第23話 私に、誓いを果たさせてくれ


 ♢♦♢ ――ロール――


 竜騎手ロレントゥスは、独房のなかでまどろんでいた。


 つい今しがたデイミオンがおとずれた、地下墓所からも近い半地下の部屋である。独房といっても鉄格子つきの扉がものものしいのと、家具が動かないように床に打ちつけてあるだけで、あとはふつうの居室だ。おそらく囚人用の設備ではなく、身内に精神異常者が出たときなどに使ったのだろう。

 まばゆい満月がほかの星をかすませるように、巨大な力のき来から王の存在を間ぢかに感じることができた。王の怒りと恥辱ちじょくまで感じ取れるほどの強さだ。


「王の感情を? ……まさかな」

 ロールはぼんやりと独言した。〈血の呼ばい〉じゃあるまいし。


 さわがしい夜だった。デイミオンに似て大きなたくさんの〈呼ばい〉、つまりエクハリトスの男たちがあちこちを忙しく行きかっていた。これほどの力のなかにあって、竜の心臓を持たないハートレスたちは星のない夜のように静かだ。


 〈竜の心臓〉とは不思議なものだな、とロールは思った。ライダーであるということは、この国では絶対的な力になる。竜騎手たちはみずからが完璧な存在であることを疑わず、弱きものを庇護ひごし、かれらの上に君臨している。だがその内面では、はかりしれない力と、いびつな精神が共存している……自分のように。


 ――われわれは本当に、竜の末裔まつえいなのだろうか。

 ロールはもう長いこと、竜祖のみちびきというものを素直に信じられなくなっていた。竜騎手団に入ったころ胸に抱いた使命感もいまでは輝きをうしない、手入れされずに黒ずんだ鋳物いもののようだ。

 そういうほろ苦い失望もあるのだが、もっと現実的な疑問でもある。〈竜の心臓〉をもたないハートレスたち、あるいは人間でさえ、古竜よりはずっと自分に近い存在のように思えるからだ。


 そんなことを思うようになったのも、誓願の主人のせいだった。リアナ・ゼンデンは、ライダーとハートレスのあいだを自由に行き来し、どちらにも属しているように見える。

 

 ……そのリアナは、自分という切り札をあっさりと切り捨てていった。ここまで周到に準備をしておいて、たかがおとりの役割とはおどろかされる。しかし自分がここにいることで、その処遇を決めねばならず、また監視の手も必要となれば、追跡者側にとってはかえって負担となる。そういうそろばんをはじくあたりが、リアナらしい計算高さなのかもしれない。

 こうして誇り高いライダーたちの群れを、ハートレス同然となったリアナたち二人がひっかきまわしていると想像するのは、妙に痛快なものがあった。


 ……そんなふうにあれこれと想像することができるのも、こうやって捕らえられてほかにやることがないせいではあった。もちろん、そんな白昼夢をただ楽しんでいるだけではなく、彼女の手助けになりそうなことがないかも考えてはいた。


(そう、方法はある。おそらく――)

 ほどなくして、かれの計画に欠かせない人物がやってきた。デイミオンに似た、だがはるかにロールに親しんだ気配。

 寝台から起き上がって、扉に近づく。目前には室内よりやや広い程度の踊り場があり、上階からの階段の端が見えていた。そこに、長い脚が降りてくる。


「サンディ」

 名前を呼ぶと、けわしい顔つきになった。エクハリトスの貴公子、サニサイドが扉の前に歩いてくる。いつも通りの騎手団の長衣ルクヴァに戻っていた。手に夜食でも入っていそうな籠を下げていたが、おそらくあれは、本人の分だろう。差し入れの気を利かせるタイプではないので。


「おまえの養父が来ていたぞ」

 サンディは言った。「『王に合わせる顔もない、リアナ王配をいさめることもなく王への裏切りに手を貸すとは』と言っていた」


「面目もないことだ」ロールは事務的に言った。神事のために帰省していたのだろうと想像がついた。

 もしサンディが自分に反省をうながすために家族に言及したのなら、それは効果がないと言ってやりたかった。ロールが養子に入ったのは成人後のことで、おたがいに利益が合致しての養子縁組だ。養父母との関係は良好だし、迷惑をかけたことは申し訳なく思う。が、どのみち家を継ぐべき子どもを残すことができない以上、自分は最初から、あの家に入るべきではなかったのだ。

 どうせ縁を切るのなら、養子に取った男が同性愛者だったというよりも、王配の脱走を手助けしたという理由のほうが、ずっと世間体はいいはずだ。誓願騎手は主人の命を絶対とするので、すくなくとも誓いの一つは守ったと言い訳がたつ。



「どうして、こんなことをやらかしたんだ」

 理由を尋ねるというよりは叱責する口調で、サンディが問いかけた。どうやらここに居座るつもりらしく、壁際から腰かけを引っぱってきた。

「協力するおまえもおまえだが、はいったいどういうつもりなんだ」

 親友は、リアナへの呪詛じゅそをつぶやいている。「デイミオン王に、なんの不満があったというんだ。一族の長で、アーダルの主人で、完璧なアルファメイルじゃないか」


「完璧な相手だからこそ、そこないたくないと思う愛情もあるだろう。愛すればこそ、そばにいられないということもある」ロールはあえてリアナをかばった。


 サンディはいちおう、親友の言葉を吟味ぎんみするような顔にはなった。が、やはり、「まったく理解できない」と言った。

「おまえもそうなのか? それで、ザックと離れるためにあの女についてきたのか?」


「あ……いや……」

 ロールは青い目をぱちぱちさせた。そういえば、サンディは自分が懸想けそうしていると思いこんでいるのだった。自分でそう仕向けたのに、逃亡劇のどたばたでその設定をすっかり忘れてしまっていた。ザックのためにも、いずれは真実を打ちあけなければならないのだが……。


 ためらったせいで、誤解させてしまったらしい。

「僕には言えないというのか」

 サンディは憎々しげに言うと、手にしていた酒瓶からワインをそそぎ飲んだ。


「サンディ。ワインはやめておいたほうがいい」

 すぐに酔うのだから、という一言は口にしないでおいた。エクハリトス家の男なのに酒に弱いことを、この美貌の親友は気にしているのだ。


「なんで、あんな女の誓願騎手なんかになったんだ」

 サンディは悔しそうに言った。「おまえは、同期のなかで一番のライダーだったのに。自棄じきになったのか? 騎手団であんなことがあって……同性愛者だなどと口さがなくいわれて……」


「口さがなくはない、事実だからな」

 ロールの言葉に、サンディのほうこそ動揺しているように見えた。が、ロールはあえて続けた。

「誓いを果たすと言うことは、それまでは死ねないということだ。主人のために使う命を、おろそかにあつかうことはできない」

 そして、決然と言った。「……自暴自棄になったわけじゃない。私は生きたいと思っている。その方法が、誓願騎手だったんだ」


 サンディはなにも言葉を返さなかった。ただ悔しそうに壁の一点を見つめ、またワインをあおった。酒に弱いので、もう顔が赤くなりはじめている。

 自分の裏切りでプライドが傷ついたのだろうな、とロールは思った。だがすこしばかり考えなおした。たぶん、そればかりではないのだろう。

「おまえに相談しなくて悪かった」と、そっと付けくわえた。


 サンディが、ぎょっとしたようにハシバミの目を見開いた。

 目をそらしたくなる気持ちをおさえ、ロールも青い目を親友に向けた。

「おまえにも、ザックにも、フラニーにも。迷惑をかけたくなかったんだ。でも、まちがっていたんだろうな。友人を信じて頼るべきだった。……すまなかった」


「気持ち悪い」

 サンディが、言葉そのものの口調でつぶやいた。「おまえ、なにか僕にやらせるつもりだろう?」


「わかるか?」ロールは苦笑した。「実をいうと、あてにしている」


 サンディはまったく笑っていなかった。「弱みをみせれば、僕を動かせると思っているのか。……おまえのそういう計算高いところが、心底しんそこきらいだ」


 『計算高い』か。どうやら思った以上に、自分はリアナ・ゼンデンに似ているのかもしれない。性的な意味ではなく彼女にかれる部分はあったが、そのせいなのかも。


 しんみりした気分になっていると、サンディが「王に取りなしてほしいと言っても、無理だぞ」と言った。

 「心底きらい」などと言ったくせに、どうやら手助けを考えてはくれているらしい。デイミオンに似た精悍せいかんな横顔を見て、ロールは一人だらしない笑顔になった。おそらく、たいした名案は考えつくまいが、サンディのこういう律儀なところが好きなのだ。

 

「まず言っておくが、僕の権限けんげんではおまえを牢から出せない」

「わかっている、そもそも私は監視されているし、助けもない。ブロークナンクもおなじだろう」

 ロールは竜の名前を出し、ひと呼吸置いた。「だが、おまえの竜ニーベルングは違う。この警戒下でも、アーダルの目を盗んで脱出できるはずだ」


「それはそうだが」サンディは男性らしい眉をひそめた。「何が言いたい?」


 ロールは声のトーンを落とし、計画を打ちあけた。「おまえに、リアナ陛下を助けてほしいんだ。誓願騎手である私の代わりに」


「ハァ!?」サンディは驚きで思わず立ちあがった。相対的に小さな腰かけが、かたんと後ろに倒れた。


「たのむ、サンディ。私に誓いを果たさせてくれ」

「絶対におことわりだ!」

 サンディは叫んだ。「なんで僕が、あんな女のために苦労しなきゃならないんだ!」


 もちろん、サンディならそう言うに決まっている。だが、自分だってここで引き下がるわけにはいかないのだ。

 親友をなんとか説得しなくては。そう身をのりだしたロールの視界に、奇妙なものが映った。

 階段の下。あるはずのないもの――いや、いるはずのない人物?


「ねえ、その話、長くかかるの?」

 うんざりしたような少女の声がした。


 ロールに続いてサンディも、ぎょっとして階段のほうを向いた。


「せっかく大人たちを撒いて半日早く着いたのに、みんな忙しそうだし。黒竜の巣に行きたいのに」

 ボサボサしたおかっぱの茶髪に、見間違えようのない紫水晶アメジストの目。傍若無人な少女は、まるで王のようにゆったりとあたりを見まわした。「デイミオンは古竜みたいに怒り狂ってるし。とりあえず、ロールの気配を探して来てみたけど、捕まってるし。リアナ・ゼンデンもいないの? なにがあったの?」


「わっ!」甲虫でも見つけたように、サンディが驚いて身を引いた。「なんだおまえ、どうしてここにいるんだ!? 北部にいるはずだろ!!」


「どうしてって、行く予定だったから、来ただけよ。馬鹿なの?」少女は小憎らしい表情を浮かべ、小枝のような腕を腰にあててふんぞり返っている。


「エリサ」ロールの顔がほころんだ。「これこそまさに、天の助けだな」


「魔王の間違いだろ!」サンディが毒づいた。

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