5 何度も、何度でもあなたを【西部・キーザイン鉱山】

第24話 亡霊の呼び声

 ♢♦♢ ――フィル――


 鉱山町の夜は明るい。夕立のあとの水たまりが街灯を反射して、歓楽街のにぎわいを大きく見せていた。出稼ぎの男たちのふところをあてにしたバーや娼館が目につく。

 フィルは、ロイやティボーら男とともに、夜の見回りをしているところだった。先日のような露骨な侵入者はあれ以降ないが、ニシュク家の竜騎手ライダーの報告によれば、鉱山ヤマの近くに見知らぬ心臓の輝きが見えない日はないという。つまりよそ者の出入りが活発になっているということで、見張りのライダーたちは疲れはじめていた。

 ライダーの能力は神がかりだが、物量で上回る勢力が長期戦をしかけると弱さが露呈ろていしてしまう。フィルが危惧きぐしているのは、かれらの消耗を狙った作戦だった。そのすき間を埋めるのが、いわばハートレスの兵士たちでもあったのだが――


(それは昔の話か)


 いま、町にいるハートレスは、ほぼフィルバート一人きりだ。かつて護衛として雇われていた彼らは、より稼ぎのいい王都や、同胞の多いスターバウ領などに流れていったという。

 フィルはハートレスたちの待遇改善をのぞみ、リアナがそれをかなえた。幸福に暮らす権利を得たものたちがいる一方で、こうやってしわ寄せを受ける場所もある。それは当然のことだった。


(だけどリアナが知ったら、気に病むだろうな)

 彼女のことを考えた一瞬、フィルの顔には微笑みが戻ったが、それはすぐにうち消えた。これ以上、彼女に会いに行くのを引き延ばすわけにはいかないと思いだしたからだ。こんなきな臭い場所に、彼女をやって来させるわけにはいかない。


 そのために自警団の統率もすすめ、町の守りを固くしようと腐心してきたのだ。

「明日から、三日間ほど留守にする。そのあいだはおまえたちだけで見回りをすることになるが、大丈夫か?」

 フィルが話しかけると、ティボーがうなずいた。

「旦那には武器の扱いからなにから、しっかり教わった。ニシュク家のライダーたちとも最近はうまくやってるし、心配はいらねぇよ」

 当初は反発していた男だが、フィルの戦闘能力や武器の知識を目の当たりにして、今では心酔しているといってもいいほどだった。

「それより、あんた、顔色が悪くないか?」もう一人の男、ロイが気づかわしそうな視線を向けた。「フェリシーが心配してるんだよ、あんたが眠ってないんじゃないかって」

「もともと睡眠時間は少ないんだ。心配ない」フィルはぴしゃりと言い、それ以上の口出しをこばんだ。


「だけど本当に、ケンカが増えたな」ティボーがそう言って、縄につながれた男をこづいた。ちょうど今しがた、通りがかった飲食店で給仕娘に手を出そうとしたこの男を捕まえたばかりだ。


 かれらはそのならず者を、歓楽街の顔役にあずけた。ロングノーズというあだ名で知られ、ヤマが開かれた当初から娼館や賭場を仕切ってきたらしい。


「酒場の空気が悪い」

 フィルは、その顔役に男を引き渡しがてら尋ねた。「鉱山の払いが悪いわけでもないだろうに、トラブルが多すぎる。……心当たりはないか、ロングノーズ」

 二人が立ち話をしているのは、娼館の応接間である。蝋燭をおしみなく使い、淫靡な香の匂いが高級感をあたえているものの、装飾は全体的にけばけばしい。


 あだ名の由来は貴族的な顔立ちなのだろうが、ロングノーズは優雅なしぐさで煙管きせるを口から離した。

「素性の知れない女が増えましたな。混血でもない、ハートレスでもないみたいでね。それが一人や二人じゃない。……じゃないかとあたしらも警戒してますがね、なにしろ需要がありますから、やむを得ない」


「女関係のケンカか? ……あとは賭博か、酒か……」フィルは考えるときの癖で、口もとに拳をあてた。


「その全部ですよ。まぁ、あたしらは客が増えてありがたいが、腑に落ちないのも確かだ」

 コンコンと灰をおとし、ゆったりと説明する。「こちらのシノギに割って入るわけじゃないが、そこがかえって、うさんくさい」

「どこの連中だと思う?」

「ふむ」

 ロングノーズは煙管をもてあそびながら考えている様子だった。「ケイエと答えた女もいたが、あたしは懐疑的でね。あそこは今すごく景気がいいんだ。金払いがいい時に出ていく女はいないからね」

「出身を偽っていると?」

「……その女、たしかに南部なまりがあったが、甘ったるい薔薇の香水を使ってましたよ。あれはシラノの若い女に流行はやっててね、うちの娼妓おんなたちにねだられるんで、よく覚えている」


 ♢♦♢


 ロングノーズはその後も、知るかぎりの情報を教えてくれた。代々の鉱山主やそのライダーたちと良好な関係をたもち、自身の商売を盤石にするタイプなのだろう。


『こっちのシノギに割って入ってこないと言いましたがね、そういえば、捨ておけない情報がひとつあるんですよ』

 去り際、顔役の男は気になる情報をよこした。『「青芙蓉」「粉雪」。旦那がご存じかわからないが、そんな薬を持っている女もいるようでね。まだ現場をおさえたことはないんだが、もし事実ならあたしらも悠長にはしていられませんよ。うちは女の質が良いので売ってるんだ』


 フィルは薬の名を知っていた。

 どちらも、妖精罌粟エルフオピウムの俗な亜種だ。医師の処方がなければ買えないエルフオピウムとちがい、違法に出回っている。鎮静作用と多幸感を与えるが、依存性も強い。フィル自身は服用の経験はないが、戦時のさまざまな傷――肉体だけではなく精神もふくむ――、その痛みを軽減するために使っている部下を見たことがあった。

 もし、それらの薬が故意に流れてきているとしたら。


 シラノは、アエディクラの首都だ。竜の治める国ではなく、の国家である。そしてその君主ガエネイスは、かなりの切れ者だった。

 ……やはり、自分の目で確かめねばなるまい。フィルは気が進まないながら、薬屋の戸をくぐった。

 店内は狭く、乱雑で、棚にはところせましと品物が詰めこまれている。どこかでかち、かちと時計の音がした。薬屋が好きというもの好きもいないだろうが、それをのぞいても、どうも居心地の悪さを感じる場所だった。


「おや、ご領主さま」

 乳鉢を手にした老齢の店主が、カウンターの向こうから会釈した。小柄で枝のように細く、ぼさぼさの髪もコートも白。だがそれよりも、顔全体を覆うほど大きくてごてごてと飾りのついた眼鏡が目立つ。奇怪な出で立ちの男だった。

「このところ、ご無沙汰でしたな」


「その呼び名はやめろ。俺はここの領主じゃない」

 フィルは不愛想に制し、店内を観察した。「こんな夜更よふけに、まだ店を開けているのか?」


「ありがたいことに繁盛しておりまして。不眠に悩む奥さまがたに、夫婦生活を楽しみたい殿方に、当店の薬はてきめんでございますよ。……ご領主さま――いえいえ、旦那さまもいかがでございましょう? いえいえ、もちろん、閣下にはご入用はないでしょうな? それだけご壮健なら、あっちのほうも強いに違いありませんからな」

 店主はヒヒッと下品な笑い声をもらした。

 きちきちきち、と細かな機械音がしていた。この店ではいつも聞こえるので、フィルの耳にもすっかりなじんでしまい、この機械音だけで薬のことを連想させられて不愉快になる。

「それとも、ですかな? 最近は、あのかわいらしいお嬢さんも買いもとめにいらっしゃらなかったので、心配していたんですよ」


 フィルの顔に苦痛が浮かんだ。リアナに会いに行くため、ここ数日は緑狂笛グリーンフルートの服用をやめていた。だが、そのせいで、気分は最悪だった。フェリシーどころか、ロイたちにも顔色を見られてしまうほどに。


 店主は、ぶあつい眼鏡の下からぎょろりと視線をよこした。

「しばらく服用なさっていないのでは? ……当店の処方はお気にめしませんでしたかな? 以外にも、お心を落ちつかせる薬は多数ございますよ」

 緑狂笛グリーンフルートは、違法薬物ではない。かつて戦場では誰もが服用していたし、青の術師たちも推奨していた。だが戦後、かれら医師たちは覚醒効果の強いこの薬を処方することに慎重となりはじめ、かつての兵士たちは通常のルートでは入手できなくなった。だからこうやって、町の薬屋と懇意になって後ろ暗い方法で入手しなければならない。……その後ろめたさが、よけいに居心地悪くさせるのだろうか。できることなら、長居したくない場所だった。


「よけいなことをぺらぺらとしゃべるな」

「ヒヒッ。これは失礼を」


 きちきち、かちっ。

 ツツツツツ……。


 フィルはロングノーズから聞いた薬について、店主に尋ねるつもりだった。だが、体調がすぐれないせいか、この奇怪な音のせいか、気が削がれてしまう。


(いったいなんなんだ、この音は。まるで、この男から聞こえてくるような……)

 一度気になると、音から意識をそらすのが難しくなってきた。本当に時計の音なのだろうか? ……この店にいると、いつも具合が悪くなる……。


 ジーッッ……ジーッッ……


「脂汗をかいていらっしゃる。救国の英雄殿は、お加減がわるくていらっしゃるのではないですかな? おぉ、もしかして、禁断症状に苦しんでおられるのでは? 緑狂笛グリーンフルートはいい薬ですが、離脱症状の辛さには大の男も泣きわめく。中断して何日になられるのでしょうかね? 幻覚は、振戦しんせんは?」


「黙れ……」フィルは吐き気をこらえ、片手で顔を覆った。店主がかれを『救国の英雄』と、昔ながらのあだ名で呼んだことにも気づかなかった。

 店主は笑みを深めた。切り裂かれたような、皺の多いいまいましい笑みだが、もちろんフィルからは見えなかった。


「しかしお顔は本当に、、羊でも追っていそうな素朴な出で立ちでねえ。これが本当にかの英雄殿か竜殺しかと、宮廷でも噂になりましたものです」


「…………は…………?」フィルはようやく、顔をあげて店主を見た。悪い夢のなかにいるような気分だ。


「おや。まだお分かりにならない。英雄殿は本当に、敵が多くていらっしゃるんですなあ。そのうちの一人など、とうにお忘れか」

 皺だらけの、眼鏡ばかりがぎらぎらと輝く老人。薬屋の店主は、その眼鏡をはずしてみせた。

「まあ、わたくしも少々、が変わりましたですな。竜のご末裔はいつまでもお若く美しいが、十年もつと、は老いるのですよ」

 ぎょろりと動く黒い目にも、縫ったような傷がめだつ鼻や口もとにも、見覚えはなかった。そもそも、目の前の男のような年齢の者に知りあいはいない。なら。


 十年の歳月が男を老人に変えたとすれば。それは、竜族の男ではなく、より短命な……。



「キャンピオン」

 フィルは驚きに目を見開き、かすれた声で亡霊の名を呼んだ。「おまえは、俺が殺したはず」

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