第18話 炎のなかで


 ♢♦♢ ――リアナ――


 奉納舞がおこなわれるという外陣がいじんは、屋根のない巨大な柱だけの場所だった。夜闇のなかで、炎は明るく燃えさかる門のように見える。その手前に舞台が設置されている。松明ではなく黒竜の炎らしく、演舞の調子にあわせて炎の勢いが変わり、生き物のようにうねった。


 リアナたち三人がこっそりと舞台を眺めるのは、本堂の二階にある物置部屋だった。竜の心臓を弱めているリアナはかれらのグリッドにかからないだろうが、結局はロールとドリューがいるので、見つけようと思えばたやすい。そこはあきらめるしかなさそうだ。



 若人たちの演舞の最後をつとめたのは、サンディだった。もう一人の若いライダーとともに打ちあい、高くはじけるような木剣の音を響かせる。高く跳躍し、くるくると互い違いに回転しながら、息の合った打ちあいが続いた。ふだんの軽薄さはなりをひそめ、なかなかの男前に見えた。


「あなたが相方をつとめたかったんじゃないの?」

 残酷な質問かもしれなかったが、リアナはあえて尋ねた。


「そうですね」

 ロールはほのかに笑った。「サンディとは肉の交わりを持つことができない分、舞の相手として記憶に残りたいと思ったこともあります。一生に一度のことですから……」

「そうすることもできたんじゃない?」

「私は、あなたの誓願騎手ですから」

 ロールはきっぱりと言った。「誓いを立てることで、迷いを断ち切ることができる。あなたには感謝しています」

「……」

 リアナは考えこむように口を閉じた。

 以前は、誓願騎手という存在にあまりいい感情を持っていなかった。里長のウルカの悲惨な最期を思いだすせいだったが、かれらの自己犠牲的な考えに納得がいかなかったというのも大きい。

 どんな階級の者であれ、自分自身の幸福のために生きるべきだとリアナは考えてきた。だが……フィルのこともあって、最近は自信がなくなりつつある。すくなくともロールは、誓いを立ててリアナに尽くすことで心の安らぎを得ているのだから。


(でも、そんなふうに恋愛の幸福をあきらめてしまっていいの? ロールにとっての幸せって、なんなのかしら……)

 白皙はくせきの横顔にちらと目をやって、そんなことに思いをめぐらしたりもする。こうやって他人の価値観に踏み入るのは、自分の悪い癖なのかも。


 若人たちの背後には、黒竜の姿もあった。主人ライダーたちの演舞をどう思っているのかはわからないが、アーダルに似た月色の目をじっと舞台にそそいでいる。


 ロールにとって。フィルにとって、そしてデイミオンにとって。

 なにを重んじて生き、なにを幸福と感じるかは、かれら自身が決めることなのだ。それは分かっているはずなのだが……。


 神官服を着たヒュダリオンが、古代語のような祝詞のりとを読む。舞に合わせた音楽がある。タマリスでは神事に楽器が使われることは少ないので、めずらしい。笛、鈴、太鼓に似たものが、おごそかな調しらべを生んでいた。


 祭がはじめてのリアナやドリューはもちろん、ひさびさに見るというロールも、その雰囲気に魅了されていた。



 神事の最後を飾るのは、国王にして氏族長でもあるデイミオンによる権現ごんげんの舞だ。黒竜アーダルの力を存分にふるい、竜と一体化して舞うことで、文字通りその場に神が権現したとみなされる。


 しだいに楽の音がはげしさを増していき、一方でリズムは単調になり、聴衆を陶酔させるような効果があった。固唾かたずをのんで見まもり、ついに――燃えさかる炎を背景に、城の影かと思うほど巨大な竜が降臨した。


 聴衆たちの興奮のどよめき。

 リアナは一つしかない心臓が強くはやく打つのを感じた。……アーダルが巨大な目をひらくと、その黄金の輝きで眼前の男が浮かびあがった。竜とおなじ、金色の目をした男が。


「デイミオン」リアナは名を呼んだ。


 ♢♦♢


 舞は葦笛あしぶえの遠い音とともに、静かにはじまった。祭祀王の手には、アルナスル王その人が自身の身体の一部をもって当地の邪を封じたという故事を持つ、古代の宝剣〈右手〉がある。

 サンディたちの演舞とはちがい、デイミオンの舞はより儀礼的で、動きもゆったりと洗練されて見えた。回転しながら剣を振り下ろすと、刀身が白い筋のようにきらめく。

 かつてこの地には、異形の邪のものたちがいた。黒竜の炎をもってそれらを討伐したアルナスル王の武勇を、デイミオンが再現していく。


 剣が水平に動いた。……と、王のまわりにまばゆい炎があがった。轟音は楽の音を打ち消すほどに大きく、その明るさは夜を昼に変えたかと思われるほどだった。……リアナはこの地に降り立った最初のひとびとである〈原初のライダー〉に思いをはせた。なにが待ち受けているのかもわからず、恐れながら闇と邪のなかを進むひとびとの群れ。その先陣に、デイミオンに似た美貌の王がいて、進むべき方角を剣で指ししめす。不安と恐怖のなかで、闇をはらう強大な炎はどれほど心強かっただろうか。


「きれいね」

 リアナはぽつりと言った。

「これほどの力が、炎が、デイミオンのなかにあるんだわ」


 リアナ同様、舞に魅入られていた二人が、彼女のほうを向いた。口に出すことをためらいながら、リアナは続けた。

「記憶を失ったばかりのころ、デイミオンは今までにないくらい自由に見えたの。わたしというくびきがなく、結婚の制約もなく……。わたしたちは、この先一緒にいるべきじゃないのかも」

 その言葉には後悔とためらいの響きがあった。


くびきは不幸なものではありませんよ。古竜でさえ、群れのなかでつがいを持って暮らしている」

 ロールが取りなすように言った。「王は伴侶がいてはじめて、完全なリーダーとなれるのです」


「デイは十二年ものあいだ、わたしを愛して庇護してくれたわ。でも、かれはわたしのせいで完全な力を発揮できないでいる。こんなふうに片方だけが犠牲を負うような結婚生活は、正しいのかしら?」

 リアナはうす暗い顔でつぶやいた。「それに、お腹の子の父親はデイじゃない」


「そんなふうに思い詰めないでください」

 ロールは嘆願した。「私たちでなく、王とお話にならなくては。最善の方法は、お二人で話して決められるべきです」

「デイはわたしの言うことを聞いてくれるけど、このことでは譲歩してくれないわ。自分のやり方が正しいと思ってるんだもの」


「お二人とも頑固なんですねぇ。似た者夫婦と、世には申しますが」ドリューがのんびりと言った。

「ドレイモア殿。侍医として陛下を止めてください」

 ロールが苦言した。「この人は、それはもう、びっくりするような無茶をするんですよ。妊婦だというのに、こんなことを言いだして……」


「しかし、たがいに譲れないものもある、ということでしょう? われわれが口出しすべきことでもないのでは」白髪の女医はもっともなことを言い、肩をすくめた。



 ♢♦♢ ――デイミオン――


 炎のなかで。

 デイミオンは、なじみ深いあの感覚、竜との暖かく高揚した共通感覚に包まれていた。目の前に広がるのは夜闇ではなく、黄金にかがやく力の奔流だ。

 ライダーが竜の力を使うとき、そこには自分が力の通路となったかのような不思議な万能感がある。手足を舞わせ、剣を振っていたが、しだいに音楽が遠のき身体感覚も薄れてきた。王は忘我の境地にいたろうとしていた。


 こんなふうにアーダルと一体となり、これ以上に竜の力を出しきったことが、以前にもあったという感触があった。デイミオンのなかに、忘我へのおそれが芽生めばえる。


(これ以上は、危険だ)

(だが、何が?)

(前に力を出しきったとき、なにが起こったんだ?)


 疑問の答えは、アーダルの意識の奥にあるはずだった。いまなら、この力の通路をたどってそこに行きつける。

 だが竜の意識はヒトのものと違ううえ、はるかに巨大だ。デイミオンは意を決して、力の奔流をさかのぼっていった。


 それはまるで頭のなかに、異国語の本を図書館ごと流しこんだような感覚といえば近いだろうか。脳の許容量を超えた情報に翻弄され、そのなかでたったひと粒の砂金を探すように、とほうもない作業だった。自分自身が分解されてなくなってしまうような不安をおぼえながら、それでいて、この感覚もたしかに一度、味わったことがある。


(それを覚えていないということは――リアナとの記憶はまちがいなく、この先にあるんだ)


 デイミオンは確信に満ちて手をのばした。


『お願い、アーダルを止めて。このままでは、あなたは〈老竜山〉を焼き尽くしてしまう』


(そうだ、この声だ)

(アーダルの暴走で、自分の枷がなにかを知ったんだ)


『わたしは生きているわ、デイミオン』

 うなる風も、炎の轟音も、もう聞こえない。彼女が自分の腕のなかに戻ってきて――


 その先に、その先に。つぎつぎと開け放たれていく扉がある。


『おそれないで。……きっとうまくいくわ、何もかも』


『行きたくないの。……ずっとここに、みんなの近くにいたい。デイのそばにいたい』


『わたし、子どもたちを助けられなかった。里でも、ケイエでも。里のことは、わたしの母に責任があったのに。わたしのせいで、里は……』


 そして、身を引き裂かれるような慟哭どうこくの声が、かれの身をつらぬいた。あの声は、遠くケイエから聞こえた……


『デイミオン、デイ、もう耐えられない』

 かれを呼ぶリアナの目の前に、炎につつまれて死んでいく男がいた。それが、かれ自身にも見えていた。〈血の呼ばい〉の力によって。


「リアナ」


 自分たちを分かちがたく結びつけたのはこれだったのだ、とデイミオンは直感した。二人のあいだにかつてあった〈血の呼ばい〉から、彼女の悲痛と絶望を共有したとき、その奥底にあったもの。故郷を焼いた暴虐の炎だった。


 その燃えたぎる炎のなか、デイミオンはついに記憶を取り戻した。


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