1 竜殺しと、鉱山の町【西部・キーザイン鉱山周辺】
第5話 夜の目
生ぬるい夜の風がまとわりついた。風には製錬の匂いが混じっている。
月も星も
隠密に行動をはこびたい兵士にとっては、願ってもない好条件にちがいなかった。草をふみしめるやわらかな革靴の音も、これならまぎれて聞こえにくい。ブーツの脚は、四人分ある。
兵士たちがまず鋭い目をはしらせたのは、岩山を背後にそびえる
ここは王国の南西部、キーザイン鉱山。日が落ちても男衆たちがはたらく場所だが、さすがに真夜中も近いとあって、周囲に人の気配は少なかった。兵士たちは、もちろんそれを調べてやってきただろう。私服姿でも、夜の狩りを楽しむ一般人には見えない動きだ。四人の男たちの、それぞれに役割があるようだった。
だがその兵士たちを、さらに頭上から見つめる一対の目があった。場所は、先ほど見えた
夜の目は、まばたきをする間隔を使って兵士たちの動きを観測する。
一つ目のまばたきのあいだに、一人の兵士が合図をした。手をつかった簡単なサインだ。四つ目のまばたきで、別の兵士二人がボウを構えるのが見えた。矢は複数持っている。
なるほど、正規以外の訓練を受けた兵士と見える。そして、あと三つ、四つほどのまばたきで矢が放たれるだろう。その後を、剣を持つ二人が押し入る形か。夜の目には、かれらの息づかいまで聞こえるようだった。戦闘前の興奮は飼いならされ、気管支がゆるんで、むしろ深呼吸を求めるような落ちつきが感じられた。
まばたきの持ち主は、夜闇を見とおすその目だけを動かした。……自分のなかにも、かれらと同じような興奮と落ちつきがある。なじみ深いあの匂いまで、感じ取れる気がした。……すっと足を下ろすと、
♢♦♢ ――フィル――
フィルは合図を出していた兵士の、ほぼ真後ろに着地した。どさっという着地音に男がふり向いたときには、ひざを抱えるような体当たりで地面に引き倒していた。
弓を構えていた兵士が、つがえた矢をフィルに向かって放った。まばたき一つのなかに三本の連射だった。目標を急に変えなければならなかったにもかかわらず狙いは正確で、ほぼ胸の中心に向かって矢が飛んできた。フィルは最初の一人とは別の兵士を盾に一射目を防ぎ、その影から飛びだして二本を叩き落とし、最後の一本をつかんで、射手の肩めがけて振り下ろした。
「ぐあっ」
悲鳴があがる。だが、くずおれた兵士の顔には、フィルが受けたものとは別の矢が刺さっていた。――味方の矢だ。
はっとして、先ほど倒した兵士たちのほうを確認する。背中には複数の矢が貫いていて、全員、絶命はまぬがれないだろう。よけいなことを……。もう身をひそめる意味もないので、盛大に舌打ちをした。
見張りをしていたこちら側の兵士の、その脇に隠れていた別の男たちが二人、姿をあらわした。一人が松明をかざしたので、あたりが一気に明るくなった。生きている男が三人、死んでいる男が二人、その明かりに照らされた。
「すまん、あんたが危ないと思ったんだ。よけいなことだったが」手に弓を持った男が謝った。
「ああ。射る必要はなかった」フィルは失望しつつも事務的に返し、死者の持ち物をあらためた。弓、残りの矢、短刀。兵士としての熟練度がわかる手のひら。
「武器をもった四人を、一人で制圧だって?」
もう一人の男が鼻で笑った。「さすが、『竜殺し』さまは言うことが違う」
「もちろん、あんたには可能だろうよ。フィルバート卿」
弓を背に戻した男が取りつくろうように言った。栗色の短髪で、体格もよい若い男だ。
「だが、どのみち生かして帰すこともできん。俺たちの立場じゃ、
「その方法はあった。殺す前に相談してほしかったな」
死んだ兵士の手を片方ずつ確認しつつ、フィルはため息をついた。「いろいろ情報が得られたかもしれないのに」
「気楽なことを。誰もがあんたのように余裕があるわけじゃないんだぞ。体力仕事のあとで、眠い目をこすって見張りに立ってんだ」
もう一人の、黒髪の男が文句をつけた。こちらはやや年上だが、やはりいかにも鉱山の男という屈強な身体つきをしている。
「よせ、ティボー」
「ロイ、あんたはこの領主さまの言いなりか? 戦時の英雄だかなんだかしらんが、どうせお貴族さまじゃねぇか。俺は、坑道に入らん男は信用しねぇ」
「階級が上か下かは、この山では問わないはずだろ。
ロイと呼ばれた男が、フィルをかばった。
「すまない。あんたが来てくれて、本当に助かっているんだ」
「別に、正直に評価されても俺はかまわないけど」
フィルは肩をすくめた。
この鉱山に立ち寄ったのは偶然だが、なんやかやと巻きこまれるようにしてひと月ほどになるだろうか。事前の情報どおり、キーザインは鉱山の利権で敵味方が入り混じる、きな臭い場所だった。思いがけず長居することになったのは、不安定な情勢のせいばかりでもないのだが……。ともあれ、フィル自身はいまの生活になじみ、楽しんでいた。血なまぐさくても、堅苦しい王都の生活よりはずっと自分らしくいられる。
フィルがあらためた後の遺体を、ティボーと呼ばれた男も確認しているようだった。
「機械油の匂いだ」と、したり顔で言う。「これが、あいつらの匂いなんだ。南部のやつらの」
「もし、俺が南部の
フィルはつぶやき、いぶかしむように顎に手をあてた。「……短銃を持っているな」
「これはオイデンあたりの工房で作ったやつだな。かなり質がいい。もうけものだな」ティボーが言った。
「使わないほうがいい」フィルは忠告した。「そのタイプの短銃は足がつきやすい」
ティボーは馬鹿にしたように鼻を鳴らしたが、短銃からは手を離していた。後始末も不慣れと見えたので、フィルは簡単に指示を出しておいた。まずは、鉱山の持ち主であるニシュク家の管理官に報告する必要がある。この兵士たちがどこから派遣されてきたのかわからない以上、残念ながら遺体にもそれなりの働きをしてもらわねばならない。
「あんたに、こんな汚れ仕事をさせて悪いと思っているよ」
遺体を整備小屋のほうに運んでいきながら、ロイが謝罪した。「詫びになるかわからんが、明日はうちで飯を食っていってくれよ。女房の焼くパイ包みはうまいんだぜ。……妹にも、あんたから伝えてくれ」
「わかったよ」
フィルは了解し、かれらに背を向けて歩き去った。観察するような二対の目を背中に感じながら。
「俺は信用しねぇ。この装備の兵士四人を、一人でだと? ……なんかの間違いに決まってる。じゃなきゃ、悪魔つきだよ」ティボーの悪態があとを追ってきた。
――悪魔つきか。なるほど、ふつうの者にはそう見えるのか。
フィルはひとり納得し、夜のなかで薄く笑った。
♢♦♢
帰り道は、雲が晴れて明るかった。月が顔を出し、足元に青白い光を落としている。
キーザインは南部やアエディクラとの交易がさかんで、鉱山町もおおいに潤い、真夜中でもそれなりの活気があった。男たちは山で稼いだ金を一夜の歓楽に替えているらしい。着飾った夜の娘たちが袖を引いてきたが、フィルは紳士的に断った。
にぎわう町の一角に、かれの目指す小さな借家があった。一階は花屋なので、ブリキ缶がいくつか建物の横に積まれている。それをよけながら階段をあがっていく。
牛シチューの素朴な匂いをかぎつけて、フィルはうれしくなった。分厚いガラス窓から、台所の明かりがもれている。
はずんだ気持ちでドアを開け、笑顔で声をかけた。
「フェリシー。ただいま」
「おかえり」
台所に立っていた女性がふり返って、かれに微笑みかけた。「スープができてるわよ、フィル」
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