第48話 ふたつの家 ②


 リアナは、掬星きくせい城の玄関口である小広間を、扉のほうに先導されていくところだった。カールゼンデン家からの竜車を送るとの連絡を受けたのが、つい先ほど。(早い到着だわ)と思い、そういえばもう繁殖期シーズンも終わりなのだと気づく。秋は、車を使って屋敷間を行き来することも少なくなる。


 めまぐるしい一日だった。


 デイミオンと竜騎手たちより一日遅れで王都にもどったリアナは、今日あらためて登城し、今後について夫と胃の痛い話し合いを終えた。

夫なんだわ、もう……)

 そう自分で訂正し、一人で落ちこむ。


 デイミオンは衝撃を通りこして、冷たい怒りをもってリアナを迎えた。おおむね冷静に受けこたえたと思うが、かれの最後のセリフはこたえた。


『この掬星きくせい城に、今後、おまえの居場所があると思うな』


「そう言われてもしようがないわよね。あれだけデイを傷つけたんだから……」

 こんなにくよくよしている姿は、フィルには見せられない。リアナは首をふって、車のなかで自分を立てなおそうと思った。


 収穫もあった。生まれてくる子どもの親権について、フィルの養育権が半分認められたのだ。子どもはエクハリトスの家名を名乗ることになるが、当面はリアナが育てることになる。そして、フィルは養育上の父親として関わることができる。

 それから……、

 かれが竜騎手ロカナンを襲撃したことについては、意外な点から放免になった。半覚醒状態にあったデイミオンに暗示をかけ、北部領へと連行したのが、ほかならぬロカナンだという告発があったのだ。この件については、わざとロカナンを南部に派遣したうえでハダルクがみずから調査していたとのことだった。もともと団に白竜のライダーは少なく、北部領の関係者という必然もあって、容疑者はほぼ絞られていたようだ。

「今だからお話できますが、当初はリアナさまも容疑者の一人に挙がっていたのです」というハダルクの言葉には、絶句するほかなかった。夫をさしおいて、王に復位する野心があるとまだ思われていたとは……。あれほどの苦労をして、竜騎手たちとともにデイを取り戻したのに。リアナはひそかに傷ついた。


 そのほか、うんざりするほど長い財産面での取り決めがあり、条件付きでいくつかの特権が認められ、それ以外のすべては、結婚前に戻った。

 フィルとのときと違い、書類はなかった。誓約式のときの立会人、つまりハダルクが同席して、誓いの解消を見届けた。


 

 これほどの出来事があって、東部領を出たのがまだ十日前だとは信じられないくらいだった。


「あなたが現在もっておられる特権の、ほとんどすべてを失うのですよ」

 車寄せまで先導しながら、ハダルクがふり向いてそう尋ねた。「後悔なさらないですか」


「後悔するかどうかで、自分の行動を決めたことはないわ。やるべきだと思ったことをやり、悔やむべきときには悔やむわ」

「王配の座を失ったことを?」

「デイミオンと夫婦でいられなくなったことを」リアナは即答する。


 ハダルクはめずらしく食い下がった。「ではなぜ? 陛下は、すべての竜族女性が夫にしたいと願う男性でしょうに」

「グウィナ卿があなたを選んだのは、あなたがすぐれた男だからなの? ……結婚するのにはいろいろな理由があると、あなたが一番わかっているでしょ、ハダルク卿」

「子どものためですか?」

「それだけじゃないわ。フィルを放っておけないの」

「それは愛情ですか?」

「……」

 リアナは一瞬、言葉につまった。自分の愛情を疑っているからではなく、デイミオンの視線を感じたからだった。顔をあげると、吹き抜けになった広間の二階部分に、元夫の姿があった。見送りのつもりなのか、あるいは、ちゃんと出ていくところを自分の目で確認しようというのか。


(デイは……後者のタイプね)

 何事も自分の目で確認しないと信じないというタイプの男だ。そう思ったときには、王は踵を返していた。


 自分は誰ものぞんでいないことを勝手にやっているのかもしれない。リアナはそう思ったが、出ていくときにはもうふり返らなかった。



 ♢♦♢


 車内でも心がざわつき、なかなかおさまらなかった。


 フィルはたぶんお祝いを用意してくれているだろうが、自分はそれを喜べるだろうか、とリアナは思った。

 それでも、家についたあまたのあかりを見るとほっとした。小さな家に似つかわしくないほど、まばゆいくらいの光。きっと、掬星きくせい城の輝きを思ってリアナが寂しくならないようにとフィルがともしてくれたのだろう。その心遣いになぐさめられる。


 ホールで彼女を出迎えたフィルは、ぎゅっと抱擁して、「つらい決断をさせたね」とささやいた。

「フィル」

 抱き寄せられると、リネンのシャツ越しに体温を感じた。温かく清潔で、かすかに石鹸せっけんとクローブの匂いがする。

「デイは、あなたにすべてを与えられる。俺は奪うことしかできない。今も……、あなたは掬星きくせい城の女主人だったのに」


 『掬星きくせい城の女主人』か……。その響きは、いまのリアナにはなんだかほろ苦い。君臨したいわけではないが、リアナは星々に囲まれたあの城が好きだった。空に続くような回廊、天空竜舎、デイと過ごした居住区、ティーカップのような庭園、建て増しをくり返すせいでおかしな場所に迷いこむことさえも。いずれ懐かしく、寂しくなるだろう。


「でも愛してる」フィルは彼女を抱擁したまま続けた。「あなたが、この家に俺と戻ってくれてうれしい」

「わたしも、ここに戻ってこられてうれしいわ」

 リアナは本心からそう言った。


 背に手をあててうながされ、懐かしい家に入った。

 予想に反して派手な祝いの準備はなく、快適に整えられたもとの家のままだった。いつか聞いていたとおり、フィルは一度この家を手放したそうだが、結局、養父のリカルドの所有になっていたそうだ。

「『俺の家だから、家賃を払え』って脅されてるんだ」

 フィルは肩をすくめた。「『そうじゃないと、大陸のどこからでも押しかけるからな』って」

 リアナは笑った。

「だけど、この家が人手に渡っていなくてよかったわ」

 その言葉に、フィルは気まずさと嬉しさが入り混じったような表情になった。「リックが……養父がそういうことをするタイプだとは思ってなかった」

「優しいひとね」

 放任主義の流浪者のように見えて、細やかで愛情深いところがある。ヴェスランもきっと助力してくれたのだろう。二人にもなにかお礼をしなければと思う。



 ダイニングテーブルの上に、リアナは見慣れた髪留めを見つけた。

「これ……なくしたんだと思ってたわ」

 そう言って手にとると、フィルがその手を上からくるんで謝罪した。「俺が出ていくとき、持っていったんだ。ごめん」

「フィルが? ……どうして?」

「なにか旅先で、あなたを思いだすが欲しくて……」

 そう言われると、怒れない。

 たとえ恋人がいるあいだ、荷物の奥にしまいこまれていたにしても許そうとリアナは思った。見ると、いつの間にか左手の指輪も復活していた。たしか、数日前に女性の家で見たときには外していたと思うのだが。フィルにはそういう、抜け目のなさがある。


 部屋は片付いていたが、急なことでまだ必需品もじゅうぶんにそろっておらず、ダイニング以外は殺風景に見えた。ソファにかかる薄手のケットは夏物で、これからの秋にはもっと厚手のものが必要だろう。

 それから、もちろん子ども部屋も……。

 ヴェスランや友人たちがこころよく手伝ってくれるのは間違いないが、城の居住区をすでに改装していたことを思いだすと胸が痛んだ。意外にもまめなデイミオンが、あれこれと調度をそろえたり壁を塗りなおさせたりしていたものだった。


「もう、デイのもとには戻れない」

 リアナは、なかば自分に言い聞かせるようにつぶやいた。「二人きりになってしまったわ」


「二人だけじゃない。……もう一人いる」

 背後から手をまわし、フィルは彼女の腹部にそっと触れた。

「そうね」背中からすっぽりと包まれて、リアナは思わず目をとじた。「わたしは、あなたに家族を与えられる」


「俺の全霊で幸せにするよ。誓いはもう使い果たしてしまったけど、あなたを愛する、ふつうの男として」


「証人はいなくていいの?」

「誰も知らなくていい。あなたが知っていればいい」

 フィルはいかにも彼らしくそう言って、まわしていた腕をはずした。


「食事にしよう。温かいスープがあるよ」

「手伝うわ」


 窓から見える景色は低く、城とはずいぶん違っていた。おそらく、すぐに城が恋しくなるだろうが、それでもいいとリアナは思った。


 この瞬間のやすらぎは、二人だけのものだ。それこそ、ずっとフィルとわかちあいたいと願ってきたものだった。





【第七部へつづく】



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白竜の王妃リアナ③ ロング・ウェイ・ホーム (リアナシリーズ6) 西フロイデ @freud_nishi

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