8 二度目の求婚

第39話 妖精王の憂うつ



 妖精王イノセンティウスは、こずえのあいだから斜めに差しこむ黄金色のたそがれのなか、深い悲しみにしずんでいた。


 かれは自己中心的な男だった。そして、他者の目というものをいっさい気にせず、竜の国の倫理にもとらわれることなく、自分本位に生きてきた。

 五公の一員であったときにも、その責任を果たしたことはなかったし、〈黄金賢者〉の地位にあったときには王に剣を向けさえした。

 同性愛者であることを隠したりもしなかったし、政変に失敗するとすぐに国をててニザランに逃亡した。

 その長い人生において、かれが唯一責任を果たしたといえるのが、ひとりの子どもを育てるということだった。もっとも、というただし書きはつけなければならない。旅情に誘われては、子どもを近隣にあずけてふらりと失踪しっそうすることも多かったからだ。

 それでも、子ども――リアナ・ゼンデンは立派な為政者に成長したのだから、イノセンティウスにもひとつの功績こうせきはあるといえるだろう。


 それに、かれはいまだに度を越して天才的な研究者でもあった。竜族たちがすでに忘れ去っていた古い知識を、根気強く復興させていた。その知識は、断絶を経て次代の黄金賢者に受け継がれることになるが、それはまた別の物語である。


 クローナンは、妖精王がまだマリウス卿という名で呼ばれていたころからの恋人だった。かれがいたからこそ、興味のない政治にもかかわったし、国のためという研究にも邁進まいしんしたのだ。

 だが、クローナンは昔から病弱だった。青の竜騎手として医術をつかさどる長であったのにもかかわらず、病の進行をとめることはできなかった。

 王の死が告げられた直後、イノセンティウスは煙のように病床にあらわれ、死体をさらった。このことは王の護衛である竜騎手たちの恥として、ながく隠匿いんとくされていた事件である。……ともかく二人はそのようにして、奇妙な再会を果たした。妖精王はときおり、かつての竜王を『死者の花嫁』と呼んで、堅物かたぶつなクローナンにいたく嫌われたものだった。


 そこまでして手もとに置いていたクローナンが、ついに死んだのだ。


『今日はもう休むよ。すこし疲れた』

 そんななにげない言葉が、最愛の男との最期の会話になってしまった。あの病弱な男が、いかにも最後にいいそうなことだった。


「クローナンはずっと病弱だった。、おなじことを言ったな」

 妖精王と呼ばれる男は、荷運び竜ポーターきながら独言した。自分の領地である森のなか、庭といってもいいほどよく馴染んだ小道だ。居城からも遠くない。恋人の体調がよい時には、二人でここをよく散歩したものだ……。

「今度も、前とおなじだったらよかったのに。なぜ、生き返ってくれないんだ、クローナン」


「生きることに疲れていたんだわ。あなたに振りまわされて」

 嫌味な言葉が返ってきて、妖精王は思わずぱちぱちとまばたきして驚きをしめした。黒い肌と対照的に、色の薄い赤い瞳の持ち主だ。人間離れした美貌――竜族離れというべきか――は、不死身になったこととはかかわりなく、生まれつきのものだった。

「なぜ、そんなひどいことを言うんだ?」

 長身の妖精王は、顔をあげてそう尋ねた。見あげたのは、相手が竜の背にくくりつけられていたせいである。

「あなたこそ、なぜこんなことを?」

 かれのやしない子、リアナが竜の背から問い返した。捕縛されていても冷静さは失っていないのがわかって、イノセンティウスは嬉しかった。かれは養い子を、教養深い女性研究者に育てたかったのである。その志は、リアナにこの方面の才能がなかったことでたれたのであるが。


「マドリガルを探していたんだ。あの子は最近ずっと、外に出てばかりだからな」

「あの子は領境を警備していたのよ。あなたの代わりに……」

「人間どもの数人、森に入ったからといってなんだと言うんだ? 放っておけばいい。どうせエルフたちには手が出せない」

「マドリガルは、王としての責任を果たそうと奮闘しているのよ。あなただって、そうすべきじゃないの?」


 イノセンティウスは、養い子の糾弾きゅうだんが理解できないというふうに首をかしげた。

「マドリガルを探していたら、思いがけずおまえを見つけた。隣にいた男は黒竜の王子か? レヘリーンの子の……見覚えのある顔だ」

「デイミオンはオンブリアのよ。そしてわたしの夫。結婚したときに、手紙を送ったじゃないの」

「そうか?」妖精王は顎に手をあてた。「……そういえばクローナンが、そんな話をしていた気がする」


 リアナは嘆息した。「あなたは同胞に興味がないのよね。自分勝手で。ずっと変わらないわね」

 自分勝手とそしられても、かれは気にとめなかった。

「寂しいんだ、リア。森の城は、一人で過ごすには耐えられない。マドリガルはすっかり大人になってしまった。私の娘として、戻ってきておくれ」


「よくもそんな勝手なことが言えるわね。隠れ里が襲撃されるのを知っていて、わたしを里に置き去りにしたくせに」

 リアナは憎しみさえ感じさせるような、ひどく冷たい怒りをもって答えた。娘にそんなことを言われるとは思っていなかったので、かれは衝撃を受けた。

「それに、わたしはあなたの娘じゃないわ。王配よ」

 リアナはつづけた。「あなたは王の妻を拉致らちしたの。わかる? アーダルの炎で、森ひとつ焼かれても文句は言えないわよ。……いまなら大ごとにはしないであげるから、縄をほどきなさい。わたしを元の場所に戻すのよ」


「なぜ、私に命令するんだ?」

「わたしは王配、上王で、あなたは自治領の首長。わたしはあなたに命令できる立場よ」

「かわいかった子どもが、すっかり権威主義に染まってしまった」

 イノセンティウスは悲しげに首をふった。「永遠に生きられるのに、冠などなんの意味があるだろうか?」


「うす汚い、縮んだキノコに寄生されて何千年も生きるの? ごめんだわ」

「なぜ皆、先住民エルフを嫌うのだろう。クローナンもそうだった」

 イノセンティウスはしみじみと言った。「かれらがいなければ、竜族はここまで生き延びられなかった。この土地の真の支配者はかれらだぞ」

「キノコって炎に弱いでしょうね。アーダルの炎で一網打尽にされるかもしれないわね」


 妖精王は、娘を背にのせた荷運び竜ポーターいて城に入っていった。すでに陽も落ち、ひとけのない大広間は朽ちかけて薄暗い。

 ふと、城の近くに白竜の気配を感じた。リアナの竜レーデルルだろうか、と王は思ったが、気にとめなかった。

 

「やれやれ。そんな減らず口でも、無音の城で過ごすよりはマシだろうか? それとも、後悔するかもしれないな」

「もちろん、たっぷり後悔させてあげるつもりよ」


 王はふたたび「やれやれ」と嘆こうとして口を開いた。だが、その言葉が口から出ることはなかった。マルベリー色の目をまるく見開いて、幽霊でも見たかのようにぼうぜんと立ち尽くした。


「エリサ王?」

 それは、まさに幽霊といってよかった。大階段の手前に立つ子どもは、イノセンティウスのよく知る女性に生き写しだったからだ。


「城に侵入して、ごめんなさい。いろいろ事情があって」

 子どもはエリサそっくりの声で、しおらしく謝った。その言葉はあまりエリサらしくはなかったが――およそ謝罪というものから遠い女性だったから――、妖精王を驚かせるには十分だった。

「それから、も、先に謝っておくわ」子どもがつけくわえた。


 「それはなんだ?」と口にするよりも早く、大柄な王は前につんのめった。後頭部に強い衝撃を受けたのはわかったが、驚きのあまり声も出なかった。最後に聞いたのは、「イニ!」と叫ぶリアナの声だった。



 ♢♦♢ ――デイミオン――



「いったい、どうやって姿を消したんだ」

 デイミオンは焦って首をめぐらせた。「いや、そんなことは後でいい。あの男、リアナをどこに連れ去った?」


 すぐに森の中へ追いかけたものの、二人を見失ったデイミオンは単独での追跡をそうそうにあきらめるしかなかった。そのあいだにも竜騎手たちが追いつき、また館のなかからも、わらわらと金髪の女性が出てきた。竜騎手ライダーロレントゥスの母と姉たちだろう。

「竜の心臓をもたないリアナはともかく、なぜ妖精王の気配がないんだ? あの男は、かつては竜族だったはず。竜の力を使っているのに」王はイライラと唇を噛んだ。

「妖精王は神出鬼没なのです」

 竜騎手ライダーニービュラが言った。弟のロレントゥスにあまりにもそっくりなので、服装と声以外では判別できそうになかった。

「たしかにライダーではあるのですが、気配を消すことができると」



「妖精王イノセンティウスは、かつてリアナ陛下さまの静養を受けいれ、灰死病を治療したかたです。もとはといえば陛下のご養父でもあり……リアナさまを害するとは思えません」

 王と竜騎手たちについてきていた、ハートレスの元兵士ヴェスランが口を開いた。「ただ竜族の儀礼では動かないかたなので、なにか行きちがいがあったのでは」


「行きちがい? 夫のもとからさらうことが、単なる行きちがいであってたまるものか。すぐに追うぞ」


 デイミオンが竜騎手たちを招集するのと同時に、別の方角からあらたな飛竜とライダーがあらわれた。武装もしておらず、よほどの緊急とみえた。


 実際、それは驚くべきしらせだった。ライダーは息を切らせながら、「竜騎手サニサイド卿より、火急のご報告です」と言った。

「エリサ様が、こちらへ向かう途中にフィルバート卿に略取りゃくしゅされたと」


「なんだと!?」デイミオンは青い目を見開いた。ほんの数刻前に、平和的に別れたばかりの弟だ。


「竜騎手ロカナンが軽傷を負っています。サニサイド卿も襲撃を受けましたが、ご無事で、フィルバート卿を単騎で追っているとのこと」

「なんということだ」

 王は決断をせまられた。妻を追うか、子どもを追うか。


「いや――あいつのことだ、もうニザランに入っているかもしれない」

 そうだとすれば、リアナがいる場所にフィルバートも、エリサもいることになる。その場合両者を同時に追う必要はなくなるが、フィルバートというもっとも手ごわい男と相対することになる。

 どちらを祈るべきか、デイミオンにはわからなかった。だが、決断した。


「私はアーダルをともない、ニザランに入る。動ける竜騎手はともに来い。竜騎手ライダーニービュラ、王国との連絡役を頼めるか?」


「連絡役は姉に頼みます。私は黒竜の騎手ですので、微力ながら陛下のおともを」

「わかった。頼むぞ、ニービュラ」


「私が先に森に入りましょう」

 ヴェスランも応答した。「潜伏者を探すのには慣れていますし、竜騎手のかたがたはので」

 

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