第46話 いつものケンカのあとで

 ♢♦♢ ――デイミオン――


「アーダル!?」

 デイミオンは竜の背から声をあげた。「どうした? ブロークはおまえの群れパックの子どもだぞ」


「アーダルも、ブロークも……二人とも、どうしちゃったの?」

 リアナが夫の顔をみあげ、不安げに尋ねた。

「序列争いだ。ブロークナンクが、アーダルに挑戦している」

 デイミオンは、そう説明する。「やつらめ、こんな時に……!!」

「炎の気配で、竜たちが興奮してしまったのかしら」

「ブロークくらいの年齢ならともかく、アーダルはもうそんな年齢としじゃない。〈呼ばい〉の制御が弱すぎたのかもしれん」

「わたしのせいで……」リアナの声が暗くなる。

 彼女の負担とならないよう、竜との通話である〈呼ばい〉を細く小さく制御しているのは事実だったが、デイミオンは「やめろ」とさえぎった。

「もう何度もくり返しているのに、なぜ守られる立場が甘受かんじゅできないんだ?」

 さらに、叱りつけるような口調になる。「つがいの責務が同等であるべきなどという妄言を、だれがおまえに吹きこんだんだ。雌雄しゆうにはそれぞれの役目があるのに」


「だけど、わたしは母親になるのよ」

 リアナはまだくよくよと悩んでいるようだった。「そんな姿を、生まれた子どもに見せるの? 巣のなかの雛のように、あなたから守られてばかりの母親を」

「今から、俺と張りあえるライダーになるとでもいうのか? できないことばかり並べたてずに、先のことを考えろ」

「そんな言いかたって」

 だがデイミオンは、その反論を聞いていなかった。〈呼ばい〉を細くたもちつつ、そこからアーダルに命令を送っていた。必然的に、精神共鳴に頼る部分が大きくなるため、デイ自身の負担が大きい。かれからは見えないが、瞳孔が煌々と金色に輝いていた。


 精神同期のせいで、アーダルと自分の知覚が二重に映り、船酔いのような感覚に襲われた。山羊ヤギほどに大きいアーダルの心臓が、興奮してどくどくと鼓動している。感じられるのは、手のひらの上に世界を載せているような万能感だった。そして、同胞なかまである竜たちの心臓。離れたところにあるふたつの輝きは、妖精王イニとエリサのものだ。少女は無事で、妖精王に寝かしつけられている。

 火事による騒動がおさまりつつあったのに、古竜同士の戦いの気配で、生き物たちはふたたび落ち着きをなくして逃げまどっていた。味方側の飛竜がおびえて逃げださないよう、一時的に、脈拍を遅くして安静状態であるように錯覚させる。

(……心臓をおさえる? まさか。そんなことができたのか?)

 それは竜騎手ライダーの能力を超えている。一瞬、疑問が浮かんだが、アーダルの知覚と混じりあうと違和感をたもつのは難しい。後回しだ。今は、もっと大切なことがある……。


 黒竜ブロークは身体を揺らし、羽を立てながら、さらにアーダルににじり寄ろうとしていた。アーダルは巨大な尻尾を見せつけるように横なぎにして、威嚇音をあげる。この状態でブロークが降参し、身体を低くしながら下がれば、衝突は起こらない。 

「やめろ! ブローク!」

 竜騎手ロールの青い目が、白金色に輝いた。ロールもまたリアナを心配して強い〈呼ばい〉を使っていないらしく、デイミオン同様、竜の制御に苦労している様子がうかがえた。

 ライダー二人が竜から降り、かれら自身の争いにまかせるほうがいいかもしれない……とデイミオンが思った直後、鞍上の二人を衝撃がおそった。悲鳴をあげたリアナを抱え、腰を浮かして衝撃を逃がす。見ると、ブロークがアーダルの首に、まさに噛みついているところだった。次の動きは、竜の背のデイミオンからは見えなかったが、アーダルもまた雄竜の首に噛みつきかえし、首を大きく振って身体ごと投げとばしたらしかった。

 ロールも竜といっしょに跳ねとばされたが、空中でさっと姿勢をととのえて竜の手綱を取り戻した。

「アルファメイルに服従しろ! ブローク!」

 衝撃で目を回しかけていたリアナが顔をあげたときには、黒竜ブロークは羽をおろし頭を下げた服従の姿勢になっていた。古竜同士の争いは、このように電光石火で勝敗がつく場合が多い。わかってはいたが、デイミオンはほっと胸をなでおろし、妻に声をかけた。

「……大丈夫か」

「ええ。でも、びっくりしたわね。ブロークが……」


 ♢♦♢


 雄竜たちの序列あらそいのあいだに、森の事態にもいちおうの収拾しゅうしゅうがついたらしかった。竜騎手シメオンからの報告で、火事は収束しゅうそくし、女王マドリガルとともに戻っているとの連絡。また、敗残兵を追っていたフィルバートたちも、指揮官を確保して帰路にあるとの伝令だった。


 デイミオンが竜の背から降り、妻を抱えおろしたところで、竜騎手ロールがあわてて謝罪に駆けつけた。

「王の竜に挑戦するなど、恐ろしいことを。すべて騎手たる、私の責任です」

 美青年の顔面は、青を通りこして真っ白になっている。竜の制御に失敗することはライダーの重い責任となるので、剣帯をはずし徒手となって処分を待っていた。古い時代には、玉竜を傷つけたという理由で竜騎手が竜もろとも処分された記録もある。


「アーダルとおなじ、ウルヴェアの血統だったか。主人に似ず、野心の強い竜だな」

 デイミオンは険しい表情を一瞬ゆるめ、竜好きの顔をのぞかせた。

「本当に申し訳ございません」

 王はロールの縮こまった肩をたたいてやった。「気に病むな。アーダルには、いい刺激になっただろう」

 アーダルは成竜となってから一度も序列争いに負けたことはない。デイミオン同様、生まれながらの王なのだ。挑戦を受けること自体がめずらしかったので驚いたが、タイミングが悪かっただけで腹を立てたりはしていない。


「アーダル号への挑戦だけではありません。私のほう助で、リアナ陛下が陛下のもとを……その、今回のことは――」ロールは歯切れわるく謝罪をかさねた。

「妻の命令だろう。わかっている」

 デイミオンは短く答えた。「誓願の竜騎手は、主人の命令に逆らえない。そのために、リアナはおまえの誓いを受けいれたんだ。王の意に反する命令に従わせるために」

 ロールは助けを求めるように主人を見た。リアナは悪びれもせず、肩をすくめて「事実よ」と言った。


「とんだ悪だくみだな。そこまでして俺から離れたかったのか」

 デイミオンの声がとげとげしくなる。いつものケンカなら、矢のような反論が返ってくるところだった。だがリアナはなにも答えず、森の奥のほうへ目をむけていた。女王マドリガルが手をあげて、かれらが集まる広場がよく見えるよう、明かりをともした。それで木の陰からハートレスたちが戻ってくる姿が確認できた。

 デイミオンは舌打ちした。あいつが戻ってくる前に、リアナを説得するつもりだったのに。

 こうなれば、直接ヤツとやりあったほうが早いのではないかと思いはじめた。竜殺しだの悪魔だのと言われているが、たしか十年前にやりあったときはいい勝負だったじゃないか。この方法なら、リアナに口出しされずにすむし。


 だが……


「さっきのケンカは……わたしが悪かったわ」

 スミレ色の目で見あげられ、デイミオンは言葉に詰まった。なにか言うべきなのはわかっていたが、出てこない。こんなふつうの口ゲンカのあとで、彼女から謝ることなどめったになかったから。

「あなたの言い方が悪いとか、決めつけられるのが嫌だとか、そういうんじゃないのよ。そのままのデイでいてほしい。わたしのために変わってほしくない」

 優しい口調ではあったものの、それは仲直りの申し出のようには聞こえなかった。

「リア」

「最初から、あなたを説得できるとは思ってなかった。最後はケンカで終わらせたくないけど、これしかないから……」

「なにを言っている? こんな状態で、やつのところになど行かせないからな」


 言いつのろうとしているところで、ふたたびフィルが近づいてきた。背後ではシジュンが、捕虜らしい敵兵をかつぎあげて荷運び竜ポーターに移しかえている。フィル自身は、散歩から戻ってきたように身軽に見えた。ぼんやりした簡易照明の下で、うすら笑いを浮かべている。


「おまえの好きにはさせんぞ」

 敵意をむきだしにするデイミオンに対し、フィルは「どうやって?」と軽く流した。

「怒りを爆発させてリアナを傷つけるのか? それとも、泣いて彼女を引きとめる?」

 恋敵の退路をてる嬉しさを、かれは隠そうともしていなかった。「どちらもできないんだろう、あなたは」

「……」

 デイミオンは底冷えのするような嫌悪の目で弟を見ると、一歩ふみこみ、顔めがけて一発殴った。フィルは勢いよくよろけたものの、殴り返さなかった。口を切ったのか地面に唾を吐いてから、「そっちが先に、俺を利用したんだ」と言った。


「俺だって、ずっと彼女が欲しかった。リアナが必要なんだ、デイよりずっと」

「フィル、今はやめて」

 固い声でリアナが制止すると、フィルは素直に口をつぐんだ。冷静になったように首をふり、そして飛竜の休んでいるところへ向かっていく。


 振りおろしたまま行きどころをなくしている拳を、リアナの白い手がそっとさすった。拳に視線を落とし、しばらくそのままでいたが、やがて手を離して顔をあげた。

「『次の春も、その次の春も、永遠に……』。誓いを守れなくて、ごめんなさい、デイ。……フィルと行くわ」

 

 

「行くな!」デイミオンは叫んだ。だが、リアナはふり返らず、もう戻ってこなかった。

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