第三幕

7 妖精国の異変

第35話 女王マドリガル

「下がって!」

 シジュンが鋭く命じた。「おれの後ろから離れないでください」


 リアナがうなずくよりも早く、前方の森からさらに矢が飛んできた。どこかに身を隠そうにも、見張り小屋までは距離があるうえ、射手たちの目前もくぜんである。


 幅広の長剣を盾のように使って矢をはじくというシジュンの離れわざにも、感心している余裕はなかった。身重のリアナに対し、護衛はハートレスの兵士シジュン一人。彼女をかばいながらでは、防戦一手となるのはしかたのないことだった。

 

 この状況では相手の矢が尽きるのを待つしかないが、敵は惜しみなく矢を放ってくる。正面、つまり森の奥から、すくなくとも2~3の兵士が狙って射ているようだ。

(……つまり、わたしが誰か、知っているということ?!)

 前にいた妖精国の兵士たちは茂みに身を隠しているらしく、先に射られて地面に伏せている兵士以外は姿が見えなくなった。


 リアナも竜の心臓を持っていないため、援護することもできないのがはがゆい。念のために短刀を出してかまえたが、これを使うときにはすでに絶体絶命だろう。


「このままじゃ、防ぎきれないわ!」


 リアナの目に、ほぼ同時に飛んでくる矢の風切り音が聞こえた。シジュンの身体をつらぬく矢を想像し思わず目を閉じたが、おそれていた衝撃はなく、かわりにカキン!と高い金属音がして矢がはじかれたことがわかった。

 剣ではなく、もっと分厚い盾。それを構えているのは妖精国の見知らぬ兵士だ。こちらから姿が見えなかったということは、森ではなく別の場所からあらわれたということになる。

 リアナは援軍の姿をもとめて、さっと首をめぐらせた。「まだ顔を出さないで!」とシジュンに叱られる。……が、彼女の目は救世主の姿をとらえた。


 めずらしい黒色の、みごとな走り竜ストライダー。その鞍上あんじょうに、銀色に輝く全身鎧に身をつつんだ人物があった。


「なんと」

 くぐもってはいるが、男性のものとは違う高い声が、いぶかるように尋ねた。「白の王……か?」

「あなたは――?」

 誰何しようとしたリアナは、面頬バイザーをあげた騎士の姿に驚いた。


「マドリガル女王」


 名を呼ばれた女性もまた、驚いたようだった。あるいは、左右で色のちがう瞳のせいで、そう見えるのかもしれなかったが。

「リアナ王……いや、いまは王配か。ひさしいな。だが久闊きゅうかつじょしている暇はないようだ」

 妖精国の女王は、リアナよりずっと若いはずだが、あいかわらず時代がかった仰々ぎょうぎょうしいしゃべりかたをした。「しばし待たれよ」と言い、バイザーを下ろす。


「来たれ息吹いぶき、起きよ炎」

 女王は腕をすっと伸ばすと、リアナにもなじみ深い命令をすばやくとなえた。「膨張せよ、しかしてひろがれ!」


 女王のほっそりした腕がのびる方向に、命ずるがままに炎が広がった。こちらに向かっていた矢が燃え落ちるほどすばやく。それから炎は形を変え、群れをなす猟犬のように敵兵たちに向かっていった。


「射よ!」

 女王が高い声で命じ、周囲の弓兵が反撃の矢を放った。


「奥のほうへ逃げたわ!」リアナは指をさした。


「それは、私が」

 温度を感じさせない低い声がとどいた。女王の隣に、背の高い痩せた男がひかえている。幽霊のようにふわりと動いたかと思うと、ヒトならざる速度で森の奥へ走っていく。その、背筋を寒くさせるような存在感にもおぼえがあった。


不死者しなずの王のもとで戦っていた、デーグルモールの兵士……」

 リアナは名に思い当った。「ニエミといったかしら」


「『しずまれ炎』」

 女王が命じると、炎はわずかな煙だけを残してまぼろしのように消え失せた。「一の班はニエミを追っていけ。二の班は救護にあたれ。三の班はこのまま、余とともに警戒をつづける」


「射られた兵士は大丈夫?」

「損傷の程度にもよるが、あれくらいならばエルフたちが治してしまうだろう。余たちは頑丈なのでな」

 甲冑の女王は頼もしいことを言った。


「さて――ようやく、話ができるようだな、リアナ王配」


 ♢♦♢


 妖精国の女王は、二人を森の入口から離れた自分の天幕へ招いた。朱鷺トキ色をした優美な天幕に、侍従が茶の用意をはじめている。


哨戒しょうかい中でな。城のようなもてなしはできないが、我慢してくれ」

「いいえ。こちらこそ、助けてもらって本当に恩に着るわ、女王マドリガル」

 リアナは礼を述べた。「こんなに立派な戦士になって」

 お世辞ではない。兜を脱ぐと、勇ましく結った赤毛がひと房肩にこぼれる。まだ少女の年齢を脱していないはずだが、動作にも言葉にも威厳と落ち着きが感じられた。


「造作もない」

 女王はにっこりした。「だが、なぜこのような場所におられたのだ? 驚いたぞ」


 リアナはおおまかな事情を説明した。……といっても、夫のもとを離れたことは「いろいろあって」としか言えなかったが。

「なんと、腹に仔がいるのか!」

 女王は童女の顔になった。「めでたいのう」


「しかし、それならばなおのこと、わが森に立ち入ることは許可できぬ。見てのとおりの状況なのでな」


「わたしを狙ったのかしら?」

 リアナの問いに、女王は首を振った。「わからぬ。が、貴殿が来る前から断続的な襲撃を受けているので、違うのではないか」


「いったい何があったの? もうずっと、ニザランは争いと無縁だったと思うけど」


 二人が話しているあいだに茶が運ばれ、シジュンが折れた矢をもって天幕に入ってきた。

「最近の話だ。赤の門――余たちは南の入口をそう呼んでいるのだが――このあたりで、夫婦が行方不明になる事件があったのだ。その後、調査をしていた兵士の数名が死体で見つかった。念入りに心臓まで破壊されておって、復活もままならなかった」

 女王は無念そうに目線をさげた。「また不明の夫婦も遺体で、岩場の陰から発見された。……このような暴力は、余たちの森ではめったに起こらぬ。ほかにも不審者の目撃情報があいついだので、余の軍をくことにしたのだ。つまり、まだほとんど賊については情報がない」

 入口付近にいたのは偶然ではなく、門番たちからの情報で近くに潜んでいたのだという。結果的にではあるが、リアナたちがおとりのような形になったわけだ。


「貴殿とわかっていれば、もっと先に出てきたのだが。危険な目に遭わせ、申し訳ない」

「そうしていたら作戦は失敗していたんでしょ。かえって、よかったわよ」

 マドリガルは本当に申し訳なさそうだったので、リアナはあえて明るく言ってやった。「ニエミがなにか情報を持ち帰ってくれるといいわね」


「だけど、あなたがわざわざやってくる必要があったの? 自治領とはいえ、あなたは王なのよ」

「陛下に言われたくないんじゃ」シジュンがよけいな口をはさんだが、リアナは無視した。

「おなじ立場なら、イニ……イノセンティウス王が出てきたほうがよかったんじゃない? かれは〈鉄の王〉……つまり領土の防衛を担当しているのだから」

「うむ……それがな……」

 女王は自信がなさそうに視線をさまよわせた。そういうそぶりをすると、ほんの子どもにしか見えなかった十年前の彼女を思いだす。イニのまわりをついて回る、古めかしいドレスの奇妙な子ども。

 今でも口調は変わっていなかったが、身長がのびて大人らしい身体つきとなり、話す言葉もすっかり王のものだった。

「なにから話したものか……と思うが、貴殿が王都に戻られてから、いろいろなことがあったのだ」

 いくらかはエピファニーからつたえ聞いたものもあるが、最近は自治領の情勢にうとい。リアナはうなずき、先をうながした。


「これを報告するのはつらいのだが、――クローナンが亡くなった」

「えっ」

 リアナは絶句した。クローナンはリアナの前の竜王だが、彼女からすると妖精国で隠遁生活を送っていた頃のかれの印象しかない。病弱で優しげな中年の男性だ。灰死病にかかり死にかかっていたリアナを、結果的にではあるが手術で救った恩人でもある。

「貴殿らの国の者、しかも一時は王だった者なのに、きちんと知らさずにいてすまぬ」

「いえ……そうよね」

 自分を取り戻すと、リアナはそれもやむなしと首をふった。「なにしろ、オンブリアではとうに亡くなっているひとなんだもの。そもそもかれが死亡しなければ、わたしが王になることもなかった」


「うむ。それが〈血の呼ばい〉と申すものだな」

 女王もうなずいた。

「そもそも、クローナンはここ数年、ずっと眠ったままほとんど目をさまさなかった。時間の問題だということはみなにわかっておった」

「その……たしかなの?」

 リアナはいちおう確認した。なにしろ先住民エルフたちは、デーグルモールとはまた違った意味で不死に近い存在なのである。


「先ほどの兵士のように、損傷の程度が少なければ、エルフたちは容易に宿主を修復できる。だが、損傷が大きすぎれば修復はかなわぬ。これはニエミの話だが、半死者デーグルモールとも共通する点だ」


 説明にリアナはうなずいた。彼女自身も、常人ならば死んでいたはずの矢傷から回復している。


「〈竜の心臓〉が完全に作動しなくなると、エルフたちは宿主を分解しはじめる」

 マドリガルは自分の心臓を指さしながら説明した。「クローナンはすでに土にかえった。まちがいなく、今度の死こそ、かれの永遠の眠りとなったはずだ。王よ、竜の御国にて安らかなれ」

 最後に短く祈りをとなえると、思案げな表情になった。

「クローナンをニザランまで連れてきてエルフを植えつけ、生者としてよみがえらせたのはイニだ。……それが、かれを永遠にうしなったことで悲痛が大きくてな。ショックから立ち直れず、城に引きこもって幽鬼のように過ごしておる」


「そう……」

 イニにとっては、かれが五公の一員だった時代からのつきあいのはずだ。二人のあいだに恋愛関係があるのかどうかまでは聞かなかったが、おそらくそうなのではないかと推測していた。

「だけど、ショックだったのはあなたも同じでしょ。イニとクローナンに育てられたようなものなんだもの」


 リアナが声をかけると、マドリガルは青と金の両目をうるませた。「心遣い、いたみいる」

 そしてそばかすの残る鼻をすすった。

「しかし、余は妖精国の女王なのだ。イニがおのれを取り戻すまでは、この森を守る責務がある」

「……」

 リアナは考えつつ言った。「あなたが黒竜のライダーだということも、知らなかったわ」

「うむ。ニザランに連れてこられた以上〈竜の心臓〉を持ち、なんらかのライダーであるということはわかっていたのだが、確率的に妥当な線だった。……希少な青のライダーであればと願っていたが、今となっては、黒竜でよかったのかもしれぬ」


「あなたは本当に王国のことを考えているのね。立派だわ」

 リアナは本心から言った。イニの話では戦災孤児だったらしいというが、あの世捨て人のような二人に育てられたとは思えないほど統治者らしい。とくにイニは、かつて王に反旗をひるがえしたような人物である。


「余にとっては、ここが故郷だからの」

 マドリガルは照れたようにもじもじと言った。褒められ慣れていない様子がいじらしく、リアナは思わず抱きしめてあげたくなった。……もう一度見まわりに出ていくというので、抱擁して送りだしてやった。


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