第33話 エリサ、〈竜殺し〉に拉致(らち)される


「貴様……!」

 サンディの怒りをこめた命令が、黒竜につたわった。ニーベルングが首をもたげ、ゴオォォッと炎の息を吐く。空のうえ、オレンジの炎があかあかと燃えひろがった。


 ……が、その炎はロカナンの竜によって煙と消えた。

「チッ……やはり、白竜スヴェトラーナの支配権を奪っているのか」

 ハートレスでも、〈竜の心臓〉があればライダーと同じ力が使える。事実としては知っていたが、はじめて目の当たりにした光景は衝撃的だった。長衣ルクヴァもまとわない卑しい〈心臓なしハートレス〉が、自分たちライダーと同じように神聖な竜をあやつるなんて。まして、おなじ竜騎手のロカナンを力で上まわるなんて、とうてい信じられない。


「大丈夫か、ロク?」

 ニーベルングの力で翼近くに係留されているロカナンに向かって、サンディは尋ねた。

「りゅ、竜を……取り戻してくれ、サンディ」ロカナンがかぼそい声で頼んだ。

「ああ。まかせろ」


「おっと、領境で戦闘をはじめて南部の気を引きたくない。おとなしくしていてくれ」

 フィルバート・スターバウは言った。「どのみち、いまの俺には炎はきかないんだから」


「それくらい、わかっている」サンディはつぶやいた。

 があるから、ライダー同士の戦闘は千日手と言われるのだ。かつてはライダーたちも飛び道具として弓を使っていたというが、それもライダーの資質があまりに希少になったために、暗黙に使用が制限されるようになった。古竜どうしを戦わせることはライダーの義に反するし、そうなると、残る方法はひとつしかない。


 相手は、名高い〈竜殺し〉。相対すれば、デイミオンでさえ負けたことがあるのだ。そんな男と戦う恐れがサンディにわきあがった。


「いいや、エクハリトスの竜は敵をおそれたりはしない」

 みずからを鼓舞こぶするように声をはりあげる。と、〈竜殺し〉が苦笑するのが見えた。

「身の丈に合わない蛮勇はかわいいな。エクハリトスのくん」

「馬鹿にするなっっ」


 うっすらとあたりをおおう白煙から、高く跳びあがるようにしてフィルの死角に跳ねた。その一瞬は、宙にとどまるための竜術を解除することになる。

 重力にしたがって落ちながら、剣をふりかぶって〈竜殺し〉の砂色の後頭部をねらう――

 かなりすばやかったはずだが、サンディの剣は影をかすめもしなかった。サンディも竜騎手のはしくれなので、なにが起こったのかは一瞬で理解した。

 フィルもまたかれと同じように、竜術を切って真下にのだ。竜術によって浮いた状態の空中戦では、もっとも早い移動は落下なのだ。剣をかわしたところで竜術を復活させると、見えない床に着地するようにひざを使ってぎゅっと沈みこみ、鞠のようにぽーんと跳びあがる。


 サンディはあわてて、敵の飛んだ先を目で追う。

 フィルが着地したさきは、なんと黒竜ニーベルングの首の付け根だった。〈竜殺し〉の口端が「にいっ」と笑みの形に引き上げられた。

 愛竜の急所をうばわれ、サンディは焦って竜との〈呼ばい〉をひらいた。


「〔ニーベルング! そいつを振り落とせ――〕」

 言葉と同時の命令が、竜につたわったと思った瞬間。

 自分と竜との〈通路〉に割りこもうとする、フィルの干渉を感じ取った。つい先日も味わったばかりの屈辱をくり返すまいと、必死で竜の知覚にしがみつく。視界が大きくぶれ、ニーベルングのものに切り替わって、必死の形相ぎょうそうの自分が映った。

 竜との同化をかなり一気に強めたせいで、〈呼ばい〉が一気に流れこむ。その力の奔流ほんりゅうにサンディはかろうじて耐えた。


 が……支配権を防御したことにほっとしたサンディの目にうつったのは、もう目前に迫っているフィルの剣だった。

「ライダーたちが言う『支配権』の意味は、『命令の優先順位の書き換え』なんだな」

 支配を奪うのに失敗したにもかかわらず、フィルは得心したように言った。「もうちょっとで完全に習得できそうなんだけど」


「〈竜殺し〉め……! いったい、なにがしたいんだ!?」

 額に青筋をたてながら怒鳴ると、緊迫した場に似合わない「え?」という応答がかえってきた。

 まるで悪意のない表情で、フィルは首をかしげた。「だって黒竜の術者だけが相手を攻撃できるんだろう? 俺はいま白竜のライダーだから、支配権を奪う以外に制圧の方法はないと思ったんだけど」


「そんなことはわかっている!」首すじに剣をあてられたまま、サンディは吠えた。「なんのためにロカナンの竜を奪ったのかと聞いているんだ!」


「……」

 フィルバートは剣を持ったまま、なにごとか考えるような間をおいた。『別に解説してやる義理はない』とでも言うのかと思えば、

「リアナが、俺に心臓を渡してくれたんだ」としみじみと言った。


「……は?」


「リアナが。こんな危ない土地まで、俺を追ってきて……つきっきりで看病してくれて、『あなたはわたしのもの』って言ってくれたんだ」


「それは……。……? なにが言いたい?」サンディは、デイミオンに似たくっきりした黒眉をひそめた。


「愛を感じるだろ?」フィルはにこにこと言った。

「彼女はいま、デイミオンから逃げてるところなんだ。事情は聞けなかったけど、たぶん子どものことでもめてるんじゃないかな。子どものことで」

 元英雄は、最後のあたりに妙に力をこめた。


「そばに行って支えて、助けになってあげたいって思うんだ。リアナもきっとすごく感激してくれる。そのうえ、子どもの父親となれば……つがいになってもいいと思ってくれるかも」


「おい、おまえの頭には麦芽飴でも詰まってるのか? 僕が聞きたいのはそんな、つがいのどうのという村娘みたいなたわごとじゃないぞ」


「そうだな」

 サンディの首にあてた剣をそのままに、フィルはさらに一歩近づいた。「そこの子ども。の力が強い。ライダーだろう?」


「エリサ、後ろに下がってろ」

 サンディがうなったが、もう遅い。子どもが「うん」と返答するのが聞こえて、思わず舌打ちする。おそれしらずなのも良しあしだな。


「なにか……おぼえのある顔だな。紫の目」

 想い人と同じ色の目を、フィルはしげしげとのぞきこんだ。「ああ。北部からの情報にあった、エリサ王の複製だな」


「あたしはだれかの複製じゃない」エリサは不満げに鼻をならした。「それに、あなたより強い」

「リアナよりも?」

「リアナ・ゼンデンよりも」

「じゃ、確認しにいかなくちゃ。俺といっしょに来るといい」


 エリサは軽蔑するような目を元英雄に向けた。「子どもだましは大嫌い」


 フィルはくっくっと笑った。「じゃ、強硬手段しかないな」


「ま……待て! 彼女に手をだすな!!」

 サンディはあわてて制止した。「王の養子むすめになる子どもだぞ!!」


「もちろん、知ってる」

 フィルはにこやかに言った。「この状況で的がふたつに増えたら、デイミオンはどうするかな? ……大事なものが多いほうが、使える手段はすくなくなるんだよ」



 目の前にせまる、フィルの剣。はがねの刀身に絶望する己の目が映るのを、サンディはなすすべもなく見つめていた。


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