第13話 フラニー、いっぱいいっぱいになる

 ♢♦♢ ――フラニー――


「ザック。伯父さまから話は聞いてるわ」

 オーク材の立派な机の前にかけ、フラニーは精いっぱいの威厳をもって切りだした。「私たちの結婚話ね」


「おお。信じらんないよな!? エサルは横暴だよ」

 ザックは太い腕を折って腰に手をあて、怒りのポーズで立っている。

 

「政略結婚なんて、めずらしいものじゃないでしょう」

「そうは言うけどよ……おまえ、デイミオン陛下のことはいいのかよ?」

 

 ザックの無遠慮な言い草に、フラニーは組んでいた指を落ちつきなく組みなおした。

「陛下のことでは、伯父さまも骨を折ってくださったのだし、結婚にこぎつけなかったのは私の落ち度よ」


 デイミオンのことを思いきれたのかどうか、フラニーはまだ自信がない。今のところは怒りのほうが上回っているが、あの顔で微笑みかけられたらと思うと……決心が揺らがないとは言いきれなかった。

 だが、もちろんそれと自身の結婚とは別問題である。適齢期の娘に縁談があるのはふつうのことだ。そして伯父には伯父の計画がある。だからこそ、エサルからこの縁談を持ちかけられたとき、フラニーはまじめに受けとった。そして、いくらか駄々をこねもしたが、最後には「伯父上のご意向にそえるよう、精いっぱい努力いたします」と返事だってしたのだ。


(それなのに、ザックときたら……まるで子どもなんだから……)

 それが彼のいいところでもあるとはいえ、フラニーの我慢もそろそろ限界に達しそうだ。

(良い男なのはわかってるし、大事な友人だけど……結婚なんて、うまくやっていけるのかしら。私がリードしなくては……)


 そんな彼女の気も知らず、ザックはつかつかとそばまで寄ってきて、机に手をついた。長身をかがめ、じっと目をあわせる。

「おまえは別に俺と結婚したいわけじゃないだろ? それなのに結婚なんて、話がおかしいだろ?」


「結婚生活には、男女たがいの努力が不可欠だとお母さまは言っていたわ」

 フラニーは滝行にでも向かうような決死の顔つきになった。「あなたを好きになるのだって……やってできなくはないはず」


 ザックはあきれたようなため息をつき、かがんでいた背を起こしかけたが、「ん? なんだこれ」と机上の紙を手にとった。


「あっ! それは……」フラニーがあわてて取り返そうとするが、もう遅い。


「『健康優良』『食べ物の好き嫌いなし』『お人よし(※欠点にもなりうる)』『竜に好かれている』」

 無神経にも、ザックはフラニーのメモ書きを読みあげた。

「……あは、フラニーおまえ、俺のいいところ探してたのか? ロールのときの俺とおんなじことしてる」


「ば、馬鹿にしないでよ!」

 真剣なこころみを笑われ、フラニーは拳を握って叫んだ。「私だって、ひとを好きになるのにこんなもの意味ないって思ったけど、私なりに、私なりに……」


「わっ」ザックは驚き、机を迂回うかいして近づいてきた。「馬鹿にしたわけじゃないよ。泣くなよ……」


「泣いてないわよ!!」フラニーはわめいたが、自分でも言葉の嘘はわかっていた。目が熱くて鼻の奥がツンと痛む。


「そんなに嫌だったのかよ? これを読まれるの」

「ち……ちが……」

 律儀に答えながらも、あとからあとから涙が盛りあがってきて、ついに眼のふちからあふれだした。メモのことは、最後の決壊に過ぎない。ほんとうは、エサルに命令されたときから、もうずっと……。


「う、う、うわあぁぁぁぁん」

 フラニーは耐えきれず、童女のように声をあげて泣きだした。ザックを驚かせたに違いないと頭の片隅ではわかっていたが、決壊してしまった涙はもうとどめられなかった。


 しゃくりあげながら嗚咽おえつしていると、名前を呼ばれた。

「フラニー」

 さっと目の前が陰ったかと思うと、太い腕につかまれて立たされ、ぶあつく暖かいものに包まれた。ザックに抱きしめられていると認識するのに数瞬かかった。あまりにもびっくりしたのと、涙の勢いが止められず、フラニーはされるがままだった。抱きすくめられるような強さではなく、家族にするようなおだやかなもの。彼女を落ちつかせるためのものだ、とようやく思いいたる。


「おまえは悪くないよ。エサルが欲をかくのが悪いんだ」背中をぽんぽんと叩き、ザックは優しい声で言った。


「……お……」

 自分では絶対に口にしないようなことを言われ、フラニーのなかに蓋されていた伯父への不満が爆発した。

「伯父さまの、わ、分からず屋! け、結婚したくないって、言ったのにいぃ」

 伯父をののしりながら、さらに激しく嗚咽おえつしはじめる。「デイミオンさまの、馬鹿ああぁぁぁ」

 ついでに冷酷な美貌の王もののしっておく。伯父のせいで、よけいな期待をしてしまった。さらにデイミオンがとどめを刺したようなものだ。せっかく手放しかけていた恋心を、もう一度ずたずたに引き裂かれたのだから。


「よしよし、つらかったな」

 ザックはおっかなびっくりではあったが、背中をやさしく撫でおろしてくれた。「王太子だって勝手に申しつけられたの、一生懸命やってたもんな。慣れないことばっかりできつかったよな」

「うう……」


 そんなふうにザックがずっと話しかけつづけ、そのあいだも背を撫でてくれて……

ずいぶん経ってから、ようやく嗚咽が止まった。

 こんなふうに子どものように泣きじゃくったのは、いつ以来だろうか。

 鼻水がつまって、涙の熱さでぼんやりする。なにか拭くものをと手を伸ばすと、ザックはごそごそと自分のポケットをあさって、汚らしい手巾ハンカチを渡してくれた。フラニーは遠慮なく、大きな音を立てて鼻をかんだ。 



「俺がなんとかしてやるから、おまえは心配すんな」幼なじみはそう言った。


「なんとかって……だって……どうやって?」

 ザックの胸板に耳をくっつけたままなので、なんだか恥ずかしい。顔をあげずにフラニーは尋ねた。


「考えたんだけど、おまえ今、恋人いないだろ? それでこの話を断ると、エサルはまた別の縁談を持ってくると思う」

 顔は見えないが、ザックは考え考え言葉をつむいでいるようだった。

「だから、とりあえず婚約ってことにしたらどうかと思って。どっちにしても、繁殖期シーズンはまた来年の話になるだろ? だから婚約者として両親に紹介するだけでも、エサルは満足するよ」


「婚約で時間をかせいで……ってこと?」

 フラニーはその提案を考えてみた。さすがの伯父もベッドのなかまで入ってくるわけではないから、婚約を偽装するのは難しくないだろう。もともと友人なのだから、はた目にも不仲には見えないだろうし……


「だけど……伯父さまをだますなんて……」

「楽しそうだろ?」ザックが後を取った。


 フラニーはあっけにとられ、思わず強くまばたきをした。


「昔はよく、エサルにいたずらをしかけてみんなで叱られただろ。おまえは、エサルのあの鷹をペンキでピンクに塗ったりしてさ」


「あれは、ずいぶん怒られたわよね」

 まだ涙の乾かない頬を動かして、フラニーはくすりと笑った。「フィーヴルにも悪かったわ、ペンキを落とすのにお湯のなかに入れたら、嫌がって手をつつかれて……」


『あっ、こいつ泣くぞ』……声変わりする前の、ザックの言葉まで思いだしてきた。

 そして、手をケガして泣きわめいたフラニーを、エサルが抱きあげたことも思いだした。大泣きする子どもに困惑し、「自業自得だぞ」と怒りながらも、エサルは彼女が泣きやめるまでずっと抱いて揺すってくれたっけ。


「な? だからもう、おまえは心配するなよ。いつも通りにしてればいいんだから」


「うん……」安堵と気恥ずかしさで、フラニーは言葉少なになった。


 いつもの四人がここに揃えばいいのに、とふと思い、寂しくなる。サンディなら絶対に、『だから最初から、僕たちに相談していればよかったんだ』とあざ笑うだろう。ロールはきっと……『エサル公を刺激せずに婚約破棄できるよう、私も策を考えよう』だろうか。


 でも、あの二人がいたらザックにこうして抱きしめて慰めてもらったりはできなかった。そう考えると、自分がどちらを惜しんでいるのか、フラニーはよくわからなくなった。

 もっとしっかり考えなければ、という考えもどこかにはあった。偽装婚約というザックの提案はありがたいが、彼の善意を利用することになりはしないか。


(でも……、今はひとまず、このままでいいわ)


 こうやって誰かの胸に甘えられる心地よさが、フラニーには本当にひさしぶりに感じられた。ザックが言うように、ずっとがんばってきたのだから……今日ばかりはその贅沢を味わってもよいことにした。


(あと一つ……ザックのいいところを思いだしたわ……)


(私が泣いてしまう前に、いつでもそれがわかるんだわ。不思議だけど、ずっと子どもの頃から……)


 涙のあとの甘い気だるさに襲われて、フラニーはザックの胸のなかで目を閉じた。

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