Lv.44 チェスカの村で

 スライムが涙の再会をしていたころ、高橋とがいこつはチェスカの村にある、助けた老婦人の自宅を訪れていた。道中で会った村人たちはがいこつを見て随分驚いていたが、老婦人を介助しているのを見ると文句を言ってくる者はいなかった。


「旅の親切なお方。どうもありがとうございました。家まで送り届けて貰ってすみません。お急ぎでなければおもてなしをさせていただくのですが……あいたた」


 老婦人はロッキングチェアにゆっくり腰を掛けながら顔を歪める。負傷した向こうずねは青くなっていた。


「気を使わないでください。自分たちもこの村に用があったんすから」

「それはまたどんなご用事で」

「……」


 がいこつと高橋は顔を見合わせる。


「この村にコメってありますよね?」


 この家にたどりつくまでに見た村の光景の中には水田と思われる干上がった土地がたくさんあった。


「コメに興味を示すとはお若いのに珍しい」

「やっぱりあるんすね!」


 老婦人は頷いた。


「ここもかつては稲作で栄えた村でしたから。ただ、近年パン食化が進み、若い者はめっぽう手をつけなくなりました。以前は離れた村まで行商にも行っていたのですが、今生産しているのは村内で消費する分だけ。祖父の代から続いた水田も私の代でおしまいです」


 そう言って老婦人は柱にかかっていた1枚の自画像を見上げた。焼けた肌に優しそうな笑顔を浮かべている男性。


「!」


 がいこつが少し身じろぎしたのに高橋が気付いた。

 

「あの、つかぬことをお伺いしますが、そちらの自画像の方は今どこに……」


 がいこつは恐る恐る問うた。


「ああ、これは若い頃の祖父です。孫の私でこの年ですから。今は天国ですよ」


 そう言ってアーメンと十字を切る。


「生前祖父が話してくれたんです。若い頃、ケガをして行き倒れになっていたがいこつを助けたことを。がいこつは泣きながら美味しそうにコメを食べてくれたそうです。ところがそのがいこつ剣士、傷が癒えるとあちこちの民家に忍び込み炊きたてのコメばかりむさぼり食ってそのままいなくなってしまったそうです」

「……」


 高橋はがいこつを見る。


「祖父はよく小さな私を脅していました。『言うことを聞かないとがいこつ剣士が釜の飯を食いに来るぞ』と。あなたを見たときに驚いたのにはそんな訳があるんです」

「なるほど」


 高橋はウンウンと頷く。


「そのがいこつは……そのがいこつには事情があったのだと言ったら信じてくださいますか?」

「?」


 がいこつは縋るような眼差しで自らの過去の告白を始めた。





 100年前魔王軍として人間と戦ったがいこつは足を負傷し、撤退する仲間に置き去りにされチェスカの村近くの川のほとりで倒れていた。意識は朦朧とし死線をさまよってどうにか意識を取り戻したが、全身の虚脱感から身動きが取れずにいた。


「水を……水を」


 伸ばす手はすんでの所で届かず諦めかけた時、1人の人間の男が近づいてきた。男は自身の持っていた水筒の水をがいこつの口に含ませて柔らかな笑顔で「大丈夫かい?」と問いかけた。


 男の名はアリステと言った。アリステはがいこつにマントをかぶせ人目につかぬようにしてチェスカの村の自宅へと連れ帰った。ベッドに横たえられたがいこつは何をされるのだろうと戦々恐々としていたが、しばらくしてアリステが運んできたのは白い食べ物だった。不思議そうに食べ物を見つめるがいこつに微笑んだ。


「これはコメと言ってね、我々の村の特産品なんだ。僕が育てたものなんだよ」

「……」

「元気が出るから食べて」


 そう言って椀を渡してきた。毒でも入っていやしないかと躊躇していたが、アリステがあまりに人のよさそうな笑みを浮かべるので信じてみようという気になり、フォークでひとすくいし口に運んだ。


 信じられないようなモチモチとした柔らかな食感。1粒1粒に味と甘みがあり、まるで生きているような生命力、次第に力が湧いてきてどんどん口に運んだ。無我夢中で噛みしめるうちにほろりと涙がこぼれてきて、ただひたすら生を実感した。自分はまだ生きている。食べている。涙は嗚咽に変わり、がいこつ剣士は盛大に泣きながらコメを食べた。アリステはその様子を嬉しそうに見守っていた。


 椀一杯をすぐに食べきると、アリステはすぐにまたコメをよそってきてくれた。結局4杯食べて、鱈腹になったがいこつはひと言呟く。


「……美味しかった」


 それを聞いてアリステは破顔する。


「やっとしゃべってくれた」


 それがアリステとの出会いだった。




 アリステが、傷が癒えるまで滞在するといいと言うのでがいこつはそのままアリステ宅に滞在した。外に出られないがいこつ剣士を気遣いアリステは様々な料理を作ってくれた。時には一緒に作ることもあったし、掃除なども積極的に手伝った。退屈だろうと持ち帰ってくれた絵のある本を眺めながら、どういう話なのか問うとアリステは丁寧に物語を語ってくれた。やがて、がいこつは少しの文字を覚え人間について理解を深めていった。


 ひと月ほど経過して傷は癒え、その頃にはがいこつはすっかりコメの虜。生活は気に入っていたし、出来ればこのまま居たいと思うようになっていた。

ある日、アリステの帰宅を待っていると外の声が聞こえてきた。


「アリステのヤツ、モンスターをかくまっているらしいぜ」

「マジかよ!」

「誰かと同居始めたと思ったらそんなことだったのか!」

「これからヤツの家に行こう。モンスターは片付けないと!」


 がいこつはサアーッと血の気が引いた。その時誰かがドンドンと乱暴に玄関をノックした。


「居るんだろ! モンスター出てこいよ!」


 慌てたがいこつは取るものも取り敢えず、唯一の持ち物の剣を掴むと裏口から逃げ出した。


「あっ、がいこつだ! 裏口から逃げやがった!」


 数人の男たちが駆けてくる。がいこつは必死に走り、何とか追手を振り切って村はずれの滝にたどりついた。滝の裏に隠れ身を震わす。剣を握り締め、誰かが来たら殺さなくてはならないと覚悟を決めながら誰も来ないことを祈った。


 やがて夜が訪れ、がいこつは罪の意識に苛まれた。アリステに何も言わず出てきてしまったこと。何とかもう一度戻って事情を話して礼を言い、別れを告げようと考えたが村中には松明が灯り、みんな自分を探しているのだと思うと恐ろしくて出て行くことが出来なかった。


 滝の裏に隠れて3日が過ぎ、村人はどうやら探すのを諦めたらしかった。空腹に耐えるのも限界で、近くの留守宅に忍び込み何とかコメにありつこうと考えた。


 チェスカの村は本当にのどかな所で留守でも鍵を掛けていなかった。人々が農作業に従事している日中、がいこつは窓から人が居ないのを確認すると留守宅に忍び込み、かまどに炊いてあったコメを食べた。3日ぶりのコメに心が震え、少しだけと思っていたのにガツガツと食べてしまった。


 そうして数日は上手く隠れて食べていたのだが、次第に村人が警戒するようになり、ある日夜中に決意を決めてアリステの自宅に向かっていたところを村人に見つかってしまった。逃げ惑っているうちに村の中は騒ぎになり、囲まれて取り押さえされそうになるのを振り切り用水路へと飛び込んだ。それから用水路を下って村の外へと逃げ出した。




「あの時、別れたまま彼には礼1つすることが出来ませんでした。よくして貰って、なのに恩返し1つ出来ずに」


 そう言ってがいこつはすすり泣きを始めた。


「お墓を、お墓参りをさせてください。ワタクシに出来るのはそんなことしか……」


 女性は言葉を無くし唖然としていたが、少し考えた後、足を引きずるように部屋を出て行った。怒ってしまったに違いない。そう思うとがいこつの涙が溢れた。


「タカハシさんすみません。コメは別の農家さんをあたりましょう」

「そうした方がいいかもしれないね」


 相談して出て行こうとした高橋とがいこつを呼び止める声があって振り向くと老婦人が手に4つ握り飯を持っていた。


「お待たせいたしました」

「あの、それは……」

「お墓参りをして下さるんでしょう?」

「!」





「おじいちゃん、がいこつが戻ってきましたよ」


 アリステの墓は水田の見える高台、見晴らしのいい場所にあった。がいこつはしゃがむと祈るように手を握り締め「申し訳ありませんでした」と呟いた。


「あの、私1つ言い忘れていたことがあるんです」


 がいこつの様子を見守っていた女性がおもむろに話し始めた。


「『そんな悪さをしてるとがいこつが釜の飯を食いに来るぞ』というのはたぶん祖父のユーモアだったんじゃないかなと思います」

「……」


「祖父はまたこうも言っていました。『道行く人が倒れていたら助けてあげなさい。それが人間であれ、モンスターであれ』」

「……」


「死の直前もあなたのことを楽しそうに思い出していました。あなたと過ごした日々はどうやら祖父の宝物だったようです」

「……」


 がいこつは立って真摯に老婦人に向き合った。


「アリステさんの残した水田のおコメを我々に分けていただけませんか?」

「えっ?」


「彼の残した水田の味を店で売りたいのです」


 高橋とがいこつはその場で自らの素性を明かし、コメを探して村に来たことを明かした。


「私のおコメで構いませんでしょうか?」


 不安そうに言って老婦人はお供えしなかった残りのおにぎりをそっと差し出した。墓の前で3人で食べるつもりだったと言う。受け取ったがいこつは早速一口頬張り目を輝かせた。


「この味です。あの時食べたのはこの味に間違いありません」


 涙を流しながら、有難そうに食べた。粒にハリがあり甘みの強い見事な弾力、高橋も噛みしめながらウンウンと頷いた。





「貴方の告白に感謝します。祖父も喜んでいることだと思います」


 たくさん米を積んだ馬車を村の入り口まで老婦人が見送ってくれた。老婦人の作り置き分では足らず、近隣住民に老婦人が掛け合ってくれて何とか必要分を確保出来た。


 がいこつは「こちらこそありがとうございます」と述べて頭を下げた。


「おばあさん、あなたのおコメ、アリステさんの残した畑のおコメ。必ず店の看板商品にしてみせます」

「あなた方のお店に幸運がありますように」


 そう言って老婦人は祈ってくれた。


「帰りましょうタカハシさん! みなさんが待っています!」


 夕暮れの迫る空の元、2人は帰路を急いだ。

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