第34話 そのころのリアナ


「抵抗しないで、いい子にしていてくれよ」

 子どもを白竜の鞍に乗せかえながら、フィルは穏やかに言った。「を、あまり酷使こくししたくないんだ」


「すぐに捕まるんじゃない?」

 エリサは抵抗しなかったが、かといって〈竜殺し〉をおそれているようには見えなかった。小さな鼻に皺を寄せながら、馬鹿にしたように言う。

「サンディが見つかれば、あたしがさらわれたことがエクハリトス家につたわる。黒竜のライダーたちがイナゴみたいに押し寄せるわよ」


「それは怖いね」フィルは気楽な調子で肩をすくめた。実際のところ、サンディは〈呼ばい〉ですでに連絡を放っているだろうと思っていた。

「さぁ、イナゴどもにつかまる前に出発しよう。妖精の森に行くぞ。いい子にしていたら、妖精王のツリーハウスで遊べるよう頼んであげる」

「妖精王と知りあいなの?」

「いちおうね」

 エリサは、うさんくさいものを見るような目で〈竜殺し〉を見あげた。背中のあたりを行儀わるく掻きながら、「別に、興味ない」とそっぽをむいた。


「じゃ、きみが背帯に隠してる、そのナイフのあつかいを教えてあげるっていうのでもいいよ」

 フィルの指摘に、エリサは目を見開いた。隠し持っていた武器をあっさりと見抜かれ、観念してしぶしぶとうなずいた。負けず嫌いで用心深いところが、リアナに似ている――いや、逆か。エリサこそ、リアナの母親なのだった。……こんがらがってくるな。


 フィルは苦笑しながら子どもの後ろにまたがり、白竜に出立の信号を送った。



 ♢♦♢ ――リアナ――


 キーザイン鉱山と周辺にひろがる町、その北の出口となる門を、リアナはめざしていた。時間はやや戻り、フィルのもとを出た直後のことである。

 東の空はしらじらと明けはじめていたが、西にはまだ星が残っている、そんな時間帯だった。


 巨大で行方が感知しやすい古竜とちがい、飛竜の出入りはどの都市でも決まった位置からおこなう通例だ。今回は事前にアマトウ卿の許可を得ているため、門をそれた場所から飛び立つこともできる。が、あえてリアナは門の上空をとおり、見張りに立っている兵士たちの様子を検分した。


 

「このあたりは、ニシュク家の兵士たちね。黒のコーラーの一人くらいは置いたほうがいいんだけど……やっぱり、人手不足なんだわ」

 竜の背から、そんなことをつぶやく。「前にスタンに調べてもらったときと様子が違うわ。もうちょっと滞在して、アマトウ卿にもいろいろ聞けたらよかったんだけど」

「はァ。おえらいかたは、いろいろ考えることがおおくて、大変ですねぇ」

 つるりとしたあごを頼りなさそうに撫で、ハートレスの兵士シジュンが言った。ったばかりのヒゲがなごり惜しいらしい。


「そんで……北上して〈遠の森〉に入るんでした? えと、つまり、ニザランに」

 大柄で美男子だが要領のよいタイプではないらしく、とつとつとしゃべった。フェリシー――フィルが同棲していた女性――のもとで披露したのはいわば、とっておきの演技ということだ。


「そうよ。できればそのまま飛竜で北上して、〈鉄の王〉の宮廷まで行きたいんだけど」

「ニザランの〈鉄の王〉って、リアナさまのお養父ちちうえなんですね。スタンから聞いたときは、びっくりしました。王さまたちって、みんな親戚なんですか」

「領主たちのあいだに血縁が強いのは事実だけど……イニ、……イノセンティウス王はまた別よ」

 リアナは言った。「かれはわたしの母エリサの政敵で、政変クーデタを起こそうとして失敗したの。そのときに自分の竜をフィルに殺されて、表向きは処刑されたことになった」

「あ……例の、連隊長の竜殺しの話ですね」

「そう。……でも実際には放免されて、ニザランにたどりついてかれらの王にむかえられた。なぜなら……先住民エルフたちには身体がないから。かれらは、宿主に寄生して生きている」

 干からびた唐辛子のような、キノコの標本をリアナは思いだしていた。「エルフたち自身は、ある種のキノコみたいに根でつながってえるらしいわ。でもはたから見ると、死んだはずのライダーが永遠に生きているように見える」


「キノコ!」シジュンはふるえあがった。「おれ、キノコ、大きらいです」


「寄生主には竜の心臓が必要だから、ハートレスのあなたには害はないと思うけど」

 リアナは説明を続けた。「ともかく――エリサ王はなぜか、死の直前に赤ん坊をかつての政敵の手もとで育てさせようと思った。フィルは王の娘をひそかに守る誓約をたて、赤ん坊をニザランに運んだ。それがわたし」

「それで……ご養父のもとに行こうと思ったんですか? ご実家じゃなく?」

「北部は遠すぎるし、王都じゃすぐにつかまるし……。どのみち、デイから永遠に逃げるのは無理だけど、時間をかせぐならニザランが一番いいわ。妖精の森は、ライダーたちの目から隠れやすいはず。クローナン王は、青のライダーで医師だし」

 そう言ってから、リアナはちょっと眉をしかめた。「イニって……赤ちゃんのわたしを育てたのよね? でも、妊婦のことはわからないかも」


「飛竜で森を北上するにしても、王国よりのルートになりますよ。デイミオン王や連隊長につかまるなら、それはそれだけの話ですけど、妖精の森の危険はおれにも読めませんから」

「それはそうね」リアナは観念してうなずいた。自分が危険な目にうのもイヤだが、つらい思いをさせている夫にこれ以上、心配をかけるのも避けたかった。黒竜の神がかりめいた力をもっていながら愛するものを守れないという状況は、デイミオンにとって非常な苦痛なのだ。

「その点は慎重になるつもりよ」

「お願いしますね」


 大陸の西端にあるニザラン自治領は、地図上の左はじに置かれた糸瓜ヘチマに似ている。縦長で、森が多いために上空からは緑一色にみえる。右手側にみえるのは、ランバール平原。まったく同じルートというわけではないが、かつて隠れ里からケイエを経て王都に向かうときに通った場所とも近い。

 かつてフィルに連れられて決死の雪山越えをしたのは、ヘチマのツルに近い部分、つまり北端のルートだ。〈鉄の王〉の居城はほぼ中央。そしてヘチマの南端にあるお尻の部分がキーザインからもっとも近い入口になる。ただ、いさかいの多い南部との領境だから、王配とはいえすぐにはとおしてもらえないかもしれない。


 天候もよく飛行は順調で、森の入口に着いたのは正午ごろだった。二人は領内にはいる手続きをしようと竜を滑空させ、森の前に降り立った。石積みの塀が続いていたが、見張り小屋は簡素なもので、兵士の数はキーザインよりもさらに少ないように見えた。西部は農業と鉱山でうるおって豊かだし、入ったら出られなくなるようなうす暗い森に好んで侵入する竜族は少ないのだろう。


「あ、鉄の王の兵士たちだわ」

 見覚えのある優美な革の鎧に、リアナは声をあげた。竜族以上に長命なエルフたちだから、もしかして見知った顔がいるかも。それに、〈鉄の王〉までつないでもらえるなら話が早くなる。


 兵士たちの前に顔を出すことにシジュンは気が進まないらしかったが、一か八かで、やむをえない。ななめ前に出された腕にかばわれつつ前に進んでいく。



「――誰だ?」


 兵士からそう尋ねられることまでは、リアナの想定内だった。ニザラン風の名乗りにしてイニの名前を出すべきか、それとも正式なオンブリア王の配偶者としての名乗りにするか、一瞬の迷いがあった。


「わたしは――」

 が、そのあとに続いた出来事は彼女の想定を超えていた。誰何すいかしてきた兵士が、目の前でくずおれたのだ。斜めにかしぐ身体の、胸から矢じりがのぞく。


「奥に弓兵が!」

 そうつぶやいたのはリアナで、シジュンのほうは声を発することはなかった。すでに抜刀して、この危機的状況を把握するべく全身を獣のように緊張させていた。……森のなかに、ニザランの民ではない見知らぬ敵がひそんでいる。おそらくは、リアナを狙って。

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