第8話 「お兄さまのものは、ちゃんとお兄さまに返さなくちゃね」


 ♢♦♢ ――フィル――



 フィルバートがニシュク家の屋敷をたずねるのははじめてだった。鉱山労働者の代表としてロイも同行し、フェリシーもなぜかついてきた。屋敷は鉱山から竜車で半刻もしないところにあり、西部らしい繊細な優美さでしつらえられている。


 当主のエンガス公は術後の経過がよくないらしく、館の一室で療養しているということだった。フィルが生まれた頃から老人だったかのようなエンガスだが、いよいよ危ないという噂も流れはじめていた。……もちろん、彼にとっては関係のないことだ。


 フィルと兄妹に対応したのは、当主代理をつとめる竜騎手アマトウだった。希少な『青の竜騎手』の長として、またライダーたちの健康管理の責任者として、もしかすると王その人よりも多忙かもしれないと言われる男だ。茶髪にやせた体格の地味な男で、竜騎手団のものではない長衣ルクヴァを着ている姿がめずらしかった。


 予想と違っていたのは、実母レヘリーン卿もその場にあらわれたことだった。見おぼえのある男が隣に並んでいる。彼女のいまの愛人で、ニシュクの分家の出の……ハズリーとか言ったか? どうやら、アマトウには歓迎されていないらしい。エンガス卿が引退すれば当主の座は分家の誰かが継ぐと思われるので、無理もないとフィルは思った。


「まあ、フィルバート」

 レヘリーンは息子の姿をみとめて笑顔になった。フィルよりも色の濃いとび色の金髪を、高く美しく盛りあげている。

「あなたも西部に来ていたの? 奇遇きぐうね」

「閣下もお変わりないようで、なによりです」

 フィルも同じくらい無関心な笑顔で母に返した。

「マルミオンは? 一緒ではないの?」

 レヘリーンは末子の所在を無邪気に尋ねた。「西部領であなたと一緒だと思っていたわ」

「マルミオンはリカルド卿と一緒ですよ。竜神祭あたりまでは、王都にいるはずです」

「そうなの」レヘリーンはそれ以上息子の近況を気にする様子はなかった。立派なカップボードに近寄って、陶磁器のコレクションについてあれこれと知見を述べた。



 鉱山側がフィルを入れて三名、アマトウはじめニシュク家側が三名が、立派な長机のそれぞれに座った。

 それにしても、ニシュクの本家の者がいないのはしかたがないとして、まったく関係のない母がここにいるのはどういうわけなのか。


「アマトウ卿は忙しいでしょう、すこしでも負担を減らせないかと思ったのよ」

 レヘリーンはにこやかに説明した。「ここにいるハズリーにも、ニシュク家の継承権はあるわけですし」

 隣の美男子はレヘリーン同様、にこやかにうなずいてみせる。アマトウは苦々しさを取りつくろうためか、仮面のような無表情になっていた。 


「閣下におかれては、このような辺境の地にお越しいただいてはやひと月になる」

 アマトウは慣れない皮肉を使って状況を説明した。フィルに向けたその顔には『おまえの母親をなんとかしろ、首に縄をつけて王都に連れて帰れ』と書いてあった。


 ――そう訴えられても、俺にはなんとも。

 フィルは目立たないように肩をすくめて、アマトウに答えた。


「上王陛下のお慈悲はまこと、霖雨蒼生りんうそうせいですからね」と、ハズリーが穏やかに返した。腹黒さの勝負では、善良なアマトウはこの男に勝てるまいとフィルは思った。



 ロイが報告をしようとするのを手で一時とめて、アマトウがフィルに向かって尋ねた。

「フィルバート卿。あなたはデイミオン陛下の実弟でおられる。また、リアナ陛下の一時的配偶者としても有名だ。

 あなたがここにおられるのは、そのお二人のどちらかの意向が関係しているのか?」

「いいや」フィルは表情を変えずに即答した。「俺は自由な剣士として、ここに立っている」


「信じよう」アマトウはうなずいた。「両陛下への忠誠はゆるぎないが、ニシュク家は鉱山の運営に王都が口をはさむことを望まない」


「ずいぶん、難しいお話をしているのねぇ」レヘリーンは他人事のように愛想よく言った。

 社交的だがなにごとにも関心の薄い実母を見ていると、普段はまったく意識しない血のつながりを感じて、フィルは苦々しく思った。デイミオンは、父の責任感の強さと愛情深さを受け継いでいるという。だとすれば自分は? ……おそらくは、この柔和で無関心な母のほうに似ているのかもしれない。そんな空虚な男を、王たる女性であるリアナが愛するだろうか? ……それは、面白い想像ではなかった。


 ニシュク家側の牽制けんせいが終わると、ようやく事実の報告にうつった。鉱山で不審な侵入者があいついでいること。相手は正体が知れず、武器に慣れた兵士であるため、ニシュク家側で警備を強化してほしいという要望。


「申し訳ない」

 アマトウは沈痛な表情で答えた。「当家のライダーは癒し手ヒーラーが多い。ほとんどを王国中に派遣しているし、黒と赤のライダーは国境警備に欠かせない。こちらに割ける兵力は、ほとんどない」


 その返答は予想していたので、フィルは驚かなかった。ロイもそう考えていて、ここから自警団の結成の可否について尋ねるというのがかれらの予定だった。


 ところが、思わぬところから申し出があがった。

当家うちから、二十人ほどの兵士をお貸しできるよ」

 明るい声をあげたのは、ハズリーだった。「さすがにライダーはいないが、熟練のコーラーが、うち五名ほどいる」


「本当ですか?」唐突な申し出に、ロイがいぶかしむように尋ねた。


「ああ。十分な警備とは言えないかもしれないが、あとは武器の拠出でおぎなえるのではないか? これは、そちらの青年団の分まで用意するよ」


「待ってください」アマトウが驚いて口をはさんだ。「武器の拠出には、エンガス卿の許可がいるはずだ」

「労働者たちを信用していないと?」ハズリーは狡猾こうかつな尋ね方をした。

「そういうことではない。だが、とても私の一存では決めかねる」

 アマトウの顔が色を失っているのを見て、フィルは助け船を出してやりたくなった。労働者たちに武器がわたれば、鉱山の権利をめぐってクーデタが起きてもおかしくないのだ。それほど、鉱山が産む富は大きい。


 では、ハズリーのもくろみは? ……もちろん、まずはニシュク家の当主の座であり、ゆくゆくは五公の一人に名をつらねることだろう。


 彼の出身――アシケナージ家にそれほどの財力があるとは、把握していなかった。アマトウのディアエー家と同じように、青のライダーを多く輩出する名家ではあるが……。

 金の流れを追えば、ハズリーとその家の背後の援助者がわかるかもしれない。

 フィルはそう考えたが、手駒として使えるハートレスの兵士がいないことに思いいたった。やるとすれば、自分で探るしかないが、そこまでする価値がはたしてあるだろうか?

(そこまで介入するほど、俺はかれらに愛着を持っているだろうか?)

 そんな疑問が頭に浮かんだ。


「鉱山の青年部に、自警団を組織しようという声があがっている。そちらからも要請があったと聞いたが」

 フィルは疑問をふりはらい、本題に入った。「俺はこの中では中立に近い立場だ。双方が納得できるように、なるべく調整してみよう」


 結局、武器の拠出については結論が出ず、自警団の設立だけが決まってその場はお開きとなった。アマトウはこの話をエンガス卿のところに持ち帰るだろうが、さてあの老大公がどのような判断をするだろうか。


 ♢♦♢ 


 ニシュク家側からの誘いには昼食がふくまれていたので、かれらはそのまま食堂に移って遅い昼食をとった。レヘリーンの好物だというライスプディングや、サーモンのゼリー寄せなど豪華な料理が並んでいる。


 フィルは、恋人を実母に紹介した。貴族女性を目にすることが少ないフェリシーは緊張した様子だっが、レヘリーンは持ち前の社交性でにこやかに挨拶を受けた。


「まぁ、なんてお可愛らしいかた」「フィルバートとはいつから?」「鉱山で働いてらっしゃるの?」などと尋ねられ、フェリシーは丁寧にそれに答えている。


「もうリカルド卿にはご紹介したの?」

「それはまだ」フィルは返した。「この鉱山のごたごたがひと段落したら、連れて行こうと思ってますよ」

「本当に?」フェリシーはぱっと顔を輝かせた。

「もちろん」フィルもにっこりと返した。「領主夫人の椅子を、きみが気に入ればの話だけど」

「すごく素敵だわ」


 レヘリーンは口もとを上品に笑ませて二人を見守っている。「お似合いの二人だこと」


 ♢♦♢ 


 別れ際、レヘリーンはめずらしくかれらを玄関まで見おくった。


「素敵なお嬢さんを紹介してくれて嬉しいわ、フィルバート」

 柔和なほほえみを浮かべ、いかにも母親らしいことを言う。どうせこの女性が自分の人生に関与してくることはないので、フィルもにっこりとほほえみ返してやった。

 母はつづけた。「やはり、竜騎手ライダーには竜騎手ライダーの婚姻があるし、ハートレスにはハートレスの結びつきがあるわよね」


「あの……私は〈聞く者リスナー〉ですが……ハートレスではなく」フェリシーが口をはさんだ。


「あら、ごめんなさい」レヘリーンはぱちぱちとまばたきをして、不本意であることを示した。「とてもお似合いだと思うわ、そういう意味よ。悪くとらないでね」


 もちろん、悪意はないのだろうな、とフィルも思った。グウィナも口にするように、『邪悪なひとじゃないけど、母親には向いていない』だけなのだ。自分がハートレスではないとわざわざ言わずにいられないフェリシーにしても。


 ただの軽率な発言に、わざわざ苦しむ必要はない。

 フィルは笑みを貼りつけたまま、その場をやり過ごした。その仮面に一瞬でもヒビが入ったのは、去り際のレヘリーンの一言だった。


「お兄さまのものは、ちゃんとお兄さまに返さなくちゃね」



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