第25話 堕ちた英雄

※やや残酷な描写があります


「はい、死んでおりましたようですね」

 白髪の男――キャンピオンは、自分の言葉がおかしくてたまらないというふうに、くすくすと笑った。


 半死者たちの拠点だった、旧イティージエン内アエンナガル。そこでキャンピオンは捕らえた竜族と古竜を相手に陰惨な人体実験を行っていた。リアナたちが遺跡に乗りこんでいったときのことを、フィルは昨日のことのように覚えている。マリウス手稿ノートを確実に入手するため、遺跡近くを見張っていた。そして白竜シーリアの絶望と憤怒が遺跡を破壊しつくしたとき、この科学者がまんまと逃げおおせようとし、フィルはテオと協力して竜車を襲った……。

 フィル自身が投げたナイフがキャンピオンの胸をつらぬいたことも、その絶命を確認したことも、はっきりと思いだせるのに。


 目の前の男はたしかに年を取り、大きな傷で人相も変わってはいたが、まちがいなくあの狂った科学者キャンピオンだった。


「どういう……ことなんだ」

 フィルの疑問に、キャンピオンは満面の笑みを見せた。


「ところで、『トカゲ捕り』クルアーンという男を覚えておられますか? われわれ定命の人間にも、〈竜の心臓〉を持つ者たちがいる。とはいえ、その心臓で竜をあやつることはできず、寿命が延びるということもなく、ただ同じ心臓の持ち主を見分けられるだけの、ほとんど役にも立たないものなのですが」


「愚考いたしますに、竜族と人間をわけるもの、それは〈竜の心臓〉の有無ではないんですな。だからこそ、それを持ちながら短命に死ぬ『トカゲ捕り』があり、それがないのに長命を生きるあなたがたハートレスがいる。じつに、じつに興味深い」


「死んだあとに分かったことなのですが、わたくし、どうも〈竜の心臓〉を持っていたようでして。というのもですね……」


 キャンピオンは嬉々として語った。フィルに絶命させられたあと、寵姫サーレンの協力者だった王の部下がかれらを探しあてたこと。キャンピオンにとって運が良かったことに、この部下もまた『トカゲ捕り』だった。その能力を生かしてスパイなどこなしていたようだが、近隣にある〈竜の心臓〉の動きをとらえてやってきたらしい。ところが、かれにとって運が悪かったのは、〈竜の心臓〉の暴走状態を知らなかったことだった。


「いやぁ、わたくしも驚きましたよ」

 キャンピオンは笑みをくずさぬまま話し続けた。「目を覚ましたら、自分の心臓からなにやら触手がぐんぐんと伸びておりまして。それが、目の前の『トカゲ捕り』にね、こう、くぱあっと襲いかかったのですよ。おやおやと思う間もなく――」


 その触手は、目の前にある〈竜の心臓〉をわしづかみにして、ばりばりと打ち砕いた。『トカゲ捕り』は絶叫しながら息絶え、その末期の悲鳴のなか、キャンピオンは自分の身体が血と肉と金属によって再生されていくのを


 フィルはあえぎながらつぶやいた。「人間にも起こるのか……!」


「竜の心臓を構成するものは、転身金属リヴォルブというそうですな。それを使うことで、体内の臓器を修復できる。それと、まあ、多少のタンパク質もいただきましたが」

 キャンピオンはけろりと告白した。もとから倫理観などない科学者だったが、同胞の心臓を砕き肉を食らって生き返ったとは。


「こうやって潜伏していたのは……ガエネイス王の命なのか」


「いいえぇ。陛下とは無関係ですよぉ」

 狂った老科学者は大げさに手をふってみせた。

「第一わたくし、国からも追われているんですよねぇ。陛下肝いりのプロジェクトを、見る影もなくぐっちゃぐっちゃに失敗させてしまいましたでしょ。白竜公のことはやりすぎでした、はぁ」


「おまえは万死に値する」

 リアナの悲痛を思い、フィルの声に憎しみがこもった。


「ですけど、公をとらえたのは陛下の部隊ですよぉ。どのみち、無事にお返しできる算段は最初からなかったと思いますけどぉ」

 キャンピオンは腹立たしいほどのんきに、舞台役者のように快活にしゃべり続けた。

「今のわたくしはまったくの自由ですよ。せっかく死んで、生まれ変わった命でございますでしょ。やりたいことをやろう! とね、こう前向きに思ったわけなんです」


 フィルバートはのろのろと顔をあげた。キャンピオンの手には、短銃が握られていた。

「そのなかのひとつに、あなたへの復讐があったと、まぁ、このような次第しだいで」

 ふだんのフィルなら、コートに手を入れる不審な動きですぐに気がついただろう。これほどの至近距離なら、短銃を撃つまでの予備動作のあいだに老人を組み伏せることができたはずだ。だが、この夜のフィルはまったくの無防備だった。


「鬼神のごとき動きでしたのに、あなたも耄碌なさったものだ。……わたくしの緑狂笛グリーンフルートは、夢心地でしたでしょう?」

 キャンピオンが言った。「こうして手をくだすまでもない気もいたしますがね」


 銃口は暗い穴のようだったが、魅惑の光のようにも見えた。なにかを語りかけられているかのように、フィルは銃口から目が離せなかった。……が、銃弾がフィルの頭を吹き飛ばすより前に、キャンピオンは扉に向かって発砲した。


 スイセンの模様が描かれたガラス窓が派手に飛び散った。銃口がそれたことと、ガラスが割れる音楽的な音とが復活の合図になった。フィルの身体はようやくこの危機的状況に反応する。……キャンピオンは以前と変わらず、まったくの素人だった。銃の利点を生かすには、間合いにはいられないだけの距離が必要だということすらわかっていないらしかった。フィルは銃を持つ手をつかんで指ごと回転させ、老人の指を折った。その勢いを使って右側に引き倒す。

「ぎゃああっ」と悲鳴があがったものの、老人を確保しようとしたフィルの脚は空振りした。手首ごとすっぽ抜け、地面に落ちると金属音がした。どうやら身体の一部は、すでに金属に置き換わっているらしい。

「ひぃぃぃ」と情けない声をあげながら、キャンピオンは店の奥へと逃げこもうとしている。


「待て!」

 自分のものではない声と同時にナイフが飛び、老人の背中に突き刺さった。割れた扉のあたりから聞こえたので、おそらくキャンピオンはこれに気がついて扉を撃ったのだろう。ガラス破片をものともせずに扉から入ってきて、ナイフを投げた――だが、これもキャンピオンの動きを止めることはなかった。どころか、パァンと乾いた音がして火薬がはじけ、よくわからないうちに老人は巨大な蜘蛛のように逃げていった。……あたりに煙が立ちこめ、細い通路は薬やら木箱やらでふさがれかかっている。

 声の持ち主はいちおうは老人のあとを追っていったが、しばらくすると首を振りつつ戻ってきた。想像以上に逃げ足が速かったらしい。


「背中に爆竹でも仕込んでいたのか? わけのわからんジジイだ」

 声の持ち主はそう独言してから、へたりこんだフィルに向きなおって叱責した。「なにをやってるんです! 世をはかなむなら、もっとマシな状況でやってくれ」


「スタニー」

 フィルは、なんとか顔をあげてかつての部下の顔を確認した。「おまえ、まだ町にいたのか」


「あんたのお母上のせいでしょうが!!」

 スタニーはナイフを回収しながら、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。「あの高貴な人の動きが危なっかしくて、身動きが取れないんですよ。あっち側の間諜スパイって名目で貼りついてますがね、本当にいい迷惑ですよ」


「母上が……」

 そういえば、あの人もここにいるんだったな。フィルはかろうじて母の所在を思いだした。だが、理由については思いだせなかった。なぜ、こんなところに母が?


 スタニーは舌打ちした。

「エンガス卿がいよいよ危ないらしくてね。分家の若君が勢いづいている。公が跡継ぎ候補たちに書状を送ったと。……正当な遺言を、今のうちに残しておこうというのでしょう」


 その説明で、ようやくバラバラの断片がなにかを形づくりはじめた。

「アエディクラだ」

 床の一点を見つめて、そうつぶやく。「南部の動きは見せかけだ。跡継ぎの混乱を機に、自分たちの息のかかった貴族を鉱山の後釜に据える。ニシュクの支配を弱めるために、鉱山に遊興と武器とを流入させている勢力があるとすれば――それだけの力があるのは南部じゃない。アエディクラだ」


「よかったですよ、われらが上官殿の脳みそがいちおうは動いているようで」

 スタニーはあきれたような、ほっとしたようなため息をついた。「女一人にすっかり骨抜きにされて、見ちゃいられない」


「リアナ……」フィルはまだ呆然としたように、へたりこんだままつぶやいた。


「とにかく、ここを出ますよ」

 スタニーはしぶしぶと上官に肩を貸しつつ指示した。「もう野次馬が集まりはじめてる。今のあなたを連中にさらすのは、はばかられますからね」


 ♢♦♢


 キャンピオン自身が逃走に使ったのと同じ裏口から、ハートレスの男二人はそっと抜け出した。


「メドロート卿がいる」

 フィルは建物の影におびえ、身をすくませた。「あのとき俺が、アエンナガルで見捨てたから……」

「チッ」

 スタニーは盛大に舌打ちをした。「幻覚か」


 周囲から見れば、単なる酔っ払いと区別はつかないかもしれない。だが気分は最悪で、スタニーが支えていなければ、自分がどこを歩いているかもわからなかっただろう。どこかの街角で、フィルは盛大に吐いた。


「かつてはあなたが、俺たちを病院にぶちこんだじゃないですか。それで今になって、今度はあなた自身が依存症ですか? 目も当てられないぜ」

 スタニーが苦言した。そのあいだも、立ちどまらせずに歩を進める。こんな状態でどこに行くのだろうかという疑問すら、そのときのフィルには湧かなかった。


「一度はったんだ。リアナがアエディクラにいたころ……彼女がつききりでてくれて」

 かろうじて、そう説明する。だがスタニーはリアナを痛罵した。

「そもそもあれを使うまで追い込まれたのも、その陛下のせいでしょうが。たった一人であの方を背負って、決死の雪中行軍でニザランに向かった」

「その価値はあった」

「自分のものにもならない女性のためにですか? 騎士道精神なぞ、犬に食わせてしまえばよかったんだ」

「それでもいいと思ったんだ」

 たえまなく襲いかかる吐き気と幻聴に翻弄ほんろうされながら、そう告白した。

「愛情も、なんの見返りもなくてもいい。彼女が生きて笑っていてくれたら、それですべてむくわれる――そう思っていたときも、たしかにあったんだ」

 フィルは両手で顔を覆った。「そのまま、一本の剣でいられたら、こんなに苦しまなかったのに」


 それは誰かに聞かせるための告白ではなかったし、スタニー自身もどう扱っていいかわからずにいるようだった。

 嘔吐しながらすすり泣くフィルを情けないと思ったとしても、それを口に出すことはもうなかった。


「……とにかく、帰りましょう。あんたちょっと、休んだ方がいい」スタニーはそう言って、フィルをなじみの場所まで引きずっていった。




「陛下がここに来ないよう、手を回すつもりだったが……こうなったら、むしろお迎えに来てもらうほうがありがたいか」

 フィルにはもう聞こえていないことを承知で、スタニーはひとりつぶやいた。「認めたくないが、あなたに引導をわたす相手は一人しかいないらしい」

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