Lv.34 みんなが来ない

「今日で5カ月か」


 朝一番に沢渡はカレンダーに赤いマジックでバツをつけて、過ぎてきた日々を眺める。この世界に来たのはちょうど今から5カ月前、雷に打たれた沢渡と高橋と店を救うために女神がこの世界に2人を店ごと転移させた。力が溜まれば戻してもらえるという話であったが未だその気配はない。


 時々、夢で女神に問うてみようと思うこともあったが、貴重な天使の涙を浪費することは憚られた。高橋などはしばらくここにいてもいいと言うような口ぶりだし、沢渡も戻ってもまた妻との別居という現実に向かわなければならないのでイヤなことを思い出すくらいならこのままでいいとも思い始めていた。それに沢渡はこの世界が好きだった。


 一生懸命働くモンスター、仲間たちと力を合わせてみんなで色々なことを乗り越えてきた。日々が試練で手探り状態ではあったが、何よりやりがいを感じていたし日本にいた頃よりむしろ充実していた。


「店長ー、来てください!」


 高橋が呼んでいる。ああ、行かなくては。自分はにこにこマート新田店の店長なのだから。





「どうしたんだい高橋くん」


 向かうと高橋とリズが深刻な顔で沢渡を見た。


「朝、来たらシャッターの前にこれが」


 言ってリズが渡してきたのは4つ折りの紙だった。沢渡は受け取り開く。中には文字が書かれていた。


『しばらくおやすみします、じゅうぎょういんいちどう』


 大きくたどたどしい文字でそう書いてある。筆跡から書いたのはがいこつ剣士のようだ。


「これは、困ったな……」


 沢渡はそう呟き、高橋とリズも困った様子だ。


「どういうことなんすかね」

「うーん。良く分からないけれどもしかしたら何かあったのかもしれないね」

「マヌールの村に行ってみます?」


 リズの言葉に沢渡は首を振る。


「イヤ、今日はとりあえず3人で店を開店させよう。もしかしたら気が変わって誰か来るかもしれないし」


 その日は仕方なく3人で営業準備をして、開店させた。いつもは開店時刻と同時に客が店になだれ込む。しかし、その日は待っている客もなく、いつまで経ってもモンスター1匹やってこなかった。リズもドラゴンが出勤してこなかったのでパンを焼くことが出来ず、その日はフロアスタッフとして働いた。


 昼になっても一向に客が来なかったので、3人でイートインコーナーで食事をする。食べるのは期限の近い缶詰だ。


「アリくんのお惣菜ってありがたかったんっすね」


 毎日、働きアリのお惣菜とリズのパンを食べているので、侘しい食事は久しぶりだった。思い起こせば、この世界に転移してきた頃はこういう食事だったなと思い出す。


「みんなどうして来ないんだろう」


 呟くリズに沢渡も少し困る。


「もしかしたら……」

「?」

「お店に不満があったのかな」

「それは無いっすよ店長。お客さんも来ないんすから」

「そうだよね。でも、そうとしか……」


「店長、明日3人でマヌールの村に行きません? 事情があって村の方に留まっているのかもしれないっすよ」

「そうだね。そうしようか」


 高橋の明るさに何となく気持ち的に救われ、沢渡もホッとする。明日、村へ行けばきっと何か分かる。


 結局その日は1匹もモンスターは来店しなかった。





 翌日、マヌールの村へ行くと店と同じような状況だった。以前はいたるところにモンスターの姿があり、みんな仲むつまじく暮らしていたのに。昨日からモンスターが来ておらず、村は閑散としていた。村人たちも一体どうしたのだろうと話し合っていたそうだ。


 困ってモンスター仙人のログハウスを訪れると仙人は温かく迎えてくれた。ただ、以前あったモンスターの姿は当然なく、仙人は1人だった。


 リビングのイスに腰掛けて出してもらったコーヒーを飲む。仙人は着席するとコーヒーを飲んで、ふううっと息をついた。


「最近町で手に入れてきたコーヒーでしてね。香りが気に入っているのですよ」


 確かにとても良い香りのコーヒーだし、とても美味しい。でも、それに感動するほどの余裕が沢渡にはなかった。


「みんなお店が嫌になったのでしょうか」


 思いつめた沢渡の言葉に仙人はプッと吹き出しにこやかに笑った。


「それはありませんよ。店だけでなくこの村にも来ていませんし、それに」

「それに?」

「あれほど働くのが好きだった子たちがお店を嫌いになるはずはありません」


 沢渡はみんなの笑顔を思い出す。ぎゅっと胸が締め付けられる思いがした。


「ホントは内緒なんですが、ね。まあ、あなたたちになら良いでしょう」


 そう言って仙人はコーヒーの入ったカップを置く。


「この近くにモンスターの住むティンガの森という場所があります。この辺のモンスターたちは全てその森で生活しています。そこへ行けばきっとみんないますよ」

「ティンガの森……」


 沢渡は呟く。それにモンスター仙人がうむ、と頷く。


「もしかしたらモンスターたちの方に何かが起こっているのかもしれません。行けば事情くらいは教えてくれるかもしれませんがどうなさいますか」

「行きます! 場所を教えてください」

「もしかすると身に危険が及ぶかもしれませんよ。それでも行きたいですか?」

「それは……」


 沢渡は二の句が継げず押し黙る。モンスターたちには店に戻ってきてほしい。でも、もし何らかの事情で人間に敵意を再び持ったと言うならばそれは沢渡には到底対処できる事態ではないだろう。


「行きましょうよサワタリ店長」


 沈黙を破るように言葉を発したのはリズだった。


「ドラゴンさんが居ないとパンは焼けませんから。それにみんなが居ないお店なんてにこにこマートじゃないです」

「リズさん……」

「行きましょう、店長」


 高橋が沢渡の背をポンポンと叩く。励ますような温かみのあるしぐさに沢渡は自分がひどく怖気づいていたことを知る。


「みんな何かあったんすよ、きっと。事情があっても話ぐらいはしてくれますよ」


 2人が自分の身を顧みずそう言ってくれたことが嬉しかった。沢渡は心を決めて頷く。


「行きます! 場所を教えてください」


 沢渡の真剣な目をじっと見て仙人はフッと表情を崩す。


「分かりました、ならば私も行きましょう」

「!」

「こんな老体ですが、かつては冒険者。これでもほんの少し力になることは出来ましょうぞ」



 沢渡はほんの少しだが希望が見えてきたことに喜びを感じた。


「とにかく夜の森は危ない。今日はここにお泊まりなさい。明日、朝早く村を出発しましょう」


 その日は陽が暮れるまで3人で住民の農作業を見て回り、仕入れたい商品を検討しながら、お世話になっている農家には挨拶をした。晩は仙人宅でこの村で採れる野菜中心の食事を御馳走になり、ふかふかの布団の中で夢を見た。店のみんなで鍋をつつきあうなんとも幸せな夢だった。

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