第32話 デイの交渉、フィルの戦略
♢♦♢ ――デイミオン――
フィルのもとを訪れてから、半刻ほどが経った。
出発の準備はすでに整っていたが、黒竜の王デイミオンは竜騎手たちを待たせたまま、ニシュクの館でアマトウと話しこんでいた。時間は惜しいが、どうしてもかれに要請することがあった。
病床にあるエンガス卿のかわりに家長をつとめるアマトウは、ハダルクと同年代とは思えない老けこみかたをしていた。青の術師の
「閣下のお加減が良くないのです」
目頭をこすりながら、アマトウは情勢を説明してくれた。エンガスの後継者の座をめぐって、レヘリーンが分家の息子を推しているという話も。
「母がすまないな。こちらで目が行き届かなかった。リアナを無事確保したら、この件もかならず手を打とう」
「ありがとうございます。陛下のお越しが間にあうといいのですが」
アマトウは忙しく頭を働かせているようだった。
「リアナさまの件も……私の考えがいたらず、申し訳ありません。まさか、再活性化した〈竜の心臓〉をフィルバート卿にお渡しになってしまうとは。フィルバート卿の治療のためか、それとも追跡を逃れる目的なのか……」
「どちらにせよあいつのことだ、もとよりそのつもりでここまで来たに違いない。貴殿が気に病む必要はない」
デイミオンの言葉に、アマトウはいくらか肩の荷が下りたような顔つきになった。
「それで、すまないが先を急ぐ話なんだ」
デイミオンは本題を切りだした。「ハートレスの兵士をひとり、ここで預かっているだろう? かれをこちらに貸してほしい」
「スタニー殿を、陛下の同行者としてお貸しするということですか?」
アマトウの確認には、暗に、スタニーがアマトウ側で働いていることをみとめる含みがあった。単独行動ばかりで謎の多い兵士だが、これでその一端はつかめたということになる。
「ああ。ぜひ頼む」
デイミオンは言った。「ニザランに逃げこまれたら、竜騎手たちの目もおよばない。おまけに、いまはリアナの体内に〈竜の心臓〉がないから、〈呼ばい〉を使って探すこともできない」
「私には
アマトウは迷いをみせた。「かれは……そもそも、リアナ陛下の命令で西部情勢の安定のために働いてくれているのです」
「そうか……」
そういう予想もしていないわけではなかった。竜騎手団とはちがい、ハートレスたちはリアナが王だった時代の肝いりで再編成された部隊だ。また、現在の部隊長はテオだが、そもそもフィルバートが率いていた。そしてスタニーふくめ、部隊員の多くはフィルに個人的な恩義を感じている。
フィルバートと利害が対立する今回ばかりは、いくら王であるとはいえ、かれらの協力を得るのに難航するということも覚悟していた。
「難しいのは承知している。だが、なんとかその男を動かす手だてはないか? ハートレスの兵士は、どうしても必要なんだ。王都から呼びよせる時間はない」
「そうですね……。命令はともあれ、そのリアナ
アマトウは王に紙片を手渡した。「この場所でお待ちを」
「まさに煙のように神出鬼没だな」
「それが仕事ですのでね」スタニーは淡々と応じた。
「なぜ、私がキーザインにいることに驚かないんだ? おまえたちには、いったいどんな情報網があるんだ」
「あなたがたが網の目だと思っているものは、われわれからすると娼婦のあそこみたいにがばがばだということですよ。……ま、ここが西部であるという地の利もあるんですが。戦時にあの人が置いてった草がまだ生きてるので、動きやすいんですよ」
アマトウにつたえた要請を、ここでくどくどと繰り返す必要はなかった。黒髪の兵士は、「リアナ陛下の命令には、緊急性があるのです。情勢はお聞きになったと思いますが、自分はここを離れられません」と断ってから、おもむろにつけくわえた。
「……が、替わりを見つけておきました。ちょうど、東部からこちらに着いたばかりでね」
「東部から? ……私の要請を見こしてか?」
「いや、これは別件です。でも弟君のほうもいないんで、手が空いたんですよ」
「そうか。残念だが、恩に着る」
スタニーは短くうなずき、
「ちょっとガタが来てますがね、道案内くらいなら務まりますよ」
と顎をしゃくった。さきほどスタニー自身があけた扉から、もうすでに男が一人部屋に入ってきている。
「切った張ったはやらせないでくださいね。腰でも痛めちゃ、〈ハートレス〉の名折れだ」
てっきり、西部に派遣されているべつのハートレスの兵士だろうと想像していたが、そこに立っていたのはデイミオンの知る人物だった。
「ガタが来てるとは失礼な」
がっしりと筋肉質な体型ではあるが、柔和な商人そのものという出でたち。その中年男がぶつぶつと文句を言った。「つい先日もそりゃあ見事な立ちまわりで、リアナ陛下のお褒めにあずかったというのに」
「ヴェスラン」
予想していなかった人物の登場に、デイミオンは驚いた。「そうか。東部に来たという報告は受けていたが。……立ちまわりと言ったか?」
「はい」
ヴェスランは顔を引き締めた。「その折は――武装神官たちの狼藉の件、ほんらい陛下にもご報告すべきことでしたが、リアナ陛下のお願いもあって果たせませんでした。そのせいで陛下を危険な目に遭わせましたこと、重大な処分にあたいするものと覚悟しております」
デイミオンは叱責の言葉を落としかけたが、首を振ってやめた。
「……今はそれより、おまえの協力が得られることのほうが重要だ」
かわりに、そう言った。「おまえとフィルバートの、あるいはリアナとの信頼関係は聞き知っている。それを
ヴェスランはデイミオンを見、それからスタニーを見た。
「それは、王としてお命じになっているのですか?」
「夫として、父親になる男としての頼みだ」
その言葉を聞いて、かつての兵士は悩んでからおもむろに答えた。
「……わかりました。お引き受けいたしましょう」
「いいのか、ヴェス? 連隊長を裏切ることになるが」
スタニーが尋ねた。
「スタン、おまえは王都にいないことが多いから知らんかもしれんが、リアナさまが絡むとあの人は
ヴェスランはためらいつつ答えた。「これは保険です。私はあの人が幸せであるようにと願っているし、リアナさまとうまくいけばいいとも願っている。だが今のままではあなたが圧倒的に不利で、いざというときにあの人を止められると思えない。……せめて
「ずいぶんな言われようだな」デイミオンは嘆息した。「まあいい。本心を
ともかく、これでデイミオン側の追跡の準備は整ったのだった。
♢♦♢ ――サンディ――
ほぼ同時刻。
竜騎手サンディは、黒竜ニーベルングを駆り、もうまもなくケイエの上空に到達しようというところだった。くっきりした青空にわた雲が散らばり、竜に乗るにはもってこいの日だ。そろそろ、南部の古竜と騎手たちの
ゼンデンの娘だという子どもを、ロールがしていたように胸前にかかえている。この子どもをデイミオンのもとに届けるなどというお遣い仕事を、しぶしぶ引き受けたばかりだ。終えればすぐにロールと合流するつもりではあるが、おかげで半日ほどのタイムロスになる。
領兵たちに〈呼ばい〉で名乗りをあげようと準備をしているところで、エリサがふと、「ライダーがいる」とつぶやいた。
「そりゃ、ここは領境なんだからライダーくらいいるだろ」
まるきり子ども扱いしてそう返すが、子どもは首を横に振った。「もっと西。白竜のライダーがいる」
「そんなはずがあるか」
サンディは一蹴した。「白竜のライダーたちが天候管理をする時期はもう、終わったぞ」
「でも、いる。二人。竜の支配権をめぐって、あらそってる」
サンディはいぶかしみつつ、竜の網をつかって、付近をさぐった。……子どもの言うとおり、たしかにライダーの〈竜の心臓〉をしめす点がふたつある。
「このあたりの管轄は、竜騎手のロカナンのはずだが……」
「行ってみようよ。すぐそこだよ」
エリサがねだったが、サンディは渋い顔になった。自分一人なら、仲裁にはいるのも構わないだろうが、いまは子連れだし……。
しかし、数少ない白のライダーだから、騎手団の顔見知りである可能性は高い。白竜の騎手はおだやかな性格のものが多いと俗に言うが、もちろん例外もある。リアナ・ゼンデンがそうだ。……まさか、彼女がロカナンを攻撃しているのでは?
尊敬するデイミオンの妻であり、またロールの誓願の主人ではあるが、サンディはリアナ・ゼンデンをこころよく思っていなかった。自分の立場を利用して周囲をふりまわし、王国内に迷惑をまきちらしている。
そう思うと、サンディのなかに怒りが再燃した。……やはり、行って仲裁してこよう。もしリアナ王配がそこにいたなら、デイミオンのもとに引きずっていく前に嫌味のひとつも言ってやりたい。
さいわい、
ふだんはクチナシ色の目が虹色に発光していて、竜の力が使用されていることがわかった。だが、主人であるはずのロカナンの〈呼ばい〉がない。
「くそっ、ロク、どこに――」
「あそこ!」エリサが指を差した。ちょうど竜の影になる部分に、海をたゆたう板切れのように、横たわって浮いている人影があった。亜麻色の髪と濃紺の
「ロカナン!!」サンディは、あわてて竜の力を使い同輩をこちら側に移動させた。糸をたぐるように引き寄せ、手が届く距離になったところでぼろぼろになった
だが――いったい、なにが起こったんだ?
竜の支配権を奪うだけなら、こんなふうに傷ついたりしない。鋭利に切り裂かれた
いぶかしむサンディの視界に影がさす。
太陽をさえぎるように、自分とエリサのすぐ近くに浮かんでいる
「いいものを見つけた」
砂色の短髪、軽装のチュニック姿。腰に佩いた剣をのぞけば、町を歩く市民のひとりにしか見えない地味な男の背中だった。
男は剣をふって、ふり向いた。「……ちょうど、道中に人質がひとり欲しいと思っていたところなんだ」
「……嘘だ……」
もちろん竜騎手なら、竜の力で宙に浮くことができる。だから、それ自体に驚いたわけではない。
竜の力を使えないはずの者が、あたかもライダーのように浮いていることに驚いたのだ。
「竜殺し」自分の声がからからに乾いているのを、サンディは自覚しないわけにはいかなかった。
たしかにエクハリトス家の生まれのはずなのに、一族の血を感じたことはまったくない男。
竜の心臓をもたない者。〈
〈
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