほうがいいかもしれないな。車で送っていこうか」

「いや、いいっす。自転車ないと明日来れないんで」


「そうかい。じゃあ気をつけて帰るんだよ」

「はい」


 重たい従業員用の扉をゆっくりと手で押し開けて店の外へ出ようとした時だった。


 心臓を揺らすほどの激烈な雷が落ちた。光ると同時。近い遠いと考える暇すら与えない一瞬のこと。耳をつんざく天の怒り。二人はまばたきすらできず、雷の衝撃に身を震わせた。


 稲光はやがて店内に差し込み二人を包み込む。景色は次第に何も見えないほどのまばゆいゆっくりとした一面の白になった。全てを包み込み消し去るように二人の意識を奪っていく。しびれたように沢渡と高橋はその場にくずおれて意識を失った。





 どれほどの時間が経っただろう。空いたドアの隙間から差し込む光で沢渡は意識を取り戻した。すぐさま毛髪を気にしたが焼け焦げておらず、高橋も近くに倒れていた。ゆすり起こし、無事を確かめる。目に入ってきたのはたくさんの在庫。バックヤードで倒れていたらしい。幸い商品は無事のようだった。


「店長、店長」


 地べたに座ったまま高橋が沢渡の腕を揺すった。


 外は晴れているようで、もう今までの雷雨の音は聞こえない。微かに覗くイエローグリーンを見て思考が停止する。こんな景色だっただろうか。ドアの隙間から清々しい風が舞い込んでくる。それはまるで高原の風。沢渡はすっくと立ち上がりドアを押し開けた。


 目の覚めるような鮮やかな草原が広がり、風がふくと、葉が一斉に倒れ太陽の光をはね返しきらめく。雲一つない吸い込まれそうな深い青空。風を受けて毛髪がはためく。心は穏やかだが何も思い浮かばない。無だ。頭の中は無に近かった。そしてそっと呟く。



「ここ、……………どこ?」



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