第3話 館にもどって

※微妙に背後注意


 ♢♦♢


 東部領シグナイは、王都と州都の中間あたりに位置している。東に広大な領地の南西部であり、南部領や人間の国家イーゼンテルレと州境を接するほか、南端は海にも面している。


 国王夫妻が滞在しているのは、エクハリトス家が所有する館のひとつだった。王国のほかの都市の例にもれず、交易で発展する南部に拠点をもつ目的がある。また『黒竜の生まれる谷』として信仰を集め巡礼地ともなっている。


 さすがはエクハリトス家の権勢と言おうか、谷間に建つ砂岩づくりの館は壮麗だった。特に夜、灯りがともされた館は美しく、大理石づくりの床が鏡のように輝いている。


 部屋のひとつひとつに古竜が入るのではと思うほど巨大な館で、夫妻は夕食をとっていた。スパイスの効いたひな鶏のグリルに、ミントの香りがするつけあわせ。また、すばらしいロブスターもここでしか食べられない贅沢品だ。


「どれもおいしいわ。この鶏のグリル、いくらでも食べられそう」

 食欲が増す時期らしく、リアナはつわりの分を取り戻す勢いで食べていた。かといって、食べ過ぎるのもよくないので、侍医に量を確認する。

「ドリュー、もう少し食べてもいい?」


「まだ大丈夫ですよ」同席するドリューが、笑顔でうなずいた。ソテツのようにツンツンと広がった白銀の短髪がトレードマークの、筋骨隆々とした女性医師である。

「卵もめしあがってくださいね」


 国王夫婦には侍医もいるが、リアナの健康問題については五公の一人エンガス卿が責任を持つ形になっていた。とはいえかなりの高齢で、ここのところの暑さで体調を崩しているということで、今回の休暇には帯同たいどうしなかった。実質的な主治医アマトウの異父姉であるこの女医は、領地問題で多忙な弟に代わって夫妻の侍医を兼ねるため、西部からやってきたのだった。人柄については、騎手団で同僚だったグウィナのお墨付きである。


「体重が増えたほうがよさそうなものなのにな」

 妻に肉を取り分けてやりながら、デイミオンがつぶやいた。美貌と頑健さで知られるエクハリトス家の者たちは、男も女も胃袋が強いうえに太りにくいといううらやましい性質を持っている。


「審美的にはそうかもしれませんが、お産の時に負荷がかかるということもありますから」

「ふむ」黒竜の王は素直にうなずいた。女性に意見されたがらない彼にはめずらしいことだった。柔和なアマトウと比べるとずけずけと率直にものを言う女医だが、その点でデイミオンとは気が合うらしい。


 リアナの食事を待ちながらデザートワインを楽しんでいた夫だったが、杯を口から離すと、女医に向かって気軽に尋ねた。

「それで、性交時の体位についてだが」


「げほっ」リアナは飲みかけていた水を噴きだした。

「どうした。大丈夫か?」夫が背中を撫でた。「そう慌てなくとも、全部食べていいんだぞ」

「ち、ちが……」


「で、どうなんだ、ドリュー? やはり、側位がいいのか?」デイミオンは重ねて尋ねた。下世話な冗談という口調ではない。


「左様ですね」

 ドリューもまた、配置について尋ねられた下士官のように、はきはきと答えた。「お身体の負担を考えますと、側臥位がよろしいでしょう。後背位はお避け下さい」

「心得ている」国の命運がかかっているような真面目な顔で、夫はうなずいた。


「あとはやはり、挿入時の勢いにも注意いただいて。このように」

 ドリューは眼前のワイン瓶を横に構え、卑猥ひわいな感じに動かした。「浅く短く! をお心がけいただくとよろしいでしょう」

「それは難題だな」デイミオンは男らしく端正な顔を曇らせた。「それでどうやって、妻を喜ばせたものか」

「そのあたりはやはり、本番に持っていくまでのムードをご工夫いただいて。最大限に盛りあげ、さっと済ます! これが肝要かと存じます」

「なるほどな」夫はメモを取る勢いだった。


「どうして、食事のときにそんな話をするの!?」ついに我慢できなくなり、リアナは涙目になって叫んだ。「信じられない!」


「なぜって……食事のときに夜の相談も済ませれば、効率的じゃないか? なあドリュー」

「わたくしとしても助かります」ドリューも力強くうなずいた。


 繁殖をとする竜の国の貴族たちにとっては当たり前なのかもしれないが、リアナは人間も多い国境の寒村の出身である。性生活についてあけすけに侍医と話している夫を目の前にすると、赤面してしまうのが常だった。



 ♢♦♢


 食後、またお決まりの診察を受けてから、夫が待つ部屋へ戻るところだった。磨きあげられた大理石の廊下は塵ひとつ落ちておらず、夜の森の湖面のように灯りを映して輝いている。


 部屋の前に立つ護衛のロールに、リアナは目をとめた。この暑いさなかにあっても、きっちりと長衣ルクヴァを着こんでいる。平静を装っているが、青い目に苦悩が浮かんでいるのは隠せなかった。


「ロール? ……どうかした?」


「あ……いえ」

 美貌の竜騎手は首を振って否定しかけたが、迷いながら白状した。「サンディが、黒竜神殿にいるのです。それで、つい気になってしまって。勤務中にすみません」


「サンディが? どうして?」

 問い返しながらも、リアナは自分で答に気づいた。「デイミオンの代わりに、女神官たちのところに行ったのね。そういう取引で……だから彼女たち、昼にあっさり引きあげたんだわ」


 リアナから見たサンディは、自己中心的で軽薄なお坊ちゃんである。自己犠牲的な精神は持ち合わせておらず、おそらくデイミオンとエクハリトス家に恩が売りたいだけなのだろう。本人が言ったとおりに。

(まあ、素直なところは美点と言えるかもしれないけど)


「はい」

 ロールはうす暗い顔でつづけた。「サンディはつとめを苦にしないでしょうが、私は……いろいろ考えてしまって」


「そう……つらいわね」

 想い人が繁殖期のつとめを行っているあいだ、ただ待っている側の苦痛はよく知っている。リアナは胸が痛んだ。男女の仲なら、いずれは結ばれる日も来るかもしれないが、同性同士とあっては……。サンディのほうにその気がない限り、永遠にロールは苦しむことになるだろう。

 かといって、恋する相手は選べないということもよくわかる。


「せっかく、サンディと離してあげられると思ったのに。ハダルク卿が来られなかったのは盲点だったわ」

「卿は城の守りに欠かせない方ですから……。でも、こうやってお声がけいただけると、報われます」

 ロールはしいて笑顔をみせた。「旅の前におっしゃった……あなたが、私の力を必要としていると……」


「しいっ」リアナは指を自分の唇にあてた。「今は、それは言わないで」

 その先は、デイミオンには聞かれたくない計画だった。



 ♢♦♢


 モザイクタイルが彩る浴室の、二人用のバスタブには黒い花びらが散らされていた。東部でだけ見られるバラの原種だそうで、いかにも黒竜の土地らしい優雅な漆黒のバラである。


 背後から彼女を抱く形でくつろいでいる夫に、リアナはサンディの件を報告しておいた。ロールの性指向についてはぼかして話したので、デイミオンは穏当な解決だと思ったらしかった。「あいつなら、まあ、大丈夫だろう」


「大丈夫かしら? ずいぶん強烈な女性たちだったけど。神殿っていうわりに、物騒な武器も持ってたし」

「黒竜神殿は多産をつかさどる場所だ。神官たちもエクハリトス家出身が多くて、特に繁殖のことにはあれこれと口を出してくる。おかげでエクハリトス家の隆盛があるとも言えるが……」

 湯をすくった手で顔を洗いながら、そう説明してくれた。「神官兵士たちは竜騎手なみの兵力だし、歴代の領主たちも手を焼いてきたんだ」


「あなたの奥さまは、ぜんぜん好かれていない感じだったわ」夫の喉のくぼみに後頭部をつける姿勢で、リアナはぼやいた。

「なるべく顔を合わさないようにしよう。せっかくの休暇なのに、わざわざ不愉快な思いをすることはない」

「だけど、大事な氏族だし」

「それは、俺だけが応対すればいいことだ」

「そうかしら……」

「ああ」

 夫が手のひらですくった黒い花びらが、リアナのまるい肩に落とされた。「おまえはこの館で、俺と腹の仔のことだけ考えていればいいんだ」


 こんなふうに溺愛されていると、まるで理想的な夫婦そのもののように思える。はじめての妊娠にとまどいながらも心待ちにする若い夫婦。デイミオンの包容力のおかげで、そう信じかけているときもあるくらいだった。


「だけど、フィルには妊娠のことを知らせなくちゃ」

 デイミオンがこの話題を好まないことは知っていたが、リアナはあえて口にした。「たとえ親権が、わたしたち二人にあるとしても……フィルを蚊帳の外にできることじゃないわ」


「わかっている」デイミオンは渋い顔で答えた。「だから、あのハートレスの副長……スタニーと言ったか? やつに呼び戻させているだろう」

「ええ……」

 だが、そのスタニーからの報告はない。リアナは不安ながらもあいまいにうなずいた。隠密の旅ではないのだから、そろそろなんらかの便りがあってもよさそうなものだが……。

(嫌われてしまったのかしら。……あんな別れだったから、無理もないけど……)

 デイミオンの不在のために結婚し、別れのきっかけも夫だった。フィルの愛情を利用したことを、恨まれているだろうか。……慰霊祭で再会したときは、どう距離をとったらいいのか迷っているように見えた。そしてぎこちなく抱擁しながら、彼女の身体を心配していた。まさかあのときに自分の子を宿しているとは、フィルも思わなかっただろう。



『俺は、おまえへの愛情をちゃんと行動で示している。あいつとは違う』

 昼に夫が言った台詞を、リアナは思いだした。

 夫を傷つけたくないので口にはしなかったが、その言葉は彼女のなかにとげのように残っていた。

 デイミオンの美点をフィルが持たないからといって、彼を愛さないということではないからだ。そしてあからさまでない行動のなかに、フィルの秘めた愛情を今でも感じてしまうからだった。たとえば「一度だけ剣として助ける」という、約束の小さな指輪のように。

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